ぐらりと揺れる視界。暗い視界は、自分の瞼の重さに打ち勝つと、明るく、日と蛍光灯の飽和する、新幹線の座席を映す。

――――夢現、十数年も前のことを、銃夜は夢に見ていた。


「起きたか。あと二つ駅を超えたら、降りるぞ」


 目の前の席に座る晴嵐が、持っていた本の頁を擦りながら、こちらを見て言った。背丈も幅も、夢に出た彼より倍以上にはなっている。ただ、そのふてぶてしいながら、出しきれない優し気な雰囲気は、何年経とうとも変わってはいない。

 その顔を見て、クスリと銃夜は笑った。


「何笑ってるんだ」


 不機嫌そうに晴嵐は言う。


「いや、昔の夢を見てた。お前、本当に変わらないなって思ってな」


 銃夜は、ククッと引きつくように笑いながら、隣の席で眠る、小さな体を撫でる。

 互いに声変わりを超えた二人は、低くなった相手の声色を伺って、その場しのぎの会話を成立させようとする。しかし、それも、そうは続かない。


「……初めて会った日の話は、もうしないと思ってた」


 晴嵐が言った。その声は酷く冷淡であった。しかし、銃夜は、その言葉に添えるように、笑う。


「何言ってんだあの日は記念日だろ。お前と初めて会った日だ。お前と俺の間なら、それで良いだろ」


 実に自慢げに、銃夜が笑った。撫でる手は止まらず、黙って寝息を立てていた、小さな体は、眠たげな眼をを擦って、晴嵐を見る。


「レン。起きたか」


 レンと晴嵐に呼ばれた少年は、辺りを見渡して、銃夜と同じ黒髪を揺らし、宝石をはめ込んだような、美しい血の瞳を銃夜に向ける。


「お父さん、もう京都に着くの?」


 齢五つの彼は、銃夜にそう言い放って、黙って頭を撫でられ続けた。彼の右の瞳は医療用の眼帯で隠されており、父である銃夜とは合わせられない。


「もうちょっとだから、便所は少し待てるか?」


 便所、という言葉に反応して、晴嵐が身を乗り出し、銃夜の頭を打ち付けた。


「トイレな。トイレ。便所じゃない」


 まるで子供の躾をするように、晴嵐がそう言う。銃夜は変わらず、飄々とした態度で、晴嵐の言葉に、はいはい、と、相槌打った。


「おトイレは大丈夫。ちょっと待ちきれなくて、うふふ」


 突然、笑みを零したレンに、銃夜は不思議そうな顔をする。


「晴安さんって、いつも家に来てくれるけど、僕はまだ晴安さんのお家に行ったことなかったから、凄く楽しみなんだ」


 はきはきと、彼は喋る。面持ちは銃夜とそっくりでありながら、同年の彼とは全く違う言葉選びに、表情をする。

 それが酷く嬉しくて、たまらなくて、銃夜は何度もその頭を撫でつけた。


「お父さん。流石に禿げるよ僕」


 さらりと手から零れるレンの髪を見ながら、銃夜は、ごめんごめんと、笑って許しを請う。ぷっくりと頬の膨れた息子の頬を、つんつんと突く。

 そうしているうちに、新幹線は一つ前の駅のアナウンスをして、終わる。


「次だな」


 晴嵐が言った。外の風景は都会染みているとは言えない。それでも、銃夜がいた十数年前よりは発展しているように思える。


「神社は明日で、今日は街でも歩くか」


 そんな銃夜の提案に、晴嵐も頷く。その隣でレンは、キラキラと外に目を光らせていた。


「パーティーゲームの一つでも買ってくか」


 銃夜が街の大手家電量販店を見て、そう言った。その提案には晴嵐もうんとは言わず、駄目だ、と零す。


「レンのランドセルも買うんだぞ。その財布仕舞え」


 そう言われた銃夜はぶーぶー、と言いつつも、笑っていた。レンは、嬉しさと不安感を含めたような表情をして、晴嵐と銃夜を交互に見る。

 ふと、レンは、そういえば、と言ったように、晴嵐をまじまじと見た。


「何で今日は裸女さんじゃなくて、晴嵐さんが一緒何ですか? 晴嵐さんって、もう結婚しちゃったから、守護者を辞めたんですよね?」


 問われた晴嵐は、少し、困ったような顔になる。銃夜は変わらず、にやにやと彼を見ていた。


「まあ、裸女にも苦手な場所とか、気分ってのがあるからさ……」


 そう言葉を濁した後、彼は、それに、と、付け足す。


「俺は結婚しようが何があろうが、死ぬまで銃夜を守るって決めてるんだ。そこに契約書は関係ないんだよ」


 身を乗り出して、晴嵐は、優し気に、レンの頭を撫でる。


「良いなあ。僕にも欲しいなあ、そういう人」


 レンは晴嵐の優しさを身のままに享受すると、そう言って、晴嵐に笑う。銃夜は車窓の外を眺めていた。それが一種の照れ隠しであると、ちらと見た晴嵐には理解できる。

 これからレン――大宮おおみや漣夜れんやというこの少年に、出会うだろう少年を思い浮かべて、晴嵐は笑う。レンの欲するものは、既に彼の手にあるのだと、大人二人は知っていた。


 そんなことを考えているうちに、車内アナウンスは、目的地を示す。急いで荷物を下ろして、レンを座らせたまま、外に出る準備を行っていく。車体の動きが遅くなって、揺れる。駅構内の風景に染まる。人々が行きかい、次の行き先を待つ者、誰かを待つ者、様々な者がそこに立っていた。

 それらを歩いて交わさねばならないと、銃夜は片手でレンを抱きかかえる。


「晴嵐。悪い。一つ持ってくれるか」


 銃夜は複数ある荷物のうち、一つを片腕で引きずる。それに理解を示した晴嵐が、両の手で二つの荷物を持った。


「こうでもしないと、迷子になるんだよなあ」


 我が子の毎日増え行く重さを感じて、銃夜は歩き出す。出来るだけレンが人に当たらないようにとするが、数名の人々に自分の体ごと、衝撃を覚えた。


「あっ」


 暫く歩いて、レンの声が聞こえ、銃夜は、急いで人のいない場所へと歩む。それに着いていく晴嵐は、周りの目を気にしているようだった。


「待って、お父さん、待って」


 やっとのことで、比較的人のいない場所に出ると、銃夜はやっとのことで荷物を床に置き、立たせたレンと目を合わせる。最早、そこに、周囲の目線など関係は無かった。


「眼帯探さなきゃ。さっき、人にぶつかって切れて、どっかいっちゃって」


 レンの着けていた眼帯は、ゴム紐の部分が切れたのだろう。彼の顔を隠してはいなかった。隠れていた目から覗くのは、二つに割れた瞳。赤い重瞳。彼の手で隠そうとしているそれに気づいた人々は、ぎょっとしたり、無視しようと努力したり、様々な反応を示す。


「銃夜。替えが無いぞ」


 懸命に晴嵐が鞄から新たなそれを探すが、何処にもないらしい。銃夜はフッと笑って、レンを撫でつける。


「大丈夫だ。何、感染症でもないんだ。ちょっと人と見た目が違うだけさ。気にするこたない」


 銃夜は言う。その中に微笑を含んで、彼はレンの手を取った。共に歩けと促す。


「俺はお前のその目が、かっこよくて好きだよ。おいで。どうせお前を侮蔑する奴なんて、自分で自分を律しきれない人間だ。お前をお前のまま見てくれる人間と、お前は歩めばいい。幸い、お前の周りにはそういうのが多いんだ」


 歩き出す三人の周囲は、再び、人が増える。その中に、彼等は誰も気にすることなく、歩いて行った。多少の人間が、レンを見る。それでも、大半は気に留めてなどいない。自分の目的のホームに歩いていくだけだった。


「母さんが今日の夜に着くってのは聞いてるだろ。そしたら明日、一緒にランドセルを買いに行くんだ。この近くに大きい百貨店があって、一回は閉店したんだけど、改装したらしい」


 改札をくぐる手前に、三人は差し掛かって、銃夜がそんなことを言った。改札の向こう、銃夜達を見て、手を振る、着物の夫婦が見えた。その傍には、外国人風のスーツを着込んだ長身の男も立っている。夫婦のうち、女性の方は、晴嵐と似ているようにも見える。


 そして、その更に傍、夫婦の間に挟まれて、レンとそう変わらない年齢の、一人の少年が立っていた。彼はにこやかに、レンに微笑んでいる。その心地よさに、レンは、一瞬、目を奪われた。


 改札をくぐる。チケットは吸い込まれて、三人を通す。晴嵐の持っていた荷物が途中で引っかかったが、無事に向こう側へと進む事は出来た。


「ただいま」


 銃夜が言う。


「おかえり」


 待ち構えていた晴安は、あの日からそう変わらない表情で、皆を迎えていた。



【大宮銃夜番外編:捨てるに覚える子の慟哭を 完結】

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