第5話

 下降し続けた床はやがて、霊廟とは別の広大な空間へと不時着し、ようやく停止した。

 辿り着いたここは、先ほどまでいた魔女の霊廟とは真逆の光景に映った。ずっと明るい照明が落とされ、そして外壁部が傾斜したすり鉢状のドーム構造になっている。

 幾分意識が晴れて上体を起こす。耳に届く音は、まだ荒い己が吐息とその残響だけ。

 ――まさか、僕ひとりだけここに閉じ込められたわけじゃないよな。

 思い出したように顔をまさぐる。痛みも違和感もなく、いつも通りの自分のはずだ。


【……あの怪光線すら弾き返すとは、さすがの面の皮の厚さだ我が王よ】


「――――うわっ!」


 飛び上がるほど驚いてしまってから、なんて無駄な消耗をしたんだと床にへたり込んだ。


【うまく生命の危機を脱したな。強運とは常に、我が王に味方してくれているようだ】


「……なんだ。ロボ、いたのか。急に驚かさないでくれ……――ッ!?」


 安堵は刹那に崩れ去る。ロボが羽を休めていたのが、霊廟にあった石盤だったからだ。


「……そんな、なんてことだ……こいつは、銀色の一番大きいやつ……」


 そして石盤の後方に屹立するあの巨大な銀の繭が、アオハに黒い影を落としていた。


 アオハたちは逃走した。先の消耗など忘れたかの全速力で。

 あの繭はとにかく危険だと本能が訴えた。アオハを攻撃したのも、外敵に羽化を邪魔させないために違いない。

 とにかく死に物狂いで壁際まで辿り着いた。先行していたロボが肩に帰着する。


「はぁ……はぁッ……これだけ離れれば大丈夫か? ……あいつ、何か動いたか?」


【あの謎の物体であれば、最初からあのままの位置であるが?】


 こちらにはあの怪光線に抵抗する術がない。可能な限り繭から距離をとり、退路を探すしか生き延びる道はないのだ。

 広大なこのドームは、床と壁とが緩やかな曲面で繋がる構造をしていた。見上げると、壁面には規則的な配置で、人がひとり通り抜けられそうな穴が開けられている。


「あれは通風口だろうか。さすがにあの高さだ、ここから上るのは無理か?」


【いや、より現実的な選択肢がある。向こうの壁に見える大穴は出口ではないか?】


 ドーム反対側の壁面に、坑口のような穴が見えた。

 開放された坑口は三か所。移動する床の軌道らしき溝が地面を走っており、それぞれが対応する坑口へと延びていた。


「レールとトンネル、か。果たしてここは繭を外部に運び出すための搬出口か、あるいはここから魔神の軍勢そのものが出兵していたのか……」


 そんな推測に、アオハ自身がゾッとさせられる。


「とにかく、あそこから出られるかもしれない。壁際を伝って反対側に回ろう」


【ならば私がこの翼でひとっ飛びして、先に周辺を偵察してきても構わぬぞ?】


「――繭がおとなしく上を通過させてくれなかったら? 焼き鳥になりたいのか?」


【ホロロォーーーッ!! や、ヤキトリこわい! 記憶域損傷! 記憶域損傷! 今すぐ最適化を実行してください!!】


 思考が限界点を超えると、たまにこんな暴走をしてしまうロボだった。

 が、これは脅しではない。対処しようにもあの繭をどうにもできない以上、脱出するしか道はないのだ。

 だが、そんな彼らの脱出劇を妨げるかのように、唐突に聞こえてきた場違いな悲鳴。


「なっ――――誰の声だ……?」


 こんな間の抜けた金切り声は、異産審問に同行した仲間たちのものとは到底思えない。

 仰天したアオハは、音の出所と思しき、壁面に穿たれた通風口へと走る。


「――――きゃぁ――――――――――――――――――あぁぁッ!?」


 するとそんな悲鳴とともに、通風口から人が滑り落ちてきたではないか。

 その人物は通風口の縁に死に物狂いでしがみ付き、落下だけは辛うじて免れた。


「わっ――うわーーッ! だ、誰かたすけ――――おち、落ち――――」


 必死の宙ぶらりんで藻掻いているのは、いつぞやに出会ったあの襤褸切れのローブ姿。


「――だめもう無理・ムリ・わたくしもう限界なのですッ」


「おいっ、下だ! いま下にいるぞ! こちらが合図したら手をはな――」


 抱き留めようと両手を広げる前に、合図無視で突撃してきた尻がアオハを踏みつけた。


「……………………あ…………いたたぁ」


 舞い上がった砂埃が晴れていく。

 アオハの胸に着地した珍客の正体は、昨日出会ったレリクスハンター――マルだ。

 いかに小柄とはいえ、人間にのし掛かられた衝撃で意識が飛びかけた。両者もつれ合い、見事にまくれ上がったマルのローブから、黒いタイツに覆われた華奢な脚が露出している。


「い……てて…………なんて再会の仕方なんだ……マル」


 のし掛かる尻を手で押し退け、ようやく新鮮な空気にありつく。身体に触れられて恥ずかしい気持ちになったマルも、ロボの視線に気付き、慌ててフードを整え直す。


「えへへ……ごきげんよう、異産審問官のお兄さん。巡る星々が導きたもうたこの奇跡に心よりの感謝を。おかげさまで命拾いしました。あとロボもごきげんよう」


「挨拶は抜きだ。どうしてこんなところに君がいる。昨日あれほど町に戻れと伝えたのに」


 糾弾したかったわけではない。ただこの状況だ、語気に自然と力が入ってしまう。


「えっ、それは……昨日お兄さんと別れたあと、おれ……落とし穴に落ちちゃって……」


 聞けば、マルはあれから町に戻る途中で迷宮のトラップにはまり、隠し部屋に閉じ込められていたらしい。それが魔女の霊廟の床移動と連動したのか、ようやく開いた退路からこうしてここまで滑り落ちてきたのだと。

 そこで空腹に腹が鳴り、マルが頬を赤く染める。何だかもじもじと気まずそうだが、アオハは構わず強引にその肩を抱き寄せた。


「わっ、今度はなあに??」


「悪いがゆっくり説明している余裕がない。今すぐにここから出よう」


 戸惑うマルの手を引き走り出す。もはや任務の秘匿性を気にしている状況ではない。このままでは一般人のマルまで異産の暴走に巻き込まれかねないからだ。


「聞いてくれマル。今回の異産は先史文明期の怪物だ。あそこに一つある」


「あれ、なに……卵? でも、おおきい……」


「ここは恐ろしい魔神の巣窟だ。僕が君を保護する。言うとおりに従ってくれ」


 アオハの説明に生唾を飲み込んだマルが、そこで突然足を止めた。


「ねえ、ヘンな声が聞こえる。あっちから」


 彼女が指差す方向――つまりアオハたちがまさに目指している坑口の奥から、形容しがたい不快な音が聞こえてきた。

 人間の喉が奏でたものだと理解した直後に、黒い塊が坑口から投げ込まれた。

 それは、かつて異産審問官だった者の死体。叩きつけられた床に血だまりが広がっていく。


「う……そ……………………いゃ――――――――」


 事態をようやく認識したマルが錯乱し、少女の高い悲鳴を上げた。

 今度は別の坑口から、次々に人が溢れ出てきた。騎士と異産審問官たちだ。取り乱した悲鳴を上げ、何かから逃げ惑うようにこのドームへとなだれ込んできた。

 そうして、死体が投げ込まれた方の坑口から、〝それ〟が這いずり出てきた。

 ――異形。異形の怪物としか形容不可能な、禍々しい姿と巨大な体躯を持つ何ものか。

 逃げおおせたつもりの騎士たちに異形が立ち塞がる。ある者は剣を抜き、またある者は恐怖のあまり腰を抜かし、異形を前に散り散りになった。

 異形が、大蛇に似た長い体躯を床に這いずらせ、尾先で騎士を薙ぎ払った。堅い剣も鎧も一撃でひしゃげ、壁に叩きつけられた騎士は明らかに絶命している。

 異形が大蛇の胴をもたげ立ち上がる。

 その頂に、なんと人の娘がいた。高みから騎士たちを見下ろす胸像、美しい少女の半身を象った何か。

 異形は、半人半蛇の怪物だった。

 実在する蛇が本来なら持ち得ないであろう呪的紋様を描く胴をくねらせ、青銅色の髪を振り乱す。魔法の光で編まれた冠が、少女の頭上で不気味な輝きを放っている。

 怖気立つほどの紅い瞳が、感情もなくあらたな獲物たちを狙っているのがわかった。


「…………魔神だ。他の繭から魔神が羽化してしまったんだ……」


 アオハは虐殺の光景を見せまいと、マルを胸に抱き寄せたまま立ち尽くすしかなかった。

 別の坑口から、他の騎士たちが逃げ込んできた。聖堂騎士ザカンもその中にいた。

 彼らを追って現れた、三体のあらたな魔神。どれもが半人半蛇の体躯を持つ少女たち。

 また目の前で人が殺された。まだ未熟なアオハを支えてくれた仲間たちが、魔神の大きな尾で薙ぎ払われ、締めつけられ、ひねり潰されていく。

 太古の怪物を前にして、人間ごときにできることは何もなかった。腕の中で震えるマルに、漏れ出そうな己の悲鳴を辛うじて堪える。

 ザカンらが陣形を組み、這い寄る魔神を牽制し始めた。絶望的状況下で、騎士の名に恥じぬ勇猛さだ。

 だが彼らの剣も魔神の鱗に弾き返され、鋼を打ったような音ばかり轟かせた。


「逃げ……なきゃ……」


 退路は四体の魔神という狩猟者によって断たれた。善も悪もない純粋な殺意によって、仲間の命が奪われていく。

 こんな光景など、あれが最後であってほしかったのに。


「――しっかりなさいお兄さんッ!」


 両頬を冷たく小さな手で掴まれて、ようやく我に返った。

 吐息が届きそうなマルの泣き顔がそばにあった。


「ああ、そうだ……。僕がしっかりしなきゃ」


 まだかき乱されたままの感情を無理にでもやり込め、アオハは自分の黒い外套を脱ぐ。それにマルを包んで、ドームの壁に刻まれた溝へと強引に押し込めた。


「ちょっと……なにをするつもりなのお兄さん!?」


「マルはそこでじっとしているんだ。そのマントに隠れてろ。大丈夫だ、この狭さならあの怪物どもも奥には絶対に入り込めない」


 そして壁の隙間に押しやったマルの手に、レリクスブレイカーを握らせた。


「こいつも頼む。それには先史文明の魔法が込められているから、魔除けくらいにはなるかもしれない。もし僕が戻らなかったら、代わりにそれを町の教会まで送り届けてくれ」


「だめ、そんなのいや! ……わたく……おれを、置いてかないで……」


 置いていかないで。それは、もう二度と聞きたくない言葉だったはずなのに。

 マルの大きな瞳に浮かぶ、涙の粒。

 でも、今はあの時とは違う。


「ふふ、まだ男の子の振りをするんだな。でも、その意気なら大丈夫だ。とにかく君は様子を見て、騒ぎが収まったのを確認してからここから逃げるんだ」


 グローブを外し涙を拭ってやると、有無を言わさずマルを奥に押し込めた。

 そうして仲間たちを救出すべく、アオハはあの惨劇のさなかへと飛び出した。


 何の策もなしに駆け出したわけではない。


【我が王よ、これを止めるのだ】


 先導したロボが、ドーム中央に残された石盤へと降り立った。

 石盤の前には、あの巨大な繭がひとつだけ取り残されていた。くだんの目玉模様は繭の自己防衛機能だろうと警戒したものの、幸運にも今は機能が働かないようだった。

 坑口側ではまだ戦闘が続いている。ただ当初の一方的な流れは変わり、円陣を組んだザカンら騎士によって、生き残った異産審問官たちも守られていた。

 とはいえ戦況は絶望的。彼らは四体の魔神によって完全に包囲されている。今は辛うじて魔神を牽制できてはいるものの、陣形が崩れれば再び虐殺の再開となりかねない。


「――――このっ、こうなれば一か八か、だ!」


 アオハは藁にもすがる思いで、中央の石盤に取りついた。


「どこだ、何をどうやればいい……魔神の停止方法。見つかれ、制御する手段……」


 起動済みの石盤に浮かび上がった古代文字に指先で触れてやると、再び魔女の霊廟の機能を表すであろう目次が呼び出される。


書架閲覧ビヴリス其に管理者として命ずるアロイエ・アドミラ・クセプト其の役割を終えろアロイエ・リ・エンデ強制アーボルト……違うのか、このっ!」


 魔神の停止命令に当てはまる言葉を探るアオハ。

 その労力も空しく、石盤は一向に応えない。だが自分が魔神たちを止められなければ、その先は死あるのみだ。


「駄目だ、なぜ魔神に命令する機能が見当たらない!? ……何か方法はないのか!」


 それをあざ笑うかのように、閉じていた残りの坑口が口を開けた。

 そしてそこから這い出てきた、さらに三体の魔神。彼女らの標的は、今まで運よく見過ごされてきたアオハだ。

 退路は断たれた。

 そして振り返れば絶望。視界に散らばる、かつて同僚だった者たちの死体。果敢に立ち向かう騎士たちも一人ずつ倒されていく。

 大蛇に締め付けられ、苦しみ悶える異産審問官は、見習いのアオハをこれまで指導してきてくれた先輩格だ。


「遙かな星々よ、罪なき子らを……未来へと……導きたまえ――」


 そう唱えられた先輩格の祈りも、呆気なく捻り潰される。

 巻き付いた大蛇に目線まで持ち上げられ、少女そっくりの顔をした魔神が、苦しみ悶える彼の首筋に食らいついた。

 少女の牙が喉頸に食い込み、悲鳴を上げる彼の血をどくどくと吸い上げていく。


「ぐが……星々の……巡るまま……に……」


 やがて最後の祈りすらかすれて消え、またひとり絶命した。

 口もとを血糊で汚した魔神が頭部の冠に触れる。と、突如としてその手に光の刃が生み出された。

 その光が三叉鉾を象って伸び、円陣を組んでいた一人の鎧を容易く刺し貫いた。

 陣形が脆くも崩れ去った。

 遂に再開された、一方的な虐殺。ひ弱な人間たちが、強大なる魔神の尾に踏み潰され、光の鉾に貫かれ、あるいは吸血によって絶命していく。

 あまりにも残酷なこの光景を、アオハにはただ見ていることしかできなかった。

 こんなおぞましい結末が訪れないことを、ずっと祈り続けてきたというのに。

 自分の頭の中によみがえる、いつかの惨劇の光景。

 炎に包まれた家。自分の目の前で、大切な人の命が散らされていった。

 ――たすけて――ばけものが――兄さん。

 ――アオハ兄さん――。

 泣き叫ぶあの子に、手を差し伸べることができなかった。

 自分も目をえぐられ、あのままもう死んだものだと諦めていた。


「……嫌だ。僕は何のために異産審問官になった。こんな結末……認めるものか……」


 恐慌の坩堝に飲まれそうになる己を律しようと、拳で床を打つ。あの痛みを思い出そうとする左眼を押さえ、しかしアオハは地に膝折るしかない。

 もはや万事休すか。

 主人へと迫り来る敵を威嚇するように旋回飛行し続けていたロボが、この惨劇の中心に在る繭の頂へと降り立つ。

 と、そこでロボが予想外の行動を起こした。魔神の注意を自分に引き付けるためなのか、今までに聞いたこともない、けたたましい叫声をドームに轟かせたのだ。

 それが何の合図だったのか。

 ぱきん――と、鋭い音が鼓膜をつんざいた。

 銀の繭の透明な外殻がひび入り、裂け目から正視しがたいほどの閃光が溢れ出てきて――

 アオハは悟った。この繭までも羽化しようとしているのだ、と。

 この繭の羽化した姿こそが、己の命を刈り取る死神になるのだと。

 閃光に視界を苛まれ、いつかの眩惑感がよみがえる。

 もう自分が起きているのどうかもわからない。絶え間なく吐き出される白の奔流に、意識が塗り替えられていく――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る