被害者の存在
「……殺される?」
突然の言葉に、理解が追いつかない。
「ええ。殺される役。殺人事件なの。誰かが誰かを殺すのよ。そして、そこに探偵さんがやってきてね、誰がこの人を殺したんだって、予想して当てるっていうストーリーなのよ」
「……」
「つまり、誰かが殺され役を担わなきゃいけない。そして今回、私がその役回りってこと」
あまりにさらりと言うものだから、なんと声をかけていいかわからなくなった。
「——殺されるって、知っているのか?」
「知ってるも何も、決まってるのよ。誰が犯人で、誰が殺されるのか。動機はなにで、手段がなにで、アリバイはなにでって。そして、情報を小出しで探偵さんに提示して、伏線を張って、ミスリードとかもして、解いてもらうのよ。それが私たち短編ゲストの役割なのよ」
「……本当に死ぬ訳じゃないよな?」
「本当に死ぬに決まってるでしょ」
バックミラー越しに、夏木さんと目が合う。
「別に珍しいことじゃないわ。これまでも山ほど殺されてるのよ。ストーリーのために。フィクションってそういう世界じゃない。私も所詮その一人なのよ」
夏木さんがさらりとハンドルをなでた。
「推理小説で死んだ人のこと、いちいち覚えてる? しかもたった一回の事件にしか出てこないような人のこと。誰も覚えてないわ。そんなのひとりひとり覚えていたらキリがないもの。どうせあなたも私のことなんかすぐに忘れるわ」
俺が何も言えずに黙っていると、夏木さんが笑った。
「いやそんな辛気臭い顔しないで。別に私は嫌だなんて思ってないから」
「どういう流れで、そんなことになるんだ?」
「どうやって殺されるかって? 残酷なことを聞くのね」
「あ、……いや」
「冗談よ」
夏木さんが鼻から息を吐いた。
「そこに、銃があるでしょ。それよ。それを使って、このタクシーの中で撃たれるのよ」
「いつ……」
「今日の夜。8時ね。駅前でそいつを拾って、しばらく走ってから」
腕時計を見る。
今はもう夕方の5時を回っている。たった3時間後に……。
「正確には、私がそいつを撃とうとするの。私がそいつを一方的に恨んでてね。過去に色々あったの。だけど失敗するのよ。そして私が返り討ちに遭うってわけ。だから、彼には動機がない。さあ、探偵さん、解けるかしら——って事件」
目の前の信号が赤になり、タクシーが停車した。
「……怖くないのか?」
「怖くないわね」
夏木さんはさらっと言った。その台詞は、強がりのようにも見えたし、本心であるようにも見えた。俺には判断つかなかった。
「どっちかというと、こんな
信号が青になり、タクシーが走り出した。
「それにさ、私、探偵さんの立場ってすごく滑稽に感じるのよね」
「滑稽? ……ってどういうことだ?」
「あら、滑稽だって思わない? だって、毎回毎回同じような事件が起きてね、
滑らかにシフトを変えながら、夏木さんがため息をつく。
「でも当然よね。問題を解く側がタネをしってちゃ、なにも面白くなんてないんだもん。だから毎度毎度、その回限りのゲストが問題を提示するのよ。さあ解きなさいって。そうやって、ストーリーに翻弄されるかわいそうな役回り。それを延々繰り返させられる。それが主人公よ。滑稽でしょ」
「そんな言い方しなくても……」
探偵の顔も名前も知らないが、陰でこんなことを言われてると思うと少し不憫だ。
「そんな茶番みたいな、
「……そうだろうか」
思わず、口から出てきていた。
「俺は、このフィクションの世界が茶番だとは思わないし、主人公たちが滑稽だとも思わない。現実世界ではできないことをして、それを読者に見てもらえる。そのために、必死に行動できるっていうのはとてもやりがいのあることだし、魅力的な世界だと思う」
夏木さんはしばらく黙っていた。やがて、タクシーがカーブに入ったところで、
「なに。説教してんの?」
「いや、そういうつもりじゃ……」
「なんてね。まあ、何かのために行動することは悪いことではないわね。あなたたちに絡まれてから、退屈はしなかったのは間違い無いし」
まるで自分自身に話しかけるような声量で夏木さんが言う。
「今日の朝、探偵さんたちをこのタクシーに乗せて、伏線はったりしてたのよ。それが終わって、死ぬまでのんびりと準備をしようと思ってたのに、タクシー乗っ取られるし、荷物捨てられるし、あんな
少しだけ間を開けて、
「でもまあ。ロクでもなかったけど、一人でこの車に乗ってるよりかはマシだったのかもね」
タクシーが停車した。
がこん、と後部座席のドアが開き、そこでようやく俺は気付いた。
タクシーは、目的地についていた。
「まいどあり。運賃はいらないわ。誰かさんが金庫を捨てちゃったから」
「……あの、」
「ほら、早く出て。こっちは予定が詰まってんのよ」
夏木さんの言葉にせかされ、俺たちは外に出た。
ドアが閉まる前、運転席の夏木さんが振り返ってこう聞いた。
「君も主人公なんだっけ」
「――はい。一応」
「そう。じゃあ、最後までがんばってね」
そう言って、タクシーの扉が閉じた。
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