ゴエモンがだいすきだ

「お、やっぱり伊勢イセだったか! 同姓同名の他人かもしれないとも思ってたけど、お前、ちっとも変わってねえなあ! ホラ俺、俺オレおれ、俺だよ、俺!」


 交番で待ち受けていたのは、オレオレ詐欺…………ではなく、不安で血の気が失せた俺とは正反対に快活な笑顔を浮かべた、ガタイの良い警官だった。


「あの……どちら様でしょう?」


 この台詞吐くの、本日二度目になるんですが。


「おう、松本だよ! 久しぶりだなあ!」


 ガハハと笑う松本に、俺が知っている同名の彼の面影はまるでない。


 松本って、中学の同級生だった松本……だよな?

 俺と同じくらい細っこくて弱っちかった、あの松本……なのか?

 変わりすぎじゃない? もしや、本当にオレオレ詐欺なんじゃなかろうか?


 俺の疑念に満ちた眼差しに気付いたらしく、松本の笑みが苦笑いに変わった。


「まあ、わかんねえのも仕方ないよな。いやぁ、高校行ってから柔道に目覚めてさ。で、大学行って柔道やりながら体育教師になったんだけど、警官になる夢を諦めきれなくて。再出発して、今に至るってわけ」


「へえ、すごいな。夢叶えちゃったんだ。……えっと、それで、どうして俺に連絡を? まさか交番で同窓会しよう、なんてバカなこと考えてないよな?」


 松本の華麗なる変身に納得すると、俺は恐る恐る、冗談混じりに本題を切り出した。



「あー……それなんだけど」



 そう言って、松本はちらりと奥の方に顔を向けた。俺も釣られてそちらを見て――叫んだ。



「あーーっ! あいつ! 五右衛門ゴエモンのパチモン!!」


「んにゅ……わふん? ああっ! カイくん!?」



 俺の大声で目を覚ましてしまったらしい。ソファで寝こけていたそいつは、掛けられた毛布を弾き飛ばして駆け寄ってきた。



「うわぁぁぁん! カイくんだあ、カイくんが来てくれたああああ!」



 ひいい!

 だ、か、ら! 抱き着くなっつうの!


 ちょ松本、警官なら呆けてないで助けろ!! 目の前で一般人が襲われているんだぞ!? 務めを果たせ!!



「あっ、あ、遊んでて、戻ったら、カイくん……カイくんが、いなくなってて……。僕、カイくんが待っててくれてるのも忘れて、たくさん遊んじゃったから……き、嫌われちゃったんだと思って……! 人間になったから匂いもよくわかんなくなってて、一生懸命探したけど……全然、見つからなくて…………っ、もう、もう会えないのかと……っ! カイくん、カイくぅぅぅぅん……許して、嫌いにならないで……ごめんなさいするからぁ…………」



 くぅぅんじゃねえよ。犬か。あ、犬なんだっけ。

 いや、犬じゃねえだろ。自分で人間っつってんだろ。


 ええい、少しは力緩めろ! クッソ痛え!!


 コラ松本、生温かい目でニヤついてじゃねえ。お前、間違いなく変な妄想してるだろ? 違うから。こいつは真っ赤な他人の変態だから。


 元はといえば、お前が呼び出したんだろうが!


 ……あれ、そうだ。俺、呼び出されたんだ。


 このアホの変態が、俺の連絡先を伝えたのか? そんなことしたらストーカー行為がバレて、捕まる可能性もあるのに?



「これ……」



 すると松本が笑いを堪えながら、そっと俺に何やら汚らしい布を差し出してきた。


 怒涛の締め上げ抱擁攻撃に、息も絶え絶えだった俺は――しかし、それを目にした瞬間、驚愕に目を見開いた。



「その、スカーフ……!」


「えっ……あれ!? やだそれ僕の! 僕のーー!!」



 変態が俺から離れ、松本に飛びかかる。だが松本は華麗にそれを躱し、無様に転んだ奴の背中に乗って素早く腕を拘束した。



「やだやだ、痛い! 離して! それ返して! 僕のスカーフなの! カイくんがくれた、僕のスカーフなの! 返して、返してよぉぉぉぉ!!」



 自称・五右衛門が、激しく身悶えして泣き喚く。


 悲痛なその声に、何故か心が軋むのを感じながら、俺は松本からそれを受け取った。



 洗濯を繰り返したせいで傷んだ紺の生地、擦り切れてはいるが辛うじて読めるブランドのタグ、ガタガタに歪んだ『ゴエモン』という刺繍、そして迷子になった時のためにとアイロンプリントした俺の名と我が家の連絡先――――紛れもない、五右衛門が愛用していたスカーフだ。



「何で……」



 思わず、声が漏れた。



「この子、公園でずっとウロウロしてたらしいんだ。それでパトロールしてた俺が保護したんだが、何を尋ねてもカイくんカイくんしか言わなくてさ。その内に泣き疲れて寝ちまって、そうしたら首のスカーフが解けて……拾ってみたら、そこにお前の名前と連絡先が記されてたんだ」



 松本はそう説明してくれたが、そんなことはどうでもいい。


 問題は、このスカーフが何故ここにあるのか、だ。



 これが、この世に存在するなんてありえない。

 だって、このスカーフは――――五右衛門と一緒に火葬されて、五右衛門と一緒に虹の橋を渡ったんだから。




 あの日あの時、最期の別れの寸前まで、五右衛門の匂いがするそれを握りしめたまま、俺はずっと迷っていた。


 もう二度と動かない五右衛門。


 けれどその顔はとても穏やかで、名を呼べば今にもこちらを見て駆け寄って来そうで。


 なのにそれは叶わなくて、何度呼んでもその目が開かれることはなくて。


 俺の五右衛門。俺が愛した五右衛門。

 お前も俺を、愛してくれた。これ以上ないくらい、幸せな時をくれた。


 それだけは覚えていてほしくて、天国に行っても一緒に過ごした証があれば、ちょっとおバカなこいつでも忘れないだろうと思って――――俺はやっとの思いで決意し、手にしていたスカーフを、いつものように彼の首にそっと巻いてやった。




「『五右衛門にあげたんだから、ずっと五右衛門のものだよ。だから、俺のこと、ずっと忘れないで。俺も、五右衛門のこと、ずっと忘れない』」




 最期に告げた別れの言葉を、一言一句違わず口にしたのは、俺じゃない――松本の下で泣いている、自称・五右衛門だ。



「カイくん、そう言ってくれた。でも……もうカイくんは、僕なんて要らないんだね。カイくん、僕のこと、忘れちゃったんだね……」



 暴れたせいでボサボサになった銀の髪の隙間から、潤んで煌めくブルーの瞳が見える。

 初めて出会った時、段ボールの中から真っ直ぐに俺を見つめていた――あの目だ。



 そうだ、俺はまず最初にこいつが現れた時、どうして通報しなかった?


 それに、連れ出すならわざわざ公園に行かなくても、そのまま警察に駆け込めば良かっただろう?


 なのに、何故そうしなかった?




 俺はきっと、心の何処かでわかっていたんだ。


 でも信じたくなくて。信じられなくて。

 信じてまた裏切られるのが怖くて、また失うのが怖くて――――。




 意を決して、俺は奴にそっと近付いた。



「…………五右衛門? お前、本当に五右衛門、なのか?」


「……そうだよ、ゴエモンだよ! 大好きなカイくんに、会いに来たんだよ! カイくんに、会いに……来た、のに…………っ」



 顔をくしゃくしゃに歪めて、五右衛門が嗚咽を漏らす。


 俺が頼む前に、松本は空気を読んで退いてくれた。




「五右衛門…………おいで!」




 俺が腕を広げると、五右衛門は即座に立ち上がって飛び込んで来た。



「うわぁぁん! カイくん! カイくんカイくんカイくん!!」


「五右衛門、ごめんな……気付いてやれなくて、ごめんな……!」


「カイくん、ごめんなさいしなくていいよ! 僕、カイくんならわかってくれるって、信じてたもん! カイくん、ちゃんとわかってくれたもん! 僕のこと、忘れないでいてくれたもん! カイくん、好き好き! 大好き!!」


「俺も……大好きだよ! 五右衛門!!」



 押し倒され顔をペロペロされながら、俺は五右衛門を抱きしめ――全身モフモフできない代わりに、銀の髪をモフり倒した。


 しなやかな芯のある粗い手触りが、掌全体に懐かしさを伴って伝わる。ああ……五右衛門だ!

 モフモフしながらクンカクンカしてみれば、ふわふわ優しいお日様の匂いがする。ああ……五右衛門の香りだ!


 くっそぅ、可愛い奴め可愛い奴め可愛い奴め!


 モフモフにクンカクンカじゃ足りないぞ…………俺を散々寂しがらせた罰として、ムギュムギュの刑に処してやる!!



 モフモフにクンカクンカにムギュムギュのフルセット、伊勢家では『ゴエモフ』と呼ばれていたラブ行動に夢中になっていたら。



「松本さん、パトロールから帰ってきたんですけど……何すか、これ。男同士の、痴話喧嘩?」


「シッ! 田内、邪魔してやるな。仲直りのチューまでしかと見届けるのが、我々の仕事だ」



 ちょっとーー! ここが交番だってこと、忘れてたじゃないですかーー!!


 しかも見物人が増えてるしーー!! 誤解が誤解の悪循環生み出してるしーー!! やだーーーー!!

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