6

 新シルダ歴四百五年、九の月、二十一日

 エルディオス様はとんだ人たらしだ、全く。

 開拓民を率い、遅れて北上を開始した連合軍本部から、私とエルディオス様に連絡が来た。本格的な現地調査を行うらしい。食料の調達方法と共に、ここで獲れる生き物の詳細を寄越すように、ということだ。情報を持って来てくれたのはシルニルだった。この親切な案内人は、こんな連絡を運ぶように仕向けられている、ということに、全く気が付いていない。

 私はすぐにエルディオス様に返事を書かせた。獲れるものは殆ど何もありません、この平原を手中に収めるのは時間の無駄かと思われます。縮めたらそういう内容だ。まあ、きっとこんなものは無視されるだろう。この平原には沢山の家が建つかもしれない。ひょっとしたら城郭も、精霊殿も、砦も、基地も。エルディオス様は何か言いたげだったが、私の話をちゃんと聞いてくれた。だって、私に向かって喋れ、って言ったのはこの人だ。

 エス・トゥーナの村では、連日連夜、宴が開かれている。今日は、最も大きな鹿を射止めた若者が、乙女を嫁に迎える日なのだ。《鹿角》という二つ名を持ったしなやかで勇壮な若者が、《新雪》という名の大人しそうで尻の大きな嫁を選んだ。二人は盛大に祝われた後、新居へと移り、そこで夫婦の営みを初めて行う。そういった手ほどきは小さい頃から仕込まれるが、実践するのはこの日が初めてとなるそうだ。もしも成人の儀を迎える前に誰かと性交をした場合は強制的に夫婦となるが、末代まで族長筋に上がることは出来ない。そういった記録は、全て彼らが住む家の柱に刻まれているそうだ。そして、罪を犯したものとして、背中に放射状の線を十本彫られる。これは太陽を表す紋で、光の神がいつも見ているぞ、という戒めである。生まれてきた子供にもつけられるとのことだ。何も子供にまで施すことはないだろうと思うが、共同体の秩序を保つため、だそうだ。その背中の紋は着ている服にも入れられる。そういうわけで目立つから、罪を犯した一族は、大抵が二代目でその血を絶やすらしい。これでは血が絶えてしまうのではないかと思うような気もするが、普通の夫婦は十人ほど子作りをするそうだから、増減は特にないらしい。実際はどうなのだろう。今のエス・トゥーナには百人くらい人がいるが、その中でその紋を付けているのは二人だそうだ。

 ともかく、《鹿角》と《新雪》には、沢山子を儲けて欲しいと思う。祝福は、新たな番いとなって並んだ二人の額に、それぞれ右と左の掌を当てることで与えられる。右が新郎、左が新婦だ。二人は、余所者である私とエルディオス様の所にも来た。私はブルナーフではないから、と言ったが、旅人だろうと誰だろうと、祝福をお願いしたい、と《鹿角》と《新雪》は言って、恥ずかしそうに微笑んだ。何と初々しくて美しいことか。陽光の下に降り積もる雪のように、彼らは眩しい。

 ブルナーフは美しい人々だ。狩りについて行ったエルディオス様も、軍装のままではあったが、いよいよこの集落に馴染もうとしていた。宴では隣の者と肩を組んで、何やら変な歌を歌っていた。歌は口伝で子孫に継がれていく。

 狼の遠吠えが今日も聞こえている。きっと《風牙》だろう。エルディオス様は宴で酒を浴びるように飲んだので、酷く酔っ払って眠ってしまった。毎日こんな感じだから今更どうとも思わない。平和で何よりだが。

 こんなことを思うのだ、私が夫を持つことも、もしかしたらあったかもしれない……身体の都合で望めるような状況ではなかったが。でも、この人のいる軍属も悪くない。


 そうだ、ここに書いておこう。すまん、許せ、イテリ。

 今日、私は《風牙》を見た。厠に行きたいと思って外に出た時のことだ。お前は眠っていたから知らないだろうが、厠の傍の篝火に照らされて、巨大な目が見えた。金色だったな。小便をする前だったからうっかり漏らすところだったが、寸での所で堪えた私を褒めて欲しい。暗かったが、私にはわかる、身体が闇に完全に溶け込んでいたからな。竜かと思う程でかかったぞ。お前は眠っていたから知らないだろう。お前の絵と一緒に、大きさがわかるように、この下に描いておこう。

 何故襲われなかったかって? 奴は満腹だったからだ。厠から戻る途中に、まだ若いのがブルナーフの宴の残飯を漁っているのを見た。ブルナーフは、残ったものは敢えて放っておいて、闇の神へ捧げる、というしきたりがあるらしい。そうしたら、いつの間にか綺麗になくなっているから、と、片付けの時にシルニルが言っていた。まあ、大半が肉だし、狼達にとって悪くはないだろう。《風牙》はこのことを知っていて、集落の中まで入ってきたみたいだった。人を襲う必要もないから私が餌になることはない。お前は私のことをいつか《風牙》の餌にしてやりたいとか言っていたけれど、残念だったな!

 私はあんなに美しい生き物を見たことがない。《風牙》は間違いなく闇の神の化身だろう……おそらく、この土地の闇の気が強いこともあって、あんなに大きく育ったのだ、と思う。この地方の主はあいつだ。暗闇の中でもわかった、沢山の狼達を従えていた。あれが死んだら、草や木を食う動物がわんさか増える筈だ……芽が食い尽くされた平原や森がどうなるか。そうしたら周辺のブルナーフの集落にも影響が出るに違いない。それはなるだけ先である方がいい……開拓が追い付いて、ブルナーフに援助を申し出られる豊かさが、我々に備わるまで。

 絶対に《風牙》を狩ってはいけない。手紙を出したが間に合うだろうか。イテリ、私のしていることは間違っていない筈だ。お前はわかり合いたいと言っていた、そうだろう? 私もそう思う。今日の酒は良い酒だった。

 今までずっと自身の境遇を憎むのみだったが、そういった理由を推測出来る知識をくれたのは、他でもない私の出自だ。皮肉だが、もう少し足掻いてみたい。


 新シルダ歴四百五年、九の月、二十四日

 連合軍本部から人が来た。軍属も悪くないなどと昨日書いた自分を絞め殺したい!

 あの野蛮人どもは、近くで狩猟したらしい獲物を担いで、エス・トゥーナに入ってきた。それを出迎えた私の悲鳴はきっと集落じゅうに聞こえただろう。

 信じられない。精霊王に誓って私は奴らを許しはしない。死んだ後でも、だ。エルディオス様の地竜よりも一つ下、馬の勲章を付けたあのクソ野郎どもはブルナーフの闇の化身を担いでいた。

 災厄を呼ぶつもりだ、と思った。私は彼らとわかり合うことを欲していた。報告書をもっと詳細に書いていた方がよかった、と後悔もした。だが、歯噛みしたのは私だけだった。もう一人は違った、すぐさま行動に出たのだ。

 エルディオス様がその場で三人の野蛮人どもから剣を奪い、あっという間に斬り殺した。あの人の長い金色の髪がふわりと舞って、雪の上に飛び散った血が美しいなどと思ってしまった私は罪深い人間だと思う。

 騒ぎを聞きつけて、エス・トゥーナの人々が集まってきた。ブルナーフ達は死んだクソどもと同じ格好をしているエルディオス様を縛り上げた。もう二度と軍装は身に付けたくない。《風牙》を殺したのはエルディオス様ではないと私は言ったが、信じてくれたのはシルニルだけだった。泣いても喚いてもどうにもならなかった。悲鳴を上げたからお前は違うと言われて私は縛り上げられなかったが。

 エルディオス様をどうやって助けよう?

 あの人には頭脳がある、様々な利益を計算する力が。もう滅ぼしたいくらい恨みは深いが、今の連合軍には必要不可欠だ。あの人の考えていることは理想だが、その為に邁進するのが私達部下だ。あの人を失ってはいけない。

 私は無力だ。男よりも非力な女であるということがこんなにも恨めしい。雪と草原の民は私よりも強い。そんな人々からあの人を助け出すなんて、どうすればいいのだろう。私はあの人を失いたくない。

 男達が武器を研いでいる。《風牙》や狼達が好む獲物を捕らえて、《風牙》を埋葬した塚に、頭だけ出し、生きたまま埋めて捧げるのだ、とシルニルは言った。死んだ軍の者達はその辺に打ち捨てたらしい。何かが食うに任せるのだろうか。


 新シルダ歴四百五年、九の月、二十六日

 エルディオス様がいなくなった。何処にも見当たらない。

 でも、雪の中に血塗れの勲章を見つけた。地竜が彫ってあった。

 そのあたりを掘っても何も出なかった。ブルナーフは私を見て心配してくれたが、エルディオス様のことを訊いても、誰一人として教えてくれなかった。

 夕方にシルニルが私を訪ねてきた。彼は、こっそり持ってきたのです、貴女に渡して欲しいと言われました、などと言いながら、長い金色の髪を差し出してきた。何かから切り取ってきたようだった。ブルナーフの髪の色は灰色だ……。

 あの人は何処かと訊いたら、葬送の儀式に加わって、《風牙》の眷属の血肉となりました、それが掟だからです、と、シルニルは言った。狼は雪や土を掘り返す。腹が一杯なのではなかったのか。彼らは人を食うじゃないか。《風牙》がいなくなって統率がとれなくなったのか。このままではブルナーフも危ないのではないのか。

 そうだ。あの人はもういない。

 嘘だと言って欲しい。

 願いが潰えたのならば、私が軍にいる意味もない。このままブルナーフと共にいたいとも、あまり思えない。居場所は自分で作るものだろうが、その為には、私の手は小さすぎる。私の力は弱すぎる。私はちっぽけで、少しばかり過去の出来事が好きな小娘、一兵卒の調査官に過ぎない。

 エルディオス様は悪い人ではなかった。寧ろ……。


 新シルダ歴四百五年、九の月、二十八日

 私は、自分もその葬送の儀式に加わることを申し出た。

 エルディオス様一人をこの大地に残して行きたくなかった。慰めだろうか、シルニルはこんなことを言う、自ら土の中に身を投じ、光と闇に分けられることを望む者もいる、と。そして、ブルナーフは、仲間を止めない。私も仲間だと思ってくれていたのだろうか、止められることはなかった。

 その儀式はもう間もなく行われるだろう。私の為に、彼らは白と黒の薄い衣装を用意してくれた。幼少の折より熱望していた調査官の仕事をここで終えてしまうのは残念だったが、それよりも、この人達と出会えてよかったと思う……エルディオス様はいなくなってしまったけれど……それが彼らのしきたりなのだろう、怒りを覚えても、潰してしまうのは、違う。彼らにとってはそれが生きているということなのだ。そう言い聞かせるしかあるまい。

 わかり合えないのであれば離すしかあるまい。連合軍から彼らを遠ざけなければならない、皆殺しにされてしまう前に。

 私は、これ以上生きるのはもう無理だ。私の存在を残しておいたら、連合軍はそれを口実に、ブルナーフを滅ぼすだろう。

 それを交えて、私はエス・トゥーナの人々に以下のことを伝えた。私が所属している連合軍は、やがて長い時を掛けて南から北上してくるであろう。

 そうしたら、ブルナーフはすぐさま会議を始めて、それからすぐに、支度をする、と言った。ここに残る者と、別の場所へ行く者に分かれるらしい。別の場所へ行くことを決めた者達は、エス・トゥーナを出て、もっと北にいる仲間達に合流するそうだ。周辺に住んでいるブルナーフの仲間達とも連絡を取りあって、共に北へ向かうとのことだ。ここに残る者は何をするのだろうか、連合軍と戦うのだろうか。皆逃げた方がいいと言うと、首を振った。

 あの人が斬り殺した兵士やあの人だけでなく、自らも儀式の贄とする、と彼らは言う。貴女の嘆きをシルニルから聞いた、と私に言ってきた人は皆、ここに残るそうだ。シルニルもここに残るらしい。何故かと訊いたら、こんな言葉が返ってきた。

「己が命で以て光と闇の神に報い試練を受ける、貴女の決意を否定することは決してしません、自分は貴女が剣で向かってきたら相対する予定だったし、掟のことは理解したし私は犠牲になっても構わない、とあの殿方は言っていました、私は旅人の意志を尊重します」

 ブルナーフはそういう人々だ。

 雪が降っている。こことは違う匂いだが、アスヴォン高原の寒さを思い出して、懐かしい。この記録は我が故郷から持ってきた箱の中に入れておこうと思う。ああ、誰かがこれを見ることがあるだろうか? もしもそんなことがあったら、その時はきっと、エルディオス様の名前を出してもいいくらいに平和な世の中になっていることだろう。誰も追われることのない、信じているものを損なわれることのない、夢のような世界を……降り積もる雪のひとひらとなって、私もそんな未来を見られたらいい、と願っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る