第九章 黒曜の願い

 白と黒の教室で、私たちは“文化祭”をどう執り行うのか、という話し合いをしていた。

「……というものさ」

 私は黒曜から文化祭について、一通りのレクチャーを受ける。そのレクチャーと、私の中にあった知識はほとんど同じだった。出店があり、劇やバンドをやっていたり、謎の展示をやっていたり、というやつだ。

「……それ、面白い?」

 思ったことをつい口にしてしまう。私には、どうしてもそれらが面白くなるとは思えなかった。全てはアマチュアの、それも学生がやるものだ。程度はたかが知れている。

「ま、まあ、面白いんじゃない?」

 そう返す黒曜の目は泳いでいる。その様子が少しだけ面白くて、私はつい笑ってしまった。

「なにおう、笑わなくてもいいじゃないか」

 黒曜は口を尖らせる。私は黒曜に謝り、その後、文化祭をどうすれば面白くなるか考える。そして、その答えはすぐに出た。

「……全てがすごい文化祭、っていうのはどうかしら?」

 思い付きを、黒曜に提案してみる。黒曜は「というと?」と返してきた。

「んー、なんていうかな……。文化祭は文化祭なんだけど、出店とか劇とか、そういったものの全てが、人類最高水準といいますか」

「あー、なるほど、要は文化祭の皮を被った、なんかすごい祭典をやろうというわけだ」

「……嫌かな?」

 少し不安になって尋ねると、黒曜は私の不安を払拭するかのように、明るい表情を浮かべた。

「いや、いいね! それはきっと素敵だ」

「そ、そう? それならよかった」

 嬉しそうな表情を浮かべる黒曜に対し、そう返す私は内心、胸を撫でおろす気持ちだった。

 それから、私たちは“文化祭”をどうするかと、入念に話し合う。料理は全て非情に美味しいものにしようとか、劇は世界最高峰の劇団の映像を流そうとか、いやいや映像なんかじゃなくて劇団そのものを再現しようとか、映像を流すなら映画館を作ってもいいかもねとか、スポーツ観戦もいいかもしれない、とか。

 兎にも角にも、夢想のような願望を語りに語って、時は過ぎていった。


 そんなこんなで、文化祭当日が訪れた。私と黒曜の能力を総動員した結果、黒と白の世界の中に、色彩溢れる学校と人々が現れた。

 学校は絢爛豪華な飾りつけをされており、時折花火が飛んでは爆ぜる。楽しげな音楽が、高音質で常に流れていた。

「うむうむ、これでいい」

 そんな光景を見ながら、黒曜が少しふざけた様子で腕組みをしながら言う。まるで、大物仕掛け人のようだった。

「そ。満足してもらえたなら協力者としても嬉しいわ」

 その隣で、私は出店で買ってきたタコ焼きをつついていた。かつて私たちの母星にあったとされるその料理を、最高水準のものとして再現してみたそれは、口に入れれば芳醇な出汁の香りが広がり、とろりと濃厚な生地が舌を包む。その生地にくるまれたタコは、大きくそして肉厚だ。

「……仕掛け人どの、食べますか?」

「うむ、大儀である」

 黒曜がその口を開き、私がタコ焼きを入れてやる。どうやら熱かったらしく、黒曜は冷静な顔を崩して、その場でじたばたとしていた。

「……熱かった?」

 私の言葉に、黒曜は細かく素早く首肯して返す。その慌てっぷりが滑稽で、私は笑いそうになる。だが、ここで笑えば間違いなく後ほどお叱りを受けるので、我慢した。

 私は水を差しだし、黒曜はそれを一気にあおる。黒曜は、タコ焼きと水を共に嚥下したあと、口を開く。

「とても熱かった」

 どうやら先ほどの言葉に対する返事らしかった。今さら返さなくてもいいのに、妙なところで律儀な黒曜である。

「で、美味しかった?」

「……正直、熱さでよくわからなかったかな」

「それはもったいない。もう一ついる? 多分、さっきよりは冷めてると思う」

 そう私が言うと、黒曜は少し思案して、「もらうよ」と涼やかに言い、口を開いた。どうやら、食べさせろということらしい。

 子供かお前は、と私は苦笑しつつ、タコ焼きを黒曜の口に優しく入れてやる。黒曜は、今度こそもぐもぐと落ち着いて咀嚼した。

「うん、美味しい。ありがと」

「お礼は……、何か美味しい物を私にくれるってことで一つ」

「了解了解」

 黒曜はそう明るい調子で言って、軽やかに足を進める。普段よりも、いくらかテンションが高い。楽しいのだろう。発起人の黒曜が楽しそうならば、何よりである。無論、私も楽しんでいるのだが。

「で、次はどうする?」

 そう私が問うと、黒曜は「そうだねえ……」と言って、パンフレットを開く。パンフレットには、様々な出し物が書かれていた。軽食の出店や、映画の上映や、スポーツの試合や、音楽のライブや……、数えきれないほどの娯楽が、この学校という空間にぎゅぎゅっと詰め込まれている。まるで、空間を歪めているかのようだ。まあ、実際に歪めているのだが。

 私と黒曜は、それら全てを見て回った。軽食を買い、スポーツ観戦をしながらそれを食べて、そのあとは映画鑑賞に音楽鑑賞、そして観劇。また軽食を買って食べて、次は展示物を見に行く……。そんなことを、ひたすらに繰り返した。

 私たちは文化祭の全てを堪能した。そして、私と黒曜、どちらが先に言うでもなく、私たちはペットボトル入りの飲み物を持って、校舎のとある場所へと向かう。

 それは、屋上であった。初めて行った場所なのに、私も黒曜も足取りは淀むことがなかった。もっとも、黒曜は私のいない間に行っていたのかもしれないが。

 屋上は、四方が柵で覆ってあり、また、四隅には高いポールが立ててある。そのポールとポール、そして柵の間を、ネットが張り巡らされてあった。

 私と黒曜は、屋上の柵にもたれ掛かり、同じ方向を見る。白一面の世界は、殺風景だった。

「黒曜、手、貸して」

「ん」

 黒曜が差し出してきた手を握り、私は能力を発動させた。

 少しして、白一色の世界に夕日が生まれる。その眩い橙色の光に白が照らされ、これはこれで綺麗であった。

「どうしよ? なんかもっと増やしてみる?」

「この状態ですごい綺麗だし、いいんじゃない?」

「わかった」

 とやりとりを交わし、私たち二人は夕日に染まる白い世界を見続ける。その間、文化祭の思い出が次から次へと去来する。もし、もう一度文化祭をやる機会があったとしたら、何がしたいか。そんなことを、無邪気に考えたりした。

「ねえ白珠」

 そんな私の思考を切るように、黒曜の冷涼な声が耳に届く。私は視線を黒曜に向けた。

「……どしたん?」

「いや、特にってわけじゃあないんだけど、お礼言ってなかったなって」

「……お礼?」

「ああ、“文化祭”を一緒にやってくれたことのお礼。一緒に楽しんでくれたことのお礼。私の願いを聞いてくれたことのお礼。……白珠、ありがとう」

 夕日に照らされた黒曜は、そう言って微笑む。黒曜の真っ白な肌が、夕日に染められていた。

「いいよ、お礼なんて。私も私の願いに付き合ってもらったんだし、これで貸し借りはチャラってことで」

 黒曜の言葉にそう返し、ニッと笑ってみせた。黒曜は、それに釣られるようにして、再び微笑みを浮かべる。

「それにしても……」

 と黒曜が切り出し、私たちは文化祭の楽しかったこと談義で盛り上がる。スポーツ観戦は燃えたとか、あの映画が面白かったとか、あの演劇が良かったとか、あのバンドの音楽が好きだったとか、そんな他愛もないことだ。

 その全ては、黒曜と私の能力を合わせて再現したものだった。遥か彼方に存在していた、私たちのルーツ。彼らは、そんなものを創り上げることができたのだなと思い、同時に、現在は消えてしまったであろう人類に対する寂寥も覚えた。

 ひとしきり語り、私たちは沈黙する。互いに、紡ぐ言葉を見失う。あるいは、出し尽くしたのかもしれない。

「……黒曜、今日は楽しかったよ」

「そうだね、今日は楽しかった。……帰るのかい?」

 そう問う黒曜に対し、私は首肯して返す。それを見た黒曜は「じゃあ」と口を開き、続ける。

「君の家まで、送らせてくれないかな」

「……私の家まで? いいけど、珍しいね」

「今日はそんな気分なんだ」

 黒曜は、そう言って小首を傾げて微笑む。何かをはぐらかされたような気がしないでもないが、まあいいか、と思った。

 屋上を出て、校舎の階段を下り、中庭へ。この学校は校舎が二つあり、その中間に中庭が存在している。

 先ほどまでは色々な出店で溢れかえっていた中庭であるが、今はそれらの出店の一つたりとて存在していなかった。全て、霧消したのだ。白と黒で表現された噴水やベンチが、ぽつりとそこにある。

 私たちは飾り付けが消えた校舎を出て、外へ。校門の近くで、黒曜がおもむろに足を止める。どうしたのだろうか、と思って黒曜を見る。

「そういえば、君の家はどこにあるんだい?」

「……知らなかったのに、送るとか言ってたの?」

「あはは、まあね。さっきも言ったように、そんな気分だったんだ」

 私を家に送りたくなる気分とは、どのような気分なのだろうか。黒曜は、時折よくわからないというか、自分独特の世界を繰り広げることがあった。

「……まあいいや。ついてきて」

「うん、ついてく」

 そうやりとりを交わし、二人並んで歩く。歩く私たち二人の間には、沈黙が広がる。

「……宿題やった?」

 黒曜がおもむろに口を開いた。宿題とは、何のことだろうか。そう思った私は、「宿題?」と短く問い返す。

「いやー、あの先生さあ、宿題忘れてきたらうるさいくせに、宿題はやたら出すから面倒だよね」

 私の問いが聞こえなかったのか、それとも聞こえて無視したのか、黒曜は自分だけの世界を展開し続けた。

「黒曜、どうしたの? 急に頭がバグった?」

「ああいや、そういうわけじゃなくて」

 私が怪訝に思って尋ねると、黒曜は素に戻って冷静になる。

「じゃあ何?」

「いや、下校中の女子高生二人ごっこ」

「……今のところ私は参加してないから、一人二役で頑張ってね」

「いやいや、そこは参加してよぉ!」

 黒曜がそう懇願するので、渋々私も参加することにした。学校から私のねぐらまでの道は、短い。その間、私たちはまるで同じ学校に通う生徒かのように、共通の話題を即興で作り出しては盛り上がった。

 そして、私のねぐらに到着する。黒曜は和風建築の家を見上げて、「なるほどー」と呟いた。

「何がなるほどなの?」

「いや、ここが白珠の家かって」

「……そういえば、あんたの家ってどこなの?」

「ちょうどここから反対側だね」

 黒曜はそう言って学校の方を指さす。学校を挟んで反対側、ということか。

「悪かったわね、真逆の方向なのに」

「いえいえなんの。私がやりたかったから、やったのさ」

「……うち、上がってく? お茶ぐらいなら、出せるけど」

「それは喜んで、お茶も、ありがたく頂戴するよ」

 黒曜は嬉しそうに笑ってみせた。それを見た私も、同様に嬉しい気持ちを覚える。

 黒曜と二人、家に上がる。借り物の家を、まるで自分のもののように扱っている私であるが、持ち主も今は笑って容赦して欲しい。もっとも、持ち主なんているのかどうかもわからないが。

 二人して食卓につき、能力を使ってお茶を創り出す。少し熱くし過ぎたかもしれないな、と密かに反省した。

 そのお茶を嬉しそうにすする黒曜を見て、いつか二人で一緒に暮らしてもいいかもな、と思った。

 私たちは、お茶とお菓子を食べながら、再び文化祭談義に花を咲かせる。話は文化祭以外の方向にも飛び、さらに盛り上がった。

 気が付くと、かなりの時間が経過していた。それは黒曜も察していたらしく、黒曜は「ちょっと長居し過ぎちゃったね」と笑う。

「まだいてもいいけど?」

「いや、もう充分楽しませてもらったよ」

 そう言って黒曜は立ち上がり、「それじゃあ、私は帰るよ」と涼やかに言う。

「送ろうか?」

 という私の提案に、黒曜は首を横に振って「玄関までで大丈夫さ」と言う。

「誰が家まで送るって言ったよ」と冗談めかして言ってみる。

「……ひっどいなあ」と黒曜は冗談を察して苦笑した。

「まあまあ、今度は私が黒曜の家に行くよ」

「ああ、是非来て欲しい。待ってるから」

 私の言葉を聞いた黒曜は、ぱあっと明るい表情をして返した。

「うん、楽しみに待ってる」

 いつか来るであろうその日を想像して、私は微笑みを浮かべた。

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