10-3

「皮肉なもんだよね。アタシを救ったのは、アンタを助けたのと同じ技術だった。アンタやリンが追ってた敵――白晶菊がもたらしたかもしれない技術なんだよ」

 レンゲはそう言って、ケタケタと嘲った。自嘲気味な笑みは、黒いえくぼを何度も震わせた。

「それは、肉体移植……?」

「ザッツライ。あの晩、アタシの下半身はキレイサッパリ吹き飛んだんだ。上半身もかなりの熱傷を負った。ふつうなら死んでる。でも、何者かがんだ。それが誰かはわからないけど、少なくとも女の声だったらしい。おかげさまでアタシはすぐ搬送されて、そのままの極秘病棟へ移管された。あとはこの通り」

 言って、レンゲは月明かりに照らされる両足を指さした。どこか彼女の背丈に似合わない気のする、その小さな足は、どうやら彼女のカラダを完全に支えるまでの能力は無いらしい。

「そう考えると、いまのアタシとアンタは同じ状況ってワケなんだよ。一度死んで、生き返っているていうね」

「僕が脳移植か肉体移植を受けて、別人に作り直された……そのことですよね」

「そう。……もう時効だから話してもいいよね? 守田セイギ、アンタの本名は雪乃下シノ。弊社のエージェントで、任務に失敗し、死亡したの。

 だけど、リンがそれを許さなかった。リンは、ちょうど調査中だった肉体移植の被検体としてアンタを推したんだ。そして、守田セイギという新しい人間が生まれた」

「雪乃下シノは、どんな人間だったんですか」

「どうもこうも、リンと一緒だよ。素性の知れない殺し屋。弊社にはごまんといた人間の一人さ。……でも不思議なのは、一匹狼のリンが突然シノの蘇生を進言したことだった。たしかに、実証実験としてはタイムリーだったかもしれない。倫理問題を逸脱した科学技術の流入は、弊社でも問題にしてたし、調査の真っ只中にあった。それを実際に行って、観測するっていうのは、弊社としても好都合だった。でも、不思議なことにリンはシノとまったく関わりがなかった。どうしてリンが数ある死者のうちからアンタを選んだのかは、いまだに謎ね」

「……関わりがなかった、だって?」

 僕がオウム返しにそう問いかけると、レンゲは深くうなずいた。

「待ってくれ。じゃあ、雪乃下シノはリンの思い人じゃないのか……?」

「はぁ? 何の話だ、それ? リンは昔からローン・ウルフだった。それが変わったのは、アンタが守田セイギになってからだよ。まったく、あの女は死してなお秘密に包まれてるよ」

 吐き捨てるように言うレンゲ。

 僕はその姿を見ながら、自分の推理が瓦解していくのを感じていた。この一年間、僕はリンの言付けを守って行動してきた。それは僕が彼女を愛していたからで、そしてきっと彼女も僕を愛していたから……という、憶測からのものだったけれど。それにヒビが入ったように思えたのだ。

「……で、そんなことよりだ。昔話より、今の話をしようじゃないか」

「いまの話?」

「そう。アンタはまだ白晶菊を追ってる。そうだろ? そしてアンタはその情報を聞き出したくて、香港をまわっていた」

「そうだけど。……レンゲ、何か知ってるのか?」

「ああ、もちろん。だからアンタに接触したんだ、ミスタ・90ガウアー

 彼女はしたり顔でそういうと、車椅子から僕を見上げた。


     *


 それから僕は、レンゲの車椅子を押し、彼女が泊まっているというホテルまで向かった。そのホテルは、プロムナード近くのリゾートホテルで、さらに言えば高層階にあるダブルルームだった。室内には気品ある調度品と、キングサイズのベッドが一つ。そのうえバルコニーに出ればはヴィクトリア・ハーバーを一望できた。香港島の夜景をながめるには最高の場所だった。


「どうしてこんなにいい部屋を?」

 僕はテーブルのボトルクーラーから、冷えたビールを取り出した。氷いっぱいのバケツから現れたのは、キンキンに冷えたカールスバーグだ。栓を抜いてやると、僕はそのうち一本をレンゲに渡した

「ありがとう。……まあ、純粋にセキュリティの問題さ。安宿ってのは、つまりそれぐらいの額しか払えないヤツしか泊まれない。でも高い宿って言うのは、それだけの収入があるってこと。そして店には、それだけの額に見合うサービスを提供する義務があるし、上客を繋ぎ止める――守る必要がある。だろう? だったら、場末の安モーテルに身を潜めるより、ここに泊まるほうが安全ってわけさ」

「でも、よくそんなカネが」

「アタシは売れっ子のハッカー兼情報屋なんでね」

 言って、レンゲはビールを一口。それから彼女は腕の力だけで車椅子を降り、カラダをベッドへ移した。「よいしょ」と一言入れてから、肩を強ばらせる姿は、どこか痛々しくもあった。

「それで。まずは話を整理しようか。ミスタ――」

「その呼び方はキライだ。昔みたいに守田とか、セイギとか、新人とかでいい」

「じゃあ、セイギ。アンタはどこまで知ってる?」

「どこまでって、何を?」

「リンの死について」

「それは……」

 僕は少し黙った。

 黙って、カールスバーグの瓶を傾けた。あまり思い出したくなかったからだ。あのときのこと。あの日の、あのあとのこと。決して忘れてはならない、僕にとって大切なことだけれど。それは同時に忘れたい事実でもあるから……。

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