第13話

「まぁ、こんなモンか」


 幾度かの脱皮を経て元の大きさに戻ったバラムスがその爪を開き、真新しい甲殻の節々から白い煙を吐き散らす。さらに大きく立派になった大顎がぎらりと輝き、長い触覚がぴろんと揺れる。


「俺の脱皮殻、何かに使えねーかなっていつも思うんだよな。なあギルバート、どう思う?しばらく放っておけば土に還っちまうんだけどよ」


「知るかよ」


「そうだ!これ食ったら結構イケるんじゃねーか?自分の殻だし、薄くてパリパリしてるし…………うん、うん。あっ、うめえ!うめえぞギルバート!」


「うるさいぞバラムス。静かにしてろ」


「……なぁ、さっきから何やってんだよギルバート。そいつ勇者だろ?さっさと殺そうぜ」


 脱皮殻を齧りながら覗き込んでくるバラムスを横目に、勇者の少女を抱き上げる。少女は抵抗らしい抵抗もせず、かといって声を上げることもなく、ただじっと俺を見つめたまま俺に身を委ねている。投げ出された四肢はもはや動くことはなく、その体に触れても表情は変わらない。


 恐らくは骨の数本も折れているだろうに、苦痛に顔を歪める様子もない。だが、その眼は確かに俺を見ている。


「なぁってば。ギルバートよォ、ひょっとしてお前そういう趣味か?だからリリアちゃんもこんな……いやまぁ、わからなくもねーぜ?だがよぉ、流石に勇者相手はまずいって。なァ?リリアちゃん」


「バラムスさま!ギルバートさまはそんな人ではありません!」


「わ、悪かったよ」


 二人の声を背に、俺は少女と視線を交える。


 しかし少女はただじっと俺を見つめるばかりで、やはり反応はない。二人の声も、まるで聞こえていないかのようだ。


「……食われたな。これは」


 俺がぽつりとこぼしたその言葉に、リリアとバラムスも俺の両側から少女を覗き込む。


「食われたっつーか、一人か二人くらいは食ってそうな雰囲気だが?」


「違う。心を食われたんだ。こいつにな」


 俺が振り上げた魔剣に、視線が集まる。あれほど暴れていたのが嘘のように、今はただ静かに眠る白い剣。魔族である俺には扱えない、クロノス神の武器である。


「……ん?ちょっと待てよ。その神器、クロノス神の剣だろ?クロノス神の眷属……そう、竜族にしか使えないはずだ。おかしいぜ。そいつ、人間の勇者だろ?」


「そうだ。これは誰にでも扱える代物じゃない。こいつは、クロノス神の加護を持つもの……いずれ竜族の長となるものに与えられる神器だ」


「それが、どうしてこんなトコにあるんだ?うん?いや待て、違うな。なんでそれを人間が持てるんだ?うん?わかんねえぞ?俺にも分かるように説明してくれよ」


「……まさか」


 リリアがハッとして少女に目を向ける。


「そう、そのまさかだ」


 俺はその場に屈み、少女の髪を掻き撫でる。少しクセのある柔らかな髪の中に指を通すと、その頭に硬く尖ったものが遠慮がちに顔を出す。


 それは、淡い光を放つ小さな角。カルラの頭に生えていたそれと似た形の、白い角。柔らかな髪にじっと身を隠していたそれは、人間の頭に生えているはずのないもの。紛れもない竜族の角である。リリアがあっと声を上げた。


「つ、角がある……!ってことは、もしかして」


「あぁ。この子は確かに人間だ。だが、竜族でもある。人間と竜族の混血、ドラゴニュートだよ」


 ため息をつく。頭が痛くなってきた。

 こいつは、とんでもないものを拾ったかもしれないぞ。


「混血だあ?あー、なるほど……いや、ちょっと待てよ。そいつ勇者だよな?」


「そう。『勇者』……つまりハーキュリーズ神の加護を持つ者だ」


「だよな?そんでもって、クロノス神の剣を扱えるってことは、よォ」


「……あぁ、そうだ。『龍姫』……クロノス神の加護を持つ者でもある。この子は、二柱の魔神の寵愛を受けた子供なんだ」


 バラムスとリリアが、言葉を失う。冷や汗が頬を伝う。


「…………ど、どうすんだよ。それ。加護を二つ持つ子供なんて、見たことも聞いたこともねえぞ」


「少なくとも、殺すのはまずい。勇者を殺すのは俺たち魔王の使命だが、それが龍姫となれば話は別だ。こいつを殺せば、竜族を敵に回すことになる」


「じゃあ、どうすれば……」


「……」


 しばしの沈黙。互いに顔を見合わせ、やがて視線は一箇所に集まる。


「でもよおギルバート。なんだか様子がおかしいぜ。こいつ、ぴくりとも動かねえ。死んではいねえけど、これじゃあまるで死んでるのと変わらねえよ」


「……生まれ持った力が大きすぎるんだ」


 神器の力も、完全には引き出せていなかった。勇者としての力も、ほとんど使えていない。


 クロノス神の加護は、強靭な体を生まれ持つ竜族だからこそ扱える力。人間の体に収めるには、あまりに強すぎる。同時に、ハーキュリーズ神の加護は人間の血に強い魔力をもたらすもの。竜族の血が混ざっていては、効果が弱まってしまう。どちらの加護も、最大限の力を発揮できていないのだ。


 幼い体では到底扱いきれない、ただ大きな力。それに、この子は押し潰されてしまったのである。


「生まれながらに勇者であり、龍姫でもあるこの子はきっと、物心付く前から戦場に居たはずだ。そこでただ大きな力をがむしゃらに振り回しているうちに、どこか壊れちまったんだろう」


「……そうして、神器の力に振り回されるだけの人形になっちまったってわけか」


「そ、そんな……」


 ただへたり込んだまま、じっと俺を見つめる瞳。とうに光を失ったその瞳に、感情の色はない。


「恐らくだが、この子は人間の街で生まれて、強い力を持つ勇者として戦っていたんだろう。そのうち、どこか壊れてからは、無意識に竜の国へ向かうようになった。そうしてこの霧の谷に入ったところで、この子を勇者として街に連れ戻そうとした人間と、龍姫として国へ迎え入れようとした竜族がぶつかったんだ」


「そんでドタバタしてたところに、騒ぎを嗅ぎ付けた霧の獣デカブツが乱入して共倒れ、と……メチャクチャだな」


「俺たちが来るのがもう少し早ければ、巻き込まれていたかもな」


 何とも言えない空気が立ち込める。俺は膝を折り、哀れな少女を優しく撫でてやる。


「どうする?ギルバート。ここに置いていくわけにもいかないぜ」


「なんだか、可哀想です。ギルバートさま。竜の国まで、この子を連れて行ってあげませんか?」


「……あぁ、そうだな。そうしよう。バラムス、魔剣を持ってくれ」


「おうよ」


 俺は物言わぬ少女を抱き上げ、その背を撫でながら部屋を後にした。

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