1章9話

 この街で暮らすようになり二ヶ月ほどが経過いたしました。そう聞けば随分長く感じられるかもしれませんが、同じような日常生活を故意に繰り返している私にとっては瞬きをするのと然程変わらない時間に思えます。

 しかし若者にとっての二ヶ月はそうではないようで、この前まで建築現場のお仕事をしていた翔くんは今では冒険者と呼ばれるお仕事に転職いたしました。


 冒険者って具体的に何をするお仕事なのかしら。どこかを冒険するだけで良いのかしら。そんなことでお給金が貰えるのかしら。冒険と似た言葉に探検や探索があるので探検者や探索者もお仕事として存在するのかしら。疑問は尽きませんが当の翔くんはいつもやる気満々で出かけて行き、建築現場で貰う賃金以上の収入を持ち帰ってきます。日々流動できる彼の若さは本当に眩しいですね。


 さて私はいつもの広場へ出かけ、そこで街が奏でる賑わいを聞きながら微睡んでおりました。同じ時間に同じ場所で同じような日常を繰り返すのは退屈などではなく、老人にとってはむしろ安心なのです。ただそうは言いましても、全く変化が訪れないわけでもありません。


「ルリコさん、こんにちは」


 聞き覚えのある明るい声がかかり微睡みの中から浮上します。ゆっくり目を開けると笑顔で手を振っているフェルさんと、もう片方の手に引かれて立っているゼペットさんがおられました。


「こんにちは。お二人は今日も仲良しですね」

「はて、どこかでお会いしたような。ここまで出かかっとるんじゃが」

「ルリコさんよ。いい加減覚えないと愛想を尽かされても知らないからね」


 言いながらゼペットさんを支え、ベンチへと誘導するフェルさん。いつもならそこまでしてお仕事に行ってしまうのですが、今日はそのままゼペットさんの隣りに腰掛けました。


「お仕事はよろしいの?」

「今日はお休みを貰ったんです、たまにはおじいちゃんと一日過ごしたくて。もちろんルリコさんとも」


 なんて嬉しいことを言ってくれるのでしょう。こんなに優しいお孫さんを持ってゼペットさんは幸せね。私はそそくさと買い物袋から紙コップを三つ取り出し、順番に麦茶を注ぎます。今日はきっと特別な日となるに違いないわ。


「おーい相田さん。良かった、動いてるな」


 広場の入口から翔くんが入ってきました。こんなことも普段では考えられません。彼は日中、お仕事をしているので私と会うのは宿に帰ってからなのに。本当に今日という日はなんて素敵なのかしら。


「翔くん、お仕事は終わったの?」

「今日はパーティの集まりが悪くてさ。少人数で挑んだけど全員前衛だったから無理せず早めにきりあげたんだ」


 翔くんは当然のように私の隣へと腰を降ろし、大げさに足を伸ばして寛ぐ体勢に入りました。威嚇して周囲の人達から私を守るようなその姿に思わず顔がほころんでしまいます。冒険の合間にパーティを主催したりもしているのね。でも長時間労働で体を壊すと大変だから無理だけはしないでほしいわ。


「ルリコさんのお孫さんですか、いつもうちのおじいちゃんがお世話になってます」

「いや孫じゃねーし。ただの保護者だし」


 つっけんどんな短い言葉の端々にフェルさんへの警戒が読み取れてしまいます。


「翔くん、フェルさんとゼペットさんよ。私のお知り合いなの」

「そうか。まあ俺には関係ないけどな」


 そう言ってフェルさんから目をそらす翔くん。心持ち頬が赤らんでいるのは気のせいでしょうか。もしかすると警戒ではなく照れていたのかもしれませんね。私は何だか微笑ましくなり、新たに一つ麦茶を用意しました。


 小一時間も談笑し翔くんの言葉から棘もなくなってきた頃、それは唐突に起こりました。静かに麦茶を飲んでいたゼペットさんが急に立ち上がったのです。


「これは……今まで儂は何をしておったのじゃ」

「おじいちゃん、急にどうしたの」

「電池が切れる前の一足掻きか」


 広場を見渡し、次いで私達を順に見て行くゼペットさん。その目はいつものどんよりとしたものではなく、叡智の光が灯っておりました。


「儂は……そうか、老いて……しかしこれは……」

「おじいちゃん、どうしちゃったのよ」

「ジジイ、とりま座れよ。フェルさんが心配してるだろ」


 二人は心配しているようですが、私には大丈夫だと解りました。あれは正気を取り戻した者の目です。主人が今際の際で見せたものと同じなので間違いありません。やはり今日は特別な日になりましたね。

 それにしても何がきっかけだったのかしら。いつもより楽しい時間だったので、それが影響しているのかしら。兎にも角にもゼペットさんはこれからもっと幸せな人生を歩まれるのね。そんなことを考えておりましたら、翔くんとフェルさんの鬼気迫る声が聞こえました。


「相田さん生きてるか!」

「ルリコさんしっかりして!」


 これで二度目です。考えごとをする時は、目を見開く習慣を身に着けようと心に誓いました。

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