はじめての依頼、はじめての報酬(6)



 約束の日の前日。エルネストは再び魔女の店を訪れた。秘密を共有しているせいなのか、それまでのように入った早々、彼女が威嚇してくるようなことはなかった。


「やあ、魔女殿。依頼は順調かな?」


「はい、じつはもうお渡しできる状態です。今、お持ちしますね」


「いや、あとででいいんだ。今日は君が気にしていたお茶が手に入ったから、持ってきたんだ」


 茶はそれ自体に毒はないとしても、事件に深く関わったいわく付きとなってしまったため、宮廷の医師が保管していた。エルネストは許可を得て、ポット一杯分程度の分量を分けてもらい、小瓶に入れて持ってきたのだ。


 ユウリは店の奥から平たい小皿を持ってきて、瓶の中身をそこへ移す。まずは手で小さくあおぎながら茶葉の香りを確認する。


「ちょ……、魔女殿はお茶そのものに毒が入っていると疑っているんじゃないのかい? そんなことをして大丈夫?」


 もちろんエルネストは、茶葉そのものは安全だと思っているから渡したのだ。けれど、彼女のほうは茶そのものを疑っているようだった。


「すでにたくさんの方が飲んでいて、これを用意したシンカ国は友好国だから、毒が混ぜられた可能性もないのでしょう?」


「そうだけど」


 ユウリはピンセットを持ってきて、茶葉の一つ一つを分別していく。シンカ国の茶をよく見ると、茶色の葉の中に薄黄色や赤いものが混ざっている。

 それが終わると、彼女は紙の上にペンを走らせて、いくつかの言葉をかき出した。


「このお茶は花茶という名です。伯爵様の好きな茉莉花茶ジャスミンティーも大きなくくりでは花茶、です」


 聞き慣れない言葉に首をかしげるエルネストに対し、ユウリは丁寧に説明をする。

 シンカ国の茶の中には茉莉花茶ジャスミンティーのように茶葉に花の香りを移したもの、花弁を茶葉に混ぜたもの、乾燥させた花そのものを飲むもの、など多数の茶が存在している。

 そして、大使が贈った茶は、茶葉や乾燥させた花が複数ブレンドされた“花茶”だった。

 ユウリが先日作っていたのも、ワトー商会で扱っている花茶だ。


「確かに、花びらがたくさん入っているね?」


 種類別に分けられた状態で見ると、薄黄色や赤の物体が、乾燥させた花びらであるとわかる。とくに薄黄色の花びらの量が多かった。


「菊の花です」


「ああ、そう言えばこの前見せてもらったのと同じだね。……なにかわかったのかな?」


「もしかしたら、王妃様は毒を飲まれていないのではないか、と考えていました」


 彼女は冗談を言う人間ではない。けれど、倒れた王妃の状況を間近で見たエルネストは、ユウリの言葉を信じられなかった。


「毒ではない?」


「特定の物を食べると体調を崩す人がいるという話を、聞いたことはありませんか?」


 ユウリが差し出したのは、ハイラントの医学書だ。開かれたページには特定の食べ物を口にしたときに発疹があったり、呼吸が乱れる体質の人間がいると書かれている。

 はっきり特定されたわけではないが、死亡例も報告されている。


「お茶の葉そのものは、ハイラントでもシンカ国でも同じなんです。でも、混ぜられているもの……菊の花を口にする習慣はこの国にはありません」


 彼女はもう一冊の本をエルネストに差し出す。彼はその本に見覚えがあった。一度、彼女から借りて、訳すのが難しかったから返した薬学の本だ。

 しおりが挟まれたページに、菊の花の絵があった。


「菊の花の部分だけですが、訳したものがこちらです」


 ユウリがハイラントの言葉に訳したのは、菊に関する記述のあるページだけだった。

 乾燥させた菊の花の効能、色、特徴などがエルネストにわかる言葉で記されている。

 そして最後に「体質によっては発疹やかゆみ、ひどいときには呼吸不全の可能性がある」と記されていた。


「ハイラントでも東方でも、こういった症状を引き起こす食べ物はいくつかあります。食品だけではなく、化粧品でも起こるそうです」


「つまり君は、誰も毒など仕込んでいない、毒草をいくら調べても無駄だと言うのかい?」


「いいえ、そこまではわかりません。けれど毒に限定するよりも、被害を訴えた御方特有の事情……と考えたほうが、今回は説明できることが多いと思っただけです」


 彼女の言っていることは真っ当な意見だった。そもそもエルネストが毒の正体についてハイラント国に流通していないものだと疑ったのは、茶葉からも、王妃が飲んだ茶器からも毒が検出されていないからだ。

 可能性の一つにすぎないのだから、ほかの可能性も排除できないはず。


「この本、借りてもいいかな? 宮廷の医師に意見を聞いてくるから」


「はい、そのつもりで用意したものですから」


「これが本当だったら、侍女殿も王妃様も傷つかないね。誰も悪くない、不幸な事故のようなものだ」


 王妃は信頼している侍女が、毒を混ぜるはずがないと何度も訴えていた。だから、この事件は秘され、侍女も監視付きの休暇、という状態になっている。広く知られていないことが、幸いだった。


「ですが、伯爵様。悪気がなく、事故で口にする可能性があるものが、場合によっては毒になる……というのは、あまりいいことではありません」


「確かにそうだね。……君は、もしかしたら王家にとって秘するべきことを知ってしまったということになるんだね? なるほど……ね」


 東国との貿易が盛んになり、東国の品物がちょっとした流行になっている現状で、同じことがもう起こらないとは言い難い。お茶に含まれる菊の花は量としてはかなり少ない。それだけで発作を起こしたのだから、大量に飲んだら死に至る可能性すらあるのだ。それを防ぐために、最低でも料理人や侍女にはこの事実を知らせる必要がある。

 けれど、どの範囲に、どの程度の事実を知らせるのかは注意が必要だ。

 そして、今の段階で明らかに一人、知っていては都合の悪い人物がいる。


「なにか、企んでいますか?」


 都合の悪い人物――――ユウリは一市民という立場で、王妃の弱点を知ってしまった。本格的に彼女の口封じをするにはどうしたらいいものか、とエルネストは思案していた。


「うん。私は悪い男だから、よからぬことを企んでいる。……私がなにを考えているのか、興味があるのかな?」


「口封じに、私を簀巻すまきにして海に沈めよう。……ですか?」


「まさか! まったくひどいな君は。君は貴族よりもある意味で力を持っている豪商の娘なのだから、そういう意味でもある程度の信頼関係は成り立つと思っている。秘密も握っているしね」


「そうですか」


 王家にとってあまり広まってほしくない秘密を、図らずも知ってしまったかもしれないのだ。聡い彼女は、その危険性をよくわかっているはずだった。もし王や王妃が悪人なら、口封じをされてもおかしくない。それなのに、彼女はどこか他人ごとのように冷静だった。


「まったく、こちらが心配になってくるよ、魔女殿?」


 母に疎まれ、一緒に住んでいた祖父母を亡くした彼女は、今は一人なのだ。どこか自身の命すら、どうでもよくなっているような気がして、エルネストは心配になる。



(まぁいい。君の社会的な信用度を高める方法……、今教えたらつまらないからね?)



 エルネストは笑った。今後、ユウリを守る方法を彼女に教えたら、盛大に拒否されそうだった。彼としても、それは傷つくので、聞かれるまでは黙っておこうと決めたのだ。


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