第11話



 刹那、横から何かが飛来した。


 零司がそれを避けられたのは、奇跡に近かった。ガン、と音を立てて、校舎の壁に漆黒の何かが刺さる。

 ――斧。

 鼻先を掠めて飛んできた巨大な斧に、零司は呆気に取られた。


「だ、誰だ!? 校内に危険物を持ってきた奴は……!」


 首を回すと、柱の陰になった一際暗いところに、フード付きの真っ黒いローブを纏った人物がいた。フードは目深にかぶられていて、顔も性別もわからない。だらりと垂らした手には漆黒の斧を持っていた。もう一本持っていたのか。


 学校の中庭にはそぐわない異様な出で立ちに戸惑う。が、零司はすぐに気を取り直した。風紀委員がビビっていたのでは、校内の秩序が保たれない。


「……演劇部員か? その斧はちゃんと許可を取っているんだろうな? 校舎を破損するような行為は……」



「――柳生零司」



 しゃがれた女の声にフルネームを呼ばれて、零司は口を噤んだ。

 ローブの人物と二人っきりの状況に、どことなく恐怖を覚える。まるでそこにいるだけで空間を歪めてしまいそうな奇妙な存在感。

 立ち竦む零司へ、ローブは冷ややかに言った。


「やはりマモンと契約したか。それがおまえの運の尽きだ」


 やはり……?

 疑問に思うや否や、ローブの人物が動いた。


 長い裾が割れて細い脚が見えた。

 真っ直ぐこっちへ突進してきたローブは、零司目がけて斧を振り上げ、


「なっ……!」


 殺される!?

 悟ったときには、斧の間合いに入っていた。


 ギラリと光った刃を見上げ、零司が腰を抜かしたとき、闇が降ってきた。

 遅れて、それが黒いドレスだと気付く。零司の目前に立ちはだかったソフィアの日傘と、零司を襲うはずだった斧がぶつかり、ガン、と音がした。


 ローブが、宙を舞う。


 ソフィアと零司の頭上を軽々と飛び越え、後方へ着地した襲撃者は、そのまま学校の敷地外へ走り去っていった。


「柳生くん、怪我はないかしら」


 襲撃者の超人的な運動神経に呆然としていると、ソフィアは言った。銀髪の生徒会長を見上げる。彼女は何事もなかったかのように日傘を撫でていた。斧を受けたはずなのに、それは破損していないようだ。


「……いえ、俺はどこも……会長こそ、大丈夫でしたか?」


 急いで立ち上がって言う。と、ソフィアは瞳を細めた。


「平気よ。校内パトロールをしていた甲斐があったわね。柳生くんに怪我がなくてよかったわ」

「そういえば、会長はあの、どこから……?」

「あそこよ」


 指で示され、零司は中等部と高等部の校舎を繋ぐ渡り廊下を振り仰いだ。その窓の一つが全開になっている。優に三階分の高さはあった。


「あの渡り廊下から、ここは丸見えなのよ。見られている側はなかなか気付かないみたいだけれどね」


 はあ、と零司は気の抜けた返事をする。確かに昼休みの度に来ているが、あそこを見上げたことはなかった。


「それより、柳生くん。あの黒ローブとはどういう関係なのかしら? 見た感じ、柳生くん狙いだったようだけど」


 関係!? と零司は素っ頓狂な声を上げた。


「何も関係なんてありませんよ! あんないきなり襲ってくる奴、知りません! 俺だって驚いているんです」

「心当たりもないの?」


 ソフィアに覗き込まれ、零司は言葉に詰まった。


 あいつはマモンの名前を出してきた。ということは、悪魔が関係しているのだろう。だが、悪魔なんて会長に言えるはずがない。

 零司は「はい……」と頷くだけに留めた。


 ソフィアが零司から目を逸らし、顎に手を当てる。


「……どうやら貴方は面倒なものに目を付けられてしまったみたいね。それだけ貴方が魅力的ってことなのかしら」


 ぼそりと呟いたソフィアに、零司は瞬いた。魅力的と聞こえたが、何かの聞き間違いだろうか。自分がそんな評価をされるなんて考えにくい。

 ソフィアは零司に目を留めると、優しく微笑んだ。


「柳生くん、もし本当に困るようなことがあったら、教会へ行くといいわ」

「教会、ですか……?」

「ええ、学校の裏にあるでしょう。放課後、私もよく行くのよ。きっと柳生くんの悩みを解決してくれるわ」


 そのとき、ソフィアの首で十字架がきらりと光った気がした。


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