1章16話
指先に錬魔素が集まってくる感覚は、注射をするためゴムバンドを巻いた時のようなうっ血状態と似通っています。充分な量が集まったと確信した私は、慎重に錬魔素の放出を始めました。体から何かが抜ける感覚がして、それが精霊石に吸い込まれて行くのが分かります。錬魔素を吸収した精霊石は、やがて柔らかな乳白色に輝き始めました。
「これは……この色はまさしく」
「どうしたジジイ。勿体ぶらずに結果だけ教えてくれ」
「この輝きは紛れもなく【夢天】の精霊色」
「夢天の精霊なんて聞いたことがないわ」
「うむ……儂も若かりし頃に一度見た記憶があるのみ。あれはそう、七十年以上前。当時の儂は駆け出しの魔道士として――」
夢天の精霊とは一体何なのでしょうか。
「余計な相槌入れやがって。長くなりそうじゃねーか」
「おじいちゃんがこうなったら確実に長くなるわ。ごめん」
ゼペットさんの授業で精霊さんには下位精霊と中位精霊、それに上位精霊がいるのだと教わりました。
「――だった森人族の女性は、敵味方関係なく負傷した兵士の傷を治して回っておった」
下位精霊とは虫や植物のような小さき命に宿る精霊さん。
「そういやフェルはパン屋で働いてるんだったよな」
「そうだけど。それがどうしたのよ」
「いや、うちの両親もパン屋だったから何となく」
「そうなんだ。お店は何領にあるの?」
中位精霊とは火、水、風、地などの自然を構成するものに宿る精霊さん。
「その女神のような姿に見惚れた儂は、心の一節に何としても書き留めんと遠ざかる彼女の姿が小さくなって消えるまで見続けたの――」
そして上位精霊はそれらを統べる普遍的であり不変的な光と闇の精霊さんです。
「何領でもない。俺と相田さんはこの国の人間じゃないから」
「えっ、そうだったんだ。どこの出身なのか聞いてもいいかな」
それ以外にも精霊さんはいるらしいのですが、あまりにも稀な存在なので説明を割愛された記憶があります。
「遠すぎて……忘れちまったよ」
「黄昏れてる俺カッコいい、とか思ってるんじゃないでしょうね」
「…………」
夢天の精霊は、その稀な存在なのでしょうか。
「――と、ここまでが儂の知る限り唯一、夢天の精霊と契約を交わしていた方の話なのですぞ」
「そ、そうなのですね。素敵なお話でした」
「ごめん、途中から世間話してたわ」
真正面からそう言える翔くんの若さがこれほど羨ましいと思ったことはありません。別のことを考えて話を聞いていなかった私をお許し下さい。
「では夢天の精霊と契約を……と言いたいところですが、かの精霊と取り引きする呪文なぞ儂は知らんしのぅ。どうしたものやら」
本当にどうしたものでしょう。相性の良い精霊が見つかったのに魔法を使えないのは、お預けをくらった気分です。
「呪文だけで良いのなら僕が知っているので、お教えしましょう」
「ドーラ殿は夢天の精霊と契約されているのですかな」
「いえ、お仕えしていた方が夢天の精霊に愛されていた方なので。傍にいた僕は自然と呪文を暗記してしまったのですよ」
「なんと、その方はもしや……」
ゼペットさんの目が少年のように輝いています。その方が誰なのかは分かりませんが、彼にとっては憧れにも近しい感情を抱く方なのでしょう。
「しかし御存知のように呪文を唱えるだけでは魔法として効果を発揮しません」
「確かに。精霊に成して欲しいことを想いで伝えられねば、魔法として発現はせぬだろう」
「はい、大事なのはイメージです。夢天の精霊は癒しの精霊。幸か不幸かで言えばこの上なく不幸ですが、ルリコさんはおあつらえ向きに怪我を負われています。その怪我を治す確固たるイメージと共に呪文を唱え、練魔素を放出してみて下さい」
今現在、ほとんどの怪我は翔くんが買ってきてくれたお薬で治っております。後は骨折だけなのですが、こればかりは直ぐにどうこう出来るものではありません。なので折れた骨が元通りにつながるなんて、想像もできないのですけれど……。
「やっぱあるのか回復魔法! それなら余裕で治りそうだな」
私には想像もできないのですが、翔くんは容易にイメージできているようです。若さというのは固定観念に捕らわれず物事を考えられるから素敵ですね。
「相田さんも一緒に連れて行くから」以前そう言ってくれた彼の足を引っ張らないためにも、もっと柔軟な思考を持たなければなりません。なぜなら一緒にいたいと私も願っているのですから。
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