第7話

目を覚ますと俺は、木の枝に吊るされていた。

 ぎしりと音を立てる縄と、気怠さが残る体。地面から俺を見上げていたリリアがハッとして声を上げた。


「ギルバートさまぁっ!」


「リリア……?あぁ、すまん。何か、妙な夢を見ていたようだ」


 俺は縄を引きちぎり、地面に降り立つ。

 その眼に涙を浮かべて駆け寄ってくるリリアを抱きしめてやると、指にさらりと絡む美しい黒髪が柔らかなピンク色の髪と重なる。あれは誰だ。俺は、何をしていた。何を、見ていたんだ。分からないが、リリアは確かにここにいる。大丈夫。もう、大丈夫だ。ぼんやりともやのかかったような錯覚を抱えたまま、俺は振り返る。


「……」


 そこに居たのは、羽の代わりに枝葉を生やした巨大な妖精。人間でも、魔族でもない、妖精族の女。膝を抱くような姿勢のまま驚いたようにその目を見開くそいつの背には、干からびた人間の死体が何体も吊るされていた。


「……お前の仕業か、でけえの。妖精ごときが魔族に手を出すとは、いい度胸じゃねーか。とりあえず一発殴らせろ」


「ま、待ってください。ギルバートさま」


 リリアの制止を聞かずに一歩、二歩と距離を詰めて拳を振り被る。その瞬間、俺の体は宙を舞っていた。


「っ」


 その手に払い除けられたのだと気づいたのは、地面に叩き付けられた後のこと。何度か地を跳ね、木の幹を背に身を起こす。駆け寄ってきたリリアが俺の肩を抱いた。


「ギルバートさま」


「大丈夫だ。お前は離れていろ。あいつは、俺が」


「いけませんギルバートさま!あのお方は、加護を持っています。精霊さまです」


 リリアの言葉に、ハッとする。あいつは、精霊か。道理でやたらとでかいわけだ。勇者や、魔王と同じ、神の加護を持つもの。待てよ、神の加護だと?妖精族を眷属に持つ魔神は、確か。


「見た?今の」「見たわ。今の」

「野蛮だわ」「乱暴だわ」「粗暴だわ」


 周りから聞こえてくる、ひそひそとした声。重なり合ういくつもの声。俺はリリアを抱き寄せ、周囲を睨む。


「いやだわ。こっちを見ているわ」「こっちを睨んでいるわ」

「きっと私達のことも殴るつもりよ」「暴力の子だわ」「なんて恐ろしい」


「うるせえぞ羽虫ども!一体どういうつもりだ」


 俺が声を上げると、木陰から小さな人影がひょこひょこと顔を出す。手のひらほどの小さな体に虫のそれと似た羽を持ち、きらきらと光を振りまきながら俺の頭上を舞う。耳に残る笑い声が重なり合い、何故だか無性に腹が立つ。そのうちの一匹を勢い良く掴むと、その体は煙のように消えた。これも、幻だ。


――――妖精族。


 古い森に住まう、いたずら好きの小人。気まぐれに現れては道ゆく者を幻術で惑わし、道に迷わせてからかうことを生きがいとする小さな厄介者。視覚や聴覚をかき乱し、意識を捻じ曲げる魔法に長けた連中だ。


「よくもやってくれたな。羽虫共。命乞いは聞かないぞ」


 指を鳴らして睨みつけるも、妖精たちは笑みを崩さない。ひらひらと宙を撒いながら、俺を見下ろすばかり。


「私達は何もしてないわ」「そうよ。何もしてないわ」

「あなたは選ばれたのよ」「光栄なことなのよ」「とっても喜ばしいことなのよ」


 選ばれた、だと。視界にノイズが走る。俺を覗き込む誰かの、いや、あのお方の顔が、蘇る。


「それなのに」「それなのに」「それなのに」


 重なり合う声。羽を広げようとするリリアを抱き寄せ、俺は頭上を睨む。


「あなたは帰ってきた」「生きて帰ってきた」

「なぜ?」「どうして?」「どうやって?」

「信じられない」「信じられないわ」



『お母様のお部屋から出てくるなんて』



 その名前を、俺はようやく思い出す。思い出すと同時に、身の毛がよだつ。



 幻神ララ。慈愛と誘惑を司る魔神にして、妖精族の母なる女神。


 彼女に魅入られたものは幻想の牢獄に囚われ、永遠に彼女の人形おもちゃとなる。全てをかき乱し、全てを包み込むその幻術から逃れるすべはなく、彼女と共に眠りに落ちたものは二度と帰ってこれないという。精霊の背にぶら下がる無数の骸は、こちら・・・に残された抜け殻だ。


「……っ」


 いまだ手に残る柔らかな髪の感触、暖かな温もり、確かな心地よさが、吐き気となって俺の胸を締め付ける。息が切れ、冷や汗が止まらない。俺は、俺は一体、何を。何てことを。


「ギルバートさま!」


 リリアの声に、ハッとする。気がつけば、その肩を抱く手が震えていた。


「……おまえ、自分が何をしたかわかっているのか?」


 頭上からぽつりと零れ落ちてくるその言葉に、俺は顔を上げる。座っていた精霊が地面に膝と手をついて四つん這いとなり、俺を覗き込んでいた。


「……どういう意味だ」


「母上は、誰かを抱きしめていないと眠れない。母上には、眠っていてもらわねばならぬのだ。安らかに、穏やかに、ただ眠っていてもらわねば、困るのだ」


「それがどうした。俺には関係のない話だ」


「このままでは、母上が部屋から出てきてしまう。おまえを探して、この地上を歩き回るぞ。それだけは、絶対に避けねばならぬ。もしそうなれば、我らの手には負えない。おまえには、部屋に戻ってもらう」


 そう言って、精霊はその指先から伸ばした枝葉で俺とリリアを囲む。妖精たちの顔にも、既に笑顔はなくなっていた。


「お母様が泣いてしまうわ」「泣いてしまうわ」

「生き物は皆狂ってしまうわ」「眠ってしまうわ」「死んでしまうのよ」


 浴びせられるその言葉に、俺はため息をつく。



「…………言っておくがな。俺は、自力で出てきたわけじゃないぞ」


 俺がそう言うと、妖精たちはぴたりと口を閉じる。嘲るような顔が、みるみる怯えと恐怖に歪む。精霊が伸ばした枝葉はすぐさま枯れて砕け、その表情には困惑の色が浮かんだ。


「おまえ、まさか」


「俺は魔王だ。我らが母、邪神ディアボロスの加護を持つ魔族だ。甘えん坊で寂しがり屋な幻神さまは、『邪の目』に見られて逃げていったよ」


「なんと……なんと、いうことだ……おぉ、恐ろしい……う、ぐ」


 精霊は咳き込み、黒い泥を吐き散らす。妖精たちが悲鳴を上げた。


「黒い泥だわ!」「呪いの水だわ!」「悪魔の血よ!」

「恐ろしい……」「なんて悍ましい」「邪の目が来るわ」

「逃げましょう」「逃げましょう」「どこか、遠くへ」


 阿鼻叫喚と共に飛び去ってゆく妖精たち。

 精霊は恨めしげに俺を睨み、風と木の葉の渦となって姿を消した。



「ギルバートさま」


「あぁ、大丈夫。もう大丈夫だ。こんな森、さっさと抜けちまおう」


 俺は不安げに俺を見上げるリリアを抱き上げ、踵を返す。森の果ては、もうすぐそこだった。

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