第四章

 情報爆発から一夜が明けた。

 俺はこれからの行動計画を考えた。俺がすべきことは大きく分けて三つある。

 機関を立ち上げること。

 未来人がTPDDを得るきっかけを与えること。

 そして、ハルヒを救うこと。

 さらに俺には絶対に避けなければならないことがあった。

 ひとつは当然ながら、自らが既定事項を崩す行動を取らないことだ。

 俺の誤った行動によって、未来が俺の知る元の未来と変わってしまえば、全てが水の泡だ。

 そして、もうひとつはさらに重要だった。

 情報統合思念体に、俺の存在を知られることは絶対にあってはならない。

 老人の話を信じるとすれば、書き換えられたこの歴史では、情報統合思念体は俺の存在を知らない。ハルヒの周辺に関する記憶を全て抹消すると言っていたからな。

 だが、昨夜の情報爆発により、情報統合思念体はあらためてハルヒの存在を知覚したはずだ。

 気をつけなくてはならないのは、俺がTFEI端末に不用意に接触することだ。たとえそれが長門であってもだ。

 もし俺がTFEI端末の周囲に近けば、奴らは俺の記憶を読み取るのにいささかの労力も必要としないだろう。

 そして俺が情報統合思念体を消滅させる意図を持っていることを奴らに知られれば、俺はかなりまずい状況に立たされる。情報統合思念体から攻撃を受けることは容易に想像出来る。

 過去の長門の行動から推測すれば、おそらく記憶を読むためには、対象のおよそ半径十メートル以内に近づく必要があるだろう。

 長門は最終的には俺と行動を共にし、ハルヒを救うために情報統合思念体の抹消を提案してくれた。だがそれはあくまでも卒業式以降の歴史だ。それ以前の長門が今の俺の意志を知って、それでもなお俺を助けてくれるという保証はどこにもない。

 長門を敵に回すなんてことは俺には絶対に考えられなかった。

 TFEIだけではない。未来人や超能力者、その他一般人を含めた誰にだろうと、今の俺に過去の俺の面影を見出されることは好ましくない。

 そういうわけで、俺は髭を伸ばし、目が弱いという理由でサングラスをかけ続けることにした。

 怪しげな組織の創設者には怪しげなスタイルが似合うのさ、おそらく。


 次に俺は、世界と歴史、とりわけハルヒの周辺が情報統合思念体によってどのように改変されているのかを確認することにした。

 ハルヒがどこの高校に入学しようとも、俺は最終的に北高に行くように歴史を修正するわけだが、それでも今ハルヒがどこにいるのかを知る必要はある。

 ハルヒの周囲には観察のためのTFEI端末がいるはずだ。俺がハルヒの居場所を知らないがために、迂闊にハルヒの周囲に近づくということは、すなわちTFEI端末に発見される危険性が高まるということだ。

 俺は、この時代から三年後の北高の入学式、つまり俺たちが北高に入学した日の登校時間に移動した。

 おそらくハルヒは北高には入学しないだろう。情報統合思念体が全ての歴史を書き換えたのだとすれば、ハルヒがジョン・スミスに出会う歴史は生まれていないはずだ。

 だが俺は一応の対策として、北高の近くを見張るのは避け、登下校ルートが見渡せる建物の屋上を探し出し、そこから双眼鏡で観察することにした。

 学生たちをつぶさに観察出来るほど双眼鏡の倍率は高くなかったが、それでもその中にSOS団メンバーが混じっていればすぐに解るだろう。

 三年間ずっとつきあってきた仲間だ。例えそれが双眼鏡越しの後姿だとしても、俺は一目で判別する自信がある。

 予想どおり北高にハルヒの姿はなく、長門の姿も見当たらず、大汗をかきながら暗澹たる気分で坂道を登る高校一年の俺の姿しか発見出来なかった。

 入学式の日は新一年生のみの登校であり、朝比奈さんの姿は当然確認出来なかった。だが翌日もおそらく朝比奈さんは来ず、しばらく経って古泉が転校してくることもないだろう。まだ未来人組織も古泉たちの機関も出来ていないんだからな。

 では朝比奈さんと古泉は解るとして、ハルヒと長門はどこだ?

 俺は時間移動で再び登校時間に戻り、ハルヒの家から比較的近い、市内の高校をひとつずつ同じ方法で調査することにした。

 さっき北高の通学路を張っていた俺と同じ時間平面に来ている。つまりこの時間平面には今の俺と北高を張っている俺の二人がいるわけだ。無駄にややこしい。

 俺はまず、文化祭の映画撮影で使ったロケ地である朝比奈さんが突き落とされた池に程近い、学区内では一番の進学校に向かった。

 長門が世界を改変したときとは違い、光陽園女子が俺の知る中高一貫のお嬢様女子高のままならば、ハルヒにとってその進学校が最も適切な選択のはずだ。

 双眼鏡の視界を校門付近に固定し、しばらく観察を続けた。

 見つけた。

 これから始まる学校生活への不安や期待を一様にその表情に浮かべる新高校生の中で、ただ一人だけ、俺が初めて会ったときと同じ100%混じり気なしの不機嫌イライラオーラを放出し続けている、見慣れた黒髪の女の姿を。

 そして、同じ高校に朝倉と喜緑さんの姿も発見した。

 だが長門の姿は見えなかった。長門はハルヒの監視役。ハルヒがそこに通うのであれば、長門も当然ながら同じ学校に通うのが筋というのものだ。なぜ長門はいないんだろう。


 俺には他にも気になっていることがあった。

 今の歴史では、俺とハルヒの将来はどうなっているんだ?

 俺は、俺が元いた時代、つまり俺とハルヒが結婚していた頃に移動した。

 予想どおりだった。俺とハルヒは結婚していない。当たり前だ。北高での出会いがなければ、俺とハルヒの人生には永遠に交差する点は訪れないだろうからな。

 そしてこの歴史では俺は大学には行かず、専門学校を卒業したものの、就職難でフリーター真っ只中にいた。なんてことだ。俺はあらためてハルヒの補習授業のありがたみを実感した。

 では一体ハルヒはどこにいる?

 俺はハルヒの実家を遠くから見張ってみた。だがいつまでたってもそこにハルヒの姿は見出せなかった。

 次に一年間時間をさかのぼってみた。そこには大学に通う、さっき進学高で見たのと同じ、混じり気のない不機嫌な表情そのままのハルヒがいた。

 そこからさらに半年間時間を進める。大学卒業前のハルヒを発見した。なるほど、ならば大学を卒業してすぐに引越しでもしたのか?

 そうしてハルヒがいなくなった時期を少しずつ絞り込んでいき、ようやく真実にたどり着いた俺は、あまりのことに茫然自失した。

 ハルヒの実家にかかる鯨幕くじらまく。訪れる弔いの人影。外側からわずかに見える祭壇。ハルヒの写真。

 ハルヒは大学を卒業してしばらく後に、やはり原因不明の難病で命を落としていたのだった。

 俺は直感した。何らかの理由で情報統合思念体が自律進化の可能性を捨て、不確定要素であるハルヒをき者にしたのだろうと。

 過去のハルヒは高校一年の五月と高校三年の二月、二度世界を作り変えようとし、そしてそれは俺の存在により未遂みすいに終わった。

 だがこの歴史では、ハルヒを止められる者はおそらく誰もいない。

 情報統合思念体は、自律進化の可能性と世界改変による自らの消滅の可能性を天秤にかけた末に現状維持を望み、世界改変を未然に防ぐためにハルヒを死に至らしめたのだ。

 奴らは情報爆発以降のハルヒへの手出しは危険と言っていたが、この歴史ではこういう判断を下したのだろう。

 これはあくまでも想像でしかない。だがやつらの動機としては十分に考えられることであり、他にハルヒが原因不明の病気になる理由は考えられない。

 暴走した長門が世界を変えてしまった時の喪失感、そのときとは比較にならないほどの感覚を俺が襲っていた。

 情報統合思念体によって、俺は一番大切な思い出を奪われ、一番大切な人を二度も殺されたのだ。

 こんな未来など俺は絶対に認めない。認められるはずがない。


 俺とハルヒが北高で出会う歴史を作るためには、あの七夕でのジョン・スミスとの出会いが必要だ。

 それだけではない。俺がハルヒと結婚する未来を確実にするためには、おそらく俺の知る過去の事象を全て「既定事項」として作り出さねばならないはずだ。

 俺は今日の時間移動であることに気づいていた。俺が機関を作らずとも、世界は終わっていなかった。

 つまり、その場合は他の誰かが元の歴史とは別の超能力者組織を作るのだろう。だがそれで古泉が北高に入学する保証はどこにもない。

 やはり機関は鶴屋さんの言葉どおり俺が作るべきなのだ。

 俺はこれから先、歴史を改変する度に、その結果を検証しなければならない。

 歴史というブラックボックスに対して改変というインプットを与えた際に、アウトプットとなる未来がどう変化するのかを理解する必要がある。

 結果を正しくフィードバックしてこそ、正しい未来を作ることが出来るのだ。

 そして検証作業を今日のように俺一人の手でおこなうのは、今後は不可能となるだろう。

 ハルヒが北高に入学すれば、その後は北高内部の情報収集が不可欠だ。だが俺自身はTFEI端末に近づけないという理由でそれを出来ない。

 つまり、俺には情報収集を肩代わりしてくれる存在が必要だ。

 ならば最初にやるべきことは決まった。

 俺は機関を立ち上げることを最優先課題にすることにした。



 その日の夜、機関創設に関する当主との最初の打ち合わせが開かれた。

 まず俺は、鶴屋さんに正体がバレたこと、一応の口止めをしておいたことを正直に明かした。当主は笑いながら、

「あれは異常に勘のよい娘でして、私も昔からよく困らされております。ただ物事の本質や何が大切かということもよく解っているようです。口の堅さは保証しますので、どうかお気になさらずに」

 と言って許してくれた。日々、物理的に頭が下がりっぱなしである。

 俺は機関創設計画の草案と、それに伴い必要になるであろうことについて話した。

 何よりもまず超能力者を探し出してそれを集める必要があること。

 閉鎖空間の発生とともに、超能力者がすぐに対応出来る体制をつくること。

 超能力者とは別にハルヒの監視役が必要なこと。

 未来人や情報統合思念体などの別勢力に関する情報収集をおこなう人員が必要なこと。

 その他、雑務をこなすための人員が必要なこと。

 それらを実現するために、信頼のおけるスポンサーを集める必要があること。

 当主はひと通り聞き終えると、俺の意見に全面的に同意してくれた。

「閉鎖空間が発生した際には、よろしければご招待します。是非一度ご覧いただき、その目でお確かめください」

「それは実に興味深いですな。楽しみにしております。ああ、それと、」

 当主はまたしてもありがたい提案をしてくれた。

「私も出来る限りの協力は惜しみませんが、とはいえ立場上常に時間を取れるわけでもありません。私の代わりにあなたをサポートする、言わば秘書のような者を紹介したいのですが。いかがでしょう?」

「ありがとうございます。何から何まで、本当に痛み入ります」

 果たして一体俺は既に何度当主に頭を下げているだろう。


 打ち合わせを終了し、俺は離れに戻って具体的な計画を考えた。

 さて、その超能力者たちを一体どうやって探し出そうか。

 俺は、俺が初めて閉鎖空間に連れて行かれたときのタクシーの中で、古泉が言ったことを思い出していた。

 超能力者たちはハルヒによって能力に目覚め、それがハルヒから与えられたことを知っている。

 超能力者たちは自分と同じ能力を持つものが自分と同時に現れたことを知っている。

 超能力者たちは閉鎖空間の出現を探知でき、その中で自らが何をすべきなのかを知っている。

 超能力者たちは神人を放置しておくと世界が終わってしまうことを知っている。

 そしてそれらのことはおそらく昨日、ハルヒの情報爆発によって全ての超能力者にもたらされたはずだ。

 超能力者たちはハルヒの存在を知っている。ハルヒの周辺を見張っていれば、彼らうち誰かが何らかの目的でハルヒに接触を試みるかもしれない。

 だが具体的にどこまでハルヒのことが解るのだろうか。彼らはハルヒの所在まで特定出来るのだろうか。

 俺の知る機関の連中はハルヒを神扱いしていた。仮にハルヒの居場所が解るとして、神に近づくなどという大胆な超能力者はいるだろうか。

 いや、彼らは昨日今日能力を与えられたばかりで混乱しているかもしれない。神に対して大それた行動に出ないとも限らない。

 ならばハルヒのガードが必要になるかもしれない。いや、どちらかと言えば超能力者のガードになるだろう。

 超能力者の誰かがハルヒに危害を及ぼすのを放置すれば、TFEI端末に消される可能性も充分に考えられる。


 他に超能力者と接触する方法として考えられるのは、閉鎖空間が発生したときに彼らを探し出すことだ。

 彼らは閉鎖空間の出現だけでなく、場所までを正確に把握出来る。そして彼らは強制的に与えられた自らの使命を果たすべく、おそらくそこに集まるだろう。

 そして俺もおそらくその発生を探知出来ると考えられる。いつかの野球場で古泉や長門とともに朝比奈さんが見せた態度、あれは閉鎖空間の発生を感じ取ってのことのはずだ。

 だが閉鎖空間はいつ発生するんだ?

 未来に飛んで閉鎖空間の発生時間を調べてみるにしても、飛んだその時に閉鎖空間が発生していない限り、俺にはそれを探知する術はない。

 どうやらこちらの線は閉鎖空間の発生を待ったほうがよさそうだ。

 とにかくどちらの方法でもいい。誰でもいい。一人でも超能力者と接触出来れば、そこから芋づる式に超能力者は見つかるはずだ。



 翌日、俺は閉鎖空間の発生までハルヒを監視することにした。ただ待つだけというのはどうも性に合わない。

 ハルヒは既に小学校を卒業していたため、俺はハルヒの実家を張ることにした。仮に超能力者の誰かがハルヒに近づくとすれば、ハルヒの外出時を狙うだろう。

 ハルヒの家の周辺を見渡せて、かつハルヒを監視する俺以外の存在から見つからないであろう監視場所を探すのには苦労した。

 ただでさえ高所から双眼鏡を使って監視するのだ。TFEI端末でなくとも、一般人に見つかれば警察に通報されるかもしれない。時間移動で難を逃れられるとはいえ、無用なトラブルは避けるべきだ。

 俺は一時間ほどかけてようやく監視に適した場所を見つけ、ハルヒの外出を待った。一分置きの時間移動を繰り返し、十秒間監視をおこなう。外出するなら朝の七時から夕方五時くらいまでだろう。その十時間を約二時間弱で監視する計算になる。

 初日にはハルヒは結局一度も外出をせず、俺はその翌日から三日後まで順々に飛び、同様に監視を続けた。ハルヒは一度だけ外出し、俺はしばらくそれを尾行したが、結果はかんばしくなく超能力者らしい人影は現れなかった。

 俺は元の時間平面、つまり情報爆発の翌々日の夕方頃に戻った。朝頃に戻っても構わないのだが、あまり実際の活動時間とズレるのは体内時計によくなさそうだ。



「紹介します」

 翌日、当主にサポート役として引き合わされた女性を見て、俺はまた腰を抜かしそうになった。

 年齢不詳の美女。あるときは別荘のメイドとして、あるときはカーチェイスの末に敵対勢力を追い詰め、その能力を遺憾なく発揮したあの人が目の前に立っていた。

「はじめまして。森園生そのうと申します」

 俺は実感した。少しずつだが、確実に歴史は俺の知るものと繋がりつつある。

 森さんはこの時点で既に様々な技能を身につけていた。秘書能力、あらゆる事務能力などに加え、諜報能力、六カ国語を使いこなし、武術にも長け、射撃に関してもひととおりの心得こころえがあるとのことだった。ところで射撃って一体何だ?

 森さんは、スーツの左側を開いてみせた。内側にホルダーが備え付けらており、その中にはすぐさま使用するのに何の不都合もないであろう状態で拳銃が収まっていた。

 朝比奈さん(みちる)を誘拐した連中とのカーチェイスの際、俺が森さんに底知れない何かを感じたのは間違いではなかった。やれやれ、一体森さんはどういう経歴の持ち主なんだ? どこかの諜報ちょうほう機関の女スパイか何かなのだろうか。

 そして、森さんのような人材をたちどころに調達することの出来る当主が一番底知れない人物であるのは言うまでもない。

 既に森さんは当主から大方の説明を受けていた。俺が未来人であることを除いて。

「機関のエージェント確保やスポンサー探しについては、当主が当たってくれています。俺たちは、当面は超能力者を探し出すことに重点を置きます」

 森さんにハルヒの監視を引き継ぐことにした。ハルヒの身の回りに超能力者らしき不審な人物が接触を図る素振りがあれば、ただちに制止して尋問して欲しいと。

 俺は遠くからハルヒを監視することは出来ても、ハルヒに近づくことは出来ない。

 おそらく、ハルヒの周辺を監視しているTFEI端末がいるだろうからな。

 俺が以前、朝比奈さんに連れられて長門のマンションに行ったとき、つまり俺が中学一年の頃の七夕のときには、長門は既に北高の制服を着ていて、俺が高校一年のときに見たそのままの姿だった。

 そして長門は三年間あのマンションで孤独に待機していたのだ。おそらく長門・朝倉・喜緑の三人は高校専用のTFEI端末で、今この時代の彼女たちは待機モードであり、今のハルヒや中学生のハルヒを監視するための別のTFEI端末が存在するのだと思われる。

 既にこの三日分の監視は終わっているため、理由は言わずに、四日後から監視に入って欲しいと告げた。

 俺は、多丸氏の存在を思い出し、別荘の線で多丸氏とコンタクトが取れないか調べることにした。

 高一の夏休み序盤に招待された、あの島の所有者の変遷へんせんと身辺を一週間かけて調査した。

 だが、結局そこに多丸氏らしき人物は見出せなかった。



 どこかの山中に俺は立っていた。暗い。

 得体の知れない寒気のようなものを感じる。

 森に囲まれた平地に、おぼろげに噴水が見える。

 わずかな光に照らされた全てのものは、その色を失っていた。

 背後から聞いたことのある少女の泣き声。振り返る。

 広場の一角に、ひときわ明るい光に包まれた人形が立っていた。

 人形はどこか寂しげな様子で、あたりを見回している。

 やがて人形だったそれは、光を失いながら霧のように拡散していった。



 また夢を見た。夢の中の泣き声は、前に見た夢と同じ持ち主によるものだった。

 この夢は誰が見せているものなのか?

 ハルヒ、お前なのか?


 それからしばらくして、夢の意味が解った。

 遂に閉鎖空間が発生した。ハルヒの中学校入学式の夜。ハルヒよ、お前は中学に入っていきなりイライラを爆発させちまったのか?

 予想通り俺は閉鎖空間の発生を探知することが出来た。時空振動に似た感覚が俺を襲った。

 だが俺にはその場所が特定出来なかった。振動を感じ続けてはいるものの、震源地の方角すら解らなかった。

 俺はやはり夢にかけてみることにした。なぜなら、あの夢の中で感じていた寒気と同じものを、俺が今実際に感じているからだ。

 当主を閉鎖空間に案内するのは次回以降でよいだろう。現時点では俺にだって閉鎖空間を探し当てられるという確証が得られない。

 森さんに連絡を飛ばす。

「閉鎖空間が発生しているようです。車を手配してすぐに来れますか?」

「承知しました。五分で到着します」

 そう言った森さんは、本当に五分きっかりに鶴屋邸前に到着した。

「どちらへ向かいますか」

 夢の中のおぼろげな風景。だが、俺はその風景に確かに見覚えがあった。

 森さんの運転する車で向かった先は、SOS団の映画のロケ地、あの森林公園だ。

 十分ほどで到着した俺たちは、駐車場に車を停め、さらに徒歩で三十分かけて噴水のある広場まで登った。

 朝比奈さんと長門の対決シーンを撮った広場。そして朝比奈さんがレーザーを発射し長門に押し倒されたあの場所。

 おそらくここで間違っていない。広場内の他の場所よりも、この場所で特に例の寒気を顕著けんちょに感じるからだ。

「ここに閉鎖空間が発生しているのですか?」

 森さんが不安げに俺を見る。彼女の不安はおそらく閉鎖空間という得体の知れないものに対してではなく、本当にこの場所で大丈夫なのかという、俺に対する不安であろう。

「確証はないですが、こことは別の次元のこの場所で神人が暴れています。そして超能力者たちは今まさに神人との初めての戦闘をおこなっているはずです。神人を倒せば閉鎖空間は消え、超能力者たちが現れます」

 これで俺の見当違いだったらかなり申し訳ないな、と思いつつも俺たちには待つ以外に方法はなかった。

 あまり口数の多くない森さんとの気詰まりを感じながら、二時間ばかり待っただろうか。

 不意に寒気が消えた。と同時に俺たちがいる場所を取り囲むように三人の男性が突如として現れた。

 そこに古泉の姿はなかった。それぞれ二十代後半、ハイティーン、ミドルティーンと言ったところだろうか。

 彼ら三人には神人との戦いを通じて既に共通認識が芽生えているようだった。

 そして、そこに異端の者として俺たちが突っ立っている格好だ。

 OL風スーツに身を包んだ女性と、やはりスーツ姿にサングラスと髭面ひげづらの男が、こんな夜中にこんな山中に立っているのだ。これはもう、誰がどう見たって怪しい。

 俺は、ひとまず敵意のないことを示すため、彼らに微笑んで見せた。森さんはと言えば、実に見事なエージェント的笑顔を向けていた。それは鏡を見て練習でもしたんでしょうか?

 しかしながら、超能力者三人はあからさまに俺たちを警戒している。まあ当然の反応だろう。

「俺の話を聞いてくれませんか」

「お前は何者だ」

 年長と思われる超能力者が俺に歩み寄った。

 俺は彼らの気持ちを考えてみた。きっと今の状況を不安に思っているに違いない。

 ハルヒによって何の前触れもなく突然能力を与えられ、その使い方を理解し、否応いやおうなく薄気味悪い夜の山中に出向かされ、さらに薄気味悪い空間で神人と戦わなければならない彼らの心境を考えれば、にこやかに話に応じることなど出来るはずもない。心の底から気の毒に思う。

「俺はあなたたちの味方です」

「お前は俺たちのことを知っているのか」

「あなたたちがどこの誰なのかを知っているわけではありません。ですがあなたたちが何故ここにいるのかは解ります」

 三人は顔を見合わせた。

「どうやってお前を信じればいい」

「あなたたちに能力を与えた涼宮ハルヒを知る者、と言えば信じていただけますか?」

 その名前を聞いて、彼らは納得したようだった。

「解った。話を聞かせてもらえるか」

 俺は超能力者を集めた組織を作る予定であること、そのメンバーに加わってもらいたいということ、閉鎖空間の発生とともに超能力者が出動出来る体勢を整える予定であること、超能力が消滅するまでは責任を持って生活を保障すること、などを伝えた。

 森さんは名刺を渡すとともに彼らの連絡先を確認し、詳しいことは明日にでもこちらから連絡する、と伝えた。



 俺たちは、北口駅前近くのビルの二フロアを借り、そこに機関の本部を構えた。

 超能力者やエージェントが増えるにつれ、ここもいずれ手狭てぜまとなるかもしれない。

 超能力者は他の超能力者の存在を知ることが出来る。最初の三人を無事仲間に加えることが出来た俺たちは、それを頼りに他の超能力者を次々と探し出した。

 だが古泉はなかなか見つからなかった。

「まだ残りの能力者の所在は掴めませんか?」

「残念ながら、進展なしですね」

 俺と話しているのは、森林公園で会った三人のうちの年長者で、今は超能力者たちのリーダー的存在の人物だ。

「見つけ出せない理由はおそらくですが、本人が能力に気づいていないか、あるいは自らの能力を受け入れていないか、のどちらかでしょう。ですが能力に気づいていないというケースは今まで発見された能力者では該当者はいません。私たちと同様に能力を身につけた者は、自分に何が起こったか、何をすべきかをその瞬間に理解しいるはずです」

「残された超能力者は後何人くらいいそうですか?」

「私たちには残りの能力者の場所は解らなくとも、存在はなんとなく解るんです。感じると言いますか。これは既に集まっている能力者共通の意見ですが、この世界で同じ能力を持つものはおそらく十人程度と考えられます。現在のところ機関に所属している能力者は八名。つまり、おそらくあと一、二名の能力者が残っているということになります」

 あの卒業式の三日前に発生した大規模閉鎖空間では、機関と敵対勢力の超能力者を併せて二十人以上はいたはずだ。つまり、こちらの超能力者からは敵の超能力者の存在は感じ取れないということになる。ハルヒによってあらかじめ敵、味方となる勢力を決められていたということだろうか。

「最初の閉鎖空間に向かったのはご存知のとおり私たち三名だけでした。私たちは早くから与えられた能力と役割を受け入れていたので、お互いがどこにいるかがすぐに解ったんです。それ以外の者はまだ覚悟が出来ていなかったんでしょうね。能力を受け入れていない者、つまり心を開いていない者の場所はこちらからでは解りません」

 発見されていない能力者、つまり古泉はまだその能力を自ら認めていないということか。

「彼らの気持ちは解りますよ。私だって突然自分に未知の能力が身について、混乱しなかったと言えば嘘になります。ですが私は何事も楽観的に考えるタイプでして。逆に深刻に物事をとらえるタイプの人間にとっては、これはかなり辛いことだと思います。最初の閉鎖空間が発生しているときは、彼らは大変な葛藤をしたと思いますよ。想像してみてください。自分が異能の存在になってしまったことを認めたくない、閉鎖空間や神人はもちろん怖い、でもそれを放置すれば世界が終わってしまうかもしれない。これは相当な恐怖ですよ」

 古泉は今もそういう日々を送っているはずだ。

「おそらく残された能力者の取る道は三つです。他の能力者と同じく覚悟を決めて能力を受け入れるか、このまま恐怖に押し潰されて自ら命を絶つか、あるいは閉鎖空間や神人発生の原因である涼宮ハルヒの殺害をはかるか、です」

 古泉は言っていた。「機関からのお迎えが来なければ、僕は自殺してたかもしれませんよ」と。

 迎えに行けるものならすぐにでも行ってやりたい。だがお前からシグナルを発してくれなければ、こちらからは打つ手がない。

 森さんによるハルヒの監視は継続していたが、やはり古泉が姿を現すことはなかった。もし古泉がハルヒの殺害を意図すれば、こちらが保護する前にTFEI端末に消される恐れだってある。既定事項では古泉は無事に機関に入るはずだが、今の歴史の流れでそうなる保証はどこにもない。



 その数日後、もどかしい気持ちで過ごした日々はようやく終わった。四度目の閉鎖空間が発生したその直後、リーダー格の彼から連絡があったのだ。

「今さっき、未発見の能力者一名の微弱な波動を感じました」

「了解です。森さんを能力者の確保に向かわせます。位置把握のために能力者を誰か一名使いますが、そちらは大丈夫ですか?」

「閉鎖空間の方はなんとかやってみます。規模はそれほど大きくないようですので、いけると思います」

「解りました。よろしくお願いします」

 俺は直ちに森さんと能力者を手配し、波動の発信源へと向かわせた。


「氏名、古泉一樹こいずみいつき。性別、男性。年齢、十二歳。××市立××中学の一年。発見時に極度の衰弱と精神錯乱を確認」

 なんとか神人の迎撃を完了した後、俺は本部の一室で森さんからの報告を受けていた。

「随分暴れまして、保護するのに手間取りました。『俺は行きたくない』とずっと繰り返しておりまして。現在下のフロアの宿泊施設に収容しています」

「今は様子はどうですか」

「依然、精神錯乱が見られます。落ち着くまではしばらく機関で保護したほうがよいかと思われます」

 どうやら、古泉のおかれていた状況は思いのほか深刻だったようだ。

「今会って話せますか」

「今日は見合わせて明日以降がよいですね」

 森さんの報告によると、古泉は能力発現からずっと学校を休んでおり、つまり中学には一度も登校せず、家から出ることすら出来ない状態だったらしい。

 古泉は今まで発見された超能力者の中でも最年少だった。混乱が激しいのも無理はない。


 翌日俺は本部におもむき、森さんとともに古泉と面会した。

 ドアを開けたそこにはベッドの上で膝を抱え、うずくまる少年の姿があった。

「あんたたちは一体何なんだ」

 俺たちに気づくと少年は顔を上げ、懐疑的な色の目を向けた。顔つきこそまだ幼いが、それは確かに古泉だった。俺の知る古泉とは異なり、随分と口調が荒いが。

「俺たちは君の味方だ。森さんから説明があったと思うが、君に俺たちの組織に入ってもらうために来てもらった」

「何だよ、涼宮ハルヒってのは。何で僕がそいつのせいでこんなに苦しまなくちゃならないんだ」

 すまん、古泉よ。それは将来の俺の嫁だ。俺からも詫びを入れたい気分だ。

「こんな言葉で片付けるのはあまり好きじゃないが、これが運命だと思って受け入れてくれ。涼宮ハルヒのことだけじゃなく、俺とお前がこうして出会うことも含めてな」

「わけ解んないよ! 僕は嫌だ。あんなところには行きたくない」

 まるで説得の糸口いとぐちが見つからない。

「悪いようにはしない。しばらくここで俺たちの活動内容を見てから考えてくれればいい。他の能力者と話し合うのもいい」

「うるさい!」

 しばらく説得を続けたが、俺の言葉は全く受け入れられなかった。

 部屋を出ると、能力者のリーダーが待っていた。

「彼の様子はどうです?」

「かなり精神的に追い詰められているみたいです」

「無理もないですね。どうかご理解ください。私たちは涼宮ハルヒという鎖に縛られています。涼宮ハルヒは私たちに無理やりに能力を与え、神人という恐怖により絶対的服従を誓わせた、そういう存在です。そして私たちは涼宮ハルヒの精神状態によって右往左往させられる、実に惨めな存在なのですから」

 ハルヒも無意識的にとは言え、随分罪作りなことをしたもんだ。宇宙人や未来人を集めるのは構わない。奴らは最初から宇宙人や未来人だ。だが超能力者は違う。元はと言えば普通の人間だ。それを勝手に超能力者に作り変え、おまけに自分のイライラを解消させるために使うんだからな。

「様子を見るしかないでしょうね。私たちも彼を落ち着かせられるようにしてみますので。彼は同じ能力者仲間ですからね」


 数日後、森さんからの経過報告を受けた。

「あまりかんばしくないですね」

「今はどういう状態ですか」

「精神状態は比較的安定傾向にあります。ですがまだ神人と戦える状態ではありません」

「つまり、どういうことです?」

「他の能力者の意見では、単純な問題でもないようです。神人への過度の恐怖心が原因でまだ完全に能力が発現していない状態とのことです。逆に、能力が発現していないからこそ恐怖心が余計につのるのかもしれない、とも。最悪の場合、ずっと能力が発現しないままの可能性もあると言ってました」

 そうなると、俺の知る歴史には至らないんだが。これはどうしたものか。

 古泉の部屋におもむく。

「よお、調子はどうだ。オセロでもやらないか」

 古泉は軽く俺を睨んだが、ずっと部屋にいて退屈だったのか、誘いに応じた。

「ルールは解るか?」

 無言でうなずく。

「どうだ、だいぶ落ち着いたか?」

 無言でうなずく。

「他の能力者とは話してみたか?」

 無言で首を振る。

 まるで長門を相手にしてるみたいだ。

 精神状態が安定したと言っても、こんな状態だといかんともしがたい。

 ちなみに二ゲームやったが、この古泉も俺のよく知る古泉同様、ゲームは激しく弱かった。


 あることに気がついた。森さんも古泉もそうだが、俺はそれをてっきり偽名だと思っていた。怪しげな機関に所属するものが本名など使うはずがないと。

 そんな疑問をそれとなく森さんに聞いて見た。

「これから起こることを考えれば、涼宮ハルヒの周辺にはプロ中のプロが集まります。相手がその気になれば身元など簡単に割れます。私たちが同じくそう出来るように。ならば本名を使った方が、余計な手間が省けます」

 なるほど。エージェントの世界というのも色々と奥が深いものなんだな。

 つまり俺は表立って機関に関わるのを極力避けた方がよいということだろう。



 それからしばらくして、五度目の閉鎖空間が発生した。

 俺は一計を案じ、古泉のいる部屋へと向かった。

「何ですか? 僕をどうしようっていうんですか?」

 古泉はやっと普通に話せる状態には回復していた。

「今からちょっと付き合え」

 古泉は明らかに怯えた顔で、

「僕をあのわけの解らない場所に連れて行くつもりですか?」

 俺だってそのわけの解らない場所に何も知らないまま連れて行かれたんだぞ。しかも連れて行ったのは誰あろうお前だ。

「なに、心配しなくていい。俺が閉鎖空間を見物したいだけさ。それに今日はお客様もいる。お前の力を借りたい」

「嫌です。僕はそんなところに行きたくない」

「神人退治をしろと言ってるわけじゃない。そこまではさせないさ。それともまだ逃げ続ける気か?」

「僕が何から逃げていると言うんですか」

 俺の言葉にうまく乗ってきた。年下の扱いは昔から得意なんだ俺は。性格をよく知る古泉相手ならなおさらだ。

「解ったよ。とにかくついて来い」

 能力者への指令を森さんに任せ、俺は機関の車に古泉を乗せた。

「どこに向かうんですか? あの場所とは方向が違いますよ」

「さっき言っただろう。今日はお客様がお見えになる。粗相そそうのないようにな」

 到着したのは鶴屋邸。お客とは以前から閉鎖空間に招待すると約束していた当主のことだ。

「やっと閉鎖空間とやらを拝めますな。楽しみにしてます」

「こいつが今日俺たちを閉鎖空間に案内してくれます」

 俺は古泉を紹介した。

「ほほう、それはそれは。ご苦労ですがよろしく頼みますよ」

 柔和にゅうわな笑みを浮かべる当主に、古泉も安堵の表情を見せた。これで少しは緊張がほぐれてくれればいいが。

 しばらく車を走らせた先は、しくも俺が最初に古泉に連れて来られた場所と同じだった。

「壁の位置がどこだか解るか?」

「そこの交差点の横断歩道の丁度真ん中です。でも、能力者以外が入ることが出来るんですか?」

「出来るさ。俺たちだけでは入れないがな。だからお前をつれてきたんだ。侵入の方法は解るな? ならば俺たちを入れるのも簡単だ」

「解りますが……、僕はすぐに外に戻りますよ」

「ああ、構わない。よろしく頼むぞ。」

「では、しばらく目閉じてください」

 俺と当主は古泉の指示に従い、古泉は両手でそれぞれ俺と当主の手を握った。

「行きます」

 以前と同じように、古泉に手を引かれて俺たちは閉鎖空間に侵入した。

 入るなり、瞼の奥に強い光を感じた。

 目を開く。眼前に青い光の塊が広がっていた。距離にしておよそ十五メートルほどだろうか、目の前に神人がいやがった。近すぎる。予想外の展開だ。

「やばいぞ、脱出する。古泉、行けるか?」

 返事がない。古泉は神人をじっと見つめたまま硬直していた。

「聞こえてるか!? 出るぞ!」

 俺の問いには答えず、古泉は神人を仰ぎ見たまま動かない。

 まずいことになった。少しずつ閉鎖空間に慣れさせようと連れて来たのが、これでは逆効果になりかねない。

 だが、しばらくして古泉が発した言葉は見事に俺の予想を裏切ってくれた。

「綺麗だ……」

 俺は長い付き合いを通して、古泉のことを少し変わった奴だとずっと思っていた。その判断は正しかった。こいつはやはりどこかおかしい。

 そして、荒療治あらりょうじは案外成功するかもしれない。

 俺は左手で古泉の肩を叩き、右手で神人を指差してこう言った。これで夕日でも落ちていれば、どこかの青春の一ページのようなポージングだ。

「あれが神人だ。お前には釈迦に説法かもしれんが、あれの出現は涼宮ハルヒの精神状態が悪化していることを表している」

 古泉が聞いているのか聞いていないのかは解らないが、構わず俺は続けた。

「つまりあれとの戦いは、やつのイライラとお前たちのイライラのぶつかり合いということになる。いずれやってみるといい。いいストレス解消になるぞ」

 我ながら、かなりいい加減なことを言っていると思う。

「最初は大変だろうと思うが、慣れれば……そうだな、ニキビ治療みたいなもんだ」

 これはお前が言った言葉だぞ、古泉。

 俺は古泉の手が赤く輝き始めたことに気づいた。能力が発現したらしい。 

「これは……?」

 やがて古泉がかざした右手の上にハンドボール大の赤い光球が生み出されていた。

「それがお前に与えられた能力だ。試しに投げてみろ」

 古泉は光球と神人をしばらく交互に見つめ、思い立ったように、滑らかかつ力強いフォームで光球を神人に向かって投げつけた。そういやこいつは野球をやってたんだっけか。

 それは見事に神人の腕に命中し、驚くべきことに神人の腕は粉々に砕け散った。

 どうやら驚いているのは俺だけではなく、神人の周りを飛ぶ人間大の光球たちも、その動きでもって驚きを表現していた。ルーキーが初打席で敵エースの決め球をバックスクリーンに叩き込んだようなもんだ。

 そう言えばすっかり当主の存在を忘れていた。振り返ると当主は相変わらずの笑顔でこの超常的な展開を楽しんでいるようだった。この剛胆ぶりは鶴屋家の遺伝子のなせる技なのか?

「……あの飛んでいる光は?」

 古泉は神人の周囲に群がる光点に気づいたようだ。

「あれはみんなお前の仲間だ。そしてこれから先お前にはもっと多くのかけがえのない仲間が出来る」

 光球たちをじっと目で追う古泉に、

「そのうちお前もああいう風に戦えるようになるさ」

「どうやったら飛べるんですか?」

「それは俺には解らん。俺は能力者じゃないからな。だが他の能力者だって誰に教わったわけでもない。その気になればお前にだってすぐに出来るようになると思うぜ」

 古泉は静かに目を閉じた。意識を集中させているようだ。

 突然、古泉の体中から爆発するかのようにオーラが発生し、それはすぐさま球体となった。古泉の体がふわりと浮いた。

「やってみろ」

 光球が躊躇ためらうかのように上下に揺れた。しばらく後にそれは静止し、次の瞬間にはレーザー光のような鋭い軌跡で神人めがけて飛び立った。

 既に何度も見ている光景だが、その度に思う。まったくデタラメすぎる。

 古泉の光球はそのまま神人の頭部を貫通し、神人は着弾点を中心に、外側へ向けて順々に光の霧となって崩壊した。

 新たに加わった光球を温かく迎え入れるかのように、他の光球たちがその周囲を飛び回っていた。


 閉鎖空間の消滅後、古泉は横断歩道の上でぐったりと座り込んだ。

 俺は古泉の横に座った。

「お前がこの能力を与えられたのは偶然ではない。それがたとえ涼宮ハルヒによる理不尽な選択だとしても、それは全て意味のあることだ」

 古泉は首から上だけをこちらに向けた。だがその目には輝きが生じていた。

「俺が保証する。この先何年間かはお前にとって辛い日々が続くかもしれない。だがいずれそれを笑って話せるときが必ずやってくる。俺を信じてくれ」

 古泉は二度まばたきし、そしてこう言った。

「解りました。今後ともよろしくお願いします」


 こうして超能力者は集結した。

 古泉は超能力者の数は世界中で十人くらいだと言っていたが、実は全員がこの周辺で生活している人たちだった。

 ハルヒも随分と手近なところで超能力者を調達したもんだな。

 逆説的に言えば、閉鎖空間はハルヒの近辺にしか発生せず、神人を撃退する者もこの周辺にいる必要があったということだ。

 俺は、日本にしかやって来ないどこかの宇宙怪獣と、日本にしか存在しないどこかの地球防衛軍を思い出して、妙に納得した。



 ある日、俺は鶴屋さんに図書館に誘われた。

「貸し出しカードの期限が切れちゃってさっ。これから再発行に行くんだけど、ジョン兄ちゃんつきあってくんないっ?」

 俺は機関創設に関する実務的な作業や、閉鎖空間の対応に追われていたが、たまには息抜きも必要だろう。

 道中、道路に面した側を俺が歩き、鶴屋さんに歩道側を歩くように促した。

「車に轢かれるからっかい?」

「それもあるが、車を横付けして誘拐されないようにするためだ」

「へええ? 色々考えてるんだねお兄ちゃん」

「前にもあったのさ、そういうことが」

 朝比奈さんが誘拐された時のことを思い出していた。あのときは森さんたちのおかげで難を逃れたが、ひとつ間違えば取り返しのつかないことになっていたかもしれない。あんな思いは二度とごめんだ。

 連れてこられたのは、高校生の頃に長門と共に来た図書館だった。

「図書館の雰囲気っていいよねっ。家にも本はいっぱいあるけど、あたしはやっぱりこっちの方が好きさっ」

 鶴屋さんがカードの再発行手続きをしている間、俺は長門と初めて来たときのことを思い出していた。

 もうあれから七年以上経つ。市内不思議探索パトロールの第一回目、午後の部。

 ハルヒ作成によるつまようじを用いた厳正なるくじ引き――それは場合によっては全く厳正に作用していなかったのだが――によって俺と長門はペアを組み、明らかに時間を持て余した俺が長門をこの図書館に連れて来たのだ。集合時間を寝過ごしてしまった俺は、動かざること山よりも強固な読書集中モードの長門をつれて集合場所へと向かうために、長門用の貸し出しカードを作り、本を借りてやったのだ。

 思い出にふける俺に鶴屋さんは意味ありげな笑みで、

「お兄ちゃん、考えごと?」

「ああ、まあな」

「女の人のこと考えてたんじゃないっ?」

 相変わらず勘がいいな。

「以前、俺の友達とここに来たことがあってな。そいつの貸し出しカードを作ってやったことを思い出してた」

「ふーん」

 鶴屋さんには隠し事は通用しない。だが鶴屋さんはいずれ北高に行き、TFEI端末と接触する機会がある。鶴屋さんの記憶が読まれることだって想定しなければならない。

 過去の俺を連想させるような言動はなるべく避けるべきだ。あまり詳しいことは言えない。


 図書館を出た直後に携帯が鳴った。森さんからだった。

「閉鎖空間発生の徴候があります。至急指令所にお越しください」

 俺は鶴屋さんをタクシーに乗せ、ただちに空間移動で機関本部にある指令所に向かった。



「一号から入電。観察対象の精神状態極めて不安定。危険レベル赤に移行。閉鎖空間発生の恐れあり」

 その直後に時空振がきた。九度目になる閉鎖空間の発生。

「閉鎖空間の発生位置の特定急げ」

 森さんがオペレーターに対して的確に指示を飛ばす。

「二号に照会します」

 一号、二号というのは最近使い始めた超能力者のコードネームだ。ますます怪しげな雰囲気になっているな。

「閉鎖空間は××線△△駅前を中心に、現在半径二十一.四キロメートル。今のところ閉鎖空間の拡大は認められず」

 今まで発生した閉鎖空間の中では最大規模だった。

「一号から入電。神人の発生までおよそ二十四分の見込み」

 指令所にはオペレーターが五名、閉鎖空間の発生に備えて常駐しており、有事の際には俺と森さんが駆けつけるという体制になっていた。

「移送要員の手配状況を報告せよ。待機、準待機中の能力者に対して直ちに出撃要請。何人出せるか?」

「二号、閉鎖空間に侵入。一号、閉鎖空間隔壁に到着。三号、六号、八号の三名、閉鎖空間に向けて移動中。九号、移送要員手配中、四号、五号、七号と連絡不通」

 まだ指揮体制が作られてから間もない。指揮系統に乱れがあるのは当然のことだろう。

「一、二、三、六号、閉鎖空間に侵入完了。神人迎撃準備中」

「神人発生までおよそ二分」

「八号、九号閉鎖空間に侵入」

「侵入した者より順次、迎撃準備体制に移行せよ」

「一号から入電。神人出現を確認」

「閉鎖空間拡大速度、秒速一キロメートル突破。なおも加速中」

 俺が古泉に連れられて行った閉鎖空間とは段違いの規模だ。ハルヒの中学時代のイライラは当時よりはるかに深刻だったらしい。

「閉鎖空間拡大速度、毎秒三.一六キロメートルで安定。閉鎖空間半径百四十七.八〇キロメートル。拡大終了まであと三時間三十一分十二秒」

 超能力者たちにしても、この頃はまだ試行錯誤の連続であり、それだけに神人の迎撃にも当然ながら時間がかかっていた。

 つまり、閉鎖空間の拡大が速いか、神人の撃退が速いか、まさに時間との戦いだった。

「九号から入電。一般人が数名閉鎖空間に侵入している模様」

「なんだって?」

 九号というのは、すなわち古泉のことだ。

「九号に回線繋いでくれ」

 すぐさま、指令所に古泉の声が響き渡る。

「九号です。閉鎖空間に侵入した際に、一般人の存在を確認しました。視認では二名。侵入の方法、目的などは不明」

「解った。君は直ちに一般人の捜索と確保にあたってくれ。残りの能力者は神人の迎撃を継続」

「了解しました。以降、報告は外部のエージェントからお願います」

「能力者四、五、七号ともに閉鎖空間内に侵入。ただちに神人迎撃体制に移行。九号、再侵入」


 予想外の闖入者に混乱を来たしたが、三時間後ようやく神人は崩れ落ちた。

 神人により世界が閉鎖空間に飲み込まれることがないのは、俺が知る限りでは既定事項のはずだ。

 だが、それにかまけて手を抜くことは決して許されない状況だった。対処を誤れば世界は間違いなく崩壊する。閉鎖空間の出現は俺にとっても緊張の連続だった。


「閉鎖空間に侵入した一般人は三名。現在機関所有のビルにて拘束中」

 森さんからの報告だ。

「対処はいかがしましょう?」

 俺はまず三人に会わせて欲しいと言った。

「よろしいのですか? 閉鎖空間や機関の存在が一般に知れるのは避けるべきと思いますが」

 森さんが言わんとしていることは、何らかの方法で彼らの口を塞ぐべきだということだろう。だがそれは話をしてからでも遅くはない。

 俺は、不可抗力で怪しげな空間に紛れ込んでしまい、怪しげな集団に拘束されている、これはもう不幸としか言いようのない三人と面会した。

 そして俺はまた歴史の繋がりを再認識させられることになった。

「なんとまぁ……」思わず独り言が出た。

 紛れ込んだ一般人三名というのは、あろうことか新川さんと多丸兄弟だった。

 三人とも、普通に街を歩いていて、突然辺りが暗くなったと思ったときには既に閉鎖空間の中にいたらしい。

 面会を終えた俺は森さんに宣言した。

「この三人を機関のメンバーに加えます」

 森さんは驚きの表情を隠せなかった。

「閉鎖空間に一般人が紛れ込むことは、これから先もほとんどないと言っていいでしょう。万一それが起こったとすれば、それは涼宮ハルヒの意思によるものです。彼らは我々に害を及ぼすものでは決してない、いや必ず我々の助けになってくれます」

 仮説ではあったが、おそらく間違ってはいないだろう。ハルヒが自分の都合で他人を必要以上に不幸に陥れるなんてことあるはずがない。

 何よりこの三人が機関に加わり、重要な戦力になることは既定事項だ。


 機関の立ち上げ開始から二ヶ月が経ち、機関の骨格が完成した。

 俺は、今後は機関に直接的に介入することはせず、オブザーバー的な位置に立つことにした。俺にはまだ他にやらなくてはならないことが残っていたからな。

 機関の上層部には超能力者のリーダー格の男性、スポンサーからの代表者、スポンサーが推薦する研究者などが集まった。

 高校時代の俺の印象どおり、上層部は今ひとつ的外れな言動を繰り返す集団になりそうだったが、それも仕方がない。既定事項だ。彼らには現実世界とのバランサー役として活躍してもらわねばならない。

 俺の立場を知る森さんには、中堅の役どころに入ってもらい、俺に情報を流す役をお願いした。

 次に古泉たち一般の超能力者、最後に各種実働部隊として新川氏、多丸兄弟などのエージェントを配置した。

 あまり表立って機関に関わりを持つことを好まないという鶴屋家側の要望と、創設者である俺に注意が向かないようにしたいという俺の要望が一致し、鶴屋家は間接的スポンサーの位置に収まった。

 そして、娘を危険なことに巻き込みたくないという当主の当然の意見と、将来北高に行くことになる鶴屋さんを深く関わらせるべきでないという俺の意見により、俺は機関に対し「鶴屋さんには手を出すな」と厳命することとなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る