第20話 対なる存在

「あの二人を捕らえなさい。殺しても構わない」


 遠くでディオグが兵士に命じている声がした。

 だがすぐにそれは聞こえなくなった。


 七瀬は、ただひたすらリウンと一緒に森を駆けた。

 後ろからディオグの命令を受けた兵士が追って来ているようだったが、リウンの選んだ道がいいのか迫られている気配はない。


(あそこから逃げることができたのはいいけど、疲れた……)


 ぜいぜいと七瀬は息をついた。脇腹は痛み、足が重い。七瀬は足が遅い方ではなかったが、終わりが見えない中走るのはつらかった。


 もうそろそろ無理だと思ったそのとき、木々の向こうに川が見えた。

 川岸には、小舟が一つ停まっている。


「俺の船です。あれに乗って森の奥の湖まで行きましょう」

 リウンは振り返り、七瀬に言った。

「わ、わかった」

 やっと一つのゴールが見えたことで、七瀬は少し安心した。


 だがほっとしたのもつかの間、一人の人影が前に立ち塞がる。


「そう簡単には逃げられないよ、リウン」


 闇から姿を現したのは、キエンだった。

 キエンはリウンと同じ刃の湾曲した刀を手にして、嬉しそうに微笑んでいる。その目は冷たい光を宿して、リウンと七瀬を見つめていた。


「キエン……」

 リウンは立ち止まり、七瀬から手を離してたった一人の同郷の友の名を呼んだ。

 キエンと違い、リウンは幼なじみとの対決に動揺していた。


 だが、キエンは構わずリウンに語りかけた。


「お前一人が相手なら先回りは無理だったけど、ナナセがいて良かった。お前とは一度戦ってみたかったんだ」


 キエンはそう言い放つと、間髪入れずにリウンに斬りかかった。

 リウンは素早い太刀捌きでその攻撃を受け止め、七瀬に叫ぶ。


「ナナセは船へ! キエンは俺がどうにかします」

「う、うん。わかった!」


 七瀬はキエンがリウンと刃を交わしているうちに、急いで川に浮かぶ小舟に乗り込んだ。

 このまま湖に向かうこともできるはずであったが、森の中で入り組んだ川では進行方向もわからないので、そのまま船でリウンを待つ。


 おそるおそる様子を伺うと、リウンは防戦する形でキエンに対峙していた。

 キエンの動きはトリッキーで、遠くから眺めている七瀬からしても次の行動が読めない。上段に構えたと見せかけて、間合いを詰める。低く屈んだと思ったら、いつの間にか後ろにいる。


 そのキエンの戦い方に、リウンは翻弄されていた。

 だが何とかしてその攻撃をかわしながら、リウンはキエンに呼びかけた。


「キエン、なぜだ。お前はいつも俺を助けてくれた。俺が今までやって来れたのは、お前がいたからなのに」


 そう言って声を震わすリウンの横顔は、泣き出しそうな危うさがあった。キエンとの殺し合いは、リウンにとってやはりつらいことであるらしい。

 だがキエンは必死なリウンをせせら笑い、その防御を薙ぎ払った。


「そりゃお前の心の支えになってやれっていうのが、陛下が俺に与えた最初の命令だったからな。俺の方は、お前がいなくても多分平気だよ」


 リウンとキエンは稀客である七瀬の帰還を巡って戦っているはずなので、自分のために争う二人に七瀬は問題の当事者として一応罪悪感を持った。

 しかし同時に、七瀬は自分が二人にとってひどく蚊帳の外の存在であるような気もした。


 同じ日に生まれ、同じ土地に育ち、同じように今戦っている二人は、運命的な何かで繋がっている。

 おそらく七瀬がこの世界に来なかったとしても、二人はいつかこうして殺し合っていただろう。リウンとキエンは鏡で映したように似た一対でありながらも、まったく違うものを見ていた。


 いつ仕留めてもおかしくない鋭さで、キエンがリウンの首へ刀を突く。


「リウンは馬鹿だな。そんなことをしても罪が軽くなるわけじゃないのに。まぁ、お前らしいといえばお前らしいか。ナナセを帰すことは、それほど大事か?」

「帰る場所があるなら、帰るべきだ」


 リウンは横に跳び、キエンの突きを避けた。

 そのまま攻撃に転じ、回り込んでキエンに斬りかかる。


 懸命に戦うリウンを前に、キエンは小さく笑みを浮かべた。

 そして、リウンの渾身の攻撃を、軽い一閃で防いでみせる。


 攻撃を止められた反動でよろめき、リウンは地面に膝をついた。

 息一つ乱れていないキエンは、涼しい顔をしてリウンを見下ろした。


「俺たちには帰る場所がないから、あの子は帰してあげるって? 立派だよ、お前は。俺は帰れたって帰りたくないけどな、あんな面白くもなんともない場所」

「キエン……!」


 リウンは身を起こし、再びキエンに向かう。

 だがキエンはわずかな動きでそれを避け、リウンの刀は木の幹に突き刺さった。

 リウンは素早く刀を引き抜き構えたが、キエンと比べて著しく消耗しているのは一目瞭然だ。


(リウン、完全にキエンに遊ばれてるし……)

 圧倒的に不利な状況に立たされているリウンを目にして、七瀬は先行きがいよいよ不安になる。リウンは先日腕に負った傷が完治していない上に、元々の実力もキエンよりも低いようだった。


 キエンはやや離れたところに立ち、リウンが体制を整えるのを待っていた。

 そして、じっとリウンを見つめて言った。


「だけど、お前にとってはここは良い場所じゃないみたいだな。お前がこれ以上つらい目にあうのは可哀想だから、俺が今ここで殺してやる。俺は陛下と違って、お前を長くは苦しませない」


 そう言い終えると、キエンは一瞬で間合いを詰めてリウンに斬りかかる。

 今までとは違う、本気の一撃だ。


 キエンはかつて父と母を殺したように、友も殺そうとしていた。

 一応思い遣りらしきものを見せてはいるが、優しさというにはあまりに冷たい。


 宵闇の中でキエンの振り上げた刀がきらめく。

 それは美しい弧を描いて、リウンに迫った。


 リウンはキエンの攻撃を受け止めようと、刀を構えた。

 だがキエンは強い力でリウンの刀を弾き飛ばし、そのままリウンの肩を斬りつけた。


「……くっ!」


 リウンの刀が地面に落ち、斬られた痛みにリウンが歯を食いしばる。

 キエンの刀はリウンの肩に深々と突き立てられていた。重大な致命傷であるのは確実だ。


 手ごたえを感じたキエンは微笑み、とどめとしてさらなる攻撃を加えるために刀を引き抜こうとする。


(リウンが負けた……)


 七瀬はそのとき、もう駄目だと思ってあきらめた。


 だがリウンは傷を負いながらも戦い続けていた。

 リウンは、自分の肩に刺さっている刀を両手で握りこんだ。


「何を……」

 その行動の意図を掴めず、キエンがあやしむ。


 だが、リウンは何も言わずに刀を握り続けた。

 キエンが刀を抜こうとするのに対して、リウンは握った刀身に横向きの力を加えていた。


「――っ」

 手のひらが切れて血が滴る。リウンは痛みに顔をしかめた。

 そしてバキッと音を立てて刀は折れた。


 刃がリウンの肩に深く突き刺さっていたこともあり、刀には大きく力がかかったようだった。また二人が使っている刀は鋭いものの刃が薄く、双方向の負荷には弱いらしい。


 折れた刀を手に、キエンが一瞬たじろぐ。

 その好機を逃さず、リウンはキエンを勢いよく蹴りつけた。


「おっと」

 キエンは後ろに跳躍し避けたので、その蹴りが当たることはなかった。

 だがキエンが退いたことで生まれた隙は、リウンがその場から去るには十分だった。


「リウン!」

 船を川岸に停めていた縄を外し、七瀬はリウンを迎える。

「ナナセ!」

 リウンは船に飛び乗り、すぐに櫂を手にして船を出した。


 だが刀は折れたもののキエンは無傷で、リウンは重傷。

 勝ったとは言い難い状況である。


「まだ終わりじゃない」


 後ろから、キエンの声がした。

 七瀬が振り返ると、キエンは背負っていた弓をつがえて二人に狙いを定めている。


(ちょっと、勘弁してよ……)


 その光景に、七瀬は身を竦ませた。

 避けようにも、船の上には逃げる場所がない。キエンからしてみれば、遮るもののない川の上を船で流れていていく二人はいい的だろう。


 冷静に狙いを定め、キエンは矢を放った。

 矢は真っ直ぐに二人の方へと向かってきた。狙いはどうやら七瀬のようだ。


 七瀬は怖くなって、何もできずにただ矢を見ていた。かつて弓道部員だったことを思い出したが、射られる側に立つとそんな経験もまったくの無力だ。

 だが当たると思ったそのとき、リウンの体が七瀬に覆いかぶさる。


「つっ……」

 リウンが小さく声を上げた。矢はリウンの背中に当たっていた。

「ご、ごめん。大丈夫……?」

 七瀬は立ち上がり、リウンの矢傷を確認しようとする。

 だがリウンは七瀬をさらに強く抱きしめた。


「いいから、動かないでください」

 つらそうな息の中でリウンがそう言ったとき、船縁に矢が突き刺さった。

 キエンはまだ二人に矢を放っていた。


 七瀬は目をつむり、リウンの腕の中で固まった。リウンの体は熱く、声も鼓動も近い。

 残念ながら七瀬には、リウンに守られてじっとすること以外の選択肢はなかった。


 それから先も矢は何回か飛んできたが、船が進んで距離が開いたせいか当たることはなかった。

 やがてキエンのいた岸も遠くなって、攻撃も止んだ。

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