第16章 巨竜、顕現


 俺は、思わず息をのんだ。


 先ほどまでレゥがいた場所、そこに、今は巨竜としか呼べない生物が存在しているのだ。


 高さはビルの二階ほど、頭から尻尾までは体育館くらいの大きさがある。

 全身がどす黒いうろこに覆われ、目は血のように濁り、ぎらぎらとこちらをにらみつけている。

 天を隠せるほど大きな両翼には、三本ずつ鋭い爪が生えており、鋭くとがっていた。


「ど、どういうことだよ……」

 腰を抜かし、その場にへたり込む俺。

 いや、俺だけじゃない。エジ帝国の兵隊たちやヒュノやクエスタも、絶句していた。


 辺りは一時騒然となる。

 逃げ惑う人々、慌てふためく兵士、怒号や叫び声が響く。


 そんな人々に怒り狂ったのか、巨竜がまた叫んだ。


『ゴギャァァァ!』


 天地を揺るがす咆哮。

 あまりの風圧で吹き飛ばされそうになる俺。


 ヒュノとクエスタの方をちらりと見たが、彼女たちも冷や汗を浮かべてガクガクと縮こまって震えている。



 眼光の先にいるのは兵士たち。

 その中心にいた人物……ほかの人物よりも重たい鎧を身に着けている、いかにも役職が高そうな兵が、大声でこう叫んだ。

「て……撤退ぃぃぃ!」


 声を合図に、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う兵士たち。

 すると、巨竜が足で戦車を踏みつけた。

 

 戦車はまるでまんじゅうを踏んだかのようにぐしゃっと無残にも砕け散った。

 その様子を見た兵士たちは、てんでばらばらに叫び声をあげながら逃げ出した。


 周囲に残っているのは俺と、巨竜と、ヒュノとクエスタ。

 

―逃げなきゃ死ぬ!―

 脳が警告を出しているが、どうしても体が動かない。

 巨竜が俺の方を鋭い眼光でにらみつけているのだ。

 威圧感で動けなくなったのは初めてだ。


 グルル…… とうなり声をあげる巨竜。


「れ、レゥだよな……?」

 絞りだしたような声で俺は問いかける。


「レゥ、俺だよ、純騎だよ……、なあ、あいつらいなくなったし……元に戻らないのか?」

 震えながら発した言葉も、巨竜には全く届かない。

 ただ、尻尾をぺたんと地面につけただけだ。


 死ぬのを覚悟で、懇願する俺。

「な、なぁ、変身、解除してくれよ……」

 正直、心臓バックバクだし、今にも気絶しそうです。

 でも、ここで気絶したら、俺は死ぬ……、間違いなく死ぬ。


『……』

 すると、俺の願いが届いたのか、一瞬巨竜がおとなしくなった。

 だが、次の瞬間。


「!?」

 体が浮いた。

 いや、浮いたんじゃない、飛んでるんだ。


 俺の襟首のあたりを牙にひっかけて、巨竜が飛び立ったのだ。


 どんどん離れていく地面。

 人や、町がどんどん小さくなっていく。


 そんな光景に、俺の精神が耐えられるはずもなく……。

「し、死にたくねぇ……」

 その言葉を最後に、俺の意識は途絶えた。



―――

 ……意識がはっきりしてきた。


「ん……」

 俺が目を覚ますと、そこは暗闇で、目の前にはレゥが立っていた。

 ただ、彼女の目には光はなく、服もボロボロだ。


「レゥ!」

 俺は近づこうとするが、なぜか体が動かない。


『……ごめんなさい、純騎』

 すると、彼女は小さな口からか細い声でこう語り始めた。


『私は、貴方たちをだましていました。私は、人間が憎いんです。

 とても、とても……』

「人間が憎い、もしかして、村を焼いたのは人間?」

 俺の問いに彼女は静かにうなづき、さらに話を進める。


『私のお父さん、お母さんはあの時に私をかばって死にました。

 そのあと、私は商人さんに引き取られ、一緒に行動していました』

『……私、楽しかったです。少しの間でも、純騎といっしょにいられて』

 そういうレゥの目には、涙が浮かんでいた。


「レゥ……」

 純騎がそうつぶやいた直後、レゥは後ろを向いてこういった。


『竜化した私たち竜神族を元に戻すすべは今のところ見つかっていません。

 どうか、純騎のその手で、私を……』


―――


「!!」

 次に目を覚ますと、俺は草原に横たわっていた。

 夕暮れの光が草を、俺を温かく照らす。

「夢か……」

 体を起こして周りを見渡すと、一面に広がる草原が目にうつる。


 振り返って遠くを見つめると、そこには大きな白い城と煉瓦組みの家と石畳の町が見える。

 俺はレゥにくわえられて、あそこから来たんだろう。


「それにしてもここはどこだ……?」

 立ち上がって正面を向くと、目の前にはあの巨竜がこちらを見ながら座っていた。

「うわぁっ!」

 思わず、草原すべてに響き渡るような大声で俺は叫ぶ。

 相手がレゥだとわかっていたとしても、やはり怖いものは怖い。


 巨竜はこちらを見つめながらグルグルとうなっている。

 先ほどまでにらみつけていた血色の瞳は、今は鮮やかな赤い色になっていた。

 眼光も柔らかくなっており、一瞬怯みはしたが足がすくむほどではなくなっていた。

 天を覆いつくすかのような巨大な羽も今は折りたたまれていて、体に寄せてある。

 先ほど立ち上がった俺のことを心配そうにのぞき込む巨竜からは、もはや敵意は感じられない。


 もし、あの夢が正しかったら、この巨竜はレゥで……。

「……レゥ、お前」

 立ち上がって巨竜の口元に手を伸ばす。

 竜も、ゆっくりと首を曲げて俺のもとに口を近づけようとした。


 その瞬間だった。


 夕ぐれの静寂を割いて、俺の後方から巨竜の体めがけて一筋の矢がはしったのだ。

 どす黒い鱗に矢が当たってガンと鈍い音が鳴り響き、草原に落ちる。


 ほかの人は絶対に使わないであろう黄色の矢。

 俺はその持ち主を知っている。


「この矢……」

 

 俺の後ろから声が聞こえる。

 息を切らせながらも明るい声だ。


「純騎ー! 助けに来たなの!」

「ヒュノ!」

 振り返ると、弓を片手にこちらに向かって手を振るヒュノの姿が。

 その後ろからはクエスタも杖を片手に走ってきている。


 二人と合流する俺。

「純騎さん! 大丈夫ですか!」

「あぁ、大丈夫だ」

 クエスタの言葉に俺がそう返すと、彼女は瞳に涙を浮かべながらにこりと笑い、涙声で言葉を発した。

「よかった……純騎さんが、巨竜に食べられてなくて……」

 俺も心配をかけないようににこりと笑い、こういった。

「あぁ、心配かけてすまなかったな」

「はい!」

 俺の言葉に、笑顔を作ってうなづくクエスタ。


 その直後、

「クエスタ! 純騎! 巨竜が……」

 ヒュノの慌てた声が聞こえる。

 振り返ってみると、先ほどまで敵意が見られなかった巨竜の目に殺意がともっていたのだ。

 

「純騎さん、再会を喜ぶのは後です。まずは火の粉を掃いますよ、姉さん!」

「りょーかいなのよさ!」

 二人が俺の脇をぬって前に出る。

 いつでも武器を扱えるように、すでに臨戦態勢だ。


 って、とめないと! このままだと、レゥかヒュノとクエスタ、どちらかが死んでしまう!

「ちょっと待ってくれ! あの竜は―――」

 俺が弁解に入ろうとした時だ。


 心がズシリと重くなる。

 正直、巨竜の前に立っているのすら相当つらい。

 体が自由に動かないような感覚まで覚えてしまった。


 何かやばいものを目覚めさせてしまった。

 本能がそう警告している。


 勇気を振り絞って巨竜の方を見る。


 目はどす黒く濁り、瞳孔は細く、眼光は鋭い。

 目の前に立っている物すべてを焼き払う覚悟を持った目だ。

 そして口からは炎が漏れ、低いうなり声をあげている。


 翼は大きく広がり、その威圧感は決して微量ではない。

 今にも俺らを吹き飛ばしてしまおうと機会をうかがっているようだ。 


 ガチガチと歯を鳴らし、遠く離れた城まで届くような咆哮を響かせた。


「グルル……グルルルォォォォォッ!」


 暴風が吹き荒れ、腰が抜けて立てなくなる俺。


「ヒュノ! クエスタ!」

 俺が呼びかけると、クエスタがこちらを向いて、こういった。

「大丈夫です、純騎さんは安心してください!」

 

 直後、クエスタは杖を天に向かって突き上げ、振り降ろしつつこう叫んだ。


「『詠唱破棄 聖なる水球ギガアクア』!」

 杖の先から三十センチほどの水の球が巨竜めがけて飛んでいく。

 それと同時にヒュノも矢を大量に放った。


 しかし、


「グルルルォォォォォッ!」

 咆哮ひとつで水の球は消え去り、矢も速度を失ってすべてその場に落ちてしまった。


 一瞬にして力の差を叩きつけられた。

 普通の人間だったらとっくに戦意が喪失してるはずだ。

 

 しかし、クエスタはまた杖を突きあげると、震えている手で杖を振り降ろしてヒュノにこう指示する。

「姉さん! とにかくあの竜をひきつけてください! 私の最大魔法をぶつけます!」

 ヒュノはこくんとうなづき、弓を構えて巨竜に向かって走り出した。


 矢を放ちつつ巨竜の横に回り込もうとする彼女。

 巨竜は彼女をにらみつけた後、大咆哮とともに口から巨大な火球を吐き出した。


「遅いなの! こんなの、止まって見えるなの!」

 ヒュノめがけて放たれた火球を、彼女は間一髪でかわしていく。

 って、よく見たら地面にクレーターができてるぞ!?

 当たったら死ぬよな、これ……。


 直後、間髪入れずに大量の火球を放つ巨竜。

 しかし、それらすべてをかわしていくヒュノ。

 

 ちらりとクエスタの方を見ると、彼女の足元には巨大な金色の魔法陣が展開されていた。

 目を閉じ、杖を構えている彼女。

「『今宵、私たちは天・地・水、すべてを生み出す』……」

 青白い光が彼女の持つ杖に集まっていく。

 びりびりと空気が震えているのが俺にも伝わってくる。


 って、これってまずくないか!? もしかしたらレゥが死ぬかもしれない!

 止めなきゃ、止めなきゃ!


「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

「!!」

 俺の声でクエスタの周囲の魔法陣が消える。

 心臓がバックバクになりながら俺はこういった。


「クエスタ! 攻撃しないでくれ!」

「何でですか!? 姉さんが今戦っているのに!」

 彼女の目にも焦りが見え始めている、当然の反応だ。

 だけど、今攻撃したらレゥが死んでしまうかもしれない。


 少し深呼吸してクエスタの目を見て俺は話しかける。

 俺の手は震えていた。

「落ち着いて聞いてくれ……、あの竜は……」

 

 声を震わせながら俺が話し始めようとした時だ。


 大地が一瞬揺れた。

 それと同時に、ヒュノがこちらに向かって走ってきた。


「ちょっと! クエスタ、純騎! いちゃついてるんじゃないなの!」

 息が切れ、明らかに焦っている。

 その後ろから追いかけてくるのは巨竜、奴は巨体を器用に浮かせ、天空から滑空してこちらに向かってきた。


「姉さん! 走ってください!」

「言われなくても全力なの!」

 猛スピードでこちらに向かってくる巨竜に引けを取らないほどのスピードで走るヒュノ。


 そして、ヒュノが俺に飛びついた直後、クエスタが杖を構えて一息に叫んだ。

「詠唱破棄! 愚者の盾・弐式フールシールド・セカンド

 

 転瞬、俺の身長の二倍はある、巨大な青白い半円状の盾が姿を現した。

 そして、巨竜は弾丸の如き速さでこちらに突っ込んできたのだ。


 空気が大きく揺れる。

 巨竜と盾の接触している場所からは四方八方に稲妻が飛び散っていた。


「く……くぅぅっ!」

 苦しそうなうなりを上げ、杖を両手で持つクエスタ。

 俺は腰が引けてその様子を見ることしかできなかった。


 時間にして三十秒ほど経過しただろうか。

 

 俺らにとっては無限とも思える時間。

 それがようやく終わりを告げた。


 バキン と盾が大きな音を立てて割れたのだ。


「!!」

 一瞬、呼吸が止まる俺。

 これで巨竜が追撃にきたら……。


 しかし、予想とは裏腹に巨竜は地面に墜落し、もがき苦しんでいる。


「……成功です」

 にやりと笑うクエスタ。

「成功って……?」

「私の魔力を麻痺毒に変換して一時的に竜の体を麻痺させました。長くはもちませんが、少しは時間を稼げます」


 クエスタはそう言い終わると、また杖を構えて魔法陣を展開する。

「姉さん! 戦闘態勢に入れますか!?」

 ヒュノに向かってクエスタはそう叫ぶ。

 しかし、ヒュノは俺のもとから立ち上がると、クエスタに向かってこう言う。


「……クエスタ、攻撃は止めるなの」

 その声は、いつもの明るい声ではなく、しっとりとした、姉らしい声だった。


「!?」

 こちらを振り向くクエスタ。

 その瞳孔は開いていた。


「私さんが戦ってる最中、確かに見たなの。

 あの竜の額に、レゥの体があったなの」


「えっ!?」

 姉の言葉で、いまだもがき苦しんでいる巨竜の顔を見るクエスタ。

 その直後、

「確かに、ありました……」

 彼女は杖を落としてその場にへたり込んでしまった。


「クエスタ。確かにあれは巨竜なの。でも、それと同時にレゥでもあるなの……」

 俺のもとから立ち上がり、クエスタのもとに近づくヒュノ。

 クエスタは俺の方を振り返ると、声を震わせてこういった。

「純騎、さん……もしかして、私を止めようとしたのは……」

 俺は無言でこくんとうなづく。


 ヒュノは目を鋭くさせて俺の方を見た後、こう指示した。

「純騎、レゥを説得してほしいなの。 まだ心まで竜になっていないのなら、純騎の声が届くはずなの」

「……」

 

 正直、膝は笑っている。

 手も力は入らない。

 一刻も早く逃げだしたい。

 だけど、なぜだろう……。


「おう……了解!」

 レゥを救う勇気が、心の底からわいてきた。

 震えている右手で体を支え、立ち上がった俺。


 ニッと笑みを浮かべたヒュノが、へたり込んでいるクエスタの肩をたたき、

「クエスタ、落ち込んでる暇はないなの! 早く立ち上がるなの!」

 と思いっきり叫んだ。

 クエスタは一瞬ハッとしたかと思うと、杖を支えに使って立ち上がった。


 目の前には、今まさに震えながら立ち上がろうとしている巨竜がいる。


 ヒュノは俺に向かってこう指示した。

「純騎! 私さん達はお前をひたすら守るなの! 純騎の声、届かせるなの!」

「おう!」

 俺が勢いよく答えたと同時に、巨竜……いや、レゥが立ち上がった。

 確かに、レゥの額には彼女の上半身が埋め込まれている。

 あれに声を届かせれば……。


 レゥが空気を震わせ、こちらに向かって咆哮する。

 だが、俺たちは怯みはしない。


 竜が飛び上がったと同時に、クエスタが杖を構えて詠唱を始める。

「『汝、生ける罪人。我、今こそ裁かん』――」

 彼女の足元に深紅の魔法陣が展開される。

 

 直後、レゥが口いっぱいに火球をため、一気にこちらに放ってきた。

 巨大な数発の火球が俺らに向かって降り注ぐ。

 

煉獄の散弾火球メガ・インフェルノ・バースト!」

 クエスタはその声と同時に杖を振り降ろす。

 すると、大量の火の球がクエスタの周囲に出現し、火球にめがけて直進。

 相殺して大爆発が起きた。

 

「今なの! 純騎!」

 ヒュノの声で俺は前に一歩進み出る。

 そして、喉を震わせて叫ぶ。


「レゥ! 俺だ、純騎だ!」

 

 直後、ぴたりとレゥの動きが止まる。

 手ごたえを感じ、更に俺は喉を震わせる。


「期間は短かったとはいえ、俺らはもう家族だ! 俺は家族を失いたくない!」

 

 バサバサと降りてくるレゥ。

 もう一息だ、もう一息で……。


「レゥ! 戻ってこい! お前は竜なんかじゃない!」


 精神を震わせた魂の叫び。

 これなら、レゥを正気に戻すことができる……。


 そう、確信していた。



 突如、レゥのうろこが黒から深紅に変色していく。

 目もどす黒く変色していき、その目には正気はもうともっていない。


「ど、どういうことだ!?」

 俺の声と同時に、レゥの極大咆哮が辺り一面に響き渡った。

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