僕と猫とα星の恋人 【前編】

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日本での勤め先は、元炭鉱だった施設を利用して造られた、人里離れた山中の天文観察所だった。

そこを職場として選んだ理由は簡単で。


母の入院先から近く、前職の技術…… 情報分析官だった僕のスキルを活かせそうな場所だったからだ。


星々の輝きに関しては、僕の知識は彼ら職員に遠く及ばなかったが。それを解析するコンピュータの制御とデータ分析の仕事は、すぐに馴染むことができた。


研究所で1ヶ月の試用期間が過ぎると。


1人の同僚と、ある部署を度任せてもらったんだから、それなりの評価を受けたのかもしれない。



「ドクター、このサンプルは再計算しますか?

今ならメーン・コンピュータが空いてますから、なんとかねじ込めますが」

その同僚に話しかけられ……


「ああ、ごめん。その呼ばれ方に慣れなくて。誰のことかと思っちゃったよ」

僕が苦笑いを返すと。

彼女は後ろでひとつに結った髪を揺らしながら、可愛らしく首をひねって。


「じゃあ、先生? それとも博士? どのようにお呼びすれば……」

からかうようにそう言って。

整った顔とツリ目を隠すような、野暮ったい黒縁の眼鏡に指をかける。


確かに軍の学習制度で大学院に進学し、博士号は取得したけど。


「普通に名前でいいよ。

階級…… じゃなかった。役職は、僕たちに違いはないはずだし」


彼女の年は僕より3つ下で28歳だったが。この研究所での職歴は僕より長い。

――苦笑いしながらそう答えると。


「でも時間の問題で役職が変わるのは目に見えてますから。ドクターを取られたのは、Caltechカリフォルニア工科大なんですよね」

ちょっと険がある言葉が返ってくる。


そして彼女は、手にしていたサンプルのプリントアウトを。

僕に放り投げるように渡してきた。


どうやら彼女は、僕のことがあまりお気に召さないようだ。


確かにカリフォルニア工科大学は、情報分野の最難関大学のひとつだ。でもあそこの出身だってばれたら、アメリカじゃあ同時に「変人」の称号も獲得してしまう。


僕はその12枚のA4用紙に目を通して。

3カ所に赤ペンで数式の書き直しをした。


そして、できるだけ丁重に彼女に返すと、心の中で大きなため息をつく。


「メーン・コンピュータを使わなくても、それで大丈夫だよ。心配ならそのパソコンで、その部分を直してテストランしてみて。

たぶん10分もかからずに、コードがブルーに変わるから」


僕がそう言うと、バカにされたと思ったのか。彼女は無言で自分のデスクに帰ってしまった。この新設された研究室には、僕と彼女しかいない。


――冷めたお茶をすすりながら。


こんな時はどうすればいいと大佐は言ってたか。ウンウン唸りながら、どうにかして思い出そうと、できの悪い自分の脳みそと戦っていたら。


「あ、あの…… 申し訳ありませんでした、この修正で問題なかったです。

その、まさか暗算でこれを解析できるなんて……」

彼女がまた僕のところまできて、深々と頭を下げた。


そこでやっと大佐の言葉を思い出す。

「逆らう奴は、現場でその実力差をハッキリと見せつければいい。 ――それは百の指導よりも有効だ」


急にしおらしくなった彼女を見ながら。

時計の針を確認すると、ちょうど10分経っていた。


まったく、こんなに悩み込むなんて。



自分のバカさ加減に……

――もう一度僕は、心の中で深くため息をついた。



+++ +++ +++



5年日本を離れただけなのに、やはり世界は変わっていた。

子供の頃から親父の仕事の都合で日米を行ったり来たりしていたから。


どうしてもここが生まれ故郷だって、認識が無いせいも…… 僕がここを異世界だって感じる理由かもしれないが。



日本仕様のスマートフォンもアプリも、未だ上手く対応できないし。

車の運転も、気を緩めるとついつい反対車線を走ろうとしたり、ウインカーとワイパーを間違えたりする。


「まずは、習うより慣れろだな……」


その日は、休日だけど研究室に顔を出さなくちゃいけなくなって。

コーヒーで眠気を蹴散らしながらトーストにかじりついていると。

朝のニュース・ショーで「梅雨前線が」とか「局所的な短時間強雨の危険性が」とか、で気象予報士が大声で叫び。勝手に我が家を出入りしている猫が、ソファを陣取ってそれを眺めていた。


僕はTVのリモコンを操作して、猫の頭をなぜてあげる。

そして、あくびをかみしめながら……

まだダンボール箱が散乱する借家を後にした。


暗い不穏な雲が空を駆け、生暖かい風が木々を揺らしていたが、研究所までの細い山道を駆けあがって駐車場に着くまでは、雨は降っていなかった。


作業着に着替え、旧炭坑を利用した地底に潜って、センサーの異常をチェックしていた技術者たちと合流すると、外の音は一切聞こえなくなる。


技術者たちは、彼女の顔とネームプレートを見て困り顔だったが。

僕が話しかけると、安堵の吐息をもらした。


「ええっと、先生……

問題の個所は、Eブロック上部のセンサーの可能性が高いそうです」

僕を見た彼女も、少し安心してそう呟いた。


どうやら彼女の中では、僕を先生と呼ぶことで決着したようだ。

言葉使いは大人しくなったが、白衣を押し上げる大きな胸は凶悪なままだった。

僕はできるだけそこに視線を向けないようにして。


「休日出勤ご苦労様。本当は開発部の仕事らしいけど、彼らが問題ないと言い張っちゃったら、僕らが出張るしかないもんなあ。そう言う事って、よくあったの?」

笑顔でそう聞き返したら。


「いえ、今までは開発部がそう言ったらそこまでで…… 情報分析が、現地を確かめることなんかありませんでした」

申し訳なさそうに呟く彼女に。


「それじゃあ、まともな研究なんかできないだろ?」

僕がおどろくと。


「そうなんですが、結局あたしたちにそこまで求められてなかったというか。

それに、情報分析部には…… 現地のセンサーの故障個所が分かる人材なんか、いませんでしたし」

彼女は、さらに小声でそう答えた。


研究所の中心的な研究にはちゃんと予算がついていたけど。

そこから派生する複合的な研究は…… 予算も少なく、所内での発言権も無い。


「ごめん、君を責めてるんじゃなくて、今までの体制に腹が立ったんだ。

んー、要はそこから改善が必要ってことなんだね。

じゃあ、とりあえず僕たちの潔白を晴らしに行きますか」


できるだけ爽やかに見えるように、僕は彼女に笑顔を向けて。

――作業着に命綱を結び始めたら。


「あの…… 先生が登られるんですか? どう見ても10メートル以上は登らないと、問題のセンサー部分には届きませんし。

その…… 足場も古い炭坑時代のモノが多いですし」

彼女は不安そうに僕を眺める。


「それが一番手っ取り早そうだからね。技術者さんに頼んで、センサーを外していちいちチェックしてたら、1日じゃ終らなさそうだ。

まあ自動小銃を抱えて登らなくてもいいから、明日の筋肉痛の心配もないだろう。最近は訓練がなかったから、ちょうど良い運動かなあ。

――ほっとくと、すぐお腹に肉がつくんだ」


もう一度笑顔でそう説明したら、彼女はまた困ったように笑った。



どうやら僕の笑顔には問題があるのかもしれない……

――今度じっくり、鏡の前で練習しておこう。



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1時間ほど壁面にへばり付いて、その場で7つのセンサーを直した。多くは、ただ泥やホコリをかぶっただけだったし。センサーが抜け落ちていたものもあったけど、機器自体に故障があるものは無かった。


しかしこれじゃあ、正確なデータ収集は不可能だ。

修復前の状態と修復後の状態を撮影したデータを確認して、僕はセンサーが埋まる炭坑の穴をゆっくりと下りる。


下で待っててくれた彼女に。

「これで問題なく計測データが取れるんじゃないかな」

デジカメを渡しながら、センサーの状態を説明した。


「先生は、なんでもできちゃうんですね」

あきれたように言う彼女に。


「そんな事ないよ、むしろできないことの方が多い。

漢字は読むことができるけど、いまだに手書きでは上手く書けないし。

料理も壊滅的だ…… ウチに出入りしてる猫が避けて通るぐらいだしね」


そう言ったら、彼女は初めて楽しそうに笑った。



それから数日後。

僕たちは通常業務の暇を見て、センサーシステムの見直し案の作成を始めた。


分析部の部長の許可を取り、開発部とセンサーを管理する外注を巻き込んで。素案が設計できるまで2週間かかったが。


「これで現状の予算も何割か削減できるし、精度も上がる」

出来上がった設計は、自信の持てるものだった。


「なんだかワクワクしますね」

素案書を見る彼女は、ちょっと嬉しそうだ。


最近はお互いに冗談も言えるようになったし。僕の悲惨なお弁当を見て、おかずをわけてくれることもある。

今では大切な、僕の栄養補給源だ。


もし問題があるとしたら、このところ彼女が白衣の下に、やたら大きく胸の開いたシャツを着ている事や、スカートの丈が短くなったことだ。暑くなってきたとはいえ、エアコンが良く効いている研究室では寒くないか。少し心配になる。


「これでウチにも少しは予算がまわってくるかもしれないし。所内での地位も少しは上がるかもしれない。

――何より、君が出してくれた幾つかのアイディアが大きかった。

忙しい中、ホントにありがとう。

上手く軌道に乗せれるように、これからも頑張るよ」


「大変恐縮です。α星人から褒められたって言ったら、きっとみんな驚きます」


今も笑いながら、優雅に足を組み替えたけど…… そのスラリと美しい太ももが、アレでソレだ。ホント、目のやり場に困る。


「なにそのα星人って」

僕がそこから、なんとか目をそらし。

そう聞くと。


「先生のことを、女子職員の子たちがそう呼んでるんです。日本人でもなければ外国人でもないし……

なんだか不思議な魅力のある人だから、そう呼んでるんじゃないですか?」


コメントに困る言葉だけど、嫌われてるようじゃなさそうだから。僕はため息と一緒に反論の言葉を飲み込んだ。


彼女はふざけながらそう言ったけど。

α星美しく輝く星なら、彼女にこそふさわしい呼び名のような気がした。


実際、なぜこんな新設の場末な部署にいるのか良く分からないほど、彼女は美しく有能だった。確かに、プライドが高くて扱いにくいところはあったけど。

……そんなことは、誰にだってあることだと思うし。


僕は少し悩んでから、素直に聞いてみた。


「ああ、先生は子供の頃から海外で生活されてたそうだから気にならなかったんですね。あたしは生まれも育ちも日本ですが…… 女で」


彼女はそう言って、大きすぎる胸の前にぶら下がっていたIDカードを手に持って。

苦笑いしながら、軽く左右に振った。


そこには、

『情報分析部 データ解析課

客員研究員 フェイ・シュン』

と書かれている。


「中国人ですから。 ――まあこの職場はしっかりしてるから、変な差別を受け無いだけ。まあ、ましかなあって…… そう思ってますけど。

それに、今まであたしにも問題がなかったわけじゃありませんし」

そう言って、微笑んだ。


彼女の話を聞きながら。僕の感覚がズレてるのか、日本の社会がズレてるのか。悩んでみたけど、僕のできの悪い脳みそではその回答は出てこなかった。


代わりに以前から言いたかったことを、僕は思い切って口にした。


「ねえ、ちょうど分析の仕事も一段落ついたし。2人しかいないけど……

打ち上げって言うか…… どっかに飲みにでも行かない?」


まるで僕の心臓が早鐘を討つのを見透かすように。フェイ・シュンはその大きな瞳で、僕を楽しそうに見つめた後。


「素敵ですね、是非」

そう言って、微笑んでくれた。


僕もついつい、笑顔がこぼれたけど。



その後ろでは電算機コンピュータが冷却ファンを躍らせながら……

――冷静に、星々の動向を探っていた。

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