フィクションと現実と

 ――つまらない世界。


 そうじゃない、と言いにここにきたのだ。フィクションは面白いのだと。ここにいれば、刺激的な毎日を送ることが出来るのだと。


 言い返さなきゃいけない。

 言い返すために、ここにきたのだ。


 だけど、言うべき言葉が、見つからない。


 ――私は、フィクションの世界に生まれてよかったって思っています。


 心優の言葉が蘇る。


 ここに心優がいたら、なんと言うだろう。

 ハプニングが大好きで、あのお騒がせな彼女がここにいたら、なんと答えるだろう。


 ――この虚構の世界で、私たちがをやって、現実世界の人に擬似体験してもらえるんです。


「じゃあ、現実世界はどうなる。フィクションは現実世界ではできないことができるんだ。フィクションがつまらない世界なら、現実世界はもっとつまらないじゃないか」

「バカなこと言わないでよ」


 夏木さんの目は、まるで俺を憐れんでいるかのようだった。


「現実世界の方がよっぽど面白いわよ」

「ここには正義のヒーローがいる。とてつもなく美人なヒロインもいる。ハプニングも魔法もなんでもありだ。こんなこと、現実世界でできるか? ヒロインもヒーローもいないんだぞ!」


 夏木さんは一度目を伏せた。すぐに顔を上げて、


「そうよ。現実世界には、ヒーローもヒロインもいない。倒されるためだけの悪者も、生まれ落ちた許嫁もいない。現実世界にいるのは、いろんな性格をしただけのただの人間よ。ただの人間なのよ」


 夏木さんがため息をついた。


「だからこそ、面白いんじゃない」

「……はあ?」

「ヒーローやヒロインなんて肩書きがあれば、その二人が結ばれるなんて展開、誰だって分かる。でも、現実世界は違う。ヒーローもヒロインもいないのなら、誰が誰と結ばれたっていいのよ」

「……」

「想像してみてよ。現実世界の学校を。あなたは知らないかもしれないけど、現実世界の学校にはいろんな人がいるのよ。見た目も、考え方もいろいろ。そんな環境で、彼らはだれを好きになってもいいし、誰に告白してもいいのよ。学校にいる誰もが、自由に選べるのよ。――ヒーローやヒロインみたいに、決められた人としか恋愛できない私たちフィクションとは違ってね」

「そんなの……、そんなことない。俺たちも自由に選んだらいいじゃないか」

「じゃあ、仮にね、本当に主人公が自由に相手を選べるとするわね。で、物語に出てくる恋愛対象は、何人いるの? どの恋愛小説を読んだって、恋愛対象になるのは2、3人くらい。多くてもせいぜい10人程度よ。主人公は、その10人としか恋愛できないの」

「あ、あらかじめ登場人物を増やしておけば良いだろう。100人でも、千人でも、ストーリーの最初に登場させておいて、その中から選んだらいいだろう」


 はは、と夏木さんが吹き出した。子供を諭すように、


「じゃあさ、逆にね、あなたはそういう作品を見て、面白いって思う? ねえ。たとえばさ、作品の登場人物紹介とか見てね、100人もキャラクターがズラッと並んでるとするわよね。当然みんな個性的でね、魅力があって欠点も持ってる。そしてその中から、主人公が誰かを一人選んだとする。ね。そしてハッピーエンドを迎えた。わあ良かった。めでたしめでたし。他の99人はまったく別のところで呑気にやってるけどほったらかし。――そんな物語を見てね、面白いって思う? 序盤で怒濤のように出てきたあのヒロインたち、何のために存在したのって思わない?」

「……それは、」

「フィクションではね、意味のない人物は存在してはいけないの。それは無駄な存在だから。でも、現実世界は違う。現実世界にいる人は、みんなそれぞれがかけがえのない個性を持ってる。誰一人として同じ人間なんていない。容姿も、考え方も、好みも、みんな違う。そんな中で、彼らは、誰を好きになってもいいの。何十億人とといる人間の中で、誰を好きになってもね。自由なの。それを選べるのは、その人自身なのだから。フラれるかもしれない。振り向いてもらえないかもしれない。結果は保証されないわ。でも、好きになれる。自分で、自分の意思で、行動することができるの」

「……俺だって、」


 声がカサカサだった。

 

「俺だって、自分の意思で行動できる。恋愛対象だって、自分の好みで選べる。ここまでだって、俺が決めて進めてきたんだ」

「じゃあどうしてあなたはあのピンク色の髪の女の人と一緒にいるの? もともとああいった、自分のことをニャン付けで呼ぶようなタイプが好みなの?」

「それは、……好みってわけじゃないけど」

「あなたの好みのタイプは?」

「俺の好み……」


 ――清楚でおしとやかでまじめで、少しだけおっちょこちょいな黒髪の女の子。


「もう一度聞くわね。どうしてあなたはあの人と一緒にいるの?」

「それは……」


 ――ダメだよダメダメ! ゆうにゃんのバディはリコにゃんだもん! これからずっとゆうにゃんの横にいるんだもん! 私以外許さないもん!


「分かってくれた?」


 バックミラーごしの夏木さんの視線。


脇役わたしたちが、そうしているのよ」


 タクシーが進む。


「私たちがこの物語に生まれ落ちた時点で、登場人物は決まってるの。誰が誰と一緒にいて、いつ何が起きて、それをどう解決するのか、関係性がどうなるのか、それも決められているのよ。ストーリーが進んでいって、一つの結論にたどり着くように私たちはごっこ遊びをしているのよ」

「……ごっこ遊び」

「そういう物語になるように、私たち脇役コマが、一生懸命努力しているのよ。ね。そしてもし、それがうまくいかなかった場合、その作品は、駄作になってしまうのよ」


 タクシーを停めて、夏木さんがサイドブレーキを引いた。

 気がつけば、タクシーは先頭まで来ていた。


「でも、現実世界の人も決められたレールの上をあるくこともあるじゃないか」

「ないわよ」


 夏木さんの口調に熱がこもる。


「誰が決めるのよ。あらすじも結末もないような現実世界で。誰に決められたレールなのよ。どこにあるのよ。現実世界の人が何のためにそんなレールに従う必要があるのよ!」

 

 彼女の目は充血している。

 

「私たちはフィクションの世界にいる意味がある。必要だからいるのよ。でも、現実世界の人は意味なんてないのよ」

「意味がない?」

「意味なんてない。ただ、生まれるだけ。生まれたから、生きてるだけなのよ。彼らに、生まれ持った意味なんてないのよ」


 だからこそ、と夏木さんが続ける。


「意味がないからこそ、何だって出来るのよ」


 もう俺は、何も言えない。


私たちフィクションとは違う。私たちにはできない。それぞれがを持っているから。推理小説の主人公はずっと推理をし続けなきゃいけないの。中盤で主人公が『おれやっぱりパティシエになる』って決めてフランスにお菓子留学するような料理漫画になったりはしないの」

「……」

「野球漫画の主人公が突然ピアノにはまることもない。ほのぼの一家のゆるい日常を描く日常系アニメで、ある日突然宝くじがあたって生活が一変することもない。サスペンスの最終回、絶体絶命のピンチで、たまたま黒幕が心臓マヒで死んじゃうこともない。だって、そんな物語、読んでいて面白くないもの。納得できないもの」

「……」

「でも、現実ならある。現実なら、できるのよ。野球一筋だった高校球児が、ある日突然楽器に目覚めることもある。ある日突然、ただのサラリーマンが体験したことのないスポーツを始めてもいい。好きに生きたら良いのよ、意味なんて無いんだもの。町に出ればたくさん人はいるし、不意に思い立って新しい趣味をみつけてもいいし、語学を勉強して海外に羽ばたいてもいい。スキルを磨きたければいくらでも磨けば良いし、その道が合わないと思えば別の方向に舵を切れば良いし、生産的な生き方に疲れたら競争しない行き方を選んでもいいのよ。知ってる? 世界って本当に広いのよ。一生じゃ経験し尽くせないほどの価値観や文化があるの。考え方も様々。娯楽も様々。そんな世界で、なんでも自分で選んで行動できる。不透明で不確実な世の中を自分の意思と手腕で歩いていける。私達とは違って、ストーリーも伏線も気にしないで、自分が自分の意思で世界を切り開いていけるのよ」


 夏木さんの声が湿りはじめる。


「こんなコメディや謎解きやアクションなんかよりも、よっぽど魅力的で刺激的で素敵な世界よ。現実世界でできないこと? 自惚れないで。こんな縛られたフィクションの世界なんかよりも、現実世界の方がよっぽど自由で可能性にあふれてるわよ」


 夏木さんの頬を一線の涙が流れた。


「そんな、普通の人間に、私はなりたかった。こんな端から決まってるストーリーを進まなきゃいけないような、フィクションの世界の登場人物じゃなくて、なんでも自分の意志で選択して行動できる、現実世界の人に、生まれたかった」

 

 夏木さんがうつむいた。ぼろぼろと、涙がこぼれ落ちる。嗚咽を漏らしながら、


「出て行って。私はこれから殺されるの。フィクションの世界に生まれ落ちた以上、それに従わなきゃいけないんだから」

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