意地っ張りな魔女殿へ

日車メレ

はじめての依頼、はじめての報酬(1)



 誰かの不幸を食い物にする魔女がいる。


 不幸を食べるというその魔女は、薄暗い館で一人きり。


 そんな魔女のもとを訪れる者は、今はまだいない。





 華やかな通りから細い路地に入って、しばらく進む。雪の降る季節が終わり、気の早い都の淑女たちは淡い色のドレスを着て買い物を楽しんでいる。

 そんな着飾った人々で賑わっていた場所から、まだそう遠くまでは歩いていない。それなのに、別の世界に入り込んでしまったような静寂が辺りを支配する。


 背の高い金髪の青年、エルネストは手書きの地図を見ながら、その場所に向かっていた。建物を一軒ずつ確認するようにゆっくりと進むと、それらしき場所にたどり着く。

 外壁に蔦がからみつく、古い二階建ての家。木製の扉の横には、小さな立て看板が置かれていた。


「東方より来たりし魔女の店、か。胡散臭いというべきか、味わい深いというべきか」


 店の扉にはまってる色ガラスは曇っていて、中の様子がわからない。いくつかある窓にも内側からレースのカーテンが掛けられている。一応、看板が立てられているということは営業時間、というサインだ。

 エルネストは簡素なドアノッカーをトントンと鳴らしてから、中の様子をうかがう。

 そしてしばらく待っても反応がないので、思い切ってノブに手をかけた。


「看板が出ているんだから、いいかな?」


 彼は年甲斐もなくわくわくしていた。ここに住んでいると言われているのは、異国の魔女。しかも「不幸を食べる魔女」という異名まである人物だ。

 彼が重たい木の扉を開けると、ギーという開閉の音のあとに、少し遅れて涼やかな鈴の音が鳴る。


 室内は昼間だというのに薄暗い。瞳から入る情報よりまず先に、花のような独特な香りが彼のもとへ届けられる。

 目が慣れてくると、店の中には、瓶に詰められた植物の根、酒に漬けられたカエル、よくわからない粉末、異国の言葉で書かれた書物……と、まさしく魔女の店にふさわしい品々が並べられているのが見えてくる。

 右から商品棚、カウンター、奥の部屋へと続く扉。エルネストの視線は、小さな窓のすぐそばに置かれた長いすの前でぴたりと止まる。


 そこには、漆黒の長い髪を持つ小柄な少女がちょこんと座っていた。見た目は十五、六といったところだ。

 まっすぐなはずの黒髪は片側だけ乱れていて、今起きたばかりだとわかる。服装はハイラント国のものだが、ショールのように肩に掛けているものは、東国の衣装のようだ。


「はじめまして、レディ。……それとも、おはようございます、かな?」


 急に現れた青年に戸惑い、目を見開いたまま固まっている異国の少女は、まるで黒猫のようだった。警戒して、怯えて、でもそれを目の前にいるエルネストに悟られないように、顔に出さないように。

 そんな様子の少女にエルネストがほほえみかけると、彼女は急にムッとなる。


「お客様でしたか? 失礼いたしました」


 おそらく昼寝をして、来客に気がつかなかったことが恥ずかしいのだろう。彼女は立ち上がり、カウンターの内側に立つ。平静を装っているが、髪の毛が一房ぴょこんと立っているのがなんともほほえましい。

 髪と同じ吸い込まれそうな漆黒の双眸、それを縁取るまつげも黒。この国の人間とはあきらかに違う。美人というより、あと数年で美しい女性に育つ……そんな言葉がよく似合う異国の少女だった。


「ご用件をうかがいます」


「ああ、私はエルネスト・トラヴィス・セルデン。一応、宮廷に出仕している者なんだけれど。出仕――――わかるかな? 国のために働いているという意味なんだけど」


 店番中に昼寝をしていた少女に、エルネストはできるだけわかりやすい言葉を選びながら、自身のことを説明する。


「貴族の方……ですか?」


「そうだね、伯爵の称号をいただいている。君の名前も聞いていいかな?」


「失礼いたしました。私はユウリ、ユウリ・ワトーと申します、伯爵様」


 エルネストはワトーという名を知っていた。この場所を紹介してくれた人物と同じ姓だったから。ワトー商会といえば、東国の品々を扱う貿易商で、王家御用達の大商人だ。

 そしてエルネストにこの店を紹介した商会の会長が、東国の血を引いていることは比較的知られた話だ。

 目の前の異国の少女が同じ姓を名乗るのは、納得のいく話だった。


「君はしっかりしているね。ワトー商会の親戚の子かな?」


 彼としては、ほめたつもりだった。けれど、小さなレディは子供扱いされたことが不満だったらしい。頬を赤くしてくちびるを尖らせ、押し黙る。


「それで私がここへ来たのは、東国の薬学に詳しい方に、相談したいことがあるからなんだ。東国の魔女殿はどちらかな?」


「私です」


 不機嫌そうな少女がきっぱりと言い切る。


「……え?」


「魔女というのは私のことです。以前は祖母がそう名乗っていましたが、亡くなってしまったので、今は私が」


「君が? 不幸を食べる魔女?」


「その名前は嫌いです。……それに、私はこうみえても十九です。子供ではありません」


 エルネストはカウンターを挟んで立っているユウリをまじまじと見つめた。十九、といえばこの国では立派な成人女性という扱いだ。

 彼女は疑いの眼差しを察したのか、ぷいっと顔を背けて完全に拗ねてしまった。


「……それは失礼した。では、これを。ワトー商会の会長殿からの紹介状なんだけど」


 エルネストは、商会の会長から預かった手紙をカウンターの上に置く。 中には、エルネストが本当に宮廷勤めの貴族であることや、彼への協力を依頼する内容が書かれているはずだった。

 ユウリは時間をかけて手紙を呼んだあと、押されている印を確認し、納得した様子でエルネストのほうを見た。


「東国……シンカ国の薬草について、知りたいのですか?」


 シンカ国というのは、東の大陸随一の大国で、経済力、文化、医療、あらゆる面で、東の中心となっている。


「うん。詳しい話はできないのだけど、薬学に関する本がほしい。ワトー商会を頼ったら、取り寄せることはできるけど、時間がかかると言われてしまったんだ」


 エルネストは王族に関する、ある事件を解決するために、動いている。詳しく話せないのは、機密にしなければならないことが多いせいだ。


「それで、この店ならあると? ワトー商会の会長が紹介状を?」


「そういうことだね」


「では、あちらで少しお待ちいただけますか? 奥にしまい込んでいるものもあるので、少し時間がかかります」


 ユウリが指し示したのは、窓際に置かれた長いすだった。近くにあるテーブルの上には、飲みかけの茶と異国の文字で記された本が置いてある。彼女は本を棚に戻し、茶器を片づけながら奥の部屋へと入っていった。


 しばらくすると、ふんわりとした花の香りを引き連れて、彼女が戻ってくる。お盆の上に、白磁の茶器をのせて懸命に運ぶ姿は、やはり十九には見えない。


「……どうぞ。シンカ国の茉莉花茶ジャスミンティーです」


「花の香りはこれだったんだ。……君はシンカ国の民の血を引いているのかな?」


「違います、極東のヒノモトの国です。ワトー商会は経由地を含めて、東の交易品を数多く扱っています。ヒノモトの薬学や医術はシンカ国から伝来したものですから、シンカの言葉も学ぶ必要があるんです」


 ヒノモトは、西の大陸からは一番遠い場所にあるとされる極東の島国の名だ。


「ヒノモトか……。地図でしか見たことがないな。ところで、東国のお茶はどうやって飲めばいいのかな?」


「左手で底の部分を、右手は包み込むように。熱湯ではありませんから、温度を確認しながら、ゆっくりお飲みください」


 ユウリは手振りを交えて、丁寧に説明してくれる。エルネストはそれに習って、繊細な茶器を包み込むように持ち、口元へ運ぶ。

 強い香り、まろやかな口当たりのあとに少しの苦み。普段飲む紅茶とはまったく違うが、優しい味だった。


「……おいしい。花の香りが強いんだね」


「本当は、質の悪い茶葉を香りでごまかすために、作られていたものだったらしいです。でも、この国に入ってくる輸入品は、身分の高い方々のためのものですから、よい茶葉を使っています」


「王侯貴族のご婦人方のあいだでは、東の品物が流行しているよね? 今まであまり興味がなかったけれど、損をしていたかな?」


「それはよかったです。……では、本を探してきますね」


 ユウリはスカートの裾をつまんで、軽く礼をしたあと、きびすを返す。しっかりしているようで、相変わらず寝癖には気がつかないままの彼女を見て、エルネストはつい口もとをほころばせた。


「そうそう、一度鏡を見たほうがいいよ。髪がちょっとだけ、かわいらしくなっているから」


 余計なことだとわかっていながら、彼は黙っていられなかった。彼女は一瞬びくりとして、お盆を持っていない方の手で髪を触りながら、すっといなくなってしまった。


「また、怒らせちゃったかな……?」


 女性をからかって遊ぶ趣味は、ないはずだった。それなのに、彼はつい、出会ったばかりの異国の魔女をからかいたい衝動に駆られ、実行してしまったのだ。こんなことははじめてで、エルネストは自身の行動にあきれてしまう。


 お茶を飲み終わる頃、ユウリは数冊の本を抱えて戻ってきた。


「取り寄せるのが難しい本もあるので、返してくださいね」


「助かったよ。では、そのときにお礼もさせてもらうから。……またね? 小さな魔女殿」


 小さな、という形容詞がお気に召さなかったようだ。ユウリは最後まで怒っていた。


 こうしてエルネスト・トラヴィス・セルデンは不思議な異国の魔女、ユウリ・ワトーと出会った。

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