【起章・転】

022:『九十九』

 九十九(つくも) 無接(むつぎ)、その男に出会ったのは八月五日の事だった。

 

 いつもの様に目覚め、いつもの様に、景の作る朝食を美月と二人の妹達と一緒に食べ終わり、いつもの様に、神使の餌やりをしていた時の事だ。

 その男は堂々と、勇ましいとは言えないが、堂々と、そして淡々と神社の階段の中央を通り、上へと上がってきた。

 本来人間は、神社の階段の端を歩かなくてはいけない。なぜかというと、中央というのは神の通り道なのだ。よって人は端を歩かなくてはいけないというのだ。

 まぁ、俺はそんな事、気にはしていないのだけども。


 「これはこれは思兼神(オモイカネ)様、御目に掛かれて光栄の至り」


 こいつは俺が見えている。こいつもまた、神なのか。ならば、階段の中央を歩いてきたのも理解できる。

 こんな丁寧な言葉を使う奴が神社の階段の上がり方を知らない筈が無い。


 「ご丁寧に有難うございます。ところで貴方は何方(どなた)なのでしょうか」


 俺はこんな丁寧な言葉とは相反し、しゃがみ込んだまま、神使に餌を与えながら、男の丁寧な語葉につられ、そんな取り繕(つくろ)った言葉を口にした。


 「これは失敬、私は九十九(つくも) 無接(むつぎ)と申します。以後、お見知り置きを」


 一見、礼儀正しさ極まりない様にも思うだろう男の話し方は、どこかぎこちなく、不慣れな感じがしてならない。


 「そんな慣れない言葉を使わなくても良いんだぞ。俺はそんな尊敬の対象となる行為は行えていないからな」


 「今までのは挨拶だ。いくら尊敬の対象じゃあ無くとも、初対面の相手との挨拶とあれば丁寧な言葉を使うのが当たり前だ。それが相場というやつだ」


 こいつ...いくら挨拶が終わったとはいえども、変わり過ぎだ。豹変だ。

 

 豹変とは言ったが、この【豹変】という言葉は本来、人の態度や性行が、がらりと良い方へ変わる事に用いたが、現在は悪い方へ変わるのに使う事が多い。よって今回の【豹変】は、悪い方へ変わる意味で使ったのだ。

 言葉の使い方の話しをして思い出したからついでに。

 日本語には【全然】という言葉があるが、全然大丈夫とか全然疲れてないだとか、そんな使われ方をしている【全然】なのだが、こういった使い方は本来、全然違うのだ。正しくは【全然】の後にくる言葉は否定語でなくてはいけない。

 だが、最近はそんな使い方も良しとする考えになってきているようだ。

 だから、全然大丈夫といった使い方も現代の日本語としては、全然大丈夫なのだ。


 九十九(つくも)とかいう男は話しを続ける。


 「なぁ黒峰、最近何かがおかしいとは思わないか」


 「別に...おかしい事なんか無いが、俺はいつもの様に、過ぎ行く【いつも】を過ごしているだけだが」


 「ふんっ そのいつもがおかしいんだよ。黒峰、お前の今までの【いつも】とは、こんななのか」


 この男は何を言っているんだ? 俺のいつもは俺のいつもだろうが。俺はずっと前から...こうして...ん? 俺はいつもこんな事してたのか? いつもって何だ? いつもというわりには、俺の思う【いつも】に体が慣れていない。

 言われてみれば何かが違う気もするが...


 「分からない...何が違うのか分からない...言われてみればこんな【いつも】が本当は違う気もするのだけども...」


 「まぁ思い出せないなら無理に思い出す事でもない」


 

 九十九(つくも) 無接(むつぎ)。

 年齢は三十代後半といったところで、背は高く、百八十cmはあるだろう長身、体型はどちらかというと痩せ型といったところで、顔は青白く、どこか具合が悪いのかと思うような顔色。目はうつろでありながら鋭く、それは目つきが悪いといった部類になるのであろう。

 髪型はというと、すまないが俺の文章能力では言い表す事が出来ない。この言葉をこの男の髪型の説明に使うのは正しいのか分からないが、この男の髪型は【曰く言い難し】といった様な、そんな髪型だ。

 服装は丈の長いマントの様なものを羽織り、革靴を履いている。この革靴の先は本当に尖っている、武器の様にとがっている。ビンビンだ。

 ん? 前にも似たような事があった気が...まぁいいか。

 

 それにしても、マントに革靴って意外と合うのだな。

 

 そんな風に、この男のファッションセンスを評価したかったのではなくて、マントと革靴が似合うとは言ったのだが、それは良い意味ではなく、悪い意味なのだ。

 悪い意味というのは、この男の顔立ちや服装が相俟(あいま)ってというのか、そんな相乗効果によって良い風にではなく、悪い風に、顔と服装が互いを高め合っている。

 そんな、この男に対する俺の印象を言葉に置き換えるならば、気味が悪い、不吉、禍々しいといった言葉で表される事だろう。

 人を見た目で判断してはいけないとは、よく言ったものだが、身の危険を感じる様な見た目の者に対しては、見た目で判断せざるを得ない。

 自然界でいうところの危険色の様なものだ。危険色といえば、この色の無い世界で動物達はどうやって危険色を判断しているのだろうか。

 まぁ動物の話しはさておいて、俺はこの男を見た目からして、恐らくは【敵】なのだろうと、勝手に判断していた。


 「なぁ、九十九...とかいったか? あんた、俺を倒しに此処まで来たんだろう?」


 「ふんっ 黒峰よぉ、人聞きの悪い事を言うじゃあないか。この場合は神聞きが悪いと言ったほうがいいのか」


 「ん? あんたは俺の敵なんじゃあないのか」


 「敵だとぉ? 笑止千万だなぁ 俺はなぁ、黒峰、少なくともお前の味方だ。今はな」


 九十九の声は、かなり低く地を這う様なそんな声。そしてそんな低い声は耳に住み着くかの様な、五十音をどう駆使しようとも、俺にはその声を言い表す事は出来ないだろう、そんな声だった。


 「味方? なんだ、悪かったよ。勝手に敵だとばかり思っていた。謝るよ。でも、『今は』ってのはどういう意味なんだよ? 後に敵になるって事なのか?」


 「黒峰、今のお前は何者だ」


 「何者だって...神...かな」


 「そうだ、今の神としてのお前となら、仲間だといっているんだ」


 「じゃあ九十九、あんたは人間の敵。そんな解釈でいいんだな」


 「あぁ、敵...その解釈で間違いではないだろうな」


 「あんたこそ何者なんだよ」


 九十九は今までマントの中にしまっていた両手を出した後、すたすたと、のしのしと、軽快な足取りではあったが決して速いとは言えない、そんな歩き方でボロボロの境内の前まで歩いていき、これまたボロボロの賽銭箱へ、いくら入れたのかは確認出来なかったが、音的に小銭を複数枚入れ、パンッと大きな音を立てながら手を合わせた。

 

 そして九十九は振り返るなりこう言った。


 「死神」


 「死神? あんたは人を死に誘う神なのか?」


 「死神といっても、人を死に至(いた)らしめる様な神ではないのだがな。正しくは、死に行く者に付き添い、魂を導く者だ。人は自分の力では死にきれず、悪霊の様にこの人間世界を浮遊してしまう。だから、死に時がきたら死神の出番なのだよ」


 「そう...なのか、死神って言うと恐ろしいイメージがあったが、それじゃあまるで、手際の良い葬儀屋だな」


 「ふんっ 葬儀屋とも少しばかり違うのだが、そんな理解でいいだろう。 私は、黄泉津大神(よもつおおかみ)、色で表す事は出来ない色、【無】の化神」


 無? 無って色でも何でも無いじゃあないか。それでも色だというのだろうか。ますます意味が分からなくなってきた。

 

 死神という風に死を司(つかさど)る者を【神】とする考えは日本独自の考えであって、海外では忌まわしい者として扱われているのだ。

 八百万の神々といった、地球上全ての物に神が宿るといった考えも日本独自の考え、この事から、【死】という現象にまで日本では神が宿ったのだろう。

 

 九十九は質問をしてきた。


 「なぁ黒峰、お前は死ぬのが恐いか」

 

 「そりゃ恐いな。経験した事が無いからな。いや、輪廻転生(りんねてんせい)という考えが正しいとしたのならば、死という経験はあるのだけども、記憶に無いというのなら、経験無いといって間違いではないだろう」


 「お前の様に、人間は死を恐がる。神もそうだ」


 「やっぱり神も死ぬのが恐いのか」


 現に、神でありながら死を恐れている神の姿が此処にあった。


 「あぁ、だが、神として消える事にはそれほど恐怖は無いだろうがな」


 「神として消える事意外に神にとっての死があるのか?」


 「神としての死は信仰の低下により、神としての存在が薄れていく事だ。それには、自覚は無い。勿論、自分の力の低下には気づくのだが、消え去るその時は自分自身ですら気づく事は無い。感が良い奴ならば、気づくだろうが、大抵は気づかずに消える」


 消えるとはどんな感覚なのだろうか。俺もこのままだと消えてなくなるのだろうか。

 九十九の話しは続く。


 「神が恐れる【死】は、人間で言う【生】。つまりは、生まれる事。人として生まれる事だ。」


 「ん? 生まれる事がどんな風に恐いって言うんだよ。【死】の反対じゃあないか」


 「人として生まれる。それは神として死に行く事。そして何(いず)れは人として死ぬ事。人として死ぬには必ず、痛みが生じる。体の痛みや心の痛みの事だ」


 「なら、わざわざそんな痛みのある人間に生まれる事無く、神として生きればいいじゃあないか」


 「焦がれるんだよ」


 九十九は色の無い空を見上げそういった。


 「焦がれる?」


 「痛みが無いというのは辛い事なんだ。悲しみも無ければ、喜びも無い。人間の笑顔を見ているうちに、自分もそうなりたいと、痛みを受けてまでも生まれたいと願うようになる。」


 「そんなもんか?」


 「黒峰、お前はまだ神としては浅い。だからまだ分からないだろうが、何れそう思うだろう。花は儚いからこそ美しい。人もまた同じ」

 九十九、こいつも焦がれているのだろうか。痛みを受けてまでも人になる事を望むのだろうか。

 

 九十九は何かを探す様に、神社の敷地内をぐるっと一周し、『やっぱりか』と口を開いた。


 「やっぱりか__なぁ黒峰、己己己己(いえしき) 神威(かむい)という男を知っているか」


 「己己己己? 神威? 誰だ? そんな奴俺は知らない。人間か?」


 

 暑苦しく蝉が鳴く、真夏の八月五日の事だった。

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