乙女と御曹司




 ジゼルは普段着のドレスを身につけ一つの部屋を訪ねた。

 神官長に聞いた、王宮内で安静にしているクラウスのいる部屋だった。

 目覚めてしばらくして神官長に会い今はここに来ているので、地下神殿がどうなっているかやそこであった出来事がどの程度どこにまで伝わっているのかジゼルには分からない。

 強く知りたいとは思わなかった。





 クラウスは眠っていた。

 部屋に入ってなるべく音を立てずにベッドの側まで行った。横たわり、目を閉じるクラウスの顔を上から覗き込むと、表情は苦しそうではなく顔色も悪くない。

 一安心して椅子があったので座らせてもらうことにする。


 椅子に座り、改めてクラウスを見る。

 〈神降ろし〉により神が宿ったあとの人間の身体には影響は避けられない。ジゼルのときは、何週間もベッドから離れられなかった記憶がうっすらとある。

 だからといって大きな支障が残ることもなくしばらくすれば何ともなくなる。神々は祝福し人々を傷つける存在ではないからだ。

 堕ちた神は天上より降りた例外であり、神々の特別な祝福が残るかもしれないがそれ以外に害と呼ぶべき影響はまるでない。

 神官長によるとジゼルが恐れた呪いに類する証は見られないとのこと。

 堕ちた神自体がいなくなったので恐れはなかったのだろう、ジゼルの呪いの証も消えたのだから。

 そういえば何日経っているのか聞くのを忘れた。


 クラウスの顔を眺めていたジゼルは季節柄薄めの肌触りよさそうな毛布で覆われていない、腕に視線を落とした。銀色のナイフで切り裂いた瞬間が脳裏に甦る。

 短くなった髪の少しかかるクラウスの顔をちらりと見て、眠っていると確認する。

 ゆっくりと手を伸ばして身体の横に置かれている手に触れ、とる。そっと袖を上げていき軽く裏返す。


「……」


 傷痕があった。

 深かったろう傷が塞がってはいるのは神々の祝福によるものだろうか。でもその証だけは消してくれないということか、少し盛り上がり残る深く傷つけた痕に触れる。

 この腕を濡らしていた血はない。しかしあのときの光景が何度も浮かんで仕方なく、胸が苦しくなる。



「怒ってるか」



 声に、ジゼルは腕を撫でていた手をピクリと止めた。


「……ごめんなさい、起こしたかしら」

「いいや元から起きてた。神官だったら寝ていろとどやされるから寝たふりしてた」


 横になっているクラウスの開いていた目は寝起きではなく、寝たふりをしていたらしい。ではジゼルが入ってきたときからずっと起きていたのか。

 何と言うべきか反応に迷い、さりげなく手を離したジゼルは結局寝たふりの件は流すことにした。


「私が、何に怒るというの」

「ジゼルに黙ってやったことだ」


 ――〈神降ろし〉


「……あなたは振り向かなかったわね」

「地下神殿でか?」

「そう」


 ジゼルは声の限りに呼んだのに。

 クラウスは始終背中を見せるばかりだった。


「振り向いても俺はやっていた。一度振り向いて背中を向ける方が酷いと思わないか?」


 そう答えクラウスは身を起こした。ジゼルは慌てる。


「寝ていなければ駄目よ」

「ジゼルまで言うのか? 俺は平気だっていうのに」


 聞く耳持たずクラウスは完全に上半身を起こしてしまった。何日経ったかは知らないが……クラウスは身体が鍛えられている方だったから回復が早いのだろうか。

 横になる様子がないので早めに退散すればいいかとジゼルは思うことにした。


「何も、違和感はないの?」

「ない。ジゼルは」

「ないわ」

「それなら良かった」


 心配されて、心配されるべきはそっちの方だと思うジゼルはクラウスの手が伸ばされてきて開きかけの口を止めた。


「ふーん? 別に俺はジゼルが何色の髪をしていようが関係ないが、確かに似合うな」


 彼が触れたのはジゼルの髪、くせで前髪以外は全て後ろに流してしまっているうちの一房を手に取った。

 武骨な指に滑るのは、言わなければ地毛だと思われていたに違いない黒と灰の間の色ではなく、金色の髪だ。

 ジゼルは呪いの模様を見ることを好まなかったように、同じく呪われて変わったあの髪色を見ることも好まなかった。それも終わった。


「……私を気絶させたわね」

「見せたくなかった」

「言わなかったわね」

「反対すると思った」

「当たり前でしょう」


 だって。


「誰も犠牲にしないと言ったわ」

「しなかっただろう?」


 違う。


「あなたが犠牲になるところだったじゃない……!」


 死ぬかもしれなかった。

 特に何も知らずに目にしたときの衝撃はもう思い出したくない。とてつもない恐怖だった。

 神官長から聞いた条件。推測でしかなく、それを承知の上で悉く不安を飛ばす返事をしたのはクラウスだと聞いた。


「俺は死なない」


 きっとこの目で、同じ強い目で言ったのだろう。

 ぶれない口ぶりで言うクラウスは、強い蒼い目をしている。


「なあ泣くなよ、ジゼル」


 泣いていない。ジゼルは頬に流れるものがあることを否定する。

 結果論だ。全部結果。確証なんてどこにもなかったのだ。どこまでもクラウスが当然との口調で様子で言うから、ジゼルは分からない。


「だ、いたい、失敗したときのことは考えなかったの」

「失敗したら? 堕ちた神が出てきた場合のことか? そんなこと決まってる。こんな国魔物に喰われてしまえばいい、堕ちた神に滅ぼされてしまえばいい」

「な――」

「報いだ。ジゼルの上で成り立っていたんだから全員で受けるべきだ」

「……シモンズ家の嫡男が、何を言っているの」

「俺はどうせ放浪息子だからな」


 髪から手を離したクラウスがジゼルの頬に手を這わせながら、薄く笑った。

 『家出』のことを当てすこっているのだとジゼルは理解した。

 三年いなかったこと、置き手紙も何もなしで親にも内緒で家を出て神殿に行って神官長はクラウスのことを隠していたと言っていたから完全に長い家出、放浪息子扱いになっていたはずだ。

 ジゼルも『家出』したと手紙が来ていたことでクラウスをシモンズ家に送り届けたとき、もう家出しないようにといったことを言ったと思う。


 三年を認識しないで。


「ひどいよなあ、いないことにも気づいてもらえてなかったんだよな」


 わざとらしく、でも本音も混じった声。


「……どうして……」


 三年、それは忘れかけていた事実である元々病であった日々を送っていて、呪われ繰り返す時を過ごしていたジゼルの時間感覚とは異なり、普通なら人生では無駄にするべきではない時だ。


「どうして」


 唇が震えた。

 死んでしまっていたかもしれない。呪われていたかもしれない。

 確かに全ては終わった。けれどそれらの可能性があったのに、把握していたはずなのにどうしてそこまでする。ジゼルは分からない。


 それなのに、それが信じるべきただ一つの真実であるように、揺るぎない口調でクラウスは言う。


「好きだから。ジゼルのことが好きだから、当然だろう?」


 クラウスは涙を流すジゼルの頬を手で包み込み、そっと触れるだけの口づけをした。


「俺のことを信じてくれて、諦めないでくれてありがとう」


 お礼を言うのはジゼルの方だ。喉の奥が熱くて息がし辛くて、上手く声は出なかったけれど聞こえただろうか。








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