第9話

「え?」


 桃は顔をひょいと上げて二海のほうを見た。何と切り出したらいいのか、二海は適切な言葉を探した。見つかりそうにない。やっと出てくる言葉を不器用につなぐしかなさそうだった。


「えっと、昨日、CTFについて調べたんだけど。すごく……難しくて。あの、練習問題を見てみたんだけど、何も解けないし、解けないっていうか何が何だかわからなくて。だから」そこで二海は一旦息を継いだ。この後、『足手まといになるから自分はクラブに入らないほうがいいと思う』ということを何と表現すればいいのか迷ったのだ。


 しかし、二海は残りの言葉を口に出来なかった。桃が続きを聞くことなく、めちゃくちゃに笑い始めたからだ。


「いや……ごめん……ちょっと……」


 桃は笑いと呼吸の間にとぎれとぎれに言葉を口にしようとしていたが、ヒイヒイと笑いの発作に阻まれてできなかった。一分ほど経って、ようやくそれが落ち着いたころに、桃は深く息を二、三度吸ってからもう一度二海に向き直った。


「いやほんと、ごめん、二海ちゃんがあんまり、何か、世界の終わりみたいな顔してるから、おかしくなっちゃって」

「え……」

「初見で解けたらヤバイわ。天才か」とゆあんが口を挟んだ。

「あの、でもほんとに、問題文の意味すらわからなくって」

「いやごめん、それちゃんと説明してなかったから私が悪いんだけど、あの、CTFってのは……何ていうか……難しい!」


 桃は教壇を拳で叩いた。


「難しいんだよ! 分野は広いし、知らなきゃいけないこと多いし……普通にプログラミングとかしてても意識しないような部分の知識も必要になってくるし……だから、最初意味わからなくっても普通! 問題なし!」

「あの……」

「基礎知識つけて、過去問解いて、ってやってけばおいおいわかるようにくるから。それにね、CTFってのはチーム戦だから。誰かわからなくても他の人がわかればいいし、協力してやってけるよ。だから、まあ、座って」


 二海は促されるままに、桃の目の前の席に座った。桃は鞄から個包装のチョコレートの箱を出し、二海の机の上にいくつか置いた。コンビニで売っている、ちょっと高めのやつだ。


「ゆあん!」


 桃は続けて同じチョコレートをゆあんに向かって投げた。ゆあんはそのうち二つはキャッチしたが、残る一個は床に落ちた。「あー、もう」とゆあんは机の下に潜ってそれを拾った。


 二海は貰ったチョコレートの包装を破り、四角いそれをまるごと口の中に放り込んだ。


 ここに来るまでに予想していた幾通りもの展開のパターンのどれにも、今実際起こったことは当てはまらなかった。ここまであんなに憂鬱だったのはなんだったのだろうか。ひどく気抜けがして、そこに溶けたチョコレートの甘さが染み込むようだった。


「じゃ、作戦会議しましょー」


 自分でも一つチョコレートを頬張った桃が、チョークを持って黒板の前に立った。


「まず、そもそもの話ね。えー、CTFというのは昨日話した通りのセキュリティコンテストで、色々なところで開催されてるんだけど、我々が今回目指すのはこちら! 『AJSEC Junior』」


 桃は黒板に『AJSEC Junior』と書き、その下に『7/1(土)』と付け加えた。


「これは学生向けのCTF。ふつうの大きめの大会って、大学生とか社会人の人が出ることが多いんだけど、これは学生のみで易しめ。制限時間は二十四時間、チーム制でオンラインで開催。上位五チームには賞品が与えられます! 時間はあと二ヶ月、これに向けてやっていきましょー」


 桃は続いて、箇条書きに幾つかの項目を並べた。『PWN』『Reversing』『Crypto』『Web』『Programming』『Network』『misc』とあった。


「これがCTFの問題の分野です。というか、『AJSEC Junior』でよく出題されるジャンル。意味わかる?」

「いや……『Web』とか『Programming』とかは聞いたことはあるけど……」

「だよね。じゃあ簡単に。『PWN』っていうのは、プログラムの脆弱性を突くジャンル。そのプログラムのあるサーバーに入ってクラックするっていうのが多いかな」

「脆弱性っていうと、昨日の……?」

「あー、っとねえ。あれも脆弱性といえば脆弱性なんだけど、あっちはどっちかっていうと『Web』のほうが近いかな。これは動いてるプログラムを攻撃して、そのサーバー上にあるフラグを取得するってかんじ。わかる?」


 わかったようなわからないような、で二海はあいまいに頷いた。


「あ、まあそれぞれ実際に見たほうが早いから、ここはざっと流すね。次は『Reversing』、これはバイナリ、実行ファイルを貰って、それを解析してフラグをゲットするやつ。『Crypto』ってのは暗号。暗号化された文字列、意味不明なやつを貰って、それを解析するとか、あとは鍵選びに失敗してる暗号をガーッと解くとか」


 『意味不明なやつ』で、二海は昨日の『UDBFGHAAGFUEQRWXLQ』を思い出した。あれがおそらくこの『Crypto』なのだろう。


「『Web』はさっき言ったけど、昨日みたいにWeb上のアプリケーションの問題を突くタイプ。SQLインジェクションとか。『Programming』は、これは……なんて言ったらいいのか……」

「競プロっぽいやつ、でよくない?」とゆあんが言った。

「いやそうなんだけど、伝わらなくない? あのー……なんかね……まあ、問題があって、それを解くプログラムを書く。で、『Network』っていうのは、通信内容を解析してフラグを得る。『misc』はその他色々」


 一通りの説明を終え、桃はふうっと息をついてチョークを置いた。一方二海は、そのわけわからなさと分量に怖気づいていた。

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