身代わりと無力







 支えられて何とか歩む背中は、今にも消えそうなくらい儚かった。

 とてもではないが、森園家という大きな家を背負う当主の背中には見えなかった。


「湊、こんなところで何してるんだ」


 のろのろと見たときには、聡士が、同じ段に上がってきていた。


「あれは、森園家の……?」


 見えなくなる間際の、森園主従が見えたようだ。

 前方を見て、階段の中途半端なところで止まっているわたしを見て、彼は何かを察した。


「何かあったのか」


 少し、と。全く少しではなかったが、わたしはそう答えた。




 いつものように同じ部屋で昼食を食べながら、起きた事を話した。


「森園が……」


 話し終えると、聡士は「そうもなるだろうな」と言った。


「十歳で両親を殺されてるんだ。誰もが黒幕なんて誰だか知っている。本当に分からなければまた違うだろうが、目の前に元凶がいて、平然と笑っているときた」


 最大のトラウマの原因を前にしていることになるのだ。


 森園環奈の、見るからに弱々しそうな様子も、もしかすると過去のそれが原因なのだろうか。

 十歳で両親を殺され、しかし彼女は生かされた。見せしめだと誰もが思ったという。度を過ぎて反抗すれば、どうなるか。

 誰もが犯人──そうさせたのが誰だか分かっていながら、糾弾することは出来なかった。

 白羽に逆らうことは、王に逆らうこととほぼ同義となっていた。国を敵に回す。


「憎しみもあるだろうが、トラウマによる恐怖の方が根深い状態なんだろうな」


 聡士の言葉を聞いたわたしは、ふと思った。それは、聡士もではないのか。

 生まれたばかりの出来事で、彼に記憶はないかもしれないが、両親を殺されたことになる。森園環奈と同じ者たちに。


 聡士は、憎くはないのだろうか。

 向かい側を見てみるが、彼には変わった様子はなかった。


「後四年、か」


 四年?


「何が?」

「完全に俺が成人するまで、約四年。全ての正当な権利を得る年齢だ」


 一人の大人と認められる年齢。同時に、一人で何もかもが出来るようになる年齢と言っても良いかもしれない。

 貴族が、正式に当主となれるのも成人してからだ。森園家の若き当主をしている森園環奈も、厳密にはまだ正式な当主ではなく、後見人がいるはず。

 同じように、王が正式に玉座に就けるのも、成人してから。


 聡士は、本来ならわたしや湊より一年早く生まれている。不自然さを消すため、一年は完璧に存在そのものさえ秘匿されていたから、本当は一つ年上。

 だから、あと約四年。

 将来的に今の状況をひっくり返す計画が立てられていると言うが、彼の成人を待ち、万全を期すつもりなのかもしれない。


「……聡士は、外に出ているより、隠れていた方が安全なんじゃないのか?」


 素朴な疑問だった。

 聡士が成人するまで、後約四年。正体が知れてしまうかもしれない危険は、外に出るからこそ大きくなる。


「外に出て見ておかないと、外で何が起きているか、どんな様子なのか分からないだろ」

「……それもそうだ」


 それは、わたしがよく知っている。

 家にいて、世間と関わらずに生き、そして今回期せずして出ることになったわたしが。

 わたし自身が外に関心を持っていなかったことが一つの要因だろうから、情報をいれようと思えば聞くことは可能かもしれない。だが、実際に見て、感じるのとでは別だ。


「実際、中学と今でもかなり認識が変わった」


 黄色の目は、皿を見ていた。


「新入生歓迎パーティーで、実感した。それまでも白羽と場を共にする機会はあったんだけどな、ここは別世界だ。ここの頂点に立っているのは、白羽悠だ。学内はさしずめ庭って感じだな。大人がいない、隔てられた中だからこそ、顕著だ」


 彼が、視線を上げた。目が合う。


「お前が飛び出して行ったとき、驚いた。俺には、黙って見ているっていう選択肢しかなかった。貴族の集まりや、ここに入学するとき、父さんに言い含められた。

 決して悪目立ちしないこと。白羽とは極力関わらないこと。反抗するのはもっての他。俺がいなくなれば、全ては無になる」


 淡々と語る口調からは、何も読み取れない。


「だが、最近よく考える。俺に力があれば、全部変えられるんだろうか、ってな」


 生まれたときに、実の両親を失ったはずの彼が、どうしてそれほど使命感を持てるのか不思議だった。

 ずっと言い聞かせられてきたからかもしれない。他人のことが分かるはずもないから、そんな風に考えていた。


 けれど、今、彼は確かに自らの意思でその使命を負っているのだと感じた。

 白羽の暴挙を見て、王家の生き残りである聡士は、どれほどの想いを抱え、堪えているのだろう。


「……聡士、わたしが言えることじゃないけど」

「何だよ」

「そうやって四年ずっと、そういうことを考え続けるのは、きっと辛いよ」


 ──月城聡士は、完璧だった。

 成績を見れば、湊と同じように完璧。

 湊と異なる点は、彼がどこまでも自然体だということだ。身から滲み出る、人を惹き付けるカリスマ性を持ち、堂々としている。

 わたしは湊としているはずなのに、彼に「敵わない」と無意識から思った。


 しかし、王家の生き残りとしての考え方を含め、彼は

 確固たる意思を秘め、見据える先があり、その意思は折れそうには思えない。

 けれど、『正当なる後継者』として抱える重圧は、如何様なものだろう。

 わたしには、とてもではないが計り知れない。湊の身代わりをしている重圧だけで、押し潰されたのだ。分かるはずがない。


 だが、現在、無力を感じ、暴挙を目にしても動けない現状に「もしも」を考え続けている。

 聡士は、完璧すぎる。身の上に相応しい意識を持ち、考え方を持ち、彼はきっと良い王になるだろう。

 けれど、自分に間違われて襲われているわたしに、申し訳なさそうにしたように、これから四年もまだ秘し続け、何が起こっても黙り続けなければならないことは彼には苦痛に違いない。

 ──考え方は善いものだが、それゆえに


「……そうかもな」


 聡士は、静かに微笑んだ。


「それでも、俺は向き合わなくちゃならない」


 わたしより遥かに強い精神を持つだろう聡士。彼はきっと、わたしみたいには倒れない。


 けれど、──けれど、それでも、わたしは彼に耐え続けて欲しくないと思った。

 そして、自分には何も出来ないことを実感した。

 聡士はわたしを助けてくれたが、わたしは彼を助けられない。わたしに、抱えられるほどの器がないからだ。







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