ロストヴァージン

6-1

 僕らは東京駅で降りて、山手線経由で弊社ビルに戻った。仕事があったからではない。僕もリンも、寝床は弊社の地下深くにあったからだ。

 僕に割り当てられた部屋は、初めて目覚めたときのままだった。窓が一つもない部屋で、ダークグレイの壁紙は夜を思わせる。黒いフレームのベッドは、まるで牢屋のようでさえある。

 とはいえ、全部が全部あのときのままというわけでもない。いちおう新しいモノも増えていた。買い戻した本だとか、ノートパソコンだとか、あとは携帯の充電器だとか。そういった小物ばかりだけど。

 でも結局、僕はそれらに触れることはなく、早々にシャワールームへ駆け込んだ。長旅の疲れが溜まっていたのだ。いちおう上司であるリンの手前、列車のなかで寝るわけにもいかなかったし。


 かるく汗を流すだけのつもりだった。でも、結局は浴槽に湯を張り、三十分ほどかけて入浴してしまった。湯船でうたた寝してしまいそうになったほどだ。

 それから浴室を出ると、すぐに脱衣所でバスタオルをカラダに巻き付けた。その最中、思わず立ちくらみで転びそうになった。なんとか持ちこたえたが、どうやらのぼせてしまったようだった。

 髪の毛を軽くふきとる。そして火照ったカラダを冷ますため、タオル一枚のままリビング兼ベッドルームへ。冷蔵庫から冷えたビールでも出そうかと思った。

 ……だが、そのまえに先客がいた。

 僕のベッド。そのフチに腰掛けて、マッチを擦り、タバコに火をつける女性。ユズリハリン。彼女はシャワールームに背を向けていたけれど、僕が出てくるとすぐに顔だけこちらに向けた。ぐっと背伸びをして、カラダをねじるようにして。タバコの先端が赤く燃えていた。

「ごめん。返事がなかったから、勝手に入ってたわ」

 逆さになったリンの目が、僕の上半身を凝視する。むろん上半身にタオルなど巻いていない。いまの僕は、文字通りの半裸である。

「……あの、シャワーを浴びてたとは思わなかったんですか」

 言って、僕はすぐに脱衣所へ引き返した。

 顔だけ覗かせていると、リンは僕を見て笑った。

「なによ。別に減るもんでもないじゃない、あなたのハダカなんて」

「リンには良くても、僕は違うんです。それで、何のようですか? あと、タバコは灰皿にやってくださいよ」

「大丈夫。携帯灰皿ならある」

 と、リンはショットシェルのようなカタチの携帯灰皿を取り出した。ステンレス製の、ティアラのような彫刻エングレーブが刻まれたものだ。

「気にしないで。ただ報告があって来ただけよ。ついさっき、レンゲから連絡があってね。例のケン・ウォンと接点アポが取れた」

「本当ですか?」

 僕の問いにリンは深くうなずいた。

「ええ。実は、ケン・ウォンと関わりのある人物が、三日後にとあるパーティーに出席する予定なの。で、どうやらウォンはそこに現れるってハナシ。わたしはウォンから情報を聞き出す。キミにはそのサポートをしてもらいたいの。作戦の詳細は追って伝えるわ。とりあえずは、三日後ってことだけ」

「わかりました。じゃあ、僕は着替えるんで。出てってもらってもいいですか?」

「なにそれ? ホント連れないね、キミって。わざわざこっちから出向いたっていうのに」

 言って、リンはベッドから腰を上げた。

 タバコの灰を携帯灰皿に落とし、半分ほどになったそれを再びくわえる。

「ねえ。冷蔵庫のビール、一本もらっていい?」

「いいですけど。飲むんですか?」

「明日は非番だしね。キミもでしょ?」

 僕はうなずくこともできず、ただ黙って彼女の目を見ていた。黒い目。長いまつげ。化粧っけのない線の細い顔つきと、日本人離れした青白い肌。血管がうっすらと透けて見える。胸元の開いたブラウスからは鎖骨があらわになり、彼女の細い体つきが見え隠れしていた。

 そうして結局、僕は目を合わせられなくて、視線を床に落とした。

「晩酌、一人じゃツマラナイんだけど。付き合わない?」

「それは教育担当としての、楪主任としての言葉ですか」

「いまは勤務時間外なんだけど? キミは、オンナからの誘いも受けないわけ? それとも、上司との飲みニケーションはイヤ? ねえ、ちょっとは可愛げのある後輩のツラをしてみせてよ」

「……じゃあ、お受けします。着替えるんで、目閉じててください」

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