第18話 伝説の真実

 目覚めると、七瀬は冷たい石の上に仰向けに横たわっていた。


(私、まだ死んでない?)


 ディオグに薬を盛られて気を失ったことをすぐに思い出した七瀬は、急いで目を開けた。

 目に入ってきたのは、松明のような明かりに照らされた石造りの広間である。天井は暗くて見えないほどに高く、壁は文字や絵の浮彫にびっしりと覆われていた。

 七瀬が横たわっているのは、そこに置かれた祭壇らしき石のようだ。


(ここって、森の中の神殿の遺跡……?)


 七瀬は体を起こして、状況を確認しようとした。服は制服のままで、手足を縛られている感覚はない。だが毒の効果なのか、まったく動くことができなかった。

 仕方がないので目だけを動かして周りを見ていると、ディオグが顔を覗きこんできた。


「あ、起きた? もうすぐ始めようかと思ってたから、ちょうど良かった」


 ディオグは上等な白地に金色の龍の刺繍が入った裾がかなり長い服を着て、普段は冠でまとめている髪を下ろしていた。腰まで伸びた髪は毛先まで綺麗で、松明の光に照らされた顔はいつもよりも一層美形に見える。

 特別な祭祀用の装いに見えるその姿は、神々しくて煌びやかだ。

 だがその美貌を眺める余裕は、七瀬にはない。


「ディオグ、あなたは一体何を?」

「何って、僕は君を殺すんだよ」


 祭壇の上でにらむ七瀬に、ディオグはさらさらと流れる髪をかき上げて言った。

 納得できるわけがない七瀬は、さらに問いただす。


「どうして私があなたに殺されるわけ? 稀客である私は、二週間たったら帰してもらえるのが決まりでしょ」


 あまりに唐突な殺害予告に、七瀬は話が違うと思った。自分が殺されるという実感はなく、恐怖よりも怒りを感じる。

 ディオグは逆らうことに迷いのない七瀬を、新鮮そうに見つめた。そして七瀬が要求した通りに、殺す理由を説明してみせる。


「稀客は帰さなくてはならないっていうのは、稀客を安心させるための嘘だよ。本当は、もてなした後の稀客は二度目の瑞風が起きる夜にこの神殿で王が殺してしまうのが決まりなんだ。そうやって殺した稀客の肉を食べれば、寿命が何倍にも伸びるらしいからね」

「はぁ? それはどういう……?」


 ディオグの話は、意味上はきちんとまとまっているはずだった。だがその内容は七瀬の想定を超えていたので、なかなか頭に入ってこない。


(えっとつまり、二週間で帰れるっていうのは嘘で、本当は私はこの世界にとって殺されるべき存在だったってこと?)


 七瀬はディオグが自分を騙していたらしいことだけは理解した。

 ディオグはどこからかナイフを出して七瀬に突きつけ、さらにわかりやすい言葉で言い換える。


「要するに、君を殺してその肉を食べれば僕は不老不死に近づくことができるってことだよ。ここはそのための神殿で、君は死んだら僕に食べられる」


 首筋に近づけられたディオグのナイフは、大ぶりで鋭い刃を持っていた。七瀬は信じられない気持ちでそれを眺めた。


(私を殺して食べるって、冗談でしょ?)


 ディオグは七瀬をただ殺すのではなく、不老不死の薬として食すために殺そうとしていた。そのグロテスクな目的を、七瀬はすぐには現実だと信じることができない。

 だがキエンに連れられて行った町で売られていた人の死体を思い出し、その理由が嘘ではないことを確信する。


 七瀬はそのときやっと、自分が今どのような危機にいるのかを把握した。だが知ったところで、抵抗の手段は見当たらなかった。

 とりあえず拒否しなければならないと思い、七瀬は叫んだ。


「私は、あなたのための生贄になる気はないからね!」


 するとディオグは冷酷に、七瀬への好意の程度を語った。


「君の意思は関係ないよ。君が僕のことを好きでも嫌いでも、僕は君を殺す。僕は君のこと、嫌いじゃなかったけどね。でも稀客の少女に恋をしてその肉を食べずに帰した王みたいに、殺せないほど好きってわけでもないから」


 ディオグの声はひどく甘いのに、語る言葉はもはや薄情を通りこしていた。そのあまりの心なさに、七瀬は逆に感心してしまいそうになる。


(そうか。あの悲恋は帰してあげた話じゃなくて、殺さなかった話になるのか。不老不死の薬である稀客の肉を食べなかったから、その王は長くは生きなかった)


 七瀬は、かつてディオグがこの場所で話した悲恋を思い出した。昔話とは違い、ディオグと七瀬の間に惹かれあうものは何もなかった。


「でも結局、稀客の肉を食べれば寿命が延びるっていうのも言い伝えでしょ」


 七瀬は無駄だと思いつつも、ディオグが七瀬を殺そうとしている根拠は所詮迷信だと主張した。

 しかしやはり、ディオグの態度が変わることはない。


「そうだね。君を殺して食べても、意味なんてないのかも。でも、試す価値はあると思うよ」


 ディオグは一際優しく微笑んで、七瀬の首にナイフを当てた。

 ひんやりとした刃の感触が、七瀬の首に迫る。とうとう、ディオグは七瀬の殺害を実行に移そうとしていた。


 七瀬が直面しているのは、速やかで確実な死だった。

 もしもディオグが七瀬のことを気に入っていたのなら、ゆっくりと時間をかけて殺されていたのかもしれない。だがディオグは七瀬に客人への興味以上の感情を持っていなかったので、殺し方にもこだわりが見られなかった。


(私、食べられるの? あの死体みたいに?)


 その一瞬、町でマグロのように切り分けられていた人の死体が七瀬の脳裏に浮かぶ。


「ちょ、いい加減にして!」


 反射的に、七瀬はディオグの手を振り払った。

 体は薬で自由を奪われていたはずであったが、思いっきり力を入れたらなぜか動いた。もしかしたらこことは違う風土で育った七瀬にとっては、薬の効果の現れ方が違うのかもしれない。


「え、何で動いてんの?」


 七瀬が抵抗できたことは完全に計算外だったらしく、ディオグはめずらしく本当に驚いた顔をしてよろめいていた。


 体を起こして周りを見ると、ディオグの持っていたナイフはいつの間にか床に落ちていた。

 七瀬は素早く石の祭壇を降りてそのナイフを拾い、考えるよりも先にそれをディオグの服の長い裾に突き刺した。

 床は地面のままだったので、ナイフは深々とディオグの服を縫い止める形で刺さった。しっかりとした生地の服なので、手ごたえはかなりある。


 そして素早く身を引き、七瀬は駆け出した。


「ナナセ! 待っ、……っ?」


 背後で叫ぶディオグの声が近づくことはなかった。

 ディオグは服に刺さったナイフに引っ掛かり、すぐには追って来られないようだ。


 遺跡の出口は、壁を赤く照らす松明の光の中でぽっかりと暗く空いていた。

 七瀬はその穴をめがけて走り抜け、外の森に出た。

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