2章8話

 五階層の探索から三時間ほどが経過いたしました。通路には予想通りてんこ盛りの罠が設置されており、何の対策も持たずに足を踏み入れたならば大変なことになっていたでしょう。私達も優秀な罠回避能力を持つ翔くんがいなければ今頃どうなっていたことやら。そんな翔くんですが目下腕を組んで立ち止まり、何かを考え込んでいます。


「ダメだ、さっぱり分からねぇ」

「翔くん、どうしたの?」


 彼は目の前の床を指差しました。


「この階層は罠で効率よく侵入者を撃退するのに特化しているから基本的に一本道だった」

「途中で分岐もありましたが、結局は合流しましたからね」

「そして侵入者、要するに冒険者の痕跡はここで途絶えてる。それも途絶えてるのは比較的新しい痕跡だからローマンの翼のものだと思う」


 私にその痕跡は分からないのですが、それが分かる能力を持った彼が言うのだからそうなのでしょう。


「ローマンの翼はここから六階層へ行ったはずなんだ。でもその方法が分からねぇ」

「どこかにスイッチでもあるのかしらね」

「うーん、そうなるとお手上げだな。今から戻って各小部屋を虱潰しに探してたら何日もかかっちまう」


 そんなにかかれば単身で取り残されていると思しきコルネットさんの生存確率が限りなくゼロになってしまいます。今この瞬間にも命を落としている可能性すらあるというのに。


「適当に壁をぶっ叩いてみるか」

「それだと癇癪を起しているみたいに見えるわね」


 行き詰まってしまいました。ひたすら上へと向かっていけば目的の階層まで辿り着けるものと考えていたのですが、そんなに甘くはなかったようですね。

 途方に暮れた私達はその場から動けず、来た道を忌々しく思いながら見つめ続けます。


「あっ……」

「黒猫だな」


 そんな私達の目に映ったのは通路の曲がり角からひょっこり現れた黒猫でした。この世界基準がどうなのかは知りませんが、前世の基準では子猫と呼ぶのが相応しい大きさです。そのくせ、この階層に魔物がいないと分かっている風に歩くその姿はどこか悠然としていました。黒猫は私達の存在に気づいているはずなのですが、それを意に介さず歩いています。


「危ないっ」


 翔くんが咄嗟に叫びました。それもそのはず、今まさに黒猫が踏んだ床は彼のスキル【罠探知】によって罠があるからと避けて通った場所なのです。


「にゃあっ」


 歯車の動き出すきしんだ機械音が響きました。廊下の一区画が回転を始めます。右側の壁が床になり、床だった面が左側の壁になり、天井だった赤いラインのある面が右側の壁へと位置交代が行なわれたのでした。


 飛び退いた黒猫は素晴らしいジャンプ力を披露し、手押し車の荷台――私が座っておりましたので私の膝――へと着地を決めてみせました。艶のある短毛に覆われた、ロシアンブルーを彷彿とさせる賢そうな顔つきの子猫です。


「あらまあ、この子ったら。綺麗な毛並みをしているわね」

「そうだなとても迷宮にいたとは思えないぜ、って違うだろババア。廊下が動いたんだから、そこをまず考えろよ」


 そう言われましても、廊下の一区画が回転したことによって、私にはこの階層のカラクリが分かってしまいました。解けた謎よりお膝に飛び込んできた可愛い子へ気が行くのは仕方のないことだと思うのです。


「どうなってやがるんだ。罠のあった面が壁になったのに、また床面に罠の反応が出てきやがった」


 不思議に感じていたので覚えているのですが、翔くんの罠探知に引っかかった場所には全て、天井か壁に赤いラインがありました。逆に罠のない場所は床に赤いラインがあり、曲がり角を構成する区画にも必ず赤いラインが床にありました。

 そうなるともはや答えは出ているようなものなのですが、翔くんは新しく出てきた罠の反応に気を取られて気づく様子がありません。

 私が説明するのも良いのですが、ここは彼に気づいてもらうよう仕向けてみましょう。男性を立てるのも長年女性をやっている者の仕事です。


「あの赤いラインがつながれば道路の中央線みたいになりそうね」

「何を呑気なこと言ってんだよ、あんなモンつなげたって……いやまてよ……」


 翔くんもようやく分かってくれたようです。


「相田さん、暫く休憩しててくれ。試したいことができた」


 そう言って彼は大急ぎで来た道を引き返し、曲がり角へ消えてゆきました。曲がり角の向こうから勢いよく廊下の回転する音が聞こえてきます。目の前の区画から始めれば良いのに照れ屋さんですね。


「にゃあ」

「貴方のおかげでカラクリが解けたわ。ありがとうね」

「にゃん」


 黒猫は私の膝から逃げる素振りもなく鳴き声を返してくれました。何となく直感でこの子と仲良くなれる気がした私は、ヤカンから手の平に麦茶を零し、そっと口元に差し出してみます。最初は少し警戒していたものの、すぐにチロチロと舐めてくれました。ザラザラした舌が当たってこそばゆいです。


「にゃあ」

「はいはい、おかわりが欲しいのね。たんとお飲み」


 翔くんが帰ってくるまで小一時間はかかるでしょうから、その間にこの子と親睦を深めてみるのも良さそうですね。

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