ひとりぼっちの牡丹(4)



 紳士クラブへの入会を許可されたエルネストは、それから二度、グローヴズ侯爵主催のクラブへ出向いた。

 週に二回、決められた曜日に集まる紳士たちは、それぞれ趣味を同じくしている者同士で、和気あいあいと議論をしている。


 グローヴズ侯爵別邸では、いくつもの部屋が会員たちに解放されていた。

 一番広い部屋はバラの間というラウンジ。撞球室ビリヤードルームには蝶の間、図書室には樫の木の間。それぞれ動植物の名前が書かれたプレートが掲げられている。


 トランプやビリヤードで息抜きをする者もいるが、エルネストが予想をしていたよりも、真面目で質の高い紳士クラブだった。


 部屋の一室に、西国のものとは違う絵画を見つけたエルネストは、そこで足を止めた。東国のものだと予想はつくが、具体的にどこの国の絵なのかは、彼にはわからない。


 縦に長い、薄い紙。淡い絵の具で、動植物のようなものが書かれている。

 一枚目は麦のような植物と太陽、二枚目は脚の長い鳥、三枚目は茶色いもぐらのような動物、四枚目はバラに似ている花。

 ユウリに出会ってから、東国の品物を見る機会の増えたエルネストだが、芸術はさっぱりだった。


「ようこそセルデン伯爵。どうかな? ここの青年たちは、皆とても優秀だからね。あなたともきっと話が合うだろう」


 声をかけてきたのは、主催のグローヴズ侯爵だった。

 小太りな好々爺といった印象の紳士だが、もし違法賭博がこの屋敷で行われているのだとしたら、その主催者でもあるはず。


「ええ、さっそく古典文学について、ずいぶんと深い話ができました。お誘いくださって感謝いたします」


 エルネストは多趣味だが、一つのことだけを、ひたすらに極めようとしたことはない。だから、ボロが出ないように、目立たないように振る舞うのには、結構苦労していた。

 彼らが熱心に語る内容に、興味をそそられるが、知識を競うのは好きではない。心の中は、早くこの一件を片づけたいという気持ちが強かった。


 そして、さっそく鍵を握る人物に接触ができた。このタイミングで、彼がエルネストに話しかけてきたことが偶然かどうか、見極める必要がある。

 ロードリックから「違法でも楽しそうならまぁいいか……と犯罪に手を染めそうな男」と評された本領を発揮して、侯爵側から誘いがあれば、一番楽な展開だ。


 いきなり賭けごとの話をしても疑わしい。だからエルネストは、侯爵の視線の先にあるもの――――東国の絵画についてたずねることにした。


「これは、東国の絵画ですよね?」


「ええ。……そういえば、女性の噂とは無縁だったはずの貴卿が、最近黒髪の令嬢を連れていたと、話題になっておりましたな」


 エルネストは特定の女性をパートナーにして、夜会に参加したことがない。そんな彼が突然女性を、しかも異国人のように見えるユウリをそばに置いた。他人の噂が大好物の社交界で、その話はあっと言う間に広がっていた。


 そうなるとわかっていて連れていったのだから、彼が驚くことでもなかった。


「私の想い人ですよ。いつかどこかの夜会でご紹介できればいいのですが……」


 疑惑が真実ならば、そんな日はこないだろうと考えながら、エルネストは笑ってみせた。


「貴卿は東国の書物や絵画にも興味があるのでしょうな?」


「私自身はこれから学びたいとは思っていますが、今のところは素人です」


「貴卿が連れていたという異国の令嬢は?」


 一瞬、侯爵の視線が泳いだのをエルネストは見逃さない。

 女性が入れない紳士クラブの主催者が、ユウリにまで興味を示す意味が、エルネストにはわからない。論理的に説明できない事象の裏側に、やましいことが隠されている気がした。


「私の想い人ですか? 彼女はハイラント生まれですから、東国の文化にそこまで詳しくはないそうです。世界各国の芸術に造詣が深い侯爵と、対等に語らうことなど、とてもできないでしょう」


 あくまで残念そうに、エルネストは答えた。ユウリが東国の芸術品についてどの程度の知識があるのか、エルネストはよく知らない。ただ、ワトー商会で取り扱いのあるものについて、まったくの無知ということもないようだ。

 違法賭博の主催者かもしれない侯爵に興味を持たれても、得をすることはない。だから、エルネストは疑われない範囲で、ユウリが無知であると印象づけることにした。


「それもそうだ。自国の芸術や文学とて、興味のない者は見向きもしないのですからな」


 侯爵がもう一度、東国の絵画に視線を移す。


「東国の絵画は、もてなす気分や季節によって、こうしてすぐに掛け替えるんです」


 彼は絵画の上についている紐を持ち、ひょいと取り外す。そして筒状になっている芯の部分に、薄い紙を巻き付けた。


「我が国の芸術品とは、根底から違う」


「そう。……西国の芸術しか理解せんものは、薄っぺらいなどと言って、見向きもしないが、貴卿はどうやら違うようですね」


 エルネストの反応に、侯爵は満足そうに何度も頷き、去って行く。

 彼の芸術を愛する心は本物なのかもしれないと、エルネストは感じた。


 違法賭博が実際に行われているとして、その関係者である可能性が高い侯爵に近づけたのは、一定の成果だった。

 エルネストはその後もしばらくほかの会員たちと親睦を深めたあと、紳士クラブをあとにした。


 帰り際、コンクエストの姿がちらりと確認できたが、あくまでも無関係を装った。



 §



 エルネストは、就寝前に少しだけ葡萄酒を飲みながら、今後について思案を巡らせる。


「うーん、どうしようか……。あの絵画」


 侯爵の表情の変化を、彼はずっと観察していた。侯爵がわざわざ話しかけてきたのは、東国と関係のあるエルネストを警戒したのではないか。そして絵画に関する知識がないと知って、安堵したのではないか。そんなふうにも見えた。


「こういうことに、ユウリ殿を巻き込むのはちょっとなぁ……」


 そう考えつつも、彼はこの面倒な密命をさっさと終わらせて、ユウリの店に通う日常を取り戻したかった。


「問題は、紳士クラブということなんだけど。まぁ、とりえず相談に行くか」


 彼は東国の絵画について、ユウリの知識を借りることにした。


 一週間前、しばらく会えないが、なにかあれば絶対に相談するようにと言って別れたのに、エルネストのほうが知識を借りに行くことになってしまった。若干、格好悪いが仕方がない。


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