最終話 同じ夕日を見て

 一年後、高校三年生になった七瀬は友人の知夏と通学路を自転車で帰っていた。


「文化祭まであと一週間。それ終わったらもう完全に受験一色だね」

「そうだね」


 感慨深げに話を切り出す知夏に、七瀬は同じ気持ちでうなずく。

 一年はあっという間のことで、気づけばもう卒業まで半年ほどになっていた。


「それなのに私、昨日昔やってたゲームの二週目始めちゃってさ。めちゃめちゃ面白いんだけど、どうしたらいいと思う?」


 七瀬と同じような大学を目指していて勉学への熱意も似ている知夏は、自虐的に七瀬に相談した。もう九月であるので、わりと重傷な話である。

 だが、七瀬の状況も同様であった。


「私も勉強しようと思うとライブのDVD見ちゃって、なかなか勉強進まなくて……。一応センターの問題集は買ったんだけど」

「センターまであと四か月かぁ。一月の私、どうなってるんだろう」


 知夏は眼鏡をかけた目で遠くを見た。

 田園ばかりで建物が少ない風来町の風景は、本当に遠くまで見渡すことができる。


「そのころにはさすがに、だよね」

 刈り取り間近の稲穂が夕日の中で揺れるのを眺め、七瀬は相づちをうった。

 そして道の分かれ目で、七瀬は知夏とは違う方向に自転車のハンドルを向けた。


「じゃあ私、今日も畑寄って帰るから」

「あぁ、あの人のところね。それじゃまた明日」


 意味深に笑って七瀬を茶化しつつ、知夏が去る。

 あの人というのは、リウンのことだ。


 一年前七瀬によってこの世界に連れてこられたリウンは、無事に回復して生きていた。

 だが言葉も通じない上にどこから来たのかもわからない人物であるリウンは、非常に役所や警察の人たちを悩ませた。身に着けている物は現代らしさがまったくない代物ばかりで、世界地図を見せてもまったく反応がないのである。

 身振り手振りのコミュニケーションの結果判明したのは、どうやら名前はリウンというらしいことだけだった。


 次第に人々は、リウンをどこか違う世界からやって来た存在――すなわち「天人様」ではないかと噂するようになった。

 風来町に伝わる「天人様」の昔話は、今はもう単なる伝承で町おこしの道具くらいにしか考えられていなかった。しかし異世界から来たとしか思えないほど不可解な存在であるリウンを前に、皆何となくそれを信じたのである。


 そうして本人も問題なさそうだったので、リウンはとりあえずしばらくはこの風来町で暮らすことになった。


 七瀬は自転車を漕ぎ、リウンが働いている農園へ向かった。

 そこは七瀬の家からそう遠くはない場所なので、七瀬はリウンに毎日会うようにしている。


 いくつか坂道を超えて農園の敷地内に入ると、少し離れたところにむしった草を手押し車に載せて歩いているリウンがいた。髪の毛を切って農作業着を着た姿は、普通に農家の青年に見える。


「リウン!」

 自転車で追いついた七瀬は、後ろからリウンの名前を呼んだ。


「ナナセ。学校、終わった?」

 リウンは片言の日本語で振り返った。

 最初は自分の名前くらいしか言えなかったリウンだが、今では日常会話ならほとんど問題がないほど話せるようになっている。


 言葉の通じない世界に住むというのは、聴解も単語暗記も何もかもが苦手な七瀬にとっては悪夢でしかない。だがかつていた世界で新しい土地の言葉を習得するという経験をすでにしているリウンにとっては、そこはあまり重要なことではないのかもしれなかった。


「うん。今日は補講ないから。でも明日数学当たりそうだから、予習はしなきゃだけどね」


 七瀬は自転車から降りて、リウンの隣に並んで歩いた。

 リウンは感心した様子で、七瀬をまじまじと見た。


「勉強、大変だ」

「私よりも、リウンの方が大変だと思うけど」


 少し真面目に考えて、七瀬は言った。今までいた場所とは全く違う世界で生きることになったリウンは、一年たったとはいえまだまだ苦労が多いだろうと思った。


 考えこむ七瀬をそっと見下ろし、リウンは微笑んだ。

 夕日が影を落とし、リウンの顔の輪郭をはっきりさせる。


「農業、楽しい。つらくない」


 リウンの声は明るく、その言葉はまったくの嘘ではないはずだ。

 だが七瀬は、こういうときのリウンの笑顔を見ると心苦しくなった。


 リウンは自分を助けた七瀬に恩を感じ、七瀬のために幸せになろうとしていた。かつての世界にいたときのような硬質さは薄れ、会えばいつも笑いかけてくれる。


 しかし本当のところ、リウンはディオグによって背負わされたものに未だ苦しんでいるだろうと思われた。現代に来てからリウンがその本音を見せてくれたことはなかったが、ふとしたときにそれを感じた。

 そんな時に七瀬は、かつてディオグが言っていた言葉を思い出す。


『どんな死に方をしてもきっと、僕の与えた日々はリウンを最後まで苦しめる』


 ディオグがそう断言していた通り、リウンはそう簡単に幸せになってくれそうになかった。

 ディオグの命令に従う中でリウンが重ねてきた罪は、この世界での生活が平穏であればあるほど重さを増す。七瀬のために幸せにならなくてはいけないという責任感と、自分は許されざる存在であるという罪悪感の狭間で、リウンは迷い悩んでいた。


(そういう状況を作ったのが私。リウンをこの世界で幸せにするっていうのは、私のわがままなのかな。でも……)


 ディオグが正しいのだとしても、七瀬はどうにかして違う結果を探していた。

 リウンの罪や罰を軽くすることは誰にもできない。だからせめて、そういう負の側面も全部受け入れて隣にいたかった。


 今はまだ言語能力的に通じる気がしないが、七瀬はいつかこの気持ちをリウンに伝えようと思った。だがとりあえず今のところは、リウンと過ごす日々を少しでも実りのある日々にすることだけを考える。


「次の模試終わったら、どっか行きたいな。できたらリウンも一緒に。来週の日曜日空けられる?」

 七瀬は明るい声をつくって、リウンに尋ねた。

「わかった。今度予定、聞いてみる」

 七瀬の誘いを、リウンは素直に了承した。


 自分とリウンの関係が恋人同士なのか何なのか、七瀬には未だわからなかった。確かだと言えるのは、リウンは七瀬にとっての特別で、七瀬はリウンにとっての特別だということだけだ。


 リウンがこの世界で目を覚ましたとき、七瀬はリウンにとって唯一名前を知っている存在で、リウンの名前を知っているのも七瀬だけだった。そのときリウンが名前を呼びあえるのは、七瀬だけだった。今はもう違うけれども、それでも本当のリウンの過去や人生を知っているのはこの世界では七瀬だけである。

 意図はどうであれ、七瀬は結果的にリウンの本当の特別になったのだ。


 こうなってしまった今、七瀬はリウンを何よりも大切な存在に選ぶことに迷いはなかった。過去も今も全部含めて好きでいるのは、七瀬にしかできないことだと思った。


「よし、じゃあ映画にしようか、美術館にしようか……。そう言えば、母親が新聞で県の博物館のタダ券もらったって言ってたな」

 七瀬は受験生であることも忘れて、どこへ行こうか考えた。


(リウンが悩む暇がないくらい、いろんな時間を過ごしたいな)


 これから先に待っている未来を想像する。もちろん帰り道などの今ある日々のやりとりも大事にしたかった。


 顔を上げると夕日は丸く真っ赤に西空にあり、七瀬とリウンの行先を赤く染める。月の数は違っても、太陽の色はあの国と違わなかった。


「俺、ここにいて、本当にいい?」

 その光景に過去を思い出したのか、リウンは不安そうに七瀬に尋ねた。


 七瀬は今でも、リウンをこちらに連れてくるという選択に自信が持てなかった。

 だが、リウンのためにも迷いは無視して答える。


「私はいてほしいよ」

「……なら、いる」


 リウンは眩しい西日の中つぶやいた。静かで控えめな、リウンらしい返事だった。


 七瀬を現代に帰すために戦ってくれたリウンに対して、七瀬はほとんど何も返せていなかった。自分にできることは何かと考えても、今はまだ隣を歩くことしかできない。

 だがそれでもリウンが幸せになれるよう、七瀬は強く願った。

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