第6話 話せる相手って悪くない

 俺は店を飛び出したまま村の外れまで走って行くと、急いで後ろを追いかけてきた竜を振り返った。そして、出口なのをいいことに息が切れているのもかまわず叫ぶ。


「竜、すぐに俺を迷宮に連れて行ってくれ!」


「いいけどさ」


 まだ息が整っていない様子の竜は、荒い呼吸で目を大きく見開いている。けれど、驚きながら自分の姿を大きな紅玉色の竜に変えると、すぐに俺を乗せた。そして、大空へと赤い翼を広げる。


 一つ羽ばたくだけで、湖の側の村が足の下で小さくなっていく。


 緑の木々が遠くなり、家がすぐに豆粒サイズだ。


 だけど飛び立ったのが、あまりにも村の近く過ぎて、今になって、やっと俺は、見上げている人影がいるのに気がついた。目を大きく開けて、湖の側からこちらを指さしている。その仕草は、明らかに空を舞う大きな影に驚いているようだ。


 ――竜の姿を見られたか?


 心がひやりとした。けれど、驚いて空を指差している姿さえすぐに蟻ほどになって、緑の中に消えていく。竜の羽ばたきと共に、急速に小さくなっていく人影にほっとした。


 ここまで空高く飛べは、もう弓矢も届かないだろう。


「ふう」


 ――自分ながら馬鹿か。


 頭に血が昇りすぎて、この竜までいらない危険に晒すところだった。少し頭を冷やさないと――


 俺は、竜の背中の上で足を組むと、目を閉じて、前髪をくしゃっと握った。


 思えば、サリフォンとは俺がアストニア王国大学附属騎士養成剣術学校で出会った初対面から最悪だった。


 ふう――と、その日のことを思い出す。


 あれは、三年前、俺が剣術学校の入学式を迎えた翌日だった。


 初めての教室は、今まで通っていた街中の古い建物とは違い、シンプルな白壁に美しい金の蔦が装飾されている。


 広い大きな窓から注ぐ光が、室内の装飾を金色に輝かせ、とても剣術学校とは思えない華やかな雰囲気を醸し出していた。


 さすが、富裕層の多い学校だ。


 大半が騎士を目指す貴族の子弟で、そうでないのは裕福な商家や役人の子供らしく、着ている服が一目見ただけでわかるほど上質なものだ。


 最初からわかっていたことじゃないか。


 ビロードや毛皮を施した服の中で、着古した服を着ている自分に、ひそひそと囁きあっている同じ新入生の眼差しを感じて、俺は小さな溜息をついた。


 考えても仕方がない。周囲の囁きを、溜息一つで割り切ると、使い慣れた筆記用具を古い皮の鞄から、お守り石のついた紐を緩めて取り出す。


 そして、子供の頃からずっと使っているペンとインク壷を机の上に並べた。けれどその時、突然鞄を覗き込んでいる自分の前が翳ったと思うと、今出したペンの上に誰かの手が叩きつけられたのだ。


「おい」


 ペンに置かれたその手に抗議の意味で呼びかけた。 


「ふん。ここでこんな貧しい道具を使っているのはお前ぐらいだろうな、職人階級出身のリトム・ガゼット」


 その声に眉を顰めて目を上げると、入学式で俺に続いて新入生の挨拶をした顔が目に入った。


 確か今年の次席の――


「サリフォン」


 やっと思い出した名前を、俺は眉をしかめながら呼びかけた。それに、白に近い金髪をもつ相手は、おどけるように目を大きく見開いている。


「おや? 覚えていてもらえたとは光栄だね。今年の入学首席に」


「お前がサリフォンを抜いて首席なんて、どうせ先生に袖の下を包んだんだろう?」


「だから文房具は新調できませんでしたーって? 大変だなあ、貧乏人は」


 サリフォンの後ろにいた数人の貴族の子弟達から嘲う声があがるのに、俺は眉を顰めた。なんなんだ、この失礼な奴ら。


「やめろ。この文房具を見れば、彼に包む袖の下があるかなんて明らかじゃないか。せいぜい先生の靴を磨いたか、その女みたいな顔で取り入ったかのどちらかだろう?」


 そうか。そういうことね。


 俺はすっと目を細くした。


「そう。俺の家はお言葉通りただの町人だからな。生憎うすのろでも、無限に金を積んで入れるほどの財力は持ち合わせていない。今年の入学志願者にたいした腕の奴がいないのが幸いしたよ」


「なんだと!? それは俺がうすのろだと言いたいのか!」


「媚で得られるような首席に負けたと言うのならな? 次席のサリフォン」


「まぐれでなったくせに偉そうに! おまえなどこの文房具がお似合いの市中の学校に入るべきだったんだ! 靴屋の息子だろうに、貴族の真似事をしようなんて分不相応と思わないのか!」


「御高説ごもっともと言いたいところだが、生憎俺より弱い奴の物真似なんてしても仕方がない。それよりも、お前が俺の物真似をして、靴を自分で磨けるようになった方が、よっぽど剣の腕も上がるかもしれないぜ?」


「言ったな!?」


「貴様! 町人の分際でサリフォンによくも――」


 売り言葉に買い言葉、教室に入ってきた先生が止めるまで取っ組み合いの喧嘩になったのは言うまでもない。


 今から思い返すまでもなく、サリフォンとはあの出会いからずっと犬猿の仲だった。


 出会った記憶を思い出して、俺は竜の背中で重い溜息を一つついた。


 風が空を駆け抜けていく。それなのに洩れた俺の溜息が聞こえたのか、竜が飛んだまま振り返ると、俺に長い首を曲げた。


「兄さん、どうしたの?」


 少し甘えん坊な声が俺の高ぶっていたやるせない気持ちを静めてくれる。それに、ふと苦笑がこぼれた。


「うん? ちょっとな。悪かったな」


 ――取り乱して、お前まで危険に巻き込みそうになった。


 風に黒い髪をかきあげながら答える。


 髪を流していく風がひどく爽やかだ。

 

 涼しい風に少し気持ちが落ち着いていくのを感じて、俺は竜の背中を安心させるようにぽんぽんと叩いてやった。するとその仕草が嬉しかったのか、竜の声が空中で機嫌のいいものに変わる。


「いいんだ。僕、兄さんと一緒に飛ぶのが好きだから」


「そうか?」


「うん。だけどさっきの人たち変なこと言っていたねえ。兄さんの母さんがどうとか」


「ああ」


 竜の言葉に少しだけ落ち着いた頭を、俺はもう一度空の風に晒した。風になびく俺の髪は黒髪だが、それは父と同じではない。俺みたいに青みがかかってはいないが、同じ色を持つ母の面影を思い出して、俺はやっと冷静になってきた頭で呟くように答えた。


「俺の母さんは――昔、奴隷だったんだ」


「え!?」


「よくある話さ。小さい頃に、家が貧しくて、証文と引き換えに人生を丸ごと金で売られたんだ。買った奴隷商人に小さい頃から踊りを仕込まれて、舞姫として貴族の屋敷に売られたらしい」


 今まで誰にも秘密にしていたことだったが、人間じゃないこいつになら話しても大丈夫だろう。


「だけど足をダメにして踊れなくなったから、ほかに売られていくことになってしまったんだ」


 驚いて息を飲むことも忘れているらしい。ただ耳だけをこちらに向けて、俺の話を聞いているお人よしの竜に、俺は空を見上げながら言葉を続けた。


「まあ、よくある話さ。母は踊りの名人で、その館の主人に気に入られていたそうだが、ちょうど飽きてもきていた頃だったんだろうな。怪我を口実に体よく厄介払いされることになったんだ。ほかの屋敷に買われればまだいいが、足が悪いのじゃあせいぜい二束三文。一生鉱山の重労働か娼館も兼ねた場末の酒場送りにされるか――そんな時に、お屋敷に職人として出入りしていた父が、前から惚れていた母をこっそりと逃がしたんだ」


 舞姫で屋敷内を自由に歩くことを許されていたのが幸いしたらしい。大雨の夜に、門番の隙を見て、闇夜の中へ連れ出し、誰にも見つからないように街の城門をくぐったのだ。


「まあ、あの人のいい父によくそんな大それたことができたと思うよ。奴隷泥棒なんてばれたら重罪。母だって逃亡奴隷と知られたら、間違いなく破滅だっていうのに」


 ――でも、それだけに、絶対このことをほかの誰かに知られるわけにはいかない!


 ずっと秘密にしていたのに、一体サリフォンはどこで母が逃亡奴隷だったことを知ったのか――


 だけど、と俺は自分の黒髪を握りしめた。 


 父と母の秘密を暴くものがいるのなら、なんとしても阻止しなければならない!


 サリフォンがどこまでさっきの約束を守るつもりなのかはわからない。だけど、あのがちがちのお坊ちゃん気質なら一度自分から言い出した言葉なら、俺が勝てば今すぐに吹聴したりはしないだろう。


 だいたい、それで俺を貶めるのが目的ならば、とうに通っている学校で広まっているはずだ。


「だから、父さんと母さんのためにも、絶対に負けるわけにはいかないんだ。今回勝てば、サリフォンに対して、対策を練る時間もできる――だから。ん、どうした?」


 けれど、なぜかさっきから口数が少なくなった竜の様子に、俺はのぞきこむようにして空中にある竜の頭を見つめた。すると、竜は深刻な面持ちで、必死に考えこんでいる。


「兄さんに人間の母さん? え、なんで兄さんに、僕たちの母さん以外の母さんがもう一人いるの?」


「そうか、そうか。お前の頭じゃあ先ずそこが理解できなかったか」


 ――この野郎! 俺が必死になって今まで隠してきた秘密を初めて告白してやったのにこれかよ!


 ああ、今まで深刻に悩んでいたのが馬鹿みたいだよ!


 ――そうさ。別に奴隷出身じゃなくても、もう生まれを馬鹿にされるのなんて慣れっこになっていた。


 剣術学校では、どの身分の者でも入学は可能だが、上手な奴のほとんどは、幼いうちから師匠について学んでいる貴族階級や金持ちばかりだ。それだけに金も身分もない自分が入学試験で首席をとったことに、影でこそこそと言われ続けていたのは知っている。


 あんな奴が首席なんて。


 はん。卑しい生まれの奴は先生に媚を売るのもうまいらしい。


 どうせ親父同様、教師の靴でも磨いて点数を稼いだんだろう。


 今から思えば、正面きって馬鹿にしてきたサリフォンなど可愛いくらいだ。


 ――言いたいやつには言わせとくしかない。


 ふんと小さく溜息をついて、脳裏に思いだした華やかな教室や廊下の端で囁かれる陰口にそう思いきった。


「そういえば、竜お前の母親は?」


 頭を切り替えるようにして、さっきの竜の言葉で気になったことを尋ねた。見たところ子竜だから、どこかにいるのだろうけれど。それなのに、竜の言葉は歯切れが悪い。


「僕たちの母さん? うん……もう、いないんだ」


「え? あ、すまん――」


 しまった。まずいことを訊いただろうか。


 だけど、それならこいつがこれだけ兄に執着しているのも理解できる。


「母さん、兄さんがいなくなってすごく悲しかったらしくて――」


「そうか……」


 探す無理がたたったのだろうか。それとも、人間の世界に現われて竜狩りドラゴンスレイヤーに狙われてしまったのかもしれない。


「気分転換に温泉に行って来るって」


「そうかよ!」


 ――真面目に考えた俺が馬鹿だった!


 この能天気竜の母親だった。


「でも、兄さん。人間って変なことを気にするねえ」


 背中で俺が今殴りたい衝動を抑えていると、その相手が、青い空に伸ばした首から無邪気な声で話しかけてくる。


「だってさ、貴族でも奴隷でも、僕が手を振り上げたらみんな仲良くぺしゃんこになっちゃうのに。何がちがうんだろうねえ」


「ぷっ」


 ――そりゃあそうだ。


 この世で最強の竜の手にかかれば、貴族も奴隷も職人も関係ない。蟻の背比べのようなもので、全員が仲良くその手の一振りで、地上にぺしゃんこになるだろう。


 なんか、今の竜の一言でずっと悩んでいた生まれの問題が塵ほどの重さしかないような気がしてきた。身分なんて関係ないと言いながらも、母の昔の身分を必死に隠さなければいけないことで、やっぱりそれに気がつかないうちに囚われていたのかもしれない。


 それが今の竜の一言で、空に流れていく羽根のように軽いものになっていく。重石だったことが軽くなっていくのを感じて、俺は殴ろうかと振り上げていた拳を広げた。そしてありがとうという代わりに、優しく竜の鱗を撫でてやる。


 それに少しだけ竜が嬉しそうに目を細めるのが見えて、俺の心も温かくなった。


「あ、着いたよ」


 その言葉に、下を見つめると、そこには古い巨岩をいくつも組み合わせて作られたような大きな迷宮が山の谷あいに隠れるように、ずっしりとした姿を広げていた。


「あれが、迷宮――」


 星五つの名に恥じない。歳月を感じさせる岩石で作られたその堂々たる威容に、俺はただごくりと唾を飲み込んだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る