3章

第33話

 行きたくない行きたくない行きたくないと思っているのに、足は交互に出て身体を学校に運んでいく。駅の階段を下り、学校までの道を同じ制服の生徒の中に混じって歩き、下駄箱で上履きに履き替える。


 一年生の階の廊下を、二海はぐっと息を詰めて歩いた。教室に入り、自分の席につくと、知らずにため息が出た。


 昨日AJSEC Juniorの結果が出てから、桃から来たメッセージはたった一つだけだった。


『ごめんね、残念』


 二海が眠りの足りない頭で考え考え書いた『お疲れ様。今回は本当に残念だったし、最後の問題解けなくてごめん』にも、ゆあんの『りばーしの最後の問題……』にも返信はなかった。二海とゆあんが解けなかった問題や他のチームの成績や眠さについてチャットで話していても、そこに桃が加わってくることはなかった。テキストボックスにメッセージを打ち込みながら、二海はそのことを痛いほど感じていた。


『寝てるんじゃない?』


 個別のチャットで桃について話したとき、ゆあんからはそう返ってきた。そうかもしれない、とその時は思ったのだったが、今日になっても桃からの反応は何もなかった。


 不安だった。もちろんAJSEC Juniorでの五位入賞を寸前で逃したのは、二海だって残念だった。最後の問題が解けなかった悔しさもあった。そしてその悔しさや残念さは、CTFクラブを始めた桃のほうがより感じているはずなのだ。愚痴るでもなく、泣くでもなく、怒るでもなく、ただ無反応。二海にはそれがわからなかった。いつもの桃らしくなかった。わからなさ、はそのまま怖さになった。何か自分が原因で、桃の機嫌をひどく――返事を返さないほどにひどく――損ねてしまったのではないか。自分はいつもそうだった。知らないうちに人の機嫌を損ね、浮いた振る舞いをし、気づくと周りには誰もいなくなっている。今回も――


 考えがそこまで来ると、二海の胸はぐっと締め付けられた。よかったのに。楽しかったのに。嬉しかったのに。それをぶちこわしてしまったのだろうか。怖い。いやだ。でももしそうなっていたのなら、それを修復することは自分にはできない。そんな技や力はないから。


 暗澹たる気分で二海は午前の授業を受けた。授業中もずっと同じことを考え続けていたので、四時間目が終わる頃には二海は耐えられなくなっていた。これ以上ぐるぐると考え続けられない。もう、どっちなのか決めたい。確かめたい。


 そして昼休み、廊下の人通りが落ち着いたのを見計らって、二海はA組の教室を覗きに行った。他のクラスの、寒天のように余所者をはじくあのかんじ。二海は後ろの方の扉の窓から、こっそり中を覗いた。


 中には、桃もゆあんもいなかった。二度も三度も教室じゅうの後ろ姿を確かめてから、二海はそう結論づけた。食堂に行っているのか、それとも別の場所か。やりたくないことが先延ばしになって一旦ほっとしたものの、問題は解決していないので心から安堵することはできない、微妙な気持ちだった。


「何してんの」

「わあっ」


 そのタイミングで肩を叩かれ、二海は思わず大声を出した。後ろにいたのはゆあんだった。手に購買のパンの紙袋を持っている。


「あの、……上原さんを……」

「あー、桃?」


 そう言ったゆあんの表情は、不機嫌のほうに一気に傾いた。


「……何か……あった?」

「何かってさ、昨日あったじゃない? で今日、朝ぎりぎりに来たから次の休み時間にそのこと話したくて話しかけたらさ、何ていうの、煮え切らないっていうか、あーとかうんとかばっかで、何もぱっきりしたことを言わないのよ。何なんかな、ふつーはもっとさー、感想とかさ、それに私たちを誘ったのはあっちなんだし、なんかこう一言あってもよくない? このあとどうするかとかもさ。そんで昼にはとっとと教室出てっちゃうし、何なの? 何か聞いてる?」

「いや、何も……」

「いやほんと、帰ってきたら捕まえようと思って」

「あ、そう……えーと……そしたら、私ちょっと探してくるよ」

「探す? じゃあ見つけたらさっさと教室帰ってこいって言っといて。私昼食べてるから」


 怒りを足音にこめたような歩き方で、ゆあんは教室の中へ入っていった。二海はそれを見送り、あてもなく階段のほうに足を向けた。


 校舎はそれほど大きいわけではないが、人一人を探すのには十分広かった。二海はまず食堂や購買といった、昼休みに人が行きそうな場所を探した。次に図書館、その次に保健室をのぞいてみた。そのどこにも桃はいなかった。


(もしかして……)


 二海は思いついて、コンピューター室へ向かった。コンピューター室の前の廊下は、いつもながら暗くしんと静かだった。


 二海はコンピューター室の扉に手をかけた。しかし返ってきたのは固い手応えだった。鍵がかかっている。そして中の灯りはついていなかった。ノックもしてみたし、中の音に耳をすませてみたものの、人の気配は無かった。空振りだった。


 階段を上り下りし、校舎の端から端まで歩いたので、コンピューター室まで見終わったときにはもう昼休みは十五分しか残っていなかった。仕方ない、と二海は購買で売れ残りの豆パンとコッペパンを買い、教室に帰ろうとした。しかしその途中で向きを変えて、屋上前の階段に行くことにした。すごく疲れていて、これ以上刺激を受けたくなかった。少しの時間でも一人になれる場所に行って、疲れを回復したかった。


 ひやりとした手すりの感触を感じながら、二海は階段を登った。そして踊り場にまで来たところで上を向いた二海は、驚きで目を見開いた。


「も……上原、さん……」


 一番上の、屋上前の扉の前にもたれている生徒がいた。きれいなシルエットのボブに、細い喉、ミントグリーンのスマホケース、ライン入りのソックス。桃だった。

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