それは鬼神か化け物か

星うとか

第1話 すべての始まり

 死ぬ瞬間とは、どのようなものなのだろうか。たった五歳の子供がそう考える。それほどこの状況は絶望的だった。


 その少年は、雨の音で目が冷めた。暦の上ではもう初夏も過ぎたのに、肌寒さに思わず身を震わせる。


 起き上がると、その家には誰もいなかった。特に気にした様子もなく、少年は寝乱れた着物を直す。所々擦り切れて、薄汚れた着物だった。


 腹が減った。そうは思うものの、家の中には食べ物などない。釜戸はしばらく火が入っておらず、湿気のせいかカビも生えていた。


 最後に何かを食べたのはいつだったろうかと、少年は記憶をたどる。10日前に、家の中に巣をはった蜘蛛だったと思う。それからはずっと、水を飲んで腹を膨らませていた。水なら、それこそ腐るほどある。


 自分もこのまま死ぬのだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、少年は空を見つめた。


 父と兄は山に入って、クマに食い殺された。母一人で二人の子供を養うのには無理があり、また雇ってくれるところなどどこにもなかった。

 やがてお乳も止まり、妹が死んだ。その悲しみに暮れ、後を追うように母も死んだ。

 今この状況で、誰もが他人を気遣う余裕などない。その少年を助けてくれるものなど、誰もいなかった。


 このまま飢えで苦しむより、山に入って食べられる物を探そうか?


 幸い山には凶暴なクマがおり、村人はあまり近づかない。ひょっとすると、なにかあるかもしれない。

 クマに見つかったら、そのときは運命だと思って大人しく食べられよう。


 少年は立ち上がると、確かめるように手を握ったり開いたりを繰り返した。その場で軽く飛んでみて、まだ体力が残っているのを確認する。


 木戸を開けると、外はシトシトと雨が降っていた。少年は裸足のまま、歩きだす。

 家の裏手には、4つの墓がたっていた。少年はチラリと見ただけで、山へと向かう。


 村の様子など知らぬとばかりに、山の木々は青々としていた。葉や足元の草は雨粒を弾き、キラキラと輝いている。それがなんだか憎らしかった。


 何か実ってはいないかと、少年は上を見ながら進む。だからだろうか、足元が疎かになっていた。草の高さより少し大きなな何かに躓き、体勢を崩す。前のめりに倒れたせいか、顔に泥が飛んだ。


「いってぇ……」

 強く打ったのか、立ち上がる際に右腕を擦る。何に躓いたのか確かめようと、少年は足元に目をやった。その瞬間、背中に嫌な汗が流れる。


 それは、人だった。


 さっきの様子から、もう生きてはいないだろう。そっと近づくと、長い髪が見えた。仰向けにしてみると、痩せこけた顔が現れる。歳は十八かそこらだった。

 死んで間がないのか、あまりハエはたかっていない。


 ゴクリと、喉がなった。その屍から目が離せなくなる。


 喰いたい。そう考えるのに時間はかからなかった。


 そろりと近づき、その腕に手を伸ばした。食べられる所などあるのだろうかと思ってしまうほど、その腕は細い。しかし、口にできるのなら何でもよかった。


「はっ……」

 その腕に、口を近づける。噛みつく直前、一瞬迷ったように口を閉じかける。それはわずかに残っている人間の良心だった。


 人を食べるのはいけないことだ。それをすれば、自分は畜生に落ちる。そう思った直後、目の前に一匹の蠅がとまった。物色するかのように腕を這いまわっている。


 その瞬間、理性の糸が切れた。


 なぜ矮小な蠅が生き延びて、自分たち人間が死んでいくのか。そう考えると、何もかもが馬鹿馬鹿しくなった。

 別に人殺しをしたわけではない。拾った肉がたまたま人間だったというだけだ。

 大きく口を開けると、勢いよく腕に歯を立てる。


 その瞬間、この世のものとは思えぬほどの味がした。


「あぐ……、ん、んむ……」

 あぁ、もっと早くこうしていればよかった。そんなことを思いながら、その子供は死肉を貪っていた。


 

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