オワりの兄妹

工藤部長

第1話 この物語はのっけから末(オワっている)

 妹――

 古くは現在のような妹と言う意味だけではなく、姉や妻、恋人など、その男性にとって親しい関係にある女性のことを意味していたという。より正確には、妹(いも)と呼んでいたらしい。そのころは兄妹あるいは姉弟での結婚もあったからだという説もある。

 そして、近親者で年下の女性のことを意味したという『妹人(いもひと)』が転じて現在の妹になったといわれている。

 つまり、妹と恋人は近似的に同義とみなせる。よって、兄妹で結婚の出来ない現代社会は、早く滅ぶべきだ。

 


 俺には双子の妹がいる。

 だが、妹とは学年が一つ違う。

 つまり、産まれるタイミングの数分のズレで、俺が四月一日、妹が四月二日に産まれたのだ。

 そして、俺の妹、道末(みちすえ)彩華(さいか)は一言で言い表すならば、カワイイ。

 別に、シスコンって訳ではないが、身内の贔屓目を無しにしてもカワイイと思う。

 そんな俺の妹は人当たりもよく、これと言って毛嫌いしたりすること無く皆に対して平等に接する。

 だが、そんな妹にもただ一人だけ、他とは違う態度を取る人物がいる。

 そう、兄である俺だ。

 どう違うかって?それは、もうヤバいくらいに違う。

 どうヤバいかなんて、妹の様子を見てもらえれば伝わるだろう。



 放課後、家に帰ろうと正門の方へと歩いていると、後ろからパタパタと音を響かせ、誰かが走ってくる。

 振り向かなくたって分かる。

 何故なら、ほぼ毎日のことだからだ。

 走る音が次第に大きくなってきて、最後の音が聞こえた直後、俺の左腕に重みを感じる。

「お兄ちゃん、一緒に帰ろ」

 俺に腕を絡ませ、顔を覗き込んだ彩華はにこっと屈託ない笑顔を俺に向けてくる。

 少し気恥ずかしくて、出来れば辞めていただきたいのだが、こう毎日のように続けられるとさすがに俺も慣れてくる。

「はいはい」

 二つ返事をして、歩調を彩華に合わせる。

「もう今更訊くのもあれだけどさ、友だちと帰んなくていいのか?」

「お兄ちゃん以外、誰と帰るっていうの?」

 妹からこんな応えが返ってくるのは、予想済みだ。だが、こうもベッタリされると、やはり訊きたくなるのも仕方がないというものだ。

「生徒会の仕事は大丈夫なのかよ」

「今の時期は特にやること無いよ」

 彩華は高校一年生にして、この学校の生徒会長を務める。

 しかし、学校中の生徒の模範であるべきはずの彩華は、こうして人目をはばからず俺に抱きついてきたりする。

 普通に考えて、妹が兄に対してこんなにベッタリだとあらぬ噂が広まったりしてもおかしくない。しかも、生徒会長となればただでさえ注目を集める存在だ。この学校の生徒で俺たちが兄妹であることを知らない者はいないと考えても大袈裟ではないだろう。

 だが、ただ仲の良い兄妹としか捉えられないのか、あらぬ噂は別段立つことはない。中には、怪しむ存在もいるかもしれないが、だからと言ってそれが問題になるわけでもない。

 それは、彩華が生徒会長であるが故のこと。

 いや、より正確には彩華が生徒会長になることとなる要因の一つが、その彩華と俺の関係を怪しませていないと言える。

「お兄ちゃん、今日の夕飯何がいい?」

 俺の様子を伺うようにして、彩華はそんなことを訊いてきた。

「何でもいい」

 素っ気ない返事をすると、彩華はぷくっ頬を膨らませる。

「もうっ、お兄ちゃんはいつもそればっかり。夕飯考える方の身にもなってよね」

「つっても、家事は分担じゃないか。晩飯かって交代じゃん」

 彩華はむーと唸って、拗ねたように俺から顔を逸らす。

「ふんっ!」

 はぁ、面倒くせえ。こうなるとずっと不機嫌なままだ。家に帰ってからも口すら訊いてくれなくなる。いや、それはいつもか。

「いや、なんだその・・・・・彩華が作るものなら何だって美味しいってことだよ」

「そ、そう・・・・・」

 えへへと照れたように微笑む。

 すると、一人の女生徒が彩華に声を掛けて来た。

「本当に、二人はいつも仲がいいね」

「そ、そんなことないよ」

 そう言いながらも、彩華は嬉しそうに笑っている。

 さらに、他の生徒が駆け寄って来る。

「こんな優しいお兄さんがいて羨ましいなぁ」

「そ、そうかな。いつも喧嘩ばっかりだよ」

「嘘は良くないぞ、喧嘩じゃなくてお前が一方的に怒ってるだけだろ」

 すると、彩華は俺を肘で小突いてくる。

 それを見て、女生徒がくすっと笑う。

「でも、喧嘩するほど仲が良いって言うし」

 だから喧嘩じゃねえって言ってんでしょうが。



 学校を出たところで女生徒たちと別れてしばらく、いつの間にか俺たちの傍に一人の女生徒がいて、突然話し掛けて来た。

 この娘は俺もよく知っている。白鳥(しらとり)亜衣(あい)。

 彩華のクラスメイトで、俺と彩華の幼馴染でもある。彩華とは親友で、俺ともそれなりに仲がいい。俺にとっては、ほぼ唯一と言っていい女友だちだ。

 亜衣はくすっと笑うと、俺と彩華を交互に見て、こう言った。

「二人は、昔から恋人かってくらい仲いいよねー」

 にこーとそう言う亜衣に対して、彩華は一瞬だが、うっと呻いてから間髪淹れず亜衣に笑顔を向ける。

 彩華は何かを言おうと口を開くが、それを遮るかのように亜衣が言葉を発する。

「ねえ彩華、今日、お家行ってもいい?」

「えっ、あ、うん。もちろんいいよ」

 突然の話題転換に戸惑いを見せながらも、笑顔を崩さず亜衣の申し入れを承諾する。

「やった。じゃあ、また後でね」

 そう言った亜衣は、丁字路を俺たちとは逆に向けて歩き始める。その際、ちらっと俺の方を向き、イタズラっぽい笑みを見せてくる。

 うーん、この娘が何考えてるのか分かんねえ。

 たまにだが、ああいう意味あり気な表情を見せてくるのだが、別に何かがあるわけでもない。

 そりゃ、俺だって勘違いする。

 それで、以前、亜衣に訊いたことがある。

 ――俺のこと好きなのか?

 別に下心があったわけではないが、何となく訊いてみたくなった。

 すると、亜衣は無言のままにっこりと微笑んだ。

 モヤモヤしたのは嫌だし、違うなら違うとはっきりいって欲しかったのだが、その時の亜衣はどこか得も言われぬ無言の圧力のようなものを感じ、それ以上訊くことを憚れた。

 それ以来、そのことについては訊こうとはしなかった。

 亜衣が歩いて行くのを確かめて俺たちも帰路に就く。

「お兄ちゃん、スーパー寄ってこ」

 相も変わらず俺に腕を絡める彩華が、そう言われて、今日が月曜日であることを思い出す。

 共働きで帰りの遅い両親に代わって、俺たち兄妹が家事を分担でやっている。

 そして、あらかた一週間分の食材を月曜日にまとめて調達するのが家の基本スタイルだ。

「それは良いけど、亜衣が来るなら早くしないと待たせることになるぞ」

「うん。だから、早く行こ」

 言って、彩華は俺の腕をぐいぐいと引っ張る。

「わ、わかったから、引っ張るな」



 買い物カートを押して店内を物色している間、さすがに歩きづらいのか彩華が腕を絡めてくることはなく、俺の周りをちょこまかと動きまわり食材をカートにあれやこれやと入れていく。

 テキトーに入れているようにも見えるが、昔、料亭を営んでいた祖母直伝の料理の腕前を持っているから、考えなしに選んでいるということもなかろう。

 俺もおばあちゃんにみっちり仕込まれたので彩華程でないにしても、それなりに料理は出来る方だと自負している。

 ふと耳を澄ますと、店内に響くオルゴール調の曲がぷつっと切れ、アナウンスへ切り替わる。

 何やらキャンペーンだかのお知らせでもしているようだが、別の事が気になって内容があまり頭に入ってこない。

 この声、美綺(みき)だよな?どうしてんだろうな、あいつ。まあ、この感じだと元気にやってるんだろうけど。

 そう物思いに耽っていると、彩華が俺の顔を覗き込んでくる。

「お兄ちゃん、どうしたの?なんか悩み事?」

「えっ!?あ、いや別に・・・・・」

 頭を軽く振り、美綺のことを頭の片隅に追いやる。

「なんでもない。それより、早く買い物済ませようぜ」

「うん」



 スーパーを出て、今度こそ帰路に就くと、後ろから軽やかなステップで足音を鳴らしながらが、誰かが走ってくる。

「さいかー」

 そう声を上げて近づいてくる足音をほぼ真後ろに感じた時、その正体は彩華にばっと抱きつく。

 彩華に腕を絡められた状態の俺はそれにつられてよろめくが、なんとか踏み留まる。

 その拍子に彩華が俺から腕が離れる。そして、俺と彩華の間に出来た隙間にすかさず亜衣が入る。

「彩翔(あやと)お兄ちゃんも」

そう言って、亜衣は俺に抱きついてくる。

「は、恥ずかしいから辞めろよ」

「えー、彩華はいいのに私はダメなの?」

「いや、そういうわけじゃないけど、彩華のはもう慣れたというか・・・・・」

 ぶーぶー文句を言いながらも、案外素直に離れてくれる。

 そのまま俺と彩華の間に亜衣を挟んで歩いて行く。



 玄関に到着し扉を閉めたところで、彩華は気が緩んだように、はぁとため息を吐き、俺の方を見て口を開き何かを言おうとしたが、亜衣がいることでそれを中断する。

 再び俺の方をちらっと見た彩華は、すぐに目を逸らし亜衣に話しかける。

「亜衣、私の部屋に行こ」

 そう言い、亜衣の手を引っ張りそそくさと階段を登っていく。

 俺の方がため息吐きたいよ。

 亜衣もよくわからないけど、彩華はもっとわからない。

 彩華は前々からお兄ちゃんっ子だったように思うが、あいつが高校に入学してからそれが更に酷くなったというか、一層ベッタリしてくるようになった。

 それは別に良いのだが、一応世間体というものがある。周りは何も言ってこないが、やはり兄妹にしてはくっつき過ぎな気がする。

 昔から、両親が共働きで家を留守にしていることが多かったから、常に一緒にいた俺を心の支えにしていたのかもしれないが、この歳になってあれはちょっと行き過ぎている。

 小学生の頃は亜衣も家によく泊まりに来ていたりしたし、彩華の傍にいたのが俺だけというわけでもない。

 それでも、両親が夜遅くまで帰ってこないのは当時の彩華からしたら、寂しさを感じていたのだろう。俺も少し寂しさを感じたことがあるから、その気持はよくわかる。だから、昔から、お兄ちゃんお兄ちゃんと言って何かと俺に付き纏うのを拒否してこなかった。

 その結果が、人前で(、、、)俺にベッタリするようになったのだとすれば、多少なり俺にも責任がある。かと言って、辞めろと言ったところで彩華が辞めないのは、この半年近くで重々承知していて、半ば諦めている。

 買ってきた食材を冷蔵庫や戸棚に入れ、リビングのソファーにどかっと座り軽く上を見ると、壁に掛けられた少々古臭いアナログ時計が目に入る。

「もう四時か・・・・・」

 そう独り言を呟いて、うーんと腕を組み考える。

 今日は彩華が夕飯を作ることになっているけど、先ほど亜衣が来たところだ。今から一時間は亜衣が家にいるとすると、十七時を回ってから準備を始めると、夕飯が遅くなるかも知れない。

 俺は夕飯が遅くなろうが一向に構わないのだが、亜衣が帰った後で、焦って作らせるのも気が引ける。

 もうちょっとしたら俺が作るか。なんなら亜衣にも食べて帰って貰ってもいい。

 さすがに今から作るのは早過ぎると思い、時間を潰そうとテレビを点ける。

 この時間の番組は、報道バラエティだとかそう言った類のものが多く、ちょうどバラエティ企画の時間らしくニュースがほとんどやっていない。

 特に見たい番組がなく、ぱちぱちとチャンネルを切り替えていく。

 三回ほどチャンネルを切り替えたところで、スピーカーから聞き覚えのある声がして、思わず手を止めてしまう。

 その声の主は、さっきのスーパーで流れていたアナウンスの声と同じものだ。この番組のコーナーでナレーションをしているみたいだ。

 ほんと最近色んな所で聞くようになったな。

 二年ほど前の事を思い出し、少し感慨深くなってしまう。

 でも、まあ、もう逢うこともないだろうな。

 気が付けば、既に別のコーナーになっていた。

 何か込み上げてくるものがあって、このままではマズい、気を紛らわせようとHDDレコーダーを起動させる。

 録画一覧には最近始まったばかりのドラマやアニメがざっと並んでいる。

 ドラマかアニメ、どちらを見るか迷うが、ドラマだと一時間くらいあるから、そのまま見入ってしまった場合、結局夕飯が遅くなると思って、アニメを見ることにした。

 大半が未視聴のマークが付いたままで、その中から一番上にあるものを選ぶ。

 第一話だからか、OP(オープニング)はカット。話は着々と進んで行く。

 サブキャラの女の子が声を発した瞬間、ほぼ無意識の内にテレビの画面を消していた。

 まさか、これにも出てるとは思わなかった。美綺が出ているものは避けるようにしていたが、サブにまで全てチェックが行き届いていなかった。

 なに一人で勝手に気にして、戸惑ってるんだろうか。

 俺はバカか。昔のことは昔のこと。今どう考えたってどうにかなるわけでもないし、見苦しいだけだ。

 ソファーから立ち上がり、キッチンへと向かう。



 もともと彩華が何を作るつもりだったかは知らないけど、どうせ二日目以降はある食材から献立を考えるから、なんでも良いだろう。

 包丁を使って食材を切っていると、ドタドタと階段を降りる音がした。

 ばっと扉が開かれ、彩華が部屋に入ってくる。

 それに驚いて、手元を誤り包丁で少し指を切ってしまう。

「痛っ」

 軽く叫ぶと、彩華がキッチンへとやって来て、俺の元へと駆け寄ってくる。

「お兄ちゃん、ごめん。今日私の日なのに・・・・・」

 すると、俺の指を見て驚いた声を上げる。

「えっ!?お兄ちゃん、もしかして指、切っちゃったの?」

 そう言う彩華に、俺はものすごい違和感を覚えるが、そういえば亜衣がいるのか、と違和感の理由を察する。

 すると、彩華が俺の腕を掴んで怪我した指を咥えた。

 その時の表情があまりにも真剣だったためか、妙な背徳感を覚えて、さっと視線を逸らす。

 その視線の先には、亜衣がいて、別に悪いことをしているわけでもないのに、マズい物を見られたような気がしてしまった。

 しかし、そんな俺の気を知ってか知らずか、彩華は指から口を離し、上目遣いでこう言う。

「もう、気をつけなきゃダメでしょ」

「わ、悪い・・・・・」

 亜衣の方を見やると、口元に手を当て、くすっと笑う。

「なんか新婚さんみたい」

 そう言った亜衣は、なおもくすくすと笑っている。

「そういうの、冗談でも言うなよ」

 普段の俺なら、これくらいのこと何でもないとスルーするところだが、今は何故か軽く怒鳴ってしまった。

 俺が少し大きな声を出したのに驚いたのか、きょとんとした表情をして俯く。

「ごめんなさい・・・・・」

「あ、いや、俺こそ、ごめん」

 そうぶつ切りに言うと、俺と亜衣が話している間に救急箱を取りに行った彩華が戻ってきた。

 彩華に消毒してもらい、包帯を巻いていく。

「包帯は大袈裟だろ」

「そんなことない。バイ菌入ったら大変だよ」

 そう言われてしまっては、拒否する道理はない。

 包帯を巻いてもらっている間、テーブルで俺の斜向かいに座り俺たちを見ている亜衣に話しかける。

「よかったら、夕飯食べてかないか?」

「えっ・・・・・?」

「さっきの罪滅ぼし、にはならないかもだけど、せめて何か出来ないかなと思って・・・・・」

 こんな言い方をすれば、亜衣が断りにくくなるは分かっていた。だが、俺は敢えてそうした。

 謝罪したいという気持ちも確かにある。だが、それとは別に、このまま亜衣を帰して彩華と二人きりになりたくなかった。

 なにかあるわけじゃない。だけど今、自分の感情が落ち着いていない。

 それは、おそらく先刻、美綺の事を考えてしまったからだろう。

 だから、俺が落ち着くまでは少しでも賑やかな方がいいと思った。

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 俺の心情を察したのかは分からないけど、そう言ってくれたことに内心で感謝する。



 俺がキッチンに戻り調理を再開しようとすると、指を怪我してるんだからと彩華と亜衣に止められた。

 ――これくらい大丈夫。

 そう言いかけて、先ほどの事を思い出す。

 少々やり過ぎな気もするが、怪我したのを気にして包帯まで巻いてくれたのだ。それをこれくらいなどと、一言で片付けてしまうのは、せっかく心配してくれたのに彩華と亜衣に失礼だと思い、言い留まる。

 それから、二人が夕飯を作るのをおとなしく待ち、三人でテーブルを囲む。

 結局、食べ始めたのは十八時をとっくに回ってからだった。

 夕飯を綺麗に平らげると十九時を過ぎており、帰るという亜衣を彩華が制止する。

「えー、泊まってってよー」

 駄々をこねるように言われ、戸惑う亜衣はどうしようという表情で俺を見てくる。

 それに対して、俺は泊まっていけばいいんじゃないのと言う意味を込めてこう言う。

「まあ、なんだ、外は暗いし、女の子を一人で帰らせるのは不安だな」

 すると、亜衣はくすっと笑う。

「ふふっ、彩翔お兄ちゃんは相変わらず素直じゃないね」

「うっせー、ほっとけ」

「あ、でも着替えがないよ」

「私の貸してあげるよ」

 いや、彩華の服、特に下着は亜衣とはサイズが違いすぎるだろ。

 とはさすがに口にせず、心の中に留めておく。

 そういう話には、男の俺が介入すべきではない。そう思い、その話には耳を傾けないようにした。

 食器を水に浸け、リビングを後にする。

 部屋に戻ったスリープ状態にしておいたPCを起動する。

 前回の状態を保ったままディスプレイに映し出されたのは、ワープロソフトで、そこにはいくらかの文字列が記されている。

 それを読み返し、自分が前回どこまで作業を進めていたのかを記憶を辿る。

 俺の目の前に出力されているこれらの文字列は、いわゆる小説。より正確には、ライトノベル。

 高校に入学してすぐの頃、応募した作品が入賞。それ以来、その作品はシリーズ化し、メディアミクス化にまでは至ってないもののそれなりの人気がある。

 中学時代からちょくちょく書いていたものが、今現在色々な人に読まれているのは凄く嬉しいし、やりがいだって感じている。

 だが、書いていてたまに思うのだ。

 ――このままで良いのだろうか。

 小説を書くことは好きだし、楽しい。だが、出来ることならこの作品は早く完結させたい。

 しかし、一定の人気を得てしまった以上、担当がそれを許さない。いや、実際には終わらせたいなどと一言も発したことはないから、自分で勝手にそう思っているだけか。

 あまり書く気が起こらなくても、頭の中には自然とストーリーが浮かんでくる。

 ただひたすらに思い浮かぶことを、自分なりの文章にして書いていく。

 俺は自分が書くこの作品が嫌いだ。

 自分で書いているのに、と思われるかもしれない。

書いていると思い出したくないことを思い出してしまう時がある。

 それは、自分の中学時代のことを元に書いているからかもしれない。

 あの冬の夜、約束したから書き続けなくてはいけない。

 ただ書くだけじゃダメなのだ。

 文庫本として出版しなくてはいけない。その約束が果たされるまでは。

 だから、この人気は維持し続けなくてはいけない。

 そう言った意味でも、このままで良いのだろうか。そう何度も思いながらひたすらに書いていく。



 気が付くと、PCの前で突っ伏していた。どうやら小説を書きながら色々と考えていると、知らぬ間に寝てしまったらしい。

 んー、と両腕を上げ伸びをすると、バサッと何かが床に落ちた。

 毛布?俺、毛布なんか・・・・・

 彩華か亜衣のどちらかだろうか。両親の可能性もあるが、こうやって気を遣ってくれることは素直に嬉しい。

 だが、勝手に人の部屋に入ったは、どうかと思う。

 礼を言うついでに、注意しておこう。そう決め、点けっぱなしのディスプレイを消そうと手を伸ばす。

 あれ、待てよ。

 この部屋に誰かが入ってきたのはほぼ確実だろう。ということは、その際に、このディスプレイに映し出される文章を見られた可能性もある。

 別に見られたからといって、俺に不利益があるわけではない。だが、家族や知り合いに自分の書いている途中の小説が読まれたかも知れないと思うと、少し恥ずかしい。

 完成して、本として出版されれば、不特定多数の人が見ることになるだろうから、誰が見てるとかはあまり気にならないが、身近な人がとなると話しは別だ。

 人の部屋に勝手に入らないのが基本だが、家族だったら誰が入って来てもおかしくない。これからは点けっぱなしにしないよう気をつけた方が良さそうだ。

 リビングへと降りると、朝食を終えた彩華と亜衣がいた。

「おはよう、お兄ちゃん」

「おはよう」

 元気いっぱいにそう挨拶する二人に、少々気圧され戸惑い気味に挨拶を返す。

「あ、あぁ、おはよう」

 挨拶を終えると、亜衣がリビングを出ていこうとして、彩華がそれに続く。

「あれ、亜衣、もう出るのか?」

「制服に着替えないといけないから」

 そう言えばそうか。昨日、あのまま泊まったから、準備とかもしないといけないしな。

 一応、俺も玄関まで見送りに付いて行く。

「じゃあ、また学校でね」

 亜衣が彩華にそう言うと、

「うん。また後で」

 そう返事をする。

 そして、靴を履いて扉を開けた亜衣は、玄関を出て行く直前に俺の方に振り返り手を振り、最後にパチっとウインクして、帰っていった。

 俺は反応に困り、亜衣が出て行った後も、はははと苦笑いを浮かべる。

 扉が閉まったのを確認した彩華は、くるっと踵を返してリビングへと戻っていく。

 リビングの扉に手をかけた彩華に俺が声を掛ける。

「なあ、彩華」

 しかし、彩華はこちらを向こうとはせず、ノブに手をかけた状態で静止し、トーンの低い声で返事をした。

「なに」

 あまりの抑揚の無さに一瞬たじろぐが、至って冷静に問い掛ける。

「あ、いや、昨夜、俺の部屋入ったか?」

 俺はただ、毛布を掛けてくれたのが彩華なら礼を言わなきゃと思い、そう訊いたのだが、彩華はキッと眉間にシワを寄せる。

「は?入るわけ無いじゃんキモい死ね」

 彩華はそう言うと、リビングに戻り、あからさまにガチャガチャと音を立て食器をキッチンへと持っていく。

 キッチンから戻ってきた彩華は、扉の前で立ち尽くした俺の前まで来てこう告げる。

「邪魔、どいて」

 そう言って、俺を軽く突き飛ばして二階の自室へと戻っていく。

 もしかしたら今日一日はこのままの流れで大丈夫かもと思った俺が愚かだったか。


 そう、俺の妹・彩華は人前とそれ以外とで俺に対する態度が豹変する。

 これが普段はベッタリなのに、人前ではツンケンするのならまだ可愛気がある。だが、彩華はその逆だ。

 どういった理由でこんな態度を取るのかは知らないが、俺と二人きりになるといつもあんな風に機嫌が悪くなる。

 いつもは学校から帰ってくるまでの間、昨日のように俺に腕を絡めたりすのだが、家に着いた途端、顔を強張らせ、キモいだの死ねだの暴言を吐いてくる。

 それが昨日、亜衣が泊まったことにより、いつも以上に鬱憤が溜まっているのか今日は特に機嫌が悪い気がする。

 あいつが初めに泊まってけって言ったのに、理不尽にも程がある。また、そう言った意味でも亜衣が泊まっていってくれたことは感謝に値すると言える。

 時計を確認すると、そろそろ家を出る時間だ。朝飯は食ってる時間は無いなと諦め、自室へ戻る。

 階段を登ると、ちょうど彩華が部屋から出てきたところで、何か話し掛けてもどうせ悪態をつかれるだけだと思いスルーする。

 しかし、すれ違いざまに彩華の方から話し掛けてきた。

「ねえ」

「あ?なんだよ」

 思わずキレ口調でそう言ってしまい、ちょっとマズかったかなと思っていると、彩華は特に気にした様子もなく、単調にこう言う。

「なんでもない」

 マジでなんなんだよ、あいつ。

 いつものことだから、と思いつつも今日は無性に腹が立つ。

 こんな事に腹を立てていても仕方がない。毎日繰り返されることなのだから。



 家を出た途端、外面モードになる彩華は昨日同様、俺に腕を絡めてくる。

 終始不機嫌なよりはこっちの方がよっぽど良い。

「なあ、さっきの話だけど・・・・・」

「ねえお兄ちゃん」

 さっき家で訊こうとしてキレられたことを再び訊こうとすると、それを遮るように彩華が言葉を被せてくる。

「な、なんだ?」

「なんでもなーい」

 こいつ、絶対わかってやってるよな。

 学校までの道のり、彩華が色々と話しかけていて、俺はそれに一つ一つ反応していく。

 学校に着くまで、彩華の話は止まらず、校舎に到着したところでようやく開放される。

 教室の自分の席に着くと前の席から声が掛けられる。

「よっ、彩翔」

「ああ、おはよう」

 こいつは馬場知生(ともき)。高校入学以来の親友と言える存在だ。

アダ名は『ばばちい』。誰かが『知生』を『ちい』と読み間違えてからそう呼ぶ奴がいる。

 そんなアダ名だが別に馬場は、ばばちくはない。下ネタ大好きの変態ではあるが・・・・・

「なあ彩翔、前から思ってたんだけどさ、お前、妹さんと仲良いよな」

「いや、別に仲良くないぞ?」

 そう真顔で答えると、馬場は、えーと小さく叫ぶ。

「いやどう見たって仲良いだろ。ほぼ毎日、登下校一緒でさ」

「そら、家が一緒なんだからそうなるだろ」

 馬場は、腕を組み、うーんと唸る。

「それはそうだけど、腕組んで歩くとか仲良すぎるだろ。羨ましい」

「別に羨むような事じゃねぇよ。鬱陶しいっちゃあらしない」

「そんなもんか?」

 俺が、そうそうと頷くと、馬場は話を続ける。

「それなら、いっそのこと誰かと付き合っちゃえば、生徒会長さまも、あまりくっついてこなくなるんじゃないか?」

「うーん・・・・・」

 馬場の言いたいことは分かるんだけど、素直にそうだなと頷けない。

「なんでそんな難しい顔してんだよ」

「あ、いや別に・・・・・」

 すると、馬場は、はっと驚いたような顔をする。

「ま、まさか、彩翔、お前ほ、ほ・・・・・」

 言いかける馬場を遮るように言葉を被せる。

「ちげーよ」

「じゃあ、あれか。妹さんに気を遣ってるとか?」

「は?なんであいつに気を遣わなきゃいけないんだよ。それこそ、俺が誰と付き合おうが彩華には関係ないだろ」

「いやそうだけど、ほら、妹さん、彩翔にかなり依存してるくないか?」

 依存、ね・・・・・彩華の外面しか知らないとそう見て取れるのかもしれないな。

「たぶん、そんなんじゃないぞ。家ではスゲー怖いからな」

「怖いって言っても、ちょっと怒るくらいだろ?」

「ちょっとってもんじゃねぇぞ。特に機嫌が悪い日は、死ねとか言われるからな」

 よくよく考えると、聞いてるのが馬場だから良いけど、曲がりなりにも彩華は生徒会長だ。あまり悪いイメージに繋がることは人前で言わない方がいいよな。

「まあ、あれだ。今は誰かと付き合うとかは考えてないから」

「今は、ってことは前は考えてたのか?」

 そこで俺は余計な一言を言ったことに気付く。

「あ、あぁ、考えてたと言うか、付き合ってたことならある」

「マジかよ。そんなの聞いたことねぇぞ」

「いや、だって中学の時の話だし」

 馬場は、ほうほうと何処か納得したように頷く。

「いやぁ、でも勿体ねぇ」

 顎に手をあてそう言う馬場に問う。

「な、何が勿体無いんだよ」

 馬場は、ビシっと人差し指を伸ばし、俺を指差す。

「だって、お前結構モテるだろ」

「は?それどこソースだよ」

「彩翔、マジで言ってんのか!?」

「そ、そんなに大きな声出さなくても・・・・・」

 馬場は、いいかと子どものしつけでもするかのように真剣な声で俺にこう言う。

「彩翔、お前が気付いてないだけで、想いを寄せてる女の子がいたりするんだぞ」

「今まで告られたりしたことないけど、そういうもんかなぁ」

「そうだぞ」

 そして、一拍置いてから小声でぼそっと不穏な一言を述べる。

「あと、男の娘も・・・・・」

「は!?今なんかヤバいこと言わなかったか」

「いや、何にも」

「じょ、冗談はやめてくれよ」

 馬場は、はははと苦笑いを浮かべ、あっと声を上げる。

「言ってる傍から、お前のもとに女子が来たぜ」

 馬場が指差す方を見ると、馬場が追い打ちを掛けてくる。

「ちなみに、さっきの冗談じゃ無いから」

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