第35話 かくして約束はかわされた④

 冬馬とガランの戦場から、五十メートルほど離れた場所。

 そこで、フィオナはただ真直ぐ、冬馬の雄姿を見つめていた。

 先程からずっと、少年の姿から目が離せない。


(……クロさん……)


 トクントクン、と鼓動が高鳴るのを感じた。

 冬馬の戦いぶりは、フィオナの想像を遥かに超えるものだった。

 嵐のような怪物の拳をかわしつつ、弾幕で迎え撃つ姿はまさに圧巻だ。

 鈍い輝きを放つ薬莢と、鮮烈な発火炎マズルフラッシュで彩られたその戦いは、まるで神話の一節のようでもあった。


(……だけど……)


 そんな誰もが魅了されるような戦いではあるが、この胸を打つ鼓動はそれとは関係ないような気がする。それに、さっきからどうにも顔が熱い。


 フィオナはわずかに眉根を寄せた。

 あの少年には、何としても岡倉団員達の仇をとって欲しいと思う。――が、それ以上に彼に傷ついて欲しくない、死んで欲しくないと思っている。

 怪物の拳が少年にわずかにかするのを見ただけで、呼吸が止まりそうになったものだ。

 銃がない以上、何の役にも立てないと分かっていてもつい駆け寄りたくなる。

 燃え盛るような強い感情に、ズキズキと心が疼いていた。


(……あ、うぅ? 何、ですか? これは……)


 小さな胸をギュッと押さえながら、少女が真剣に考え込んでいると、


「……まずいかも。多分このままだと冬馬、負けちゃうと思う」


 不安を孕んだその声に、フィオナはハッと我に返る。

 声の方へ振り向くと、隣に立つ雪姫が心配そうに眉をひそめていた。


「……雪ちゃん? どうして、ですか? クロさん、あんなに頑張っているのに」


 少し不満そうに唇を尖らせて、フィオナは尋ねる。

 すると、雪姫はますます眉をしかめて、 


「確かに今は互角だわ。だけど――だからこそ、まずいのよ」


「……? どうして互角だとまずいの、ですか?」


「……互角ということは、要するに冬馬に押し切る決め手がないのよ」


 もしその場合、と続けて、


「いずれこの拮抗は崩れるわ。それも最悪の形で……」


「さ、最悪の、形?」


 雪姫は重々しく頷き、フィオナに告げる。


「あのままだと……もうじき、弾丸が切れると思うの」


「あ――」 


「もし、あの状況で弾丸切れなんてしたら……」


 視線を伏せて言葉を濁す雪姫。彼女の顔は青ざめていた。

 フィオナもまた、真っ青な顔で雪姫に問う。


「ど、どうにか出来ないの、ですか……?」


「…………」


 無言のまま、雪姫はあごに手を当てて、


「ねえ、フィオちゃん。《スプラッシュ》はもう使えないの?」


「……ごめんなさい。さっきの攻撃で銃身が少しひしゃげちゃいました……」


 撃ったら多分暴発します、と申し訳なさそうにフィオナは告げる。


「じゃあ、他の銃は持ってないの?」


 雪姫の新たな問いに、フィオナはふるふると首を横に振って答える。


「……私の《PKT》の中は、ほとんどが予備弾薬なの、です」


 フィオナの《スプラッシュ》は、毎分二〇〇〇発の回転式機関銃だ。

 彼女の限界であるたった十秒間の掃射でさえ、一気に三三〇発以上も消費してしまう。

 他の銃を持ち込む余裕など、あるはずもなかった。


「…………」


 フィオナの返答に再び沈黙する雪姫。すると、


「……銃なら、うちも持っとるで……」


「「サチエさん!」」


 横たわる赤毛の女性が、息も絶え絶えに声をかけてきた。


「サ、サチエさん、大丈夫なんですか! 応急処置はしましたけど……」


 雪姫が駆け寄り、サチエの上半身を抱き上げる。


「……ぐッ、だ、大丈夫や。体は動かんけど、しゃべるぐらいなら問題ないで」


 それよりも、と続け、


「銃なんやけど、散弾銃ショットガンなら、うちの《PKT》に入っとるよ」


「ほ、本当ですか!」


「ああ、うちら戦闘班は、各自一丁だけ持っとんねん」


 サチエの話では、攻撃用ではなく、牽制用に所持が義務付けられているらしい。

 幻想種の顔辺りに当たれば、自動障壁の発光で目眩ましになるからだ。


「だ、だったら、私にそれを貸して、下さい!」


 と、意気込むフィオナ。しかしサチエは首を横に振り、


「やめときって、フィー坊。あんなゾッとするような接近戦に、散弾銃なんかで加勢してみい。冬馬君までハチの巣にしてまうわ」


 遠距離狙撃ならともかく、散弾銃で接近戦のサポートなど無茶もいいところだ。

 どう考えても敵味方関係なく吹き飛ばす。――いや、今回の場合だと、恐らくガランの方は耐え抜き、冬馬だけを吹き飛ばすことになるだろう。


「な、なら、私がクロさんにその銃を渡して……」


「それもやめとき。あんたが銃持ってのこのこ近付いてみい。真っ先に殺されるで」


 非情な宣告に、ううっと呻くフィオナ。サチエは深い溜息をついた。


「……あかんな。自分で言っといて何やけど、結局この状況で散弾銃なんて使えんわ。なんか他の方法を――」


 と、サチエが別案を勧めようとしたその時、


「――いえ、大丈夫です。その散弾銃、使えます」


 雪姫が思案顔でそう呟いた。


「……お嬢? どういう意味や?」


 サチエが問う。しかし、雪姫はすぐには答えず、一旦フィオナへ視線を向け、


「……ねえフィオちゃん。《スプラッシュ》は銃身を回転させることだけなら出来るの?」


 唐突な問いに、フィオナは小首を傾げながらも「モーターは無事だから、出来ると思いますけど……」と答える。

 雪姫はその返答に、にこりと笑みを浮かべた。


「……サチエさん。今から作戦をお話します。ご意見をお聞かせ願えますか?」


 そして、サチエとフィオナに作戦の全容を説明する。


「――……という作戦を考えたんですけど、どうでしょうか?」


 すべてを語り終えた雪姫は、不安げにサチエの顔を見つめていた。

 わずかな沈黙の後、歴戦の女傑は、ぽつりと呟く。


「……ええ作戦や。多分一度限りやけど、あの山羊野郎を嵌めれんで」


「ほ、本当ですか!」


 雪姫の表情が輝く。フィオナは純粋に感心し、目を瞠っていた。


「けど、問題もある。要はどうやって冬馬君にこの作戦を伝えるかやけど……」


 この作戦はガランに隙を作らせるのが目的である。

 だというのに、肝心の冬馬に話が通じてなくては論外だ。しかし、だからといって大声で作戦を伝える訳にもいかない。


 どうしたものかと、サチエとフィオナが頭を悩ませていたら、


「……大丈夫ですよ。かなり近付かなきゃいけないけど……手はあります」


「ッ! ほんまかお嬢! 一体どうする気や!」


 サチエの問いに、雪姫はふふっと笑い、


「サチエさん気付いてましたか? 実は冬馬と私は、結構内緒話が得意なんですよ」


 と、いたずらっぽく瞳を細めて答えるのだった。

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