魔王のすゝめ

@_PUNIKO_

第1話

 降り注ぐ陽の光に、鮮血がきらりと光る。

 どさりと音を立てて倒れ込む『それ』を蹴飛ばし、振り返る。みすぼらしい格好をした男が腰を抜かした。


「お前は、どうする。主の後を追うか?」


 指を鳴らしながら覗き込んだその顔に浮かぶのは、恐怖と後悔を練り込んだ絶望の表情。古傷だらけのやせ細った体にボロきれを着込んだその男は、勇者だったものと俺を交互に見やり、やがてその手に握っていたナイフをぱっと手放した。


「じょ、冗談じゃねえや。勘弁してくれよ、旦那ァ。お、俺はそいつに雇われただけなんだ。頼む、見逃してくれよ。へ、へへ」


 男は痩せた頬をひきつらせながら手を揉み、欠けた歯を覗かせる。


「そ、そうだ!あんた、魔王だろ?勇者、探してるんだよな?お、俺を見逃してくれるってんなら、いいコト教えてやるぜ。どうだい?俺と取引しねえか?」


「いいだろう。話してみろ」


「へへ、へへ。そうこなくっちゃ。ほら、あそこの丘の上、二本並んだ木が見えるだろ?あっちのほうにちょいと歩くと、村がある。平和な村さ。そこに今、二人組の勇者が滞在してるんだ。そ、そのザコとは比べもんにもならねえ、強い勇者さ。俺たちゃそいつらに仕事を取られて、すごすご出てきたところなんだよ。どうだ?いい情報だろ?な?」


 俺は男の指差すほうを見やり、目を細める。なるほど、向こうの村か。ちょうど、このあと向かおうと思っていたところだ。


「ど、どうだい?旦那?」


「……行け。俺の気が変わらんうちにな」


 そう言うと、男は情けない嗚咽をこぼしながら一目散に駆けてゆく。同族を売るような男をわざわざ逃してやることもないが、交わした約束は守ってやらねばなるまい。俺は遠ざかるその背を見つめ、やがてその影が見えなくなると同時に深く息を吐く。




「…………ちゃんと見ていてくれたかい、リリア」


「は、はいっ!もちろんです。ギルバートさま」


 服の裏地から一つ目のコウモリが飛び立ち、小悪魔となって舞い降りる。


 片目を隠すように切り揃えられた黒髪と、黒光りする細長い尻尾。布きれのような二枚の翼をその身に巻いた彼女の名は、リリア。きらきらと輝く真紅の瞳で俺を見上げる小さな相棒を撫で回し、俺は光に包まれる死体を横目にため息をつく。


「なあリリア。今の、ちょっと地味じゃなかったか?やっぱり頭を飛ばすくらいはしたほうが良かったかな」


「そんなことないです。とっても立派でしたよ。勇者をしっかり仕留めた上に、次の勇者に繋がる情報まで手に入れたんですから!」


「そうか?まあいいや、ひとまず戦果の確認といこう」


「は、はいっ!」


 リリアと共に勇者の死骸へと振り返る。そこにあったはずの死骸はいつの間にか消え失せ、そこには乳白色の四角い宝石――マナキューブだけがぽつんと落ちていた。


「白か……。まあ弱かったしな。ほれ、食えよ」


「やった。いただきまーす!」


 リリアはマナキューブを口に放り込み、頬を緩ませる。


 マナキューブは勇者の体に含まれる魔力が結晶として残ったもの。肉や水に含まれる魔力を主な糧とする魔族にとっては、数少ない嗜好品。中でも位の高いものは所持しているだけで実力の証明になったりもするのだが、白いマナキューブにそこまでの価値はない。精々、珍しいおやつといったところか。


「で、こっちはどうかな……っと」


 勇者が握っていた剣を拾い上げ、一振り、二振り。刃を傾け、光を弾く。


「どう、ですか?」


「ハズレだ」


 それは、何の変哲もない鉄の剣。血を吸った形跡すらない無垢な刃を路傍に突き立て、名も無き勇者の墓標とする。


「次、行くぞ」


「はいっ」


 身を寄せてくるリリアを抱いて肩に乗せ、俺は踵を返す。


 左手には、なだらかな丘に敷かれた緑の絨毯。右手には、木々が静かに身を寄せ合う森。地平線に連なる灰色の山々と、あちこちに見える大魔王たちの居城。赤く燃える空の彼方に目をやれば、輝く光輪を背負う女神が悠々と空を泳いでいる。


 彼女は、太陽神ソラール。光と幸福を司る魔神にして、地上に朝を告げ、全ての生き物に光と活力をもたらす穏やかな女神。彼女は毎日決まった時間に東の山脈から顔を出し、そして地上に暖かな光を振りまきながら、やがて西の地平線に姿を消す。


 彼女を含めた二十二柱の魔神が作り出したこの地には、多くの魔王が領を構えている。


 それぞれやり方は違えど、目的は同じ。勇者を殺し、同胞たちを守ること。

 それが魔王に与えられた使命であり、王としての役目でもある。



 すべての始まりは、はるか昔。


 魔神たちは土を捏ねて大地を作り、水を注いで川を作り、草木を植えて森を作り、そして最後にそれぞれの眷属たる多種多様な動物を放した。


 やがて魔神たちの一部が「この地上で最も優れた動物は何か」という話をし始めた時、暴力と混沌を司る魔神にして魔族の生みの親である邪神ディアボロスは、真っ先に声を上げた。


『我が子らはどの獣よりも強く、美しい。まさしくこの地上を統べるに相応しい種族であろう』と。


 しかし他の魔神たちはその言葉を意に介さず、無視して話を続けたが、ただ一人、力と勇気を司る魔神にして純人間族を眷属に持つ戦神ハーキュリーズだけは、違った。


『ならば最優たる我が眷属は、それを超えてみせよう』と。そう言ったのだ。



 



「――っと。あれだな」


 岩を蹴って枝を掴み、木の上に立つと、丘の向こうに身を寄せ合う家屋の群れが見えてくる。なだらかな丘をそのまま利用した牧場に家畜が寝そべるのどかな村だ。


「見えるか?」


「えっと……あっ、いました!加護持ちの男女二人組、勇者です!」


「よし」


 どうやらあの男は、嘘をついていたわけではないらしい。流石に、魔王を前にして嘘をつけるほどの度胸はなかったようだな。


「武器は?」


「ええっと、大きな剣と杖を背負ってるのが見えます。今、村の人を交えて話しているみたいですけど……何か、言い争っているみたいです」


「重剣士と魔術師か。まあ、報酬かなにかの話でゴネてるんだろう。もう少し様子を見ようか」


「はいっ」


 あの村は、南の街から遥か北へ続く街道沿いにあり、なおかつ山脈の麓に最も近い村。それなりに大きな宿屋もあり、人口も決して少なくない。無闇に飛び込んで騒ぎを起こすのは得策ではないが、あまりモタモタしていると手柄を奪われかねない。もう既に、他の魔王が奴らに接触している可能性もある。


 山の麓に近いということは、山から降りてきた魔物や獣を目にする機会も多いということ。人間どもはそれを出来る限り遠ざけ、駆除しようとする。だが、村人には荷が重い場合もある。そんな時にどこからともなく現れる救世主こそ、勇者だ。


 魔族を狩るのは、勇者の仕事。

 そんな勇者を殺すのは、魔族の王たる魔王の使命。


 そうして力なき同胞を守り、多くの勇者を殺せば殺すほど、我らが母は喜んでくださるのだ。



「ギルバートさま。勇者、宿屋に入りました」


「よし」


 見上げた空は既に薄暗く、暖かな女神の陽光は遥か地平線にその面影を残すばかり。吹き抜ける風と共に這い寄る闇の気配に、白い息を吐く。リリアが大きな翼を広げた。



「――――行くぞ」

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