5-3

 音というより空気が揺れるのを感じたと言った方が正しい。

 その気配はあまりにも無色透明すぎて逆に個性的だ。

 振り向くと石川がちょこんと立っていた。

「待ってた。端的に返事を聞かせて」

 相変わらず抑揚のない声だった。

 事務的というか、自然の中で生まれては消える音みたいな声だ。

 特色がないという特徴が存在感をはっきりさせる。

 俺は木曜から今日まで考えた返事を言葉にした。

「イエスだが、ノーでもある」

 端的にと言った石川を裏切る様な答えだが、俺ははっきりとそう伝えた。

 石川は無表情のまま、少し間を開けて尋ねた。

「そう・・・・・・。なら、それを話して聞かせて」

「まずイエスの方だけど、書くよ。上手くできるか分からないけど、やるだけやってみる」

「そう」

「でもエロゲはノーだ」

 それに釘笠が声を挙げた。

「なんでだ少年っ!? エロゲ声優の弟である君までもエロゲ文化を否定するのか! 裏切り者! みんなそうだ! エロゲに育てられたのに表の世界で評価されたらすぐにそっちへ行くシナリオライター共め! お前達には恩義ってものがないのか! さっさと全員帰ってこい!」

 そう言って釘笠は壁に貼ってあった『その声を』のポスターを指差した。

 よく分からないがとりあえずお偉いさんに喧嘩を売るのだけはやめてほしい。

 そんな釘笠に石川は静かに言った。

「黙って」

「はい。すいません」

 釘笠は即座に謝った。

 どうもこの二人の上下関係はいまいちよく分からない。

 もしかしたら釘笠も石川に弱みを握られているのかもしれない。

 こいつは弱みの塊みたいな奴だし。

 石川が続けた。

「具体的に」

 そう言われ、俺は小さくふうっと息を吐いた。

 自分の意見をちゃんと言うのは少し緊張する。

「まず、当たり前だけど高校生がエロゲを作っていいわけがない」

 釘笠が耳を塞いだ。

「そんな正論は聞きたくない! わたしにとってエロゲとはくだらない学校生活における救いの神であり・・・・・・はい。すいません」

 また横やりを入れようとした釘笠だが、石川が一睨みすると静かになった。

 俺は気を取り直して続けた。

「それに俺が書けない。シナリオ部分を任せてくれるなら、俺が書きたい物を書きたい。それは、もしかしたら美少女ゲームにすらならないかもしれない」

「そう」

「何より、エロゲじゃ部活動として認められない。表向きだけでもちゃんとしたゲームを作ってやれば、学校は認めてくれるかもしれない」

 俺は釘笠の方を向いた。

 急に見つめられて釘笠は赤くなった。

「世界に行くんだろ? なら隠れてないで、表に出てこいよ」

「あ、あれはできたらいいなっていうか・・・・・・」

 もじもじと照れる釘笠に俺は肩をすくめた。

 威勢が良いのか悪いのか、よく分からない奴だ。

 俺はまた石川に向き直した。

「これは俺のわがままだ。だけどもしお前らとやるならそういう条件になる。それが嫌なら一人で書くよ」

 石川は唇に細くて白い指をあてて考えた。

 なぜか俺はその仕草にどきっとした。

 しばらくして石川は答えた。

「私はエロゲに拘りはない。イラストを描ければいい。でも、作るのは商品。買ってくれる人がいるから成り立つ。楽しみにしてくれるユーザーがたくさんいる」

 俺が頷くと、石川は顔を上げた。

 吸い込まれるほど綺麗で澄んだ瞳で俺を見つめた。

「あなたに、そんな人達を満足させられるお話が書ける?」

 それは、物語を書く者にとって心の中に踏み込んで来るような問いだった。

 後ずさりたくなるような問いでもあった。

 俺には自信なんて微塵もない。

 なにせなにも経験がないんだから持ちようがない。

 それでも、ここで首を横に振ったら一生後悔すると思った。

 俺は全ての分岐点で一生逃げ続けると予感した。

 戦う前から負けを選ぶなんて、そんなの絶対に嫌だ。

 なにより、逃げずに戦っている姉貴に合わす顔がない。

 姉貴の顔が頭に浮ぶと、俺は自然に笑っていた。

「書くさ」

 石川はじっと俺の目を見た。

 俺もじっと石川の目を見た。

 五秒ほどそうしたあと、石川はほんの微かに微笑んだ。

「そう。なら私はあなたの世界を描くわ」

 石川は大事にとっておきたくなる様な笑みを浮かべた。

 その笑顔に俺だけでなく、美鈴も釘笠も釘付けになっていた。

 俺達の好奇の視線が恥ずかしかったのか、石川はすぐにいつもの無表情に戻った。

 ほんのりと頬が赤い。

「タマが笑ってるとこ、初めて見た・・・・・・」

 釘笠は棒立ちでと口をぽかんと開けていた。

 お前、やっぱり嫌われてるんじゃないのか?

 俺は少し恥ずかしく思いながら、鞄からノートを取り出した。

「・・・・・・えっと、一応・・・・・・その、案っていうか、そういうのを考えてみたんだ・・・・・・。最後のページにまとめてる」

 俺がノートを差し出すと、石川はそれを受け取とろうと手を伸ばした。

 だけどやっぱり恥ずかしい。

 中々ノートを離さない俺を石川は一度見つめた。

「見せて」

 その言葉に俺がどきっとした時、手からノートは消えていた。

 石川はノートを広げ、さっと目を通した。

 釘笠も石川の後ろに回って、一緒に読んでいる。

 なんだか凄くムズ痒い。

 小学生の時に書いた日記を読み回されてる気分だ。

 読み終わると石川はノートを閉じてそっと俺に返した。

「これで書いてみて」

「・・・・・・あ、うん」

 案外あっさり決まってしまった。

 もっとボロカスに言われると思って覚悟をしていたのに。

 いや、多分まず書かせて、できあがったものを見て決めるってことなんだろう。

 どちらにせよ、石川の一言で事はすんなり決まってしまった。

 しかし釘笠は満足はしていないようだ。

「ヒロインは一人だけなのか? わたしはもっと賑やかなのが好きなんだけど。イラストを描いててもそっちの方が楽しいし」

「最初だからな。俺も勝手が分からないんだよ。いきなり複雑なのを求められても困る」

 俺がそう言うと、釘笠は相づちをうった。

「うむ。確かにそうだな。わたしも書いていてそう思ったことがある。収拾がつかなくなるんだ。まあ、触手とか山賊とか出せばいいか」

「ださねえよ」

「むう」

 釘笠は頬を膨らませるが、俺は断じてエロを書くつもりはなかった。

 自分が書いたエロ本をクラスメイトの女子に見られるなんて考えただけでもじんましんが出そうだ。

 そのあと石川は再び肌色を塗る作業に戻った。

 俺の脚本ができるのはまだ先だから、とりあえずは釘笠が作った話でゲーム制作は続けるらしい。

 その間、俺と釘笠は次のゲームについてああだこうだと議論していた。

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