第六章 おまつり 2

 そんなこんなで私たちは定期試験を終え、文化祭当日を迎えた。

 ちなみに、定期試験の結果は私も白川も悪くはなかった。二人とも苦手教科の点数が上がっていたので、勉強会で互いの弱点を補えたといえよう。

 まあ、そんなことはどうでもいいのだが。

「いやー、盛り上がってますねー」

「そうだねー」

「熱気に溢れかえっておりますねー」

「そうだねー」

「私たちのクラスに帰ると現実に戻された感があっていいですねー」

「そうかなー」

 私と白川は、各クラスや部活の出店でみせで適当に料理やお菓子を買って、自クラスに戻っていた。

「むむ、タコが小さい」

 白川がタコ焼きを食べながら、感想を漏らす。私はそんな白川の様子を見つつ、買ってきたミックスジュースを飲む。水っぽさがあるが、美味しかった。

「曜子ちゃん食べる?」

 白川がつまようじに刺したタコ焼きを差し出してくる。タコ焼きは自重に耐えきれず、崩壊しそうだった。「おっわ」という間抜けな声を漏らしながら、私は白川が差し出すそれをぱくりと食べる。最初に感じたのは、熱さだった。口の中を火傷しそうになりながら、それを咀嚼し飲み込む。

「ほんとだ、タコめっちゃちっさい」

「でしょー? 味は悪くないんだけどね。これは生のまま入れて、そのまま焼いたパターンだな……」

 と白川が食レポをしつつ、タコ焼きを食べ終える。次に白川が出してきたのは、パンケーキという名の、薄い小麦粉の生地だった。

「……パンケーキかこれ?」

 思わず浮かんだ疑問を口にしてしまう。白川は、メープルシロップが適当にかけられたそれを、プラスチックのフォークで切り裂き突き刺し、口にする。

「ん、安心の味ですな」

 白川はそう言いつつ、パンケーキを食べ進める。先ほどのタコ焼きよりも、食の進みが早い気がした。

「あ、そうそう。パンケーキとホットケーキの違いって、焼き方の違いなんだって」

「というと?」

「パンケーキはフライパン、ホットケーキはホットプレートで焼くんだって」

 白川の雑学知識を聞きつつ、今日の記憶を遡る。記憶の中のどこにも、フライパンは無かった。しかしホットプレートは存在している。

「……それ、ホットケーキなのでは?」

「まあまあ、細かいことは気にしないっ」

 そんなやりとりをしているうちに、私と白川は買ってきたものを全て食べ終えた。

「……どうする?」と白川に問う。

「そうだね。食べ歩きもいいけど、色々見て回るのもいいかもね」

 というわけで、私たちは無気力感溢れる自クラスをあとにして、校内を散策する。文化祭の校内は、色とりどりの装飾で一杯だった。普段の校舎にある色彩といえば、壁の白と廊下の床の緑ばかりなので、新鮮だ。

「さてさて、どうするかですな」

 白川は文化祭のパンフレットを真剣に見て、ときおり手に持ったボールペンで丸をつけている。

「何か面白そうなものとかある?」

「体育館で劇とかライブステージとかやってるみたい」

「じゃあ、それ行ってみよっか」


 体育館に到着した私たちは、適当な空席を探してそこに座る。どうやら、次に始まるのは二年生のクラスによる演劇らしい。演目は……、何かよくわからないタイトルだったので、おそらく創作だろうか。

「来年はこんなことをしてもいいかもねー」

 劇の最中、隣の白川が小声でそう囁いてくる。

「……私は嫌だぞ」

 自分があの舞台の上に立って、セリフを読むなど想像できなかった。想像したくもなかったが。

「えー、曜子ちゃんもやってよ」

 そう言って白川は唇を尖らせる。体育館の光源は舞台照明と非常灯しかなく、薄暗い。そんな中、白川の瞳は舞台を映しており、そこに映る光が煌めいているようにも見える。

 そんな白川の表情は、あの舞台に何か感銘を受けたのだろうか、と私に思わせてくる。私としては、大したことのない舞台だと思うのだが、私の価値観と白川の価値観は違う。白川はその丸くて大きな瞳で、私が見えないものを見ているのかもしれない。

「大道具ならやってもいいよ」

 私は妥協案を示してみる。

「きゃっかー」

 それはすぐさま白川に断られた。

「……舞台に上がれと」

「そうそう。普段の曜子ちゃんってクールじゃない? そんな曜子ちゃんに可愛い役とか面白い役とか演じてもらったら、すっごい面白いと思う」

「……来年の文化祭、演劇だけは阻止してやるからな」

 そう私が返すと、白川が抗議の声を上げる。それを私は無視した。


「しかし、やっぱ本職は違うもんだねー」

 私たちは体育館をあとにして、校舎に戻る最中であった。私たちはあの体育館で二つの演劇を見た。一つは、二年生のクラスのもの。もう一つは、演劇部のものである。

 その二つの中で、演劇部の劇が白川に深い感銘を与えたようだった。

「そうだね。役者も大道具も脚本も段違いだ」

「だよねー。いやー、すごかったすごかった」

 そう言う白川の横顔を見る。白川はその無邪気さを表出させて、私ではないどこかを見ている。

 そんな白川を見ていると、さっき白川が私に言ったことを思い出す。私を舞台に立たせて、可愛い役や面白い役をやらせたい、という話だ。私は、それを白川に当てはめていた。

 普段の白川は無邪気で明るく、悪い言い方をすればアホの子っぽいところがある。それは、白川がさっき言っていたカテゴリーに当てはめると、可愛い役と言えるだろう。では、そんな白川がクールな役を演じたら、どうなるのだろうか。想像すると興味深く思える。

「演劇部、入ろうとか思った?」

 そんな考えが、このような言葉を紡がせる。私の問いを聞いて、白川は迷わず首を横に振った。

「いや全く。入ったら曜子ちゃんと遊ぶ時間減るじゃん」

「……はあ、それはどうも」

 それでいいのか、と思う。同時に、そう言ってくれるのは少し嬉しかった。

「でも、白川の容姿だったら看板女優になれるんじゃない?」

「おっ、褒めても何も出ませんよ?」

 私の言葉に、白川はおどけて返してみせた。こういう軽さが、私と白川を結び付けているのだろうな、と感じる。

「一応、本心で言ってるんだけどね」

「……あはは、そりゃどうも」

 白川は少しこそばゆそうにしながら、頬を指先で掻いていた。

 その後、私たちは適当に軽食を買い、旧校舎に向かう。旧校舎は、普段と同様の静まりを見せていた。

 屋上階の準備室に到着する。文化祭の喧騒からかけ離れた場所にある、私たちだけの休憩所だ。

「いやー、今日は楽しかったね」

 白川は唐揚げをもぐもぐ頬張ったあと、そう言った。よく食べるな、と思いつつ私は「そうだね。楽しかった」と返す。

 もっとも、私が楽しんでいたのは、隣を歩く白川の様子であるが。目に映る様々なものに対し、多種多様な反応を示す白川は、一緒にいて飽きない。

「さて、と」

 唐揚げを食べ終えた白川は、何か意を決したかのように言葉を発した。そんな白川に対し、私は「どうしたの?」と問う。

「特に何があったわけじゃないけど、屋上行こっか」

「あ、うん。行こっか」

 私にはよくわからないが、しかし白川の中では屋上に行く理由が成り立ったのだろう。そして、白川がそれを私に伝えたのならば、私はそれについていけばいい。

 扉を開き、屋上に出る。彼方に、橙色の夕日。ボール遊びをしたあの日を、ふと思い出した。

 風は涼しげに吹いており、微かに料理の香りが漂ってくる。

「お、ソースのにおい」

 と白川は鼻をくんくんさせて、そう言う。犬かお前は、と言いたくなるが、その言葉はしまっておいた。

「で、ここでどうするの?」

 手持無沙汰で白川を観察することしかできない私は、白川にそう問う。白川は私の言葉を聞いて、困ったように笑った。

「ああいや、別に何をしようとか、決めてないんだよね」

「なんだそりゃ」

 私がそう返して軽い抗議の視線を向けると、白川が「でも」と言って両手を広げていた。

「でも?」

「これはこれで、悪くないでしょ?」

 と言って白川はくるりと回る。つま先を立てて、何度も回る白川は、まるで踊っているようだった。

「ダンス部にでも入るの?」

「楽しかったら踊るもんでしょ」

「どこの国の話だそれは」

「ネズミの国」

 そう言って白川は、よくわからない歌を歌いはじめた。まるで一人ミュージカルだな、と思って私は苦笑しつつ、適当に拍手をしながら白川を見る。

 屋上の風と、白川の動きで、白川の髪がなびく。日本人にしては色素が薄いその髪は、夕日の光を適度に吸収、反射する。なびく髪の先から、赤橙色の光が粒子となって散るような気がした。

「……と、こんな感じですが」

 一人ミュージカルを終えた白川が、少し息を切らせながら、そう言って礼をする。私は拍手をして、素直に賞賛の言葉を贈ることにした。

「いや、よかったよ」

「ほんと? それはちょっと嬉しいかも」

 そう言って白川は「えへへ」とはにかむ。その表情は、白川の容姿も合わさって実に可愛らしい。たぶん、今の白川がそこらへんの男に告白したら、百発百中だろう。いや、むしろそこらへんを歩いている男が、白川に唐突な求愛をしてくるかもしれない。

 ……そんなことを想像したら、少し不愉快な気持ちになった。前者はおそらく白川の性格からしてないとして、後者の場合は言い寄る男どもをこの拳で粉砕してやりたいとすら思う。もっとも、私には武芸の心得など皆無だが。しかし、心意気ボーナス的な感じで、放つ拳に威力が乗るような気がする。

 などと思考を遊ばせつつ、ふむ、と違和感というか、不思議な気持ちを覚える。どうして私は、白川が男とくっついた場合を想像して、不愉快な気持ちになったのだろうか。

 何となくであるが、その正体は独占欲に近い嫉妬のように思えた。今までの人生で覚えたことのない感情に、少し戸惑いを覚える。

「……どしたん?」

 白川が小首を傾げ、そう尋ねてくる。どうやら、私は少しぼんやりしていたらしい。

「……いや、なんでもないよ」

 笑みを浮かべてそう返す。私の言葉を聞いて、白川は安心したような顔をして、「ならよかった」と返した。そんな白川を見て、私の顔には自然と微笑みが浮かぶ。

 瞬間、私は一つ悟る。それは、白川と一緒にいるということが、私にとっての居場所なのだ、ということだった。

 そして白川が私以外の誰かと一緒になるということは、その居場所にいれる時間が損なわれるということだった。それは、断じて許しがたい。白川がそのような選択を取った場合、私はどうすればいいのだろうか。

「……また考え事してる」

「……あ、ごめん」

「まるでうちのじーちゃんだね」

 と言って白川は笑った。私は白川の祖父を知らないので、その笑いは理解できない。しかし、白川が笑っているだけで、私も嬉しい気持ちになった。

「いや、ごめんね。さっきからぼーっとしてて」

「いいよいいよー。曜子ちゃんだってボーっとするときはあるだろうし」

 そう言って笑顔を浮かべる白川を見ながら、私は一つの思いに気づく。それは、目の前に立っている白川珠璃という人間、そんな彼女の脳内にある人間の比率、その中で私が一番大きくありたいという気持ちだった。

 比率、ということなので、私以外の他人が介入する余地も、一応のところ残してある。脳内が私でいっぱいになるのは、間違いなく白川にとってよくないことだろう。不便で仕方ないに決まっている。

 それに、白川の頭の中全部を私が占めるなんてこと、中々できそうにもなかった。そんな魅力は、きっと私にない。……するつもりも、たぶんない。

 では、逆の場合はどうだろうか。私の脳内を白川が占める比率は、どれくらいが良いだろうか。今の自分の生活を考えると、白川と過ごしてばかりで白川以外の要素が見当たらない。白川一〇〇パーセントとはいかないが、それでも九割近くは白川であった。

 そこまで考えて、自分の思考に何らかの疑問を覚える。私の中にはこんなに白川が満ちていて、私は白川の内側における大半が、私で満ちることを望んでいる。

 彼女に望まれているかどうかはさておき、私は彼女のことを望んでいた。そして理想形は、望み、望まれることだった。

 この感情に何という名前を付ければいい?

「へい黒田ばーちゃん」

 突然両方の頬をぺちりと挟まれる。白川の掌は案外冷えていた。

「あ、うん、はい、えっと」

「ぜんぜーん言葉になってねーぜ。……さっきからずっとボーっとしてるけど、ほんとに大丈夫? 熱とかあるの?」

 そう言って白川が自身の前髪をかき上げ、額を露わにする。そして、私の前髪をかき上げて、額と額を接させてきた。

 唐突なことに、息が止まる。ついでに、世界の時間も止まったような気がした。

 額から、白川の熱が伝わってくる。白川の細い指が、微かに私の額を撫でていた。白川の額は、私のものよりずっと温かい。それは白川という人間が内蔵している熱量が、発現しているからだと思った。

「んー、たぶん大丈夫そうだね」

「あはは、うん、そう、ダイジョブ、うん」

 動揺のあまり、カタコトのようになってしまう。そんな私の様子を見て、白川はまた笑った。

「……曜子ちゃんって、クールビューティー感あるけど」

 今まで生きてきて、クールビューティーという単語を初めて使われた気がする。それはさておき、その後に続いた『けど』という言葉に、おやと思った。

「……けど?」

「いや、一緒になってみたら、色々とユニークで面白いなって」

「……いやあ、あはは」

 できれば今の醜態は忘れて欲しいところだが、愉快そうに明るい表情を浮かべる白川を見ていると、それは期待できそうになかった。今の私を、白川はこれから長い間ずっと覚えているだろう。そう考えると、羞恥がふつふつと湧いてきた。

 白川は、私から屋上の柵、その向こうへと視線を向ける。グラウンドの方向に向いた白川の顔、その半分を夕日が照らす。照らされなかったもう半分の顔には、深い影ができており、それはそれで白川の美貌を引き立たせていた。この状態の白川を見るのは、二度目だろうか。

「ねえ曜子ちゃん」

 と声をかけてくる白川に、「どうしたの?」と返す。

「ああいや、今日、楽しかったなって」

 白川の言葉には、名残惜しさというものが垣間見えた。

「……そうだね、楽しかった」

 きっと、私の人生で初めて、文化祭を楽しいと思えた日だろう。

「この一年、といってもまだ二学期だけど。……曜子ちゃんと会えて、仲良くなれて……、本当に、良かったなって」

 そう言って、白川は私に向き直る。夕日をバックに、今日何度目かわからない微笑みを浮かべ、小首を傾げる白川。そんな彼女を見ていると、私の中に何らかの感情が生じた。

 それは、温もりに満ちていて、そして愛おしさに満ちている。

 それは、きっと良い感情に決まっていた。

「私も、よかったよ。白川がいてくれて、本当に助かった」

 笑みを浮かべて私がそう言うと、白川は少し恥ずかしそうにはにかみながら、頬を指先で掻いた。

「わりと、こういうことって……、言われると照れるね」

「……今更、気付いたの? 白川、こういうこと、結構言ってるからね」

「あはは……。でも、言われた方は……、悪い気持ちじゃないね」

「……それは、わかる」

 こくりと、首肯して返す。目の前にいる白川は、白川らしくなく(というのは失礼だろうか)、静かにはにかんでいた。

 そんな白川と鮮やかに輝く夕日を見て、今の記憶を私は一生忘れないだろうな、と思った。

 そしてこの記憶を、一生大事なものにしておきたいがために、私はこれからの日々を大事に生きようと思った。白川と過ごす怠惰で楽しい時間を、しっかりと味わおうと心に誓った。

「いやー、今から来年の文化祭が楽しみだね」

「……えらく気が早いね」

「だって、曜子ちゃんが劇に出るんだからね」

「……誰が出るって言ったよ」

 などと、とりとめもないやり取りですら、今は心地好い。隣にいる白川珠璃という人間の温もりを、彼女の言葉一つ一つから感じ取った。

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