煌めく街の凡人 2話

「えっ?まだ十代だったの?」


「何よ、その顔は…そりゃ精一杯大人っぽいようにふるまってるからね」


 あれから僕はたまに例のBARに来るようになっていた。


 酒を飲みながら、アルコールで少しポワンとした頭で彼女の歌を聞くだけなのだが、それだけが日々悶々と過ごしている僕の癒しとなっていた。


 そうしているうちに彼女も僕の顔を覚えてくれて、こうやって歌を歌い終わった後に少しの会話をするようになった。


 とはいっても彼女は他の客とも親しげに話をする。


 まあようするにその程度の仲にはなれたということだが、それだけでも店に通った甲斐はあったというものだ。


 そして多少はお互いのことを話しているうちに冒頭の会話となった。


 驚いた。 もしかしたら見た目よりも若いかもとは思っていたが、まさか普通なら学校に通っているような歳だとは思わなかった。


 驚く僕の反応が小気味良いのか、「シシシ、驚いた?」と屈託なく笑う彼女は本来の年齢とそう違和感は感じない。


「なるほど、だからマスターが酒を飲まさなかったか」


 僕がバーテンダーだと思っていたのはこの店のオーナーであり、マスターでもあったのだ。


「そうだよ、本当に固いんだよねノボさんは…」


「本来ならこの時間に店に居るだけでも問題なんだから、当然ですよ」


 ノボさんと呼ばれたマスターは醒めた顔で返してくる。


「というわけでお客さんもこの子には飲ませないでくださいね」


 ジロリとこちらに視線を送るノボさんの目は意外に鋭くて、こちらも思わず「は、はい…」と答えるしかなかった。


「ちぇっ、つまんないの~…あっ!ノボさん、お客さんが呼んでるよ」


 見ると店の奥に居る客が手を上げていた。


 ノボさんが洗っていたコップを一旦置いて、お客のところまで注文を聞きにいく。


「いまがチャンス~!貰うよ?」


「あっ…ちょっと!」


 ノボさんが離れた隙を見計らって、彼女はすばやく僕が飲んでいた酒を奪いとって飲みきってしまった。


「だ、大丈夫?」


「大丈夫、大丈夫、これくらいじゃ酔わないよ、それにお酒が出た方がお店も儲かるでしょう?」


 悪戯っぽい笑みを浮かべる彼女に思わずドキリとしてしまった。


「それにそっちだってそろそろ限界なんじゃない?」


「えっ?どうして?」


「だって顔が赤くなってるよ、飲みすぎは身体に毒っていうでしょ?」


 そう指摘されて始めて自分の顔が赤面していることに気づいた。


 いや、これは酒じゃなくて…原因は…。


 とても言えない言葉を飲み込んで、それを誤魔化す為に僕は自分のカバンから持参した物を彼女に手渡す。


「おっ、早いね、もう書いてきたんだ」


 実は僕がこの店に通うようになった理由はもう一つあった。


 それは僕が書いてきた小説を彼女に読んでもらうために。


 もちろんこれは僕が望んだことじゃない。 興味の無いことを強制されることほど嫌なことは無い。


 ましてや誰にも読まれることの無い素人の書いた物語なんて…。


 でも彼女は意外(自分で言うとなおさら悲しいが)にも僕の書いた小説をもっと読んでみたいと言ってくれた。


 最初は社交辞令とか気を使ってくれたのではないかと思っていた僕だったが、三回目に来店した時に、


「小説書いてきてくれた?」


 と言われたので勇気を出してそれ以降は来店するごとに彼女に小説を持ってくるようになったのだ。


「う~ん、やっぱりこれ、結構面白いと思うよ」


「いや~、でもあまり評判は良くないんだよね」


 最初の来店以降、彼女の言葉に背中を押されて、ネットの投降サイトに自作の小説を載せていた。


 評判は先程の言葉通り、PVも評価も芳しくない。 むしろ感想なんて書かれた事もない。


 数多有る作品の中で僕の書くものは日常のことだったり、やや暗いというか陰鬱なもので、そんな地味な小説をわざわざ探して読んでくれる人などそうはいない。


 むしろ読んでくれただけでもありがとうと心の底から言いたいくらいにPVは数件くらいなもので、それを面白いと言ってくれるのは彼女だけだった。


「ふ~ん、確かになんだろ?綺麗過ぎる感じはあるけど、そこまで面白くないとは思わないんだけどな~、変に受けを狙ってるわけでもないしね」


 読み終わった彼女が丁寧に返してくる原稿をカバンの中に放り込む。


「どうしてもそういうのが書けないんだよね、本当はもう少し読んでくれる人のことを考えないといけないってのはわかってるんだけど…」


「それって流行のネタとか受け狙いの台詞とかでしょ?自分がそれを面白いと思って書くならいいと思うんだけど…」


 彼女は言葉を一旦切って、僕が飲みかけていた酒を周囲を見渡しながら飲むと、


「他人が良いって思うことばかり考えてると、何が良いってのかわからなくなるよ?」


 瞬間、ドクンと心臓が高鳴った。 それは彼女の魅力にそうなったのではなくて、彼女の言ったことが心に刺さったからだ。


 こうやって変に遠慮しないで感想を言ってくれることは有り難い。 そして彼女が何気なく言う自然に出た言葉は僕を大いに刺激し、またはっとさせられることが少ない数で存在した。


「あ~、そうだよね…そうなんだよね…」


 自分の書くことを信じきれずに、情けない言葉を吐いた自分にそれは突き刺さる。


 別段、流行とか受けを狙うこと自体は悪くないだろう。 でも彼女はそれが本当に自分にとって面白いかどうかということを言ってくれた。


 当たり前のようだが、それは凄く難しい。 だからこそ自分自身に言い訳をしてそういうことを考えてしまうのだ。


 創作したものを最初に見るのは誰だろうか?


 それは自分だ。 自分自身が最初の読者なのだ。 だからこそ、そこに嘘をついてはいけない。

 

 同時に自分だけの感覚だけで作ってはいけない。 それが自分自身の為だけに作られたものならそれでもいいだろう。

 

 だが創作というものは同時に自分以外の誰かに見てもらいたいという衝動によって続けられる。


 『面白いね』『これ、良いね』それを他者に言ってもらい、またそう言ってもらうことを期待して創り上げていく。


 でなければ、こんな孤独で辛いことを愚直に続けられることはないだろう。


 それは『呪い』とも『生き甲斐』とも表現される。


 そしてそれは小説でもマンガでも、音楽でも同じことだ。


 その『孤独』に耐えられず、自己の思想から剥離したことをおこなってしまう。


 またそれが『受けて』しまえば、もうそこから離れられなくなる。


 次はあれから、その次はこれから、と何が面白いのかを考えず、気が付けば自分が面白いと思う作品ではなく、誰かが面白いと思うだろう要素を入れていき、最後には何が面白いのかがわからず潰れていってしまう。


 自分を貫くという言葉は強く美しいが、それを体言できる者が少ないからこそ、その言葉は美しく強いという意味になるのだから。


「そう思ったことはないの?」


 その質問は自然と口から出た。 内心のバツの悪さを認識しながら、どうしても聞きたくなってしまったその言葉を彼女は少しの間だけ考えた後に、


「そりゃ思うよ、良い曲が出来たと思ったらお客さんの受けが悪かったりすることもあるし、あの感じの歌が聞きたいなって言ってくる人もいるしね」


「そ、そういうときはどうするの」


「そうかと思ったらとりあえず創るかな?違うなと思ったなら創らない。だって私は私の歌を歌いたいんだもん、そういのが聞きたいならその人の歌を聞けばいいしね」


 屈託なく答える彼女は本気でそう言っているようだ。 悩みもせず、創作の孤独の中をなんでもないことのように歩いているその強さは輝いていて、僕のような人間にはとても眩しく見えた。


「強いね、君は…」


「そう?別に意地を張ってるつもりはないし、なにより…」


 彼女の言葉が唐突に途切れた。 それは少しこの先を言うことに躊躇があるようだ。


「なにより…?」


 たまりかねた僕は聞き返した。 


 若々しく、才能もあって道は違うけれどうらやましいと思うほどに自分の道を突き進んでいく彼女の『そのさき』を聞きたくしょうがなかった。


「…だって、私の作る曲と歌が最高だって思ってるから。でも他の人には言わないでね、まだガキなのに生意気だって思われちゃうし、自分でも自信過剰だなって思うからさ」


 照れたように『ニシシ』と笑う彼女の言葉に僕は何も言えなかった。


 一途に、素直に、そして自信たっぷりに理想に向かい合う彼女が塗しすぎてしょうがなかった。


 彼女の目をまっすぐに見れないくらいに。


 僕は彼女のように小説というものに向きあったことがあるだろうか?


 仕事が忙しい。 僕の作るものは評価されにくい。 理解できる人には理解できるはずだ。


 ありとあらゆる言葉を使ってプライドを守っていたように思える。


 他人からの批判は恐ろしい。 だが自分自身の堕落は非難する他者はいないのだからそれゆえに簡単に妥協してしまう。


 咎める者の居ない世界で、こうまで素直に理想とも取れる自身を貫くことが出来るだろうか?


 彼女の言うことに反論する言葉は簡単に出てくる。


 まだ若いね。 世間は甘くないよ。 そんな甘いこと通用しないよ。

 

 さんざん自分が言われてきたこと、思ってきた言葉がギッシリと心の中に突き刺さっている。


 だがそれらを投げつけられるほどには僕の心は腐っていないし、狭量ではない。


 ただ自分には出来ないことを体現している存在に。 僕は感嘆の声を上げることしか出来なかった。


「凄いね…君は」


 その後に続く言葉。 『僕にはとうてい無理だよ』を飲みこんで自分勝手に彼女に対する尊敬を積みかさねていく。


 それこそが彼女と僕の決定的な違いだということをわかっていながら。



 

 何度も彼女の歌を聞いていくうちに僕はすっかり彼女のファンになってしまった。 

 もはや虜といってもいいくらいに。


「今日も最高だったよ」


「ありがとう…今日は小説書いてきてないの?」


「うん、中々展開が決まらなくて…」


「ああ、そうだよね、私も悩む。でもそれを越えられると最高に気持ちよいよね」


「うん、そうだね」


 そう無邪気に笑う彼女に僕は嘘をついていた。


 本当は小説なんて書いていない。 展開が決まらないというのも嘘だ。 僕は僕の小説以上に彼女に夢中になっていた。


 彼女は凄い。 天才というものがあるのなら彼女のことを言うのだろう。


 だって見てくれ。 今日も店内は平日だというのに満杯じゃないか。


 どうやら評判が広がって、店の客は来るたびにどんどん増えていく。 その全てが彼女の歌を聞きに来るために。


 聞けば大手のレーベルがスカウトするために来ているという噂が聞こえてくるほどに。


 そんな天才である彼女と比べて僕はあまりに凡才だ。


 あの時に話したことで嫌が応にもそれに気づいてしまった。 僕がかつて欲していた創作の女神は僕のような凡愚には決して微笑まない。


 微笑むとしたら…彼女だ。  


 いまだってピアノを弾きながら歌いあげる彼女にオーディエンスはうっとりとしている。


 そして曲が終わるたびに万来の拍手が鳴り響き、それを当然のように受けいれて、また次の歌を唄いはじめる。


 彼女の歌に全てが聞き惚れる。  


 僕が…いや人間が求める名誉と感情がまるで彼女のためだけに存在しているのではないかと思えるほどに店の中にはそれが満ち溢れていた。


 勝てない。 頭じゃなく心で理解する。

 

 僕がどう足掻いたところで彼女に集まる感情の十分の一すら求めることは不可能だろう。


 愚かな凡人はその器を受けいれて天才の糧になるのが正しいのだ。


「これ、プレゼントだよ」


「ありがとう、可愛いネックレスだね」


 こうやってプレゼントを渡すようになったのはいつからだろう?


 決して高くは無いが、彼女によく似合ってると思って購入したものだ。


「そういえば最近は小説持ってこないね…まだ悩んでるの}


 そしていい加減、彼女の言葉に嘘を重ねていくことも苦痛になってきていた。


 けれど僕の言葉はいつものように、


「ああ、行き詰ってるんだよ…少しね」


「ふーん、でもそれなら別の物語を書くのもいいと思うよ?私も煮詰まってる時は別の曲作ることもあるし」


 それは君が天才だからだ。 才能の無い僕にはそんなの無理だよ。


「…そうだね」

 

 心に溜まっていく罪悪感に耐えながら曖昧に誤魔化す。


「いつも貰ってばかりだと悪いから、今日は私が一杯奢るよ、ノボさんスクリュードライバー一つね」


 注文を受けたノボさんは黙って頷き、彼女の注文した酒を作りはじめる。


「それじゃ楽しんでてよ、私また歌わないといけないから」


 いつものように他の客からのアンコールに応えて彼女はステージへと戻る。


 キラキラと光るようなその姿にため息が出てしまった。


「よろしいんですか?」


 洗い物を終えたノボさんが珍しく話しかけてきた。


「あっ、やっぱり店の子にお金出させるのはまずいですかね?それならこの注文は支払いに当ててください」


「いえ、そういうことではないです。小説、最近書いてきてないですよね?」


「ああ、それはもういいんですよ」


「やはりもう書いていないんですか?」


 ノボさんはそう言って僕の前にスクリュードライバーを置く。 


 その様子はいつもと同じに見えるが、見抜かれていたことが気恥ずかしくて苦笑してしまう。


「ええ、いつまでもしててもしょうがないですから」


「花梨…ああ、あの子なんですけどね、いつも楽しみにしてましよ」


「いや~、あんなのは社交辞令ですよ」


「そんなことは無いと思います。あの子にそんな器用なことできませんよ」


 その言葉に少しだけ胸が熱くなる。 この感情はなんだろうか? かつて確かに存在していたように思えるけど…。


「いいんです、僕のような男が書いたものなんていつまでも読んでもらってはいけないんですから」


 グラスに口をつける。 強いアルコールに触れた唇がジュワっと熱くなった。


「私はそういうことは専門外ですので、あまり口出すことでは無いとは思うのですが、また書いてくればよろしいじゃないですか。少なくとも花梨はあなたの書く小説が好きだと言っていました。一人しか居なくてもお客が居てくれるなら、それは素晴らしいことだと私は思います」


 ノボさんは基本的に無口だ。 お客の話に口を出すこともせず、黙って話を聞いてくれる人で、こういう風に何か言ってきたのは僕がここに通うようになってから初めてのことだった。


「……それでも凡人は天才の邪魔をしてはいけないんです」


 出てきた言葉は自然に口から発せられた。  


 所詮僕は凡人だ。 ただ真似事のように小説……いや偽者の創作をしているだけなのだ。 


 彼女のような創作の天才たちにはどう足掻いても適わない。 


 だからこそ僕は彼女に魅了される。 いくらでもいる凡人には天才の輝きに尊敬と好意だけが許される。


 そしてそれに立ち向かえずただ受け入れてしまうからこそ僕は凡人なのだ。


 自分が一番わかっている。  


 ただわかっているはずのその感情はほろ苦い何かを心の中に残す。


 それは何だろうか? いや、考えてもしょうがないことだろう。


「そうですか…でもきっと花梨は悲しむでしょうね」


 ノボさんの言葉が心のどこかにズシリと重く圧し掛かった。

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