閑話~髪飾りを君に~



 エルネストは、都の商業の中心、その一等地にあるワトー商会の本店にやって来た。

 ユウリには話していないが、彼がここを訪れるのは、彼女と一緒にここへ来たときを除いて、三度目だ。

 一度目は、東国の本を手に入れたいという相談。二度目は、ユウリについて、彼女の父親と話をするため。三度目の今日は、先日派手に動きすぎて、呼び出しをくらったということになる。


 色鮮やかな壺が飾られた商談用の部屋で、彼は二度目にユウリの父、ジョー・ワトーと会ったときのことを思い出していた。



 §



「ワトー殿は、ご令嬢の体質についてどの程度知っておられるのですか?」


 エルネストはあえて遠回しな表現をした。ジョー・ワトーがどこまで吸血鬼の末裔のことを知っているのか、見定めるためだ。


「体質……? まさか、閣下は……」


 たった一言で、ジョーは顔色を悪くする。


「ええ、本人から直接聞きましたよ」


「娘が言ったのですか? 本当に……?」


 それでも、直接なにを聞いたのか言葉にしない。それはジョーも同じで、どちらが先に“吸血鬼”や“血”という言葉を口にするのか、我慢比べになっていた。


「言った、というより、実際にされた・・・と表現するほうが適切かな? はははっ! 驚きましたよ、さすがに」


「血を、吸ったというのですか!? 本を借りるだけだとっ、そうおっしゃていませんでしたか? それがどうして、そのようなっ! 娘が、本当に……?」


 ジョーは取り乱し、身分としては格上のエルネストに、怒りをぶつけてくる。彼にとってはそれくらい、衝撃的なことなのだろう。


「失礼いたしました。……閣下は被害者ですな。ユウリのことはお気になさらずに。捨て置いていただいて結構です」


 なにがきっかけで、ユウリの吸血鬼としての本質が目覚めたのか、エルネストには推測するしかない。けれど彼女にとって、あれがはじめての衝動だったこと、そして今後は定期的に血を口にする必要があることは確かだ。

 人付き合いが苦手な彼女が、別のを見つけることなど不可能に近い。それなのに、捨て置けというのは冷酷だ。実の親としてありえない言葉に、エルネストは眉をひそめた。


 彼の予想では、ユウリと確執があるのは母親で、父親とはある程度の関わりを持っているはずだった。

 それでも離れて暮らす男親というのは、こんなものなのかと彼は落胆した。同時に、それなら遠慮なく彼女を手に入れてしまおうとも考えた。


「ワトー殿、私がユウリ殿をほしいと言ったら、驚きますか?」


「ありえません! 娘は普通の人間とは違います」


 ジョーが再び声を荒らげる。離れて座るエルネストにもわかるくらい、額に汗を浮かべて。


「はは、やはり驚きますよね? 私は本気です。ですから、今日は許可をいただきに来たんです」


「その、めかけにするつもりなら……ユウリは向いておりませんが」


「まさか! だとしたら、わざわざあなたに打診しないでしょう? 心配しないでください。国王陛下にもすでに許可をいただいておりますから」


「娘は、伯爵家の跡取りは産めません。もし、あの体質が受け継がれたら……」


「理解者がいればべつに問題はないと思いますけれど? あれって、愛情表現の一種みたいですからね」


 ユウリには強い光が苦手、夜目が利く、成人すると血を吸う……という体質がある。たしかに、それらの特徴を受け継ぐと生活に支障があることくらいはわかる。

 それでも彼には、ユウリと離れるという発想はなかった。


 ジョーの失敗は、代をまたいで吸血鬼の血が受け継がれる可能性を知らなかったことにある。ようするに、ジョーやその妻に、覚悟がなかっただけのこと。

 ワトー家の祖先もユウリの祖母も、人に交じり、誰かを愛し普通に暮らしてきたから今がある。

 先祖代々、愛する人と結ばれてきたというのに、彼女の将来だけが制限される理由など、どこにもないはずだ。


「ですが……」


「奥方を優先し、彼女を一人にしているのに、彼女の幸せを邪魔する権利があるとでも?」


 ジョーはその言葉に押し黙る。


「ユウリ殿を傷つけないことだけは、お約束いたします」


「……伯爵閣下。血筋なのか単なる偶然なのか、わかりかねますが、ワトーの者はとても頑固で、不器用で……一途なのです。私は、娘が異性と関わることを恐れて、限られた者としか関わりをもたないように、束縛していたのかもしれません。今さら私がお願いできることではありませんが、……娘を、よろしくお願いいたします」


 そう言って、ジョーは頭を下げる。

 正直、エルネストは考えをあらためる必要があるかもしれないと思っていた。彼の言葉は、ただ娘に興味がないから遠ざけている者の言葉ではないように思えたのだ。


 吸血鬼の末裔のこと、そしてユウリの家族のこと。エルネストはそのほんの一部を知っただけなのかもしれない。



 §



「伯爵閣下!」


 エルネストが、数ヶ月前にここを訪れたときのことを思い出していると、扉がバンっと開かれ、大きな声で呼びかけられる。

 栗色の髪にブルーグレーの瞳、背が低くて童顔の青年は、挨拶をする前からすでに怒っていた。


 母親似だという彼の見た目は、ハイラント人とまったく変わらない。変わっているのは服装で、彼は日常的にヒノモトのはかまを好んで着ている、ヒノモト蒐集家マニアだ。

 彼がそうなった原因の一つが、妹に対する負い目なのだろう。

 エルネストとしては、彼のそんな純朴なところが好きなのだが、彼のほうからは嫌われている。


「やあ、サイモン殿。久しぶりだね」


「閣下! 閣下は、とある夜会でユウリを周囲に自慢して、恋人のように振る舞っていたそうではありませんか!」


 妹に、親しい男性ができたことでご立腹なのだ。似ていない……はずの兄妹だが、やはり似ている部分もある。ユウリが懐かない猫なら、サイモンは嫉妬に燃える犬だった。

 二人とも、エルネストに対してすぐに腹を立てるという部分は共通している。

 意地の悪いエルネストは、彼がさらに怒ることなどわかりきっているのに、笑ってみせた。


「ふふっ、恋人のように……?」


「知らぬふりなど、しらじらしい!」


「サイモン殿、恋人のようにどころじゃないでしょう? お父上の許可もあることだし、なんらやましいことなど私にはないのだから、ね? 義兄上あにうえ


 サイモンは歯をぎりぎりと合わせながら、それでももう反論はしてこなかった。


 その後、サイモンに遅れてジョー・ワトーがやって来る。

 正式な婚約者にしていないのに、夜会で紹介してまわった件を咎められると思っていたのだが、エルネストの予想は外れる。

 彼からの提案は、ユウリと彼女の母親が接触するのを避けるため、貴族や富裕層が多く集まる場所に同行させるのなら、事前に知らせてほしいということだった。

 実際に、すれ違っていたことまでは知らなくても、同じ夜会にいたことは知っている様子だ。


 ユウリは今後、エルネストのパートナーとして社交界に出ることも増えるはずだ。ハイラントで五本の指に入る貿易商のワトー夫妻と、出くわす可能性もあるだろう。

 いずれは、母娘のあいだで、なんらかの決着はつけなければならない。けれど、エルネストとしても、まだ彼女に時間をあげたいと思っていた。


「伯爵閣下!」


 帰り際、サイモンが慌てた様子で近寄ってくる。


「……あの、本来なら自分で渡すべきだと重々わかっておりますが、これを。髪飾りです」


 サイモンが手渡したのは、彫刻のほどこされた細長い小さな木箱だ。中身が髪飾りだとしたら、それは妹への贈り物ということになる。


「ユウリ殿に? お安いご用だけど、いいのかい?」


「ええ。いつも使いをやって、直接渡していないんです。お恥ずかしい話ですが」


 やはり、エルネストはこの青年のことが好きだ。だから、思わず彼の頭をポンポンと撫でた。


「……僕は、これでも二十四ですが……?」


「ああ、すまない。子供扱いしたわけじゃないんだ。ユウリ殿とサイモン殿はやはり兄妹きょうだいなんだな、と思って」


「つまり、妹にも同じことをやっている、と……」


 サイモンの瞳がスーッと細められる。

 そんな様子すらどこか彼女に似ていて、エルネストはつい、笑ってしまった。

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