ファミリー

 リビングと仕切りのないダイニングのテーブルには、紫庵と弥月、ありすが紅茶を飲み、アッサム博士は相変わらず英字新聞を逆さにして読みながら、茶をすすっている。


 梓がダイアナと洋館のリビングで紅茶を飲んでいたところに、リゼがなぎの手を引いていく。

 ダイアナが現実に存在していたのだと、なぎにもわかった。


「アズサ、ダイアナ、話があります。紅茶館の休憩室の方に一緒に行っていただけませんか?」


 なぎは隣にいるリゼを思わず見上げた。

 ダイアナのことも知っていた?


 四人が休憩室に着くと、梓とダイアナはソファに座り、なぎと並んだリゼは立ったままで話し始めた。


「ぼくは、この世界に住もうと思います。そして、なぎさんと……」


 リゼと目が合うと、なぎは思わず背筋を伸ばした。


 そんななぎの顔を見つめたまま、リゼは続きを語った。


「なぎさんと一緒に、紅茶館をやっていきたいです。つまり、……こちらの世界で家族に……本当の家族になりたいと思っています」


 梓は顔色ひとつ変えず、茫然としているなぎにも気を留めることなく、質問した。


「どういうこと? これまでも皆でファミリーとして紅茶館を経営して来たのではなくて? それとは違うファミリーなの?」


 リゼは怯むことなく応える。


「はい、違う意味としてのファミリーです。異性としてなぎさんが好きです。そばにいてもらいたいと思っています。戦いの最中、ジョーカーのささやきに負けなかったのも、皆への想いもあって、なぎさんへの想いもあったからだと思っています」


 なぎは、ハッとしてリゼを見上げた。

 やっぱり、大変だったんだ……。

 無事にこうして生きて帰って来てくれたありがたさが、じんわりと身に染み入るようだった。


「だから、もし、こちらの世界で認められる形で……一緒に住むことが出来るなら……」


 そう言い出したリゼを、なぎはびっくりして穴の開くほど見つめた。


 それって……それって……!


「……それが結婚という意味だとしたら……、日本では戸籍にうるさいから、戸籍も身分を証明するもののないあなたとの場合、結婚は認めてもらえないわ。ただし、同棲と違って婚姻届は出せなくても婚姻の意思があるなら、事実婚ということになるわね」


 事実婚……!?

 なぎの頭の中はぐるぐると回っていた。


「わかりました」


「あなたはそれで良くても、なぎはどうなるかわかっているの? 子供が産まれたら? この国では事実婚はまだまだ少ない。どれだけの人たちが理解してくれるかもわからないし、偏見を持つ世間からは奇異の目で見られるわ。あなたを外国人もしくはハーフということにしておいて、山根の姓を名乗って婿に入ったことにするでもいいけど。まあ、ハタから見れば、事実婚だろうと結婚だろうと、言わなければわからないことだけどね。他にも諸々と支障はあるわ」


 事実婚……!?

 子供……!?

 山根の姓……!?


 混乱中であるなぎの目の前で、梓とリゼとの会話が続く。

 ふと、リゼがなぎを見て微笑んだ。


「事実婚という形が一番ふさわしいなら、もちろん、ぼくはそういうつもりです。なぎさんと一緒になりたいという前提でお付き合いしたい、それをアズサにも認めてもらいたいと思っているんです。ぼくにとっても、アズサは大分前からの大事な友人で、なぎさんは、その友人のお孫さんなんですから、いい加減な気持ちでは付き合えないと思っています」


 あんぐりと口を開けたままだったなぎは、なんとか理解しようと頭を回転させるが、質問しか湧いてこない。


「あの……わたし、……まだにいるのかしら?」


「いえ、もう現実ですよ」


「なぎ、あなたはどう考えているの? いつからリゼとそういう関係に?」


 飛び上がりそうになりながら、なぎは祖母に顔を向けた。祖母には怒っている様子はないが、真面目に聞こうとする凛とした態度には、つい怖気付きそうになる。


「まだそういう関係ってほどじゃないけど、……わたしとしては、紅茶館の経営を一緒にしていくうちに、嫌なことがあってもリゼさんの優しさに癒されて、惹かれていって……。だから、わたしから好きになったんです。その想いは今も変わりません……っていうか、一層強くなってます」


 瞳が一気に潤む。

 リゼの頬も、じわじわと赤らんでいった。


「ありがとう」

「い、いえ! こちらこそ、ありがとうございます!」


 なぎがリゼにペコッと頭を下げると、リゼはくすぐったそうに笑い、「顔を上げてください」と言った。


「おばあちゃん、わたし、リゼさんと一緒になりたい気持ちはあっても、それは気持ちだけで、現実的には、正直まだ勇気が足りない、覚悟がまだ足りないところもあると思うの。時の番人のことももっと良く知りたいし。だから……」


 顔を上げ、懇願するように梓に続けた。


「だから、ちゃんとリゼさんと向き合いたい。向き合って、今のこの『好き』っていう気持ちを、この人と一緒にやっていきたいとはっきり思えるような『勇気』に変えていくためには、その時間が必要だと思うの。だから……、リゼさんと一緒になることを前提にお付き合いするのを、わたしもおばあちゃんに認めてもらいたいわ」


 梓は、なぎの顔に見入った。

 少しの沈黙の後でため息をつき、改めて二人を見つめた。


「……時代……かしらね。いいえ、考え方の違いかしら。私の若い時よりも、あなたたちはよほど柔軟なのね」


「認めてあげてもいいんじゃなくて、アズサ」


 ダイアナがにこやかに言った。


「ん……? 今、日本語……?」


 なぎは、プラチナブロンドの老女に目を留めた。


「二人はいい加減な気持ちから言ってるのではないと、私には見えたわ」


「ありがとう、グランマ」


 そう言ったリゼをさっと見る。


「グランマ……? ってことは、ダイアナさんはリゼさんの……!?」


 リゼとダイアナは、にっこりと笑った。


「はい。ぼくのおばあさまです」

「……おばあさま? ……リゼさんの?」

「そう。ぼくの父の母で、この世界の時を見守る『時の番人』の一人でもあります」

「……えーーーーーーっ!」


 ダイアナは親しみやすい笑顔をなぎに向け、よく見ると光の加減でリゼと同じ紅く見える瞳を和ませた。


「リゼが独り立ちしてに住むと言うなら、私は引退して、私の担当する分の『時の領域』をリゼに譲ってもいいわ」


「ええっ!?」


 なぎだけでなく、リゼも驚いた。


「もちろん、数年は研修期間だから、すぐには引退はしないわ」


      *


 その夜、梓は洋館のリビングで、りんごの酒カルヴァドスをロックで飲んでいた。


「僕も一緒にいいかな?」


 紫庵が、ソファの隣を少し開けて腰掛けた。

 乾杯、と二人はそれぞれのグラスを掲げ、大きく透明な氷を眺めながら揺らし、琥珀色の酒を味わった。


「リゼは覚悟を決めたみたいだね」


「聞いていたの?」


 梓はため息を吐いたが悩んでいる風ではなく、笑みを浮かべている。


「まいったわ。『勇気』ですって。違う種族を受け入れる、愛を貫く勇気……とはね。孫に教えられるなんて。あの頃の私が、なぎたちのようにもっと素直に自分のことを考えていたら、もっと……違っていたのかも知れない。当時は常識や厳格な教えが邪魔して、とてもあんな風には考えられなかったもの」


「僕もだよ。でも、なぎちゃんの言うように、そうする勇気が足りなかっただけだったのかも」


「あなたにはずっと勇気付けられて来たわ、アールグレイ。夫を亡くした後も、ずっと寄り添って見守ってくれていたのに、あなたへの勇気は、……私には持てなかった。逆に、あなたを見てよく知ってしまえば惹かれてしまう。それが怖かった。だから、あなたのことを見ないようにしていた」


「アズサは悪くない。僕にもう少し勇気があったら……」


 紫庵は開けていた梓との間隔を詰めて座り直し、手を取った。


「アズサ……」


 そっと唇を重ねる。

 ベルガモットの香りが、ふんわりと二人を包む。


「……やっときみに触れられた」


 目元を赤らめた紫庵は、愛おしい視線を梓に向けていた。

 梓の冷静な表情の中で、瞳だけが光を帯び、揺れる。


「私はもうおばあちゃんなのよ。肌はカサカサだし、シワだらけよ。なのに、あなたはいつまでも若くて綺麗なまま。私には勿体なさすぎる。あなたはいい加減もっと若い子を見つけなさい」


「そう言われても、諦めたつもりだったけど、やっぱりきみが好きなんだから仕方ないじゃないか。歳を取ってもきみは綺麗だ。初めて会った頃と変わらず、強く、美しい。何度もそう言ってるだろ?」


 梓を抱きしめる。

 壊れないよう、包み込むように。


「いい加減、もう信じてくれてもいいんじゃない?」


 しばらく紫庵の腕の中で沈黙していた梓は、ふっと笑顔になった。


「わかったわ。信じる」

「僕ともファミリーになって」

「もうなっているわ」


 紫庵は何も言えず、感謝するように梓をさらに包み込んだ。

 その腕の中で、梓は安堵したように身体を預けた。


      *


 紅茶館二階の部屋から見える丸い月はやはり鏡の国より小さく見えると、なぎは思った。

 月の模様もやはり似ている、とも。


「ありすは珍しく洋館の自分の部屋で寝るって、絵本も自分で読んで寝たって、アズサが言ってた」


「そう。ありすちゃん、気を遣ってるのね。なんだか悪いわ」


「成長したんだと思います。時が止まったままだったありすは、見た目は変わらなくても少しずつ成長している。ぼくも安心しました。なぎさん、ありすの意見にも賛成してくれてありがとう」


 リゼはあたたかく微笑んだ。


 ありすも、しばらくこちらの世界に住みたいと言い出した。

 赤のクイーンであるメアリー・アンは「冗談じゃない!」と怒り出したが、なぎとリゼが頼み、紫庵も弥月までもが加勢すると、時々は鏡の国にも帰るならという条件で許しが出た。


 ありすの側付きである弥月も、紫庵も、今まで通り洋館にいる。

 博士は側付きではなく女王直属のティーブレンダーであったが、紅茶のことを詳しく覚えたいからとなぎが頼みこみ、ありすの口添えもあってついて来ていた。


「また皆と一緒に紅茶館をやっていけるなんて、嬉しいわ」


「ぼくも、皆ともなぎさんとも一緒にいられて嬉しいです。アズサにもああ言ってもらえて嬉しいです」


「わたしこそ……」


 ハッとして、なぎは口をつぐんだ。

 リゼの片方の手が、さえぎるようになぎの頬を包んでいた。


「ありがとう」

「わたしこそ、ありがとう」


 背が、やさしく抱き寄せられる。


 あたたかい。

 リゼの背にも細い手が伸びていく。互いの肌のあたたかみを噛み締めるように抱き合うと、しばらく動かなかった。


「……リゼさん、本当に存在しているんですね……」


「はい。ここにいますよ」


「……夢じゃないんですね」


「夢じゃありません」


 紅茶色の瞳を見上げてから、なぎはリゼの胸に顔を埋めた。


「……大好き」


 リゼが照れたように笑った。


「おっと、先に言われてしまいました。ぼくもなぎさんが大好きですよ」


 しっかりとリゼの腕が応え、なぎの身体をさらに強く抱きしめた。


「そばにいていいですか?」


 耳元に聞こえた声に、トクンと心臓が小さく鳴るのを感じながら頷く。


「そばにいて。わたしも、そばにいたい……」


 リゼの唇が、なぎの額に止まった。


 まぶたに優しく触れ、鼻先に、頬に触れていき——


 そして、唇に向かっていく——


 ちゃんと生きてる。

 夢じゃない。


 ゆっくりと、一つ一つ確かめるように触れ合い、離れては引き寄せられる。


 その度に愛おしさが募っていくのを、なぎは心地良く受け入れていき、リゼもおそらく同じだろうと感じられた。


「……鏡の国だけのことじゃなかったんですね……」


 うっすらとまぶたを開いたなぎを映した紅茶色の瞳は、柔らかな光をたたえて微笑んだ。


「どこにいても、いつであっても、この想いに変わりはありません」


 一瞬見入ってしまい、止まっていたなぎの瞳は一層輝いていき、飛びつくようにリゼの胸に抱きついた。

 細い身体を大事に包み込んだリゼは、愛おしい仕草で、なぎの肩より少し伸びた髪をゆっくりと撫でた。

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