8-5

 リンが旧式のパソコンに向かっている間、僕は電動書庫に相対していた。懐かしさと、空しさと、そして幾ばくかの興奮を覚えながら。

 せわしく動き回る電動書庫。フラッシュライトが瞬き、スキャナーがその間隙を縫って高速で読み解いていく。

 僕はその速読師の横からゆっくりと本を選んだ。きっとスキャナーにしてみれば、ネズミの心臓で象を見るような、そんな気分だったろう。

 けっきょく僕が手に取ったのは、ひどく俗っぽい本だった。といっても、この書庫のなかではの話だが。

 要するにそれは百科事典だ。世界大百科事典の、『ノ』からの項目。僕はそれを開き、ノースポールという項目を探した。

「なにか見つかりましたか?」

 『ノシ――』のページを繰りながら、僕はリンに尋ねた。

 リンはブラウン管の画面に相対したまま、首を横に振った。

「いや。そっちはどう?」

「僕は文学部生ですよ。暗号解読と人探しなんて、図書館じゃしたことない」

「じゃあ、何ならやってたの?」

 カタカタ、とキーボードを叩く音。

「文学作品の研究書だとか。あとは、文法研究のために専門辞典を当たってみたりだとか。コーパスから語彙を抽出してみたりとか……」

「それと一緒じゃないの。言葉を捜すように、人を捜すのよ」

 と、リンは首を動かす。ポキポキと、関節の泡立つ音がした。


 それからは、静寂ばかりが室内を支配した。聞こえてくるのは、リンが関節を鳴らす音と、僕のページを繰る音。そしてマウスのクリック音。

 マウスパッドを手がなぞる。衣擦れのような音がして、それに呼応するように僕がページをめくった。

 そして、一つ僕は記述を見つけたのだ。

 

 何気なく調べていた言葉に、ほかにも意味があると。楪というものが苗字だけでなく、花であり、花言葉があることを知らなかったように。

「……花ですよ」

 僕はつぶやいた。

「花?」

 リンがオウム返しに問う。

 だけどこのときの僕には、実はリンはすべてお見通しだったのではないか、とさえ思えていた。彼女がいつも口にしている「わたしは未来人だから」という冗談さえも真実なように思えていた。

 リンは言った。

 『わたし、菊ってキライなのよ』

 そのイメージは、僕の頭にこびりついて、僕を目標へと誘導したのだ。まるでリンは、はじめから答えがわかっていたというように。

 僕は百科事典のページを開いて、リンに見せた。

「カンシロギク。別名、。白い花だからって、むかしの種店がそう名付けたようです」

 開かれたページに映るのは、白い花弁を持つ小さな花だ。リンはその写真を凝視し、その上の文字列を繰り返し目で追った。

「それが暗号ってわけ? まあ、可能性はなくはないわね……。ちょっと会長に聞いてみるわ。もしかしたら、そういう組織か、異名をもった人物がいるかもしれない」

 言って、リンは上着のポケットからスマートフォンを取り出す。だけど直後には、彼女は噴き出してしまった。クスッ、と自嘲するような笑いだ。

「そうそう。ここって完全に圏外オフラインだったわね。ちょっと出てくるわ。すぐ戻るから、ここにいてね」


 そうしてリンは、スマホ片手に資料室を出ていった。残されたのは僕と、それから動き回るスキャナーだけだ。

 スキャナーに休みはなかった。彼らは蔵書の内容をスミからスミまで読みふけり、記憶し、太いケーブルを伝ってコンピュータへ送り込む。先ほどまでリンが使っていたブラウン管の大きなディスプレイを持ったパソコンへと。

 ヴーッ……と、作動音を響かせるそれは、ロートルらしい音楽を奏でていた。低くくぐもった作動音に、ときおりスクラッチのようにしてカッ、、カカカッ、カカッ……と音が加わる。回路のうちをデータの群がめまぐるしく走査する、そのあらわれだった。

 ――リン、おそいな。

 ドアの方に目をやるが、帰ってくるようすはない。それどころか、ドア越しにリンの声も聞こえなかった。おそらくこの部屋一帯は圏外なのだろう。もう少し地上まであがらなければ、通話はできないのかもしれない。

 そう思ったとき、僕の体は自然とあのパソコンに向いていた。リンが見ていたデータベースの、そのコンソールに。

「……ちょっと見てみるだけだ」

 僕は自分に言い訳するようにつぶやき、そしてキーボードに相対した。

 いったい、このときの僕は何を思っていたのだろう。真っ先に検索窓に入力した言葉は――


『守田 セイギ』


 自分の名前。

 何が出てくるかとか、別に期待していたわけじゃない。ただ自分の名前でグーグル検索をして、自分と同姓同名の人物が出てくるのを見て面白がるような、そんな気分だったのだと思う。

 ……でも、それは間違いだった。

 一覧表示。PDF化された書類が全文検索され、引っかかった文献がリストアップされている。


〈該当項目なし。〉


 ……本当なら、そうであってほしかった。国の極秘機関であるに、そんな記録はあってほしくないと。どこかでそう思っている自分がいた。

 だけどこの極秘のデータベースには、あったのだ。僕の、僕に関するデータが。

 その文献は今年の四月付けのもので、まさしく僕が死んだ、その直後のものだった。表示されたサムネイルと、ポップアップ表示される文書の名前。ファイル名は『20XX/04/XX活動日報』。報告者名は、楪リン。

 おもわず額に汗がにじみ、喉奥を石のようなツバが通り過ぎていった。

 震える手でクリックする。

 そして僕は、見てはいけないものを見たのだ。


     †


 20XX/04/XX 報告者名;楪リン


○雪乃下シノの蘇生について。

 ・作戦行動中の死亡KIAが確認された弊社エージェント・雪乃下シノの蘇生手術を実行。

 ・実行された施術は、身体の欠損部分の補填(当該箇所:肺、小腸、膵臓、左手、右手中指、右手人差し指、左足、右足親指。その他複数箇所)。

 ・なおドナーには、同日自殺した内閣情報調査室(以下CIROと表記)エージェント・秋桐ユキトを選出。

 ・なお、雪乃下は抹殺対象[黒塗りで判読不可]に面が割れていたため、この施術を機に整形手術、並びに疑似記憶植え込みを実施した。

 以下、疑似記憶の簡単なプロフィールを記す。詳細は稟議ナンバー300415を参照のこと。


 姓名:守田セイギ

 年齢:二十一歳

 職業:大学生(英教大学文学部英米文学科所属 二年生)


     †

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