第23話 嵌められた

「こちらよ」


 マームに案内されて、竜の俺が連れて行かれたのは、来たこともない北の山脈だった。


 剣山のように鋭い山々が連なり、氷に覆われた尖った先端を薄青い北の空へと伸ばしている。


 ――ここらはあまり行くなと両親から聞かされていた方角だ。


 記憶の中で警告されていたのを思い出しながら、竜の俺は下を見つめた。下に連なる山々は、秋なのにもう完全に雪に覆われている。


 ――こんな遠くまで来たことはないな……置いてきたアーシャルは大丈夫だろうか。


 俺が出かけてから、もう随分と時間がたっている。竜の母さんが、そろそろ帰ってくるはずだが――と、心配になって、思わず振り向いた。


「ほら、もうそこよ」


 だけど、背中に乗ったマームの言葉に、俺は振り返った首を戻すと、連なる氷の山の一角へと急いで下りていく。


 ――いや、だめだ。今帰ったら、アーシャルは治らない!


 あれだけ探していた治療法が見つかったんだ。ちょっとぐらい母さんやアーシャルに怒られたってかまわない。


 それに、きっと怒った後、ものすごく嬉しそうな顔をするのに違いない。


 今の俺と同じように――


「ああ、ここよ」


 だから俺は、マームに示されたまま雪に覆われた山に降りた。言われた場所は、頂上に近いが、平たくなっている。辺りを見回すと、さすがに北国なだけあって、まるで冬のように雪だらけだ。それなのに、空に近いそこだけは、まだ土がぽっかりと雪の間から覗いていた。


 冷えた風に俺は長い首をめぐらしながら、広げていた翼を畳んだ。すると、背中から下りたマームが、俺が見ているのとは反対の方角を指差す。


「ほら、ここが話したところ」


 その言葉に、反対側へ目をやると、氷の中に山を掘るようにして造られた古い石の神殿があった。


 見たこともない建物だ。山肌を削って造るなんて、一体どれぐらいの労力をかけたのだろう。竜の俺でも見上げるほどのその建物を見つめ、俺は先に歩き出そうとしているマームに尋ねた。


「ここは――昔の神を祀っているところなのか?」


「ちょっと違うけれど、まああなた達竜にとっては神にも近い存在でしょうね」


 俺の質問にマームが肩を竦めた。


 それに、俺の方が首をかしげる。


「俺達竜にとって?」


 ここは人間が作った場所じゃないのか?


「そうよ。まあ、すぐにわかるから」 


 そう言うと、くすっと楽しそうに笑っている。


 そして雪が端に積もる正面の階段を上ると、先に神殿の凍りついた石の通路を進んでいく。


 その後を俺も急いで追うが、ここはどうやら削った山の岩と、灰色の巨石とを組み合わせて造られているようだ。


 俺が竜の姿で歩く神殿の通路には、遠くの山から渡ってくる凍てた風が、彫られた柱の間から入ってくる。


 渡ってくる風と一緒に陽の光も入ってくるのに、誰もいないせいか、ひどく静かで張り詰めた印象だ。コツコツと氷を踏む音だけが響く。


 見上げた壁の隅に見慣れない植物の模様が描かれ、その上を歩く俺達の影だけが動いている。


「こんなところに、本当にアーシャルを治せる奴がいるのか?」


 だけど、マームは腕を組んだまま楽しそうに凍った石の床を歩いていく。


「そうよ。ああ、着いたわ」


 その言葉に前を見上げると、古い大きな祭壇がある場所に出た。


 俺の竜の背からしても天井は遥かに高い。山の頂上まで届いているのではないかと思える天頂部に四方の壁が包むように持ち上がり、石の壁に施された精緻な彫刻で俺達を包んでいる。


 描かれているのは、地上のたくさんの花々だ。それが花びらの一枚一枚まで丁寧に掘り込まれ、一緒に彫られているたくさんの動物達の姿を華やかに彩っている。


 白一色なのに、まるで目の前に迫ってくるような緻密さだ。


 だが、それ以上に俺の目を引いたのは、正面に置かれた巨大な竜の石像だった。


 それが成竜の大きさで俺達の上から覆うと、白い眼でこちらを見下ろしている。


 生きているとしか思えない。その竜の石像に、思わず息を飲んでしまう。


「さあ。弟の目を治したいんでしょう?」


「治したいけれど、どうやって――」


 ――まさか、この石の竜に祈れとでも言うのか?


 いくら藁にもすがりたい心境だからと言って、俺が知りたいのは、そんな神頼みじゃないのに。


 俺が眉を顰めてマームの顔を見た時、けれど石像の遥か頭上から声が響いた。


『マームか』


「お久しぶりです。突然お邪魔して申し訳ありません」


 いかめしく響く声に、マームが素早く片膝を石の床につき、礼の形を取った。


『今日は何の用だ?』


 ずしりと重たい声だ。


 男に聞こえるが、この石のドームに反響してよくわからない。だけど、ひょっとしたら、魔物がよく持つような美しい声なのかもしれないと、俺はますます警戒心を深めながら長い首で辺りを見回した。


 ――だけど、こいつが何者かなんてかまわない!


 アーシャルの目さえ治せたら!


「お前が、この神殿の主か!?」


 だから叫んだが、代わりにどこかから目を細めて見ているような沈黙が訪れた。


 そして、しばらくして頷くように返される。


『そうだ。お前は水竜か?』


「そうだ! もし、知っているのなら教えて欲しい! 俺の弟の目を治す方法を――!」


『弟?』


 怪訝げな声が響くのに、マームが俺の間に入った。


「この者は双子の弟に火竜がおりまして。生まれつき視神経が少なくて目が見えないので、貴方様のお力で治して欲しいと参ったのです」


『ほう――』


 思案するような声に、俺は更に一歩前に踏み出した。


「頼む! 教えてくれ、いや教えてほしい! アーシャルを助ける方法を!」


 ――このままじゃあ、アーシャルは一生目が見えない!


 ただ、普通に生きていって欲しいだけなのに。美しい花の姿も、この世界を彩る様々な色さえ見ることができない!


 そして、竜にとって最も好きな大空を自由に駆けることさえ――!


 ――それは、竜にとっては一生牢に繋がれるのに等しい苦痛だ!


 どうして、たった一人の弟を、生涯そんな辛い境遇で過ごさせなければならない!


 だから視界が歪むほど、俺は強く瞳を寄せると、必死に目の前にある竜の像へと近寄った。


 それに、少しの沈黙があった。


 そして、静かに声が返ってくる。


『治す方法はある』


「本当か!?」


 だから、返された言葉が信じられなかった。


 思わず、嬉しくなって、石像の足元へと駆け寄る。


「どうしたら、治せるんだ?」


『簡単だ。私が、薬を作ろう。ただし、そのための魔力をためる代償がいる』


「代償!? なんだ、それは!?」


 ――代償が必要なら、地の果てだって飛んで、探してきてやる!


 けれど、駆け寄った俺が竜の像のすぐ下まで来た時だった。駆け寄った俺の前で、石像の長く伸びた首の下にあった床が急に崩れたのだ。そして、開いた闇の中に俺の体を吸い込んでいく。


――えっ!


『代償は、竜の生贄だ』


「なっ――!」


 落ちていく中で響いてきた声が信じられない。思わず限界まで目を見開いて、上にある竜の像を見つめた。


『この世で最強の魔力と体を持つ竜。その全てを喰らうことにより、私はどんな竜よりも巨大な魔力を手に入れる。だから、お前の全てを差し出せ。そうすれば、私の魔力でお前の弟の治療薬は作ってやろう』


「さようなら、水竜。これで二度と私の迷宮を壊しには来れないわね?」


 ――しまった! 嵌められた!


 罠だったんだ!


 それなのに、この狭い石の落とし穴では翼を開くことさえできない。


 それどころか、横や下の壁から、無数の蔦が伸びてきて、俺の体をがんじがらめにする!


「マーム! 貴様、よくも!」


 精一杯叫んだが、蔦に引きずられるまま四角く切られた石の天井はどんどん遠くなる。


 そして、俺の体は何か泥のようなものの中に落ちた。ひどく粘つく。まるで粘土が液体になったようだ。落ちた足を自由に動かすことさえままならない。それどころか、俺の竜の体は、蔦によって、ずぶずぶとその中に引きずり込まれていくではないか。


「マーム!」


 遥かな頭上で、酷薄な笑みを浮かべる美貌に、俺はまだ吸い込まれていない右手を精一杯伸ばした。けれど、俺の視界の遥か上で、マームは緑の瞳に冷酷な光を浮かべると、泥のような闇の中へ飲み込まれていく俺を楽しげに見下ろしている。


「さようなら、水竜。大丈夫よ、できた治療薬は私が願い通り火竜に渡しておいてあげるから。だからもう二度と会うことはないでしょうけれど、心配はしないでね?」


「マー……ム、よく……も……」


 覚えていろと叫びたいのに、口の中に入ってくる泥がそれを許さない。


 ずぶずぶと埋まる体は、もう首までが浸かっている。抜け出すことさえできない。


 そのまま、開いた口の中に泥が流れ込んでくるのを感じた。


 ――だめだ、このままじゃあ……!


 鼻の先までが泥に埋まっていく。もう息を吸うことさえできない。


 ――アーシャル!


 いやだ。もう一度会いたい。


 こんな闇の中で、お前を心配させたまま死ぬなんてできるはずがない!


 それなのに、体は幾つも絡み付いてくる蔦で泥の中に閉じ込められて、更に闇の奥深くへと吸い込まれていく。いや、蔦ではない。それよりずっと太い、まるで幾本ものうねる大蛇の体だ。


 それが容赦なく俺の翼や手足に絡みついて、この闇色の泥から逃げだすのを許さない。


 ――アーシャル!


 ごめん!


 けれど覚悟を決めるように目を閉じた瞬間、あの花のような笑顔を思い出した。


 ――違う! 俺は帰るって約束したんだ!


 ああ、でもごめん。約束を破って、少しだけ遅くなるかもしれない。


 そう思うと、俺はもう動けない竜の体に残った魔力を、魂に必死でかき集めだした。


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