第13話「ふたりⅡ」

 第十三話「ふたりⅡ」


 俺は真摯な彼女の視線に応え、ゆっくりと頷く。


 「みや、憶えてるか、初めて会った頃」


 そうして俺は話し始める。



 「親類一同が集まる中、みやはその時から当主家のお嬢様で、当時からすごく綺麗で、黄金の竜眼りゅうがんっていう凄い能力を持っていて、同年代の子供達は皆、羨望の眼差しでみやを見ていた」


 「……」


 雅彌みやびは黙って俺の話を聞いている。


 「俺はと言えば、当主家の血を引いているとはいえ、隻眼で異質な半端者、生まれた時に廃棄されてもおかしくない存在だった」


 「こうくん……」


 雅彌みやびは、俺に心配そうな瞳を向けてくる。


 俺はつい自嘲的な言葉になってしまった事に気づき、笑って”大丈夫だ”と彼女の気遣う瞳に応えた。


 「そんな俺が初めて見る噂の当主家のお姫様は、想像通りやっぱり手の届かない存在だった、当時、親戚一同が会する行事でも、幼いながら、みやは中心的な存在で、てきぱきと命令を出していたし、同年代に逆らうモノは誰もいなかった」


 「ちょっ、ちょっとその話は!」


 彼女は当時を思い出したのか、少し顔を赤らめて話を遮ろうとした。


 そんな彼女を見て、つい、俺は口元がほころぶ。


 「こうくん……」


 恨めしそうに俺を見上げる雅彌みやびの濡れ羽色の瞳。


 いつも完璧を目指す、燐堂りんどう 雅彌みやびの、こういう可愛い仕草を何人が知っているのだろうか。

 俺は本当に久しぶりに、そんな子供じみた優越感に浸っていた。



 「俺は一族の者達からは恥だって、生まれてこない方が良かったって、だからいない事と同じ存在なんだと、今まで誰からもそんな風に扱われてきたから……その日も何もしないで、邪魔にならないように息を潜めてやり過ごそうと考えていた」


 俺は、雅彌みやびの反応を楽しみつつ続けた。


 「そんなときみやは言ったんだ、”あなた、はがねって名前だったっけ?あなたはこれを運びなさい”って、俺はすごく驚いた、今まで俺に、嘲笑以外の言葉をかける一族の者なんていなかったのに、よりによって一族の誇り、竜族の至宝って言われてるみやに、声をかけられるなんて思ってなかったから」


 「……」


 最初は過去の自分の世間知らずな言動を恥ずかしがっていた雅彌みやびだったが、俺の告白を聞くうち、次第に静かに耳を傾けてくれていた。


 「あんまり、予想外のことで、俺は戸惑って固まるし、周りの者達はお嬢様の相手にするような者じゃないってみやに忠告したけど、みやはこう言ったんだ、”竜士族の者は皆私に従うのが当たり前でしょう、例外は許さない、穂邑ほむら はがね!あなただけ楽はさせないからしっかり私のために働くのよ!”ってな……」


 本来、雅彌みやびにとって、この頃の昔話は思い出したくない恥ずかしい過去であった。


 唯唯、世間知らずなお嬢様、蝶よ花よと育てられ、わがまま放題に育っていた、赤面の過去……彼女はそう思っているだろう。


 でも、でも俺はその昔話が、とても懐かしくて大事な思い出だ……。



 「昔のことはこれでも反省しているのよ、それに今はそんなんじゃ……」


 いつしか彼女も懐かしむような表情で、でも、恥ずかしげに答える。


 「解ってる、俺が知ってる頃の、十四歳の頃のみやでさえ、竜士族の誇りで皆の憧れだったから、近寄りがたい雰囲気はあったけど、皆の尊敬を集めていたし、人望もあった」


「……こうくん」


みやはゆくゆくは竜士族の当主になる、竜士族全体のかけがえのない存在……それはわかってるけど……俺は、二人の時に、そうやって、そんな風に俺を呼ぶみやが居てくれればそれで良かった、そう呼ばれた時に、その時だけは昔のように俺だけのみやのような気がして、それがいつまでも続かないことは承知していたけど、それだけで良かったんだ」


 雅彌みやびは、俺の打ち明ける心の内を聞き終えてから暫く無言でいた。


 「わ、私も……」


 雅彌みやびは遠慮がちにそれだけ口にして、下を向く。


 俺の当時の胸中は、彼女にとっても同じものであったのだろうか?


 彼女は俯き気味に俺の肘を掴む手と逆側の手を自身の胸に添えていた。

 なんだか大切な想いを温めるように……胸の奥にジワリと広がる何かを逃さないように。



 少しだけ、その仕草に時間を費やした彼女は、顔をあげる。


 それは、俺に対する抗議の色を含んだ、美しい濡れ羽色の瞳。

 彼女の真剣な瞳が俺を正面から捉えていた。



 「私は竜士族次期当主……それは私の宿命づけられた使命、私の誇りでもあるわ」


 「そうだな」


 その事には俺はまったく同意見だ。


 「だから、はがねは、私の事なんかにそんなに囚われないで……もっと自分の事を……」


 「囚われているのはどっちだ!みや!」


 「!」


 つい口調がきつくなってしまう俺。


 だが仕方ないだろう、竜士族当主の事を言っているんじゃない、一族の未来を人質に取られて……彼女の人生を、穂邑ほむら はがねが誰よりも大事だと胸を張って言える燐堂りんどう 雅彌みやびの人生に土足で踏入り、力ずくでねじ伏せる九宝くほう 戲万ざまという男を……彼女を永遠の監獄に縛る男を……穂邑ほむら はがねは……それがどうしても許せなかった。


 だから俺はその行動を起こしたのだろう。


 九宝くほう 戲万ざまの強さは尋常で無いと聞く、直接面会したことのある雅彌みやびもその噂に全く異存は無いようだ、だからこそ俺に手を引かせようとする。


 具体的には解らなくても、俺が何かをしようと企んでいるのを知って……彼女は。



 九宝くほう 戲万ざま……


 竜士族最強の雅彌みやび、”黄金竜姫おうごんりゅうき”を本能的に怯えさせるほどの威圧感。


 しかし、何よりも、九宝くほうが、他の十二士族達から恐れられる理由は別にあった。


 ”強制力”、九宝くほうは代々そう呼ばれる能力を持つ。


 他の士族に影響を与えるこの能力は、九宝くほう独特の能力で、他の士族は例え上級士族であっても、かの者の前に立てば、自身が持つ能力を上手く発現できなくなり、下手をすると満足に動くことさえ困難になるという。


 上級士族の能力の源である”あかし”を封じ込め、屈服させる反則級の能力。


 この特異な能力により、九宝くほうは三百年以上、あらゆる士族の頂点に君臨し続けているのだ。

 この王者の能力から逃れる方法は只一つ、士族で無くなる事だ。


 単純ではあるが、その存在価値である”あかし”を捨て、士族の誇りを捨てて、命を失うリスクを冒してまで、得ることが出来るのは、無力な一般人に成り下がること。


 そんなことを実行する士族が……実行できる人間がいるはずが無かった。



 しかし、俺は、穂邑ほむら はがねはそれを決断した。


 僅か十歳の少年がそれを決断するほど、彼女の、燐堂りんどう 雅彌みやびの存在は、当時の少年の中でかけがえのない存在だったんだ。



 俺の決断した一連の課題。


 九宝くほうの”強制力”からの解放のため、一族からの合理的な離脱。


 九宝くほう 戲万ざまに匹敵する兵器開発。


 それを行うための技術の取得と資金確保。


 そしてそれらを成すための時間の確保……そのための七年間、その先の、雅彌みやびを永遠の監獄から救い出すまで続く、ゴールの見えない時間……



 「九宝くほう 戲万ざまを倒すつもりなの?……そのために、竜士族としての自分を殺してまで?」


 雅彌みやびは俺に改めて確認する。


 どこまでそれを察しているのか……それは俺には解らない。


 「ここまで来るのに三年……いや、決意してから七年かかった、あと何年かかるか分からないけど、必ず成してみせる」


 俺は決意した瞳でそう答えた、それは七年前から変わらない瞳であったろう。


 「そんなこと……そんなこと頼んでない!」


 雅彌みやびは決意を語る俺を感情も露わに否定した。


 「その事でどれだけ私が!私があなたのことを切り捨てて平気だったとでも!」


 彼女の俺の肘を握る手に、痛いほど力が入る。


 「わかってる、みやが苦しむって、悲しんでくれるって分かっていたけど……それでも、俺はその方法をとった、それが俺の出来る唯一の……」


 「ふざけないで!あなたに何が出来るの!どうにかするって、あの九宝くほうを?それとも十二士族全体の決まり事を?無理に決まっているでしょう!もし、もし出来たとしても、それで私が……あなたの犠牲で私が喜ぶとでも思っているの!」


 濡れ羽色の瞳に涙を溢れさせて彼女は叫ぶ。


 それは彼女が三年前決断を下した日からの心の叫び、俺の行動の意味を薄々ながら感じていた、だからこそ苦しんだ三年間分の俺に対する訴えであったのだろう。


 「俺は存在を無視された人間だったんだ、それを、その存在を初めて自覚できた、させてくれたみやの為に出来ることをするのは俺の当たり前なんだ、頼むよ、俺が自身で決めた存在の意義を、意味を通させてくれ!」


 勝手な物言いだ、勝手に感謝して、勝手に憧れて、勝手に恋をして、勝手に……


 雅彌みやびの叫びにも、涙に濡れた訴えにも、揺るがず、自身の想いを貫く、一歩も退かない……俺は本当に自分勝手だ。


 だが、だからこその謝罪だった、だから、謝ることしか出来ないと俺は言ったんだ。


 ーー


 「こうく……ん」


 俺の想いに、言葉に詰まる雅彌みやび


 「俺はみやを、俺の意義を見つけさせてくれた雅彌みやびを絶対に誰にも屈服させたりしない」


 そう言って俺は、隻眼の半端者は無理に笑った。


 「あなたは、私の為に、”銀の勇者”になるつもりなの?そのための七年間……」


 「!」


 俺は思わず言葉を失った。


 ”銀の勇者”懐かしいフレーズに俺は驚く。


 「いや、あり得ない、それは……俺は弱かったしな、勇者なんて代物とは真逆の存在だ、そもそも勇者よりお姫様の方がずっと強いって時点でなんだかなぁーって感じだろ」


 そう答えながらも、俺は彼女の言葉で再認識したのかも知れない。


 今の今まで、俺自身、意識していなかった事実に。


 ”銀の勇者”


 幼い俺が憧れた……いまも心にあり続ける英雄


 俺は……


 俺は銀の勇者になりたい……


 彼女のためになら……燐堂りんどう 雅彌みやびのためにこそ……


 銀の勇者になりたいんだ!



「!」


 そこまでで、俺は、俺の顔をじっと見つめる雅彌みやびに気づいた。


 「ど、どちらにしても、俺はその半端な能力すら扱えなくなった、元竜士族、ただの一般人だよ、だから……だから俺は、まあ、俺のやり方で、かっこ悪くても、なんとか結果を出してみせるよ」


 慌てて、しどろもどろになりながらそう締めくくる。


 バツが悪そうに苦笑いする頼りない俺は、彼女にとっては、よく知る少年の頃の俺だったのかもしれない。


 「それは、やっぱり、わたし……のため…」


 雅彌みやびは涙が滲む瞳を伏せて、自分に対する俺の想いを呟いた。


 「そうだ、雅彌みやびのため、でも、それが俺の為なんだ」


 そして、当の俺に悲壮感は無い。


 彼女に向ける顔は、ただちょっと難しい問題に取り組んでるだけだよ、と言うような表情を意識して造る。



 「死ぬのは……駄目だよ」


 雅彌みやびは、俺の想いを留まらせる事は出来ないと感じたのだろう。


 本心ではどうやっても止めたいが、それは同時に俺の大事な物を無くしてしまうような事になると感じとって、なんとか、その言葉だけが口から出たようだった。


 「わかってる、俺だって死にたいわけじゃ無いし、ただ俺程度の人間には、せめてその位の覚悟がなけりゃ無理だ、それに仮に無事だったとしても俺はもう竜士族じゃない、一族に戻ることも出来ないし、こんな無茶をしたら、一生お尋ね者だ……まあ今も、同じ様なものだけどなぁ」


 一転、そうふざけて笑う俺。


 ーーそうして、雅彌みやびも泣きながら笑った。


「……」


「……」


 その後、暫くの間、心地良いような、それでいて手持ち無沙汰なような沈黙が流れる。


 「……そうだ、何かしっくりこないと思ってたんだ」


 俺は、その沈黙に耐えかねて、急に話を変えると、立ち上がり、壁際に設置してあるローボードの引き出しからある物を取り出す。


 「!」


 雅彌みやびはそれを装着した俺を見て少し驚いた。


 「眼鏡……」


 呟く彼女。


 「伊達だけどな、なんか今じゃ、無いと落ち着かない」


 俺はそう言うが、多分、雅彌みやびにとっての俺のイメージからは違和感があるのだろう。


 微妙な顔でこちらを見ていた。


 「そういえば、久しぶりに会ったとき、気づいていたのにスルーしただろ、おかげで最初に気づくのがあのじいさんって最悪だ、折角のイメチェンが」


 つとめて明るく俺は冗談を言う。


 「あの時、その……傷を隠すのに使っているって気づいたから……」


 小声で答える、申し訳なさそうな彼女の言葉に、俺はしまったと思った。


 折角話を変えたのに、また蒸し返してどうする!


 「え……と、まあ、あれだ……」


 俺はそのまま、対応に困り、固まってしまった。


 「……!」


 そんな俺に、雅彌みやびは……


 雅彌みやびはそっと俺の顔の両側に両手を伸ばす。


 左右から挟み込むように繊細な白い指が俺の耳の辺りにそっと触れる。


 ーーどきりっ!


 雅彌みやびの整った顔が至近距離にまで近づき、甘くも懐かしい香りが俺の感情を揺さぶる。


 見つめる美しい濡れ羽色の瞳、突然の彼女の行動に俺の鼓動が跳ねた。


 今度は違う意味で固まる俺。


 俺は情けなくも、全くの受け身で彼女の次の行動を待っていた。


 「……」


 しばらく、俺を見つめ、彼女は両手で眼鏡をそっと外す

 ホッとしたような、なんだかもの凄く残念なような……どちらにしても、終始受け身の俺には不満を言う資格は無いだろう。


 「その傷……」


 再び言葉を紡ぐ可憐な唇、彼女の言葉はそこまでであったが、俺にはその先は聞かなくても解った。


 俺はと言うと、大丈夫だとか、男の傷は勲章だとか、いつもは軽口を言う所だが、やはり、そんな事は言えずに相変わらずのままだった。


 雅彌みやびは、金縛りにあったかのような俺の、その右目の傷にそっと顔を近づける。


 「み、みや……?」


 俺の口から思わずその名がこぼれた。


 彼女は、構わずにそのまま行動を続ける。


 ーー!


 俺の右の目尻、僅かに残る傷跡に、雅彌みやびは可憐な桜色の唇を薄くあてた。


 「みや……」


 「……ごめん……なさい」


 驚く俺に、数秒触れただけの唇からその言葉が頼りなげに発せられる。


 「あ……うん」


 俺は自身の直ぐ近くで頬を染め俯く少女に対し、ただ、返事とも肯定ともとれる言葉を返すのみであった。




  ーー暫く後


 無遠慮なインターフォンと共に、出て行ったときとはうって変わって上機嫌の目つきのわるい少女が、見るからにお腹を一杯にした様子で、俺達のいる部屋に戻って来たのだった。

 第十三話「ふたりⅡ」END

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