3章2話

 街外れにはドーナツ型をした広葉樹林があり、その前にはトロッコが止められています。樹木と樹木の間に茨が絡みついていて、普通の方法では林の中を進むことができません。トロッコは茨のトンネルを通って中心部へと至る唯一の手段なのです。


「ようやく帰ってこれたわね。よっこらしょっと」


 荷物をトロッコの後ろに載せ、座席へと乗り込みます。黒助も勝手知ったる様子で私の膝へちょこんと乗ってきました。乗車位置に設置されているレバーを引くとトロッコの車輪が回りだし、ゆっくりと茨のトンネルへ進み出しました。このような魔道具の動力は全て魔素なのですが、精霊さんを呼ぶ時に使う錬魔素ではなく、空気中に漂っている純粋な魔素を魔導装置が取り込みエネルギーに変換しているらしいのです。前世でいうところの電気みたいなものでしょうか。


 茨の内部はとても不思議な空間で、ドリルでくり抜かれたような草のトンネルが続きます。何度も経験していますが未だにここを通る時は童心へ帰ったようにワクワクしてしまう私なのでした。数分間、幻想的な空間を堪能すれば出口に到着します。トロッコはゆっくりと自動で停車し、私達を降ろすと元きた道を戻って行きました。こちら側から乗車する時は、先ほどと同じく設置されているレバーを引くと入り口からやってきてくれるのでとても便利ですね。


「ルリコ様、ルリコ様ぁ~」


 少し嗄れた元気な声が聞こえます。


「ハンナどうしたの、そんなに慌てて」

「大変です、魔導オーブンが壊れてしまいました。これでは三時のクッキーを焼くことができません」

「それは困ったわね。すぐに修理の方を呼ばなくては」

「この際、買い替えたらいかがです? 旧式の魔導オーブンなんて使っているのはもうこの家くらいですよ」


 彼女はハンナという五十代のメイドで、この家のお世話をして下さっている方です。かつてはローマン御領主家でメイド長を務めていたこともあり、とても優秀で気立ても良いのですが、少し好奇心旺盛すぎるのが玉にキズですね。翔くんにも教えていない私の秘密を知る唯一の人物でもあります。


「でもねぇ、私はあのオーブンで焼くクッキーが好きなのよ。新型であの微妙な焼き加減はできないと思うの」

「それはそうですが。仕方ないですね、明日にでも修理の者を手配しておきます。今日はクッキーの代わりにプリンでも作りましょう」


 ローマン迷宮からコリーさんを救出した報酬は、予想を遥かに上回るものでした。数えるのも嫌になるくらいのギンに、名誉冒険者の称号(この称号自体には何の効力もありません)、そして街外れにあるドーナツ型の林とそこに建つお屋敷です。このお屋敷は御領主家が所有する別荘のひとつだったのですが、今はもう使われていないらしく私達の住居にとコリーさんが永住権を下さいました。街中にある滑り台型の建物とは違い、どちらかといえばアールヌーボー様式のフランス民家(自然物を連想させる抽象化した曲線が美しいレンガ造りの建物)に似ています。


 それだけでも充分すぎる報酬だったのですが、御嬢様の命を救ったお礼にとハンナがこのお屋敷の住み込みメイドとして志願して下さったのです。コリーさんはとても殘念な御嬢様ですが、真っ直ぐで嘘のつけない性格と、どこか放って置けない雰囲気が相まって使用人達からの人気は絶大だったようですね。私としてはおかげ様で日中のお話し相手もでき、何不自由なく暮らせるようになりましたので感謝に絶えません。


「さすがハンナ。プリンは翔くんの大好物だから彼にも食べさせてあげたかったわ」

「今頃はまだホーパル外苑の攻略途中でしょうか」

「そうね、数日前も頑張っていたわよ」


 いただいた報酬関係以外でこの一年のうちにあった変化といえば、まずローマンの塔の最上階攻略達成でしょうか。これまで何百年も攻略されることのなかったかの迷宮は、翔くんがローマンの翼として参戦してから僅か半年で完全攻略が果たされました。彼の転生特典は、そう考えるととても凄い能力ですね。あの時はお祭り騒ぎが二週間も続き、あまりの騒音で寝不足になったのは今でもトラウマです。

 そのローマンの塔ですが、噂では内部の不思議な空間や魔物が消えてただ巨大なだけの塔になったとのことでした。私はあれ以来、内部に入ったことがありませんので、そのうち見学へ行こうかと企んでおります。


 二つ目は翔くんの就職先でしょうか。コリーさんたっての希望で正式にローマン家との雇用契約を交わし、近衛騎士の職業へと就きました。収入は今までの五倍あると喜んでおりましたが、ローマン家からいただいた報酬だけでも十年は遊んで暮らせるだけの額があるのです。それなのに働き続けるなんて、彼は本当に偉いですね。今はローマン領にあるもう一つの遺跡「ホーパル外苑」の攻略に、ローマンの翼として出向いております。


「コルネット様に振り回されて、さぞ御苦労なされていることでしょう」

「うふふ、彼女の殘念さ――猪突猛進さは折り紙付きですものね」


 そして三つ目は私に秘密ができたことでしょうか。


「今夜もお出かけになられるのですか」

「勿論よ。違う自分になるのって、とても素敵だわ」

「違いありませんね」


 ドーラさんに教えていただいた新しい呪文。就寝前にそれを唱えれば、私は魔女になれるのです。

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