第16話 其は神威を略奪せしモノ⑤

 彼はまどろみに包まれていた。

 そこは、かつて東京都庁と呼ばれた建物の屋上。彼のお気に入りの寝床の一つだ。ここならば《神域》を広く見渡せるからである。


『ふわあああぁ……』


 八メートルを超す黒い巨体を身震いさせ、彼は大きな欠伸をする。

 すると、アギトから吐き出された息が、近くにいたゴブリンを吹き飛ばしてしまった。


『ッ! おお、これはすまんな。怪我はないか』


 と、気遣って声をかけるが、ゴブリンは悲鳴を上げて逃げ出すだけだった。


『……やれやれ、念話以外では話も通じんとは寂しいことだな』


「仕方がありませんよ、オーロ殿。彼は私達とは違いますから」


 不意に聞こえてきた声に、彼は鎌首を動かして振り向く。


『……ガランか。どうした? こんな場所に』


 そこにいたのは金眼の紳士。わざわざ魔術まで使って人化する酔狂な男だ。


「いえいえ、少しばかり戦友の顔を見に来ただけですよ。リンドブルムのオーロ殿」


『ふん。お前がそんなことのためにここに来るものか。さっさと要件を言え』


 単刀直入に訊いてくる巨竜に、ガランは肩をすくめて苦笑する。


「ふふ、オーロ殿には敵いませんね。では遠慮なく。実は相談事があって来ました」


『……お前が相談事だと?』


「ええ、オーロ殿。……あなたは《銀の魔女》の噂をご存知ですか?」


 オーロは軽く目を瞠った。


『一応知ってはいるが……、あれは斥候隊のただの噂話だろう?』


 訝しげにそう訊き返すと、ガランは気まずげに頬をかき、


「いえ実は私、どうしても気になって数体のワーウルフを偵察に送ったんですよ」


『ッ! なんだと……。では、まさか――』


「……ええ、本音を言うとダメ元で偵察してもらったのですが、幸か不幸か、彼らを通じて私も《観》ることが出来ました。確かに《魔女》は実在しています」


 まあ、随分と懐かしい顔も一緒にいましたが、とガランは小声で付け加える。


『……何ということだ。――おのれ、害悪種どもめ! この聖戦まで汚す気か!』


 怒りで咆哮を上げるオーロ。ビリビリと大気が震えた。

 そんな巨竜の様子を、ガランは神妙な瞳で見据えて、


「……オーロ殿、気持ちは私も同じです。だからこその相談なのですよ」


『……どういう意味だ?』


「《銀の魔女》は許しがたい存在――それは同じ認識でいいですよね?」


『無論だ』


 巨竜の即答に、金眼の紳士は笑みを浮かべる。


「私もあの《魔女》は許せません。今すぐくびり殺したいところですが、かの《魔女》はどうやらPGCの神奈川支部に匿われているようなんです」


『……シブ? ああ、あの人間どもの砦のことか』


「ええ。そうです。あの支部――砦に籠られては、我々でも手を出すのは得策ではありません。負けはせずとも手傷程度は負うでしょうね」


 と言って、自然な仕草で自らの喉元をさするガラン。


『……では、どうする気だ?』


 巨竜が問う。すると、金眼の紳士は不敵な笑みを浮かべて、


「いえ、簡単な話ですよ。砦に籠るというのなら、誘き出せばいいだけです」


『誘き出す、だと……?』


「はい。私に策があります。ですから、オーロ殿――」


 金眼の紳士は、にこやかな笑みで巨竜に請う。


「どうか、私にお力を貸して頂けませんかね」



       ◆



「――……以上が、三年前の東京本部で起きた出来事だ」


 そして、重悟は三年前の悪夢を語り終えた。


「そ、そんな、アイリーンさんが……」


 雪姫は青ざめた顔で呻き、冬馬も動揺を隠せなかった。

 サチエはずっと俯いている。


「……今でも思うよ。何故、私は共に行けなかったのだろう、と」


 両手で顔を隠すように覆い、重悟はそう呟いた。

 あの《首都血戦》の日――。

 アイリーンはたった一冊の物語を手に、千二百年前の世界へと跳んだ。その一冊は彼女が製作した物語のごく一部。成功する可能性は極めて低い。

 だが、それでも、もう二度と戻れないことを覚悟の上で彼女は跳んだのだ。

 痛々しいほどの静寂が場を包む。――が、


「……でも、メルザリオ博士のおかげで計画は実行されたんですよね」


 冬馬の無情の声が、その静寂を破った。


「―――冬馬!」


 雪姫の叱責。彼女の言いたいことは分かる。場を察しろということだろう。


(すまない、雪姫。だけど、今の俺には相手を思いやる余裕なんてないんだ)


 自分がひどく焦っていることを冬馬は自覚していた。なにせ、ずっと見つからなかった答えが、もう目の前にあるのだ。焦るなと言う方が無理だろう。


(もうすぐなんだ……。もうすぐ俺はあの男から雪姫を守れる力を手に出来る!)


 そのためならば、相手の心情など知ったことか!


「教えて下さい! 新たな神話は生まれたんですか! それとも――」


「……生まれたよ。三年前、アイリーンの生家から一つの石碑が見つかった」


「ッ! それは!」


「……しかし、神話を記したその石碑には、二つの致命的な欠陥があったのだ」


「ち、致命的な、欠陥だって……?」


 愕然として冬馬は目を瞠った。結局、失敗したということなのだろうか。


(――いや、だとしたら、あのフィオナって子のことが説明できない!)


 恐らく、まだ何か秘密があるはず――。


「二つの欠陥とは何なんですか!」


 苛立ちながら冬馬は重悟に問う。

 また喧嘩腰になりつつある少年を、雪姫は眉をしかめて窘めた。


「――冬馬! 焦りすぎよ! 高崎支部長と、服部さんに失礼だわ!」


「だけど、雪姫……」


「だけどじゃないわ。どうしてそんなに焦っているの?」 


 流石に「お前を守りたいからだよ」とは、恥かしくて言えない少年だった。

 そのため何も答えられず、ぐむむっと唸っていると、


「いや構わないさ。柄森君。ここまで話したんだ。結末が気になるのは当然だろう」


 重悟本人がフォローを入れてくれた。冬馬はホッと胸を撫で下ろす。


「さて、二つの欠陥だったね。まず一つ。それは石碑の破損がひどく、《銃》の記載があること以外、内容が分からなかったことだ」


「神話は物語やからな。ストーリーが分からんのは致命的やろ」


 重悟の告げる事実を、サチエが分かりやすく補足する。


「そう。まさに服部君の言う通りだ。そしてもう一つ。この神話はメルザリオ家に伝わるものなのだが、メルザリオ一族は今やフィオ一人だけ。要するにだね――」


 力なく視線を落とし、重悟は言う。


「信者が一人もいないんだ。誰も知らない無名の神話なのだよ。この《メルザリオ神話》は……」


「……それは、神話の三要素の内、《物語》と《信仰》が欠けているということですか」


 頬に手を当てながら、雪姫が情報を整理する。


「……うむ。そういうことだよ」


 重悟の声は重い。

 婚約者の命がけの計画が不完全に終わっては当然のことだろう。

 肩を落とす上司を気遣い、続きはサチエがしゃべり始めた。


「けどな、うちらは諦めた訳やない。欠陥を補う方法を考えたんや」


 彼女はピンッと右手の人差し指を立てて、


「まず、欠けた《物語》について。これはアイリーンが物語製作中に作った資料――《原本》に頼ることにしたんや」


「《原本》、ですか?」


 と呟いて、首を傾げる冬馬。サチエはこくんと頷き、


「あの頃、アイリーンは足立区に住んどってな。《神域帰化》した足立区に侵入して、あいつの家にあった膨大な資料を根こそぎ回収したんや」


「それは……また、随分と無茶なことを」


「そんだけ重要やったんやよ。で、続きやけど、うちらはこう考えたんや。計画を何も知らん信心深い団員に《原本》を見せて、信者に仕立てようって」


「……それって、まるで詐欺師じゃないっすか」


 流石にこれには呆れた。

 確かに石碑を新たに発掘された神話と偽り、その上で《原本》を要約した資料だとかとごまかせば、素直な人間なら信じるかもしれないが……。


(けど、それで信者にまでなるのかなぁ……)


 う~んと冬馬が首を捻っていると、その疑問を察してか、サチエが教えてくれた。


「あの時は信者になれるかなんて心配してへんかったよ。真実さえバレへんかったら、まず大丈夫や。それにそんなん言うとったら、新興宗教なんて成り立たへんし」


「……ああ、確かにそうかも知れないっすね」


 新興宗教には歴史がなくとも信者はいる。そう考えると、発掘された歴史ある神話ならばもっと信じやすいだろう。信者が生まれる可能性も低くはない。


「まあ、それにうちらとして欲しいのは、たった一人の信者やったんや。それだけで《メルザリオ神話》に《信仰》が生まれ、ホンモンの神話に一歩近付くしな」


「なるほど……。でしたら、すでに信者の方がいらっしゃるんですか?」


 雪姫が問う――と、何故か、重悟とサチエは眉を曇らせた。


「……? どうかされましたか?」


 首を傾げる雪姫。冬馬も眉根を寄せた。

 しばし流れる沈黙。その間、ずっと俯いていた重悟だったが、不意に顔を上げ、


「……信者がいるかどうかという話だったね」


「え、ええ」


 少し困惑する雪姫に、重悟は重々しく口を開く。


「結論から言うと、信者はいる」


「ほ、本当ですかッ!」


 その言葉に、威勢よく立ち上がったのは冬馬だ。


「……落ちつきたまえ。冬馬君。今から詳細を話そう」


 焦る冬馬を右手で制し、重悟は語る。


「アイリーンの残した《原本》は、今は神奈川支部の最深部――《黒庫》と呼ばれる場所に保管してある。……しかしだね」


「……何か問題が?」


「まあ、今は聞いてくれ冬馬君。その《黒庫》なのだが、実は四部屋に分かれていてね。三部屋は《L》《C》《A》の三種の《原本》の部屋。そして残る一部屋は滞在用なんだ」


 冬馬と雪姫が首を傾げる。滞在用とはどういうことなのだろうか。

 二人の仕草から、彼らの疑問を察した重悟は補足した。


「《黒庫》にある《原本》は相当な量なんだ。全部目を通すには、ぶっ通しでも二ヶ月近くはかかる。滞在用とは《黒庫》に籠るための衣食住を完備した部屋のことなのだよ」


 冬馬達は「なるほど」と首肯する。


「話を戻すよ。我々は、その《黒庫》に厳選した団員達を送りこんだ。だが、その結果は……あまりにも無残なものだった」


「……無残、ですか」


 その物騒な単語に冬馬が顔をしかめると、重悟は力なく肩を落とした。


「そう――無残だ。なにせ早い者で三日。長くても二週間半で全員が挫折リタイアしたのだからな」


「「なッ!」」


 驚愕の声を上げる冬馬達。重悟の苦悩の言葉はなお続く。


「ある者は悲鳴を、ある者は怒号を、さらには狂笑さえ上げた者もいる」


「な、なんですか、それ! 《原本》って一体何なんすか!」


 声を荒げて問う冬馬に、右手で額を覆いながら重悟は呟いた。


「《原本》とはあまりにも膨大かつ難解なものだったんだ。なにせ《PKT》や《ホール》を開発したアイリーンが手がけたものだ。我々常人とは発想がまるで違う……」


 そこで大きくかぶりを振り、


「私も服部君も《黒庫》に入ったのだが、二人とも一週間が限界だったよ。しかもあまりの疲労感に三日間以上も寝込むことになった……」


「そ、そこまで難解なんですか……」


 かすれた声で雪姫が呟く。冬馬の方は完全に言葉を失っていた。

 状況の過酷さに困惑する少年と少女。――すると、


「だが、たった一人だけ、すべての《原本》を読破した者がいるのだ」


 唐突に、重悟がとんでもないことを言い出した。

 その内容に、冬馬はハッと目を見開く。


「ッ! そうかッ! それが彼女――フィオナ=メルザリオなんですね!」


 無言で頷く重悟。


「ある日のことだった。あの子が、姉の残したものを見たいと私に言ってきたんだ」


「……うちも、高崎隊長も猛反対したんやよ。けど、フィー坊は頑固でな……」


 震える肩を押さえながら、サチエが呟く。


「結局、押し切られる形であの子を《黒庫》へ入れることになった。辛くなったら、すぐに出てくることを条件にだ。――だが、信じがたいことにあの子は……」


 重悟はふうと息を吐き、


「やり遂げたのだ。あの子が出て来たのは五十七日後だったよ……」


 言葉もない冬馬と雪姫。

 特にあの少女の可憐な容姿を知る、冬馬の驚きは大きかった。


(……まさか、あんな儚げで、か弱そうな子が……)


 銀髪の少女に対し、心からの賞賛を抱きつつも、


「そして、あの子は《メルザリオ神話》の信者になったんですね……」


 冬馬は話の中核を尋ねた。

 それに対し、複雑な表情を浮かべながらも重悟は頷く。


「確かにあの子は信者と言える。だが、それは、アイリーンに対する信者だ」


「? どういう意味です?」


「……一部でも《原本》を見れば分かるが、普通の人間はあれを神話とは到底思えない。だが、あの子は母親代わりだったアイリーンを心から信じているんだ」


 そして、重悟は誇らしげに言う。


「あの子が胸に抱くのは、決して神話への信仰だけではない。あの子を支えるもの。それは、姉に対する揺るぎない愛なのだよ」





(……信仰にも匹敵する愛、か)


 冬馬は感慨深く言葉をかみ締めた。

 雪姫、そしてサチエも穏やかに微笑んでいる。

 しばし続く心地良い沈黙。

 が、そんな中、重悟がいよいよといった真剣な面持ちをして口を開いた。


「……さて、冬馬君。私の話はこれで終わりだ。なのでこれから、今までの話と、さらに君が銃を使うことも踏まえた上で、最も重要な質問をさせて欲しい」


 緊迫を孕んだ重低音の声――。必然的に冬馬の表情が引き締まる。


「……何でしょうか、高崎支部長」


「……君は《黒庫》の中へと入る気はあるかね」


「「――えッ!」」


 同時に声を上げたのは、冬馬と――雪姫だった。


「ちょ、ちょっと待って下さい! どうして冬馬が、そんな危険そうな場所に入らないといけないんですか!」


 まるで悲鳴のような声で雪姫が叫ぶ。

 そんな少女に、重悟はすまなさそうに眉を寄せ、


「これはフィオたっての願いなのだよ。どうもあの子は冬馬君と出会って、何か感じるものがあったらしい」


「俺に、ですか……?」


 重悟は「そうらしい」と答えた後、


「少し現状をまとめよう。――まず当初の計画では《メルザリオ神話》は、新たな神話として世に定着し、幻想種相手に誰でも《銃》が使えるようになるはずだった」


 全員の視線が重悟に集まる。


「しかし、結果的に生まれたのは、《物語》と《信仰》のない不完全な《神話》だった」


「……《歴史》だけの《神話》ですよね」


 冬馬の言葉に、重悟はうむと頷き、


「しかしながら現在、フィオのおかげで《メルザリオ神話》は《歴史》に加え、《信仰》を得ることに成功した。――が、《物語》は依然欠けたままだ」


 一拍置いて、


「だが、我々には《原本》がある。これを読破出来れば、仮初ではあるが《物語》を補完できる。フィオの実例から考えても、すべての《原本》を読破した者ならば、《銃》を使える可能性がまだ残っているということなのだよ」


「…………」


 重苦しい沈黙の中、一瞬だけ冬馬は瞳を閉じる。


(……遂に手に入るのか……あの男と戦える力が……)


 ――ならば、答えは一つしかない。

 少年はグッと拳を握りしめた。


「高崎支部長、俺は――」


「ま、待って! やめてふゆ君! 何人もの人がリタイアしたようなことなんだよ!」

 

 冬馬の返答を先読みし、慌てて雪姫が止めに入る。――が、少年の意志は固い。

 必死な瞳で見つめてくる雪姫に対し、冬馬は優しい声で告げる。


「雪姫。心配してくれるのは嬉しい。けど、これは俺にとってまたとないチャンスなんだ」


「……けど」


「分かってくれ、雪姫。これは俺がずっと望んでいたことなんだよ」


 冬馬の切実な願いに、雪姫は何も言えなくなった。

 黙ったまま俯く少女に冬馬は微笑みかけ、安心させるようにポンと肩に手を置いた。

 そして、重悟へと振り向き、


「高崎支部長。むしろこちらからお願いします。俺を《黒庫》に入れて下さい」


 深々と頭を下げ嘆願する。

 少年の真摯な姿勢に、重悟もまた誠意を以て応えた。


「願ってもないよ冬馬君。――では、君をPGC神奈川支部に招待しようではないか!」

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