永遠の人魚の話

 これはいったい何を描いているのか? 坊ちゃん、絵に興味があるのかい? 

 ほお、坊ちゃんも絵を描くのか。いやいや、スケッチといっても立派な絵だよ。目でみたものを絵にとして形に描き起こす。簡単なようでいて、とても難しい、奥深いものだ。

 坊ちゃんのような若者が、絵を描くと聞いて年寄りとしては嬉しいものだよ。私はもうすぐ引退だが、後輩が出来るというのはいつだって嬉しいものだ。


 絵を描くのをやめるのかって? 

 そうだね……そろそろ潮時かもしれない。と考えているんだ。見ての通りの年だしね、趣味で描くにはともかく依頼を受けるのは最後にしようかと……そう考えているんだよ。


 画家なのかって?

 こう見えてもね。といってもあまり有名ではない。何しろ人魚の絵しか描かない。いや、描けない変わり者の画家だからねえ。

 この絵もそうだろう。たまには別のもの。風景でも描いてみようと思って、川のほとりまでやってきたというのにね……気付いたらこうして人魚を描いているんだよ。

 我ながら女々しいというか……なんというか……。


 どうして女々しいのかって?

 おいぼれの話を聞いても楽しいことは何もない。ただの感傷だよ。若者は生い先短い年よりの相手をするよりも、未来を見据えて自分の事に熱中した方がいい。

 だからこそ聞いている? 学校の課題?

 ほぉ……今の学校ではそんな課題がでるんだね。たしかに私が若い頃に比べて、ずいぶん異種族は増えた……。私たちの世代だと、未だに異種族に対して警戒心を持っている者は多いが、子どもの適応力には感心するよ。耳や尻尾、翼や角。そんな差なんて気にしない。そういうものだと自然に受け入れて、当たり前に一緒に遊んでいるんだから。


 そう考えると、確かに異種族について調べということはこれからの未来に重要かもしれない。坊ちゃんは若いのに、私よりもよほど未来を見据えているね。

 楽そうだから選んだ? いやいや、謙遜することはないよ。それだって大事なことだ。苦労しないと続けられないことは長続きしない。自分が楽にできること。それを見つけることも大事なことだよ。


 そんな風に言われたことがないから、戸惑う?

 どうやら坊ちゃんの周囲の人は恥ずかしがり屋が多いようだね。若いと仕方ないことかもしれない。私も自分の気持ちを照れずに話せるようになるには、ずいぶん時間がかかったものだよ。


 そう考えると、坊ちゃんとの出会いはちょうどよいのかもしれないね。

 セグレーチェ様のお導きかもしれない。

 そんな大層なものじゃない? いやいや、私にとってはとても大事なことなんだよ。こうして人魚の絵を描くようになって、何人もの人に聞かれてきたんだ。

 なぜ、あなたは人魚ばかり描くのかと。

 それに私は答えられなかった。自分の浅はかな行動を口にするのが恥ずかしくもあり、不安でもあった。話すことで真実を知ることが怖かったのもある。だから、今まであいまいに誤魔化して話してこなかったんだ。

 けれど、この話を胸に秘めて死んでいく事も私には出来ない。ならば、未来ある若者の手助けを……というのは、言い訳だね。彼女のことを人に話せる最後の機会。そう思ったら、胸の奥に引っかかった物を吐き出したくなってしまってね。


 年寄りの我儘に付き合ってくれるかい?

 もともと話を聞くつもりで声をかけたから話してくれないと困る?

 坊ちゃんは優しい子だねえ……。やはり、坊ちゃんに出会えたのはセグレーチェ様のお導きかもしれないね……。


 さてと、話すと決めたはいいが何から話そうか。

 坊ちゃんは異種族について聞いて回っているようだけど、人魚についてはどれくらい知っているんだい?

 名前を聞いたことがあるくらいか。そうだろうね。異種族との交流が増えたといっても、人魚のように海にテリトリーがある種と私たちが出会う機会は少ない。

 私たちの国は内陸にあるからね。境界線を越えて海に行くには障害が多すぎる。


 海は知っているかい? 川や湖よりもさらに大きな、一面水で満ちあふれた場所らしい。

 絵でみたことはある? 

 そうか、そうか。いや、私も絵や話に聞くばかりで、実際にみたことはないんだけどね。あたり一面水ばかりの場所というのは、一体どういうものなんだろうね。一度行ってみたいと思っていたけれど、機会も度胸ないままこの年になってしまったよ。


 坊ちゃんはまだ若い。今後、人が境界線を自由に超えられる時代が来るかもしれない。もしそうなったら、私の代わりに海をみてきておくれ。

 というのは、流石に頼みすぎかな。初対面の若者に、いくら何でも甘えすぎているね。何だか坊ちゃんは初めてなのに、初めてという感じがしないね。本当の孫。いや友人のような気すらする。不思議な魅力だ。


 影が薄いから壁に話している気分になるんでしょうって……それは自分を卑下しすぎじゃないかね。

 坊ちゃんの雰囲気は素晴らしい才能だと私は思うよ。


 ああ、そういえば。話がそれたね。この年になるとどうにも脱線がひどくてねえ……。

 えぇっとそうだね、人魚の話だ。


 人魚の外見は、私の絵をみたら分かりやすいかな。

 上半身は人の体と変わらないけれど、下半身は魚のような鱗と尾ひれを持っているんだ。泳ぐときは尾ひれを使って、それはもう優雅に泳ぐんだよ。

 その姿はとても幻想的でね。日差しや水の反射で鱗の一枚一枚が輝いて見えて、魚と一緒に泳ぎ回る姿は同じ世界に生きる生物とは思えない。太陽光を浴びないせいか、色白できめ細かい肌を持っているんだ。


 やけに詳しいけど見たことがあるのかって?

 ……ああ、幼い頃にね。その人魚の姿が忘れられなくて、いや、忘れたくなかったんだ。だから気づけば絵に描いて、そうしているうちに画家。と呼ばれるほどになっていた……。 何ともおかしな話だろう。あれから何十年もたっているのにねえ。


 元々の出身は王都ではなくて、王都よりずっと離れた田舎なんだ。

 坊ちゃんは王都生まれの王都育ちだから、想像がつかないかもしれないね。

 その通りだけど、なぜ分かるのかって?

 服装を見ればわかるよ。落ち着いた色合いの服をきているけど、見る人が見ればわかる。坊ちゃんの年齢の若者にしては小ぎれいすぎる。王都育ちどころか、家名持ちの正真正銘のお坊ちゃんだろう?


 だから最初から坊ちゃん呼びだったのかって?

 アハハ、すまいねえ。試すようなことをして。

 ただね、今後も私のように見ず知らずの人間にはなしかけるなら、もう少し地味な……そうだなあ。庶民が使うような古着屋で服をそろえた方がいいだろうね。何だったら紹介しよう。

 変な輩に目をつけられたら大変だ。坊ちゃんが傷つく所なんて見たくないんだよ。老婆心と思うかもしれないけれど、どうか気にとめておくれ。


 また話がそれてしまったね。話を戻そうか。


 私の実家はとても裕福とはいえなくてね、小さな妹と弟。両親とともにつつましやかに生活していたんだ。私も幼いころから近所のお店で働かせてもらって、どうにか生活を楽にしようと日々働いていた。

 そんなある日のこと、割のいい仕事の話を聞いたんだ。

 私が住む村に移動サーカスが街にやってきてね。運悪く公演直前に雑用の仕事をしていた団員がケガをしてしまったんだ。ギリギリの人数でやっていた小さなサーカスだったらしく、団員たちは今回の公演だけ手伝ってくれる人がいないか。そう酒場でこぼしていたらしい。掃除とか軽い荷運びといった本当に簡単な仕事だから子供でもいい。給料は弾む。そう聞いた酒場のマスターが、わざわざ私を紹介してくれたんだ。

 酒場のマスターにもちょっとした仕事を手伝わせてもらっていたからね。人との付き合いというのは大切だ。おかげで彼女に会えたんだ。


 そう、彼女。人魚の女の子。

 彼女はね、サーカスの看板だった。今でも珍しい人魚だ。当時は人魚という種族の事を知る人も少なくて、噂を聞いた誰もが一目見ようとサーカスに訪れた。

 彼女の存在がサーカスの経営を支えていたんだ。

 しかしながら彼女は、サーカスの一員ではなかった。あくまで見世物。花形商品という扱いだったのさ。


 今だったら信じられない話だろう。

 いや、今でも表に出ないだけで、異種族をに観賞用。ペットとして扱う者はいる。同じ人間としてとても恥ずかしいことだけどね……。


 けれど、人魚をすぐ近くでずっと見ていたい。その気持ちだけは私も共感できた。それだけ彼女は美しかったんだ。


 私が彼女を初めて見たのは、働きだして数日後。彼女の水槽はサーカスのかなり奥にひっそりと置かれていてね、始めの頃はそんなところに水槽があるとすら気付かなかった。人魚についても、サーカスを見るのではなく働きに来ていた私は知らなかったからね。彼女を見たときは驚いたよ。

 最初は彼女の方から声をかけてくれたんだ。


 ふだんは人が来ないテントの奥に人が来た。しかも自分と同じくらいの子供。

 偶然私は迷い込んだだけだったんだが、彼女は私に興味を持ってくれたんだ。


 ああ、子供だよ。当時の私と同じくらい。

 人魚の寿命は人より長いとは聞くけれど、彼女の話し方からしてそれほど離れてはいなかっただろうね。当時の私は13歳。彼女はそれよりも前に捕らえられ、親元から引き離され、ただ一人水槽の中で人の見世物にされる日々を送っていたんだよ。

 今にして思えば、とてもむごい話だ……。当時の私はまだ幼くて、そこまでの事は理解できなかった。ただ、彼女がとてもきれいで、寂しそうだという事だけは分かった。


 彼女の水槽にはたまにしか人がやってこないらしい。話しかけてもほとんど会話をしてくれず、人と話すのは久しぶりだと、とても喜んでいたよ。

 当時はなんで誰も彼女と話さないんだろう。そう思っていたけど、もしかしたらサーカス団員もどこかに罪悪感があったのかもしれない。普通に話して、どこにでもいる普通の子供だ。そう気づいてしまったら、ただの見世物。商品としては扱えなくなる。だから極力近づかず、見ないようにしていたんだろうね。


 けれど彼女はそれがとても寂しかった。

 ただでさえ狭い水槽に閉じ込められているんだ。本来なら私たちが想像すらできないような広い海の中を友達や家族と一緒に泳ぎ回っていたというのにね。

 彼女はそれはもう楽しそうに、海での生活を語ってくれたよ。私には想像できない、夢物語のような話。それでも、彼女の楽しそうな、同時に寂しそうな顔をみたら真実なんだ。そういやでも分かってしまうような話だった。


 水槽の、水の中から話しているというのに、彼女の声はよく聞こえるんだ。

 私たち人間だったら、すぐに水を吸い込んでしまうけれど、彼女はどれだけ動き回っても問題ない。すいすいと水の中を泳ぎ回って、私のちょっとした話でも大げさに驚いて、楽しいときは声をあげて笑う。とても明るくて、可愛らしい子だった。


 彼女の存在は今の私には一言では語りつくせないものになってしまったけれど、当時の私にとってはまさしく初恋。人目を忍んで、薄暗いサーカステントの中、彼女と少しの時間話をする。それが私にとっての喜びになった。あれほど輝いていた時間は今までの人生を思い返してもなかったね。

 彼女は暗い水の中にいたけれど、私にとっては日の光よりも輝いて見えたんだ。


 一度だけ彼女がサーカス舞台に立っているのを見たことがある。

 団員の一人が、裏で仕事している私に気を使ってくれてね。真面目に働いてくれているからお駄賃だと、こっそり舞台を見せてくれたんだ。初めて見るサーカスに私は興奮したけれど、彼女が舞台に出てきた瞬間、どうしようもなく悲しくなった。

 薄暗いテントの中でも輝いていた彼女は、ステージの上にはいなかったんだ。コロコロと表情が動く、とても明るい笑顔を浮かべる子なのに、ステージを見つめる彼女の表情は消えていた。狭い水槽をいっぱい使って全身で感情を伝える子なのに、ただ中央に停止しているだけ。

 そんな生気の抜け落ちた彼女を団員は美しい、この世の神秘だ。と褒めたたえ、見ている観客は拍手をおくり、興奮したように囁き合うんだ。

 たしかに彼女の姿は黙って、ただそこにいるだけでも神秘的だった。


 でも、それは彼女の本当の魅力ではない。本来の彼女はもっと輝いていて、ここにいる誰よりも楽しそうに笑う子だ。


 それを見た瞬間に私は思ったんだよ。このまま彼女をここに置いていてはいけない。どうにか彼女を解放しなくてはと。

 その結果サーカスがどうなるのか、自分の立場がどうなるのか。幼い私には考えられなかった。ただ、彼女を助けなければという使命感だけで、私は公演が終わったサーカスに忍び込んだんだ。


 深夜に訪れた私を見て彼女はとても驚いていたよ。そんな彼女に私は、逃げよう。そういったんだ。

 何も考えていなかった。人魚が水から出て生きていけるのか、逃げた後どうすればいいのか。そういったことは何一つ。

 彼女が差し出した手を取ってくればなんとかなる。そう何の根拠もないのに思っていたんだよ。まさに子供の浅はかな考え。今考えると、本当に無鉄砲で無責任だ。


 でもね、彼女は私の手をとってくれた。


 人魚は水上でも活動は可能なんだそうだよ。人魚という種が水の中を自由に動き回るのは、周囲に魔力による膜をはることで水の抵抗を減らし、空気を確保しているからだそうだ。魔力の扱いが上手い人魚であれば、陸に上がって人と同じように生活することも不可能ではないらしい。

 といっても、そんなことが出来る人魚は一握り。幼い彼女にはそれほどの技術はなかった。それでも少しの時間であったら水の中にいなくても大丈夫だった。


 今思えば無知とは恐ろしいものだ。

 人魚という種が陸地に出たとたんに死んでしまう。そういう種族であったら、私は彼女を水槽から出して殺してしまうところだったんだから。

 いや……、結局は同じだったのかもしれない。


 子供の行き当たりばったりの計画なんてたかが知れてるだろう。しかも女の子とはいえ同い年の子をおんぶして、深夜に遠くに逃げられるはずもない。

 とにかく家に匿おうと私は思っていたけれど、サーカスの団員に気づかれるのも早かった。以前から彼女を盗もうと企てる人間がいたのかもしれない。夜だというのに、あっさりバレて、人魚が盗まれた。探せ。っていう怒鳴り声が背後から聞こえてくるんだ。

 今でもあの時の恐怖は覚えている。自分より強い存在に追いかけられる。それはとても怖い事なんだと初めて知った。同時にどうしても彼女を逃がさなければ。そうも思ったんだ。


 彼女もきっと同じような目にあって捕まり、故郷にも帰れずにいたのだと思ったらね。どうしても助けなければ。そういった気持ちが強くなった。

 私は必死で、川まで走った。真っ暗だったのに、不思議なほど川までの道のりがハッキリ見えたんだ。それほど必死だったんだろうね。

 しかしながら、所詮は子供の足だよ。しかも人一人を背負っている。橋を渡り切ってさえしまえば、河辺へ下りられる。そこまで来たところで私たちは挟み撃ちにされてしまった。向こうも人魚が逃げるとしたら川へ行くだろう。そう予想してたんだろうね。


 後ろからも前からも、目の色を変えた大人がじわじわと距離をつめてくるんだ。ランプに照らされた形相は同じ人間とは思えなかった。こいつらは人間じゃなくて、鬼かディアローク悪魔何じゃないか。そう思うほどに恐ろしく見えたんだ。

 このままじゃ捕まる。彼女も自分もただじゃすまない。それならせめて、彼女だけはと私は思って、彼女にいったんだ。橋の上から川へ飛び降りろと。

 今思えば怖い事を言うものだと思うよ。真っ暗だし、川がどれほど深いのかも分からない。いくら人魚であっても、あまりに高ければ死んでしまう。けれど、そんな考えが思いつかないほどに私は必死で、彼女も私と一緒だったんだろう。


 私の声を聞いて、慌てて大人たちは彼女を捕まえようとした。その手が届く直前、彼女は橋から飛び降りた。大きな水音と共に水しぶきがあがって、私の服や顔に水しぶきがかかった。だが、ろくに灯りのない橋の上だ。のぞき込んでも彼女の姿は見えなかった。

 追ってきた大人たちが灯りを手に必死に探していたけれど、やはり彼女の姿は見えなかった。どこかに隠れたのか、すぐに泳いで逃げたのか。それすらも分からない。時間がたつにつれ、もしかして死んでしまったんじゃ。そう怖くなったけれど、それを確認するすべもなかった。


 放心していた私はそのまま大人たちに捕まって、サーカス団長に突き出されたよ。両親を呼び出されて大事な商品を失った賠償金をはらえ。そう脅されたんだ。それがとてつもない額でね、ただでさえ貧しい私の家では到底払えるものではなかった。

 いったいどうすればいいんだろう。そう思ったときに、なんと酒場のマスターが助けてくれたんだよ。

 

 その当時、私も両親も知らなかったんだが、異種族の権利を奪って商品のように扱うのは違法。坊ちゃんは当たり前にしっているだろうけどね、昔は今ほど法が浸透していなかった。そのうえ、軍の目は王都とその周辺にしか機能してないのが現状。田舎に行けば行くほど、抜け道も増えたというわけだ。

 それを利用して団長は、軍の駐屯地がないような田舎をめぐって公演していたのさ。田舎の人間はそういった法があることすら知らない。噂が広まる前に次の場所に移動してしまえばいい。嫌なやり方だよ……。


 しかしながら酒場のマスターは団長の行動が違法だと知っていた。だから逆に団長を脅したのさ。この事実を王都の軍へ伝えたらどうなると思う? ってね。

 あの時ほどマスターが頼もしく思えた日はなかった。同時に知識というものは武器である。そう気づかされた瞬間だった。


 マスターに脅されたサーカスは、目玉商品も失ってそそくさと去っていったよ。その後どうなったかは分からない。噂を聞かないことを見るに、そのまま潰れてしまったのかもしれないね。

 何もしらなかった子供の私は楽しめたけれど、年をとった今にして思えば、あのサーカスの芸はずいぶんお粗末だった。だからこそ人魚を捕まえるなんて、悪事に手をそめてしまったのかもしれない。


 彼女の行き先も分からず仕舞いだ。探しに行こうかと思ったけれど、人魚が逃げた。という噂が広まってしまってね。サーカスの団長のように彼女を捕まえようとする者が他にでないとも限らない。人魚は水の中で呼吸ができるから、水面に上がらずに海まで出てしまえば何とかなる。下手に君が出て行くと、彼女は戻ってきてしまうかもしれない。そう両親やマスターに諭されて、私は彼女を探しに行くことを諦めた。


 この選択が正しかったのか、間違いだったのか今でも分からない。

 その後人魚を捕まえた。という噂は聞かないから、彼女は無事に海に出て、家族の元にもどれた。そう私は信じることしかできない……。

 でもね、時間が過ぎるにつれて不安が大きくなった。彼女は今無事でいるのだろうかと。

 人魚とはいえ彼女は子供だ。何も知らない場所に放り出されて、海への方角も分からない。誰にも見つからずに海まで逃げるなんてこと、できるのだろうか。海へ行くまでの途中、寝床や食事を確保できるのだろうか……。

 そう思ったら私は怖くなった。もしかしたら私はちっぽけな正義感で、彼女を死へと追いやっただけではないか。自由はなかったが、水槽の中にいた方が彼女は死なずにすんだんじゃ。異種族を捕まえるのが違法であるならば、バカなことはせずに軍に言えば、彼女は保護されて安全に親元へと帰れたのでは。

 そんなことを考えて眠れない日が続いた。どうしても彼女の姿が、笑顔がもう一度見たかった。私のしたことは間違いではなかった。彼女は救われたのだ。その証明が欲しかった。

 

 そうして、気付けば記憶を頼りい彼女の笑顔を紙に描いていた。


 私に笑いかけてくれた彼女の姿を、美しかった彼女の姿を。きっとどこかで生きているはずだ。大丈夫だと私は自分自身を落ち着かせるために、何枚も何枚も、不安になるたびに彼女の絵を描き続けた。


 そうして気が付けば、画家といわれる立場になっていた。

 生活はずいぶん楽になって、家族には感謝され、沢山の友人もでき、こうして王都に移り住んで多くの知識を得た。人生の伴侶とも出会い、子どもに孫まで生まれ、幸せだ。そういえる人生を手に入れた。


 それは全て彼女のおかげだ。彼女の存在があったからこそ今の私がある。

 だからこそ未だに怖くなるんだよ。私の人生を救ってくれた、彩を与えてくれた彼女は幸せを手に入れたのだろうか。どこかで一人寂しく、後悔と絶望に苛まれながら、私を恨んで死んでしまってはいないだろうか。私だけが幸せを手に入れてしまったのではないか……。

 そう思うとどうしようもなく、怖いんだ……。


 ……ああ、すまない。こんな話を若者にするべきではなかったね。本当に申し訳ない。やはり最後まで、胸に秘めておくべきだった。

 ……そんなことはない? 話してもらえてよかったか……。坊ちゃんは本当に優しいね。優しくて聡い。当時の私が坊ちゃんのようであったなら、もっと上手く彼女を救えたのかもしれない……。

 いや、こんなことを言われても困ってしまうね。忘れてくれ。


 無理だって……?

 まあ、そうだねえ。こんな話はなかなかに忘れられないね……。本当にすまなかった。

 ……え? 謝罪はいいから、絵が欲しい? 私の絵かい? こんな話を聞いた後で?

 聞いたからこそほしいか……坊ちゃんはおとなしそうに見えて、中々に肝が据わっているね。坊ちゃんが望むのであれば、好きな絵を譲ろう。彼女のなら本当に、あきれるほどあるんだ。


 そうだ。今度、個展を開くんだよ。

 人生の集大成。私が今まで描き上げた、手元に残っている彼女の絵を展示するんだ。展示場にある絵の中から、好きなものを差し上げよう。遠慮することはない。こんな話を最後まで聞いてくれた、せめてものお礼だ。


 ……彼女は幸せだったと思います。……か。

 ありがとう。気休めでも少しだけ、心が晴れたような気がするよ。

 やはり坊ちゃんとの出会いは、運命の導きだったのかもしれないね。

 彼女にも……そんな出会いがあり、幸せでいてくれたら……。そう願うことしか私にはできないが……。



王国歴248年 秋

メーヌ川のほとり

画家のお爺ちゃん



新聞の切り抜き

「最後の個展にて奇跡の再会」


 先日、画家レナルド氏の個展が開催された。人魚の絵を描かないという珍しいスタイルと、生きているかのような精細で美しいタッチで有名なレナルド氏。今回の個展を最後に、絵の依頼を受けることはやめ、のんびりと余生を過ごすとのことで引退を多くのファンに惜しまれていたが、その個展にてまさかの再会を果たす。


 レナルド氏が描く人魚の特徴が共通していることから、同一人物では。との憶測がファンの間でなされていたが、個展会場に絵画の特徴と一致する女性が現れ視線を集めた。女性は一番大きな、人魚の笑顔を描いた作品をながめ会場のスタッフに「亡くなった祖母に瓜二つだ」と語る。驚いたスタッフがレナルド氏に確認すると、モチーフとなった人魚の孫だと判明した。


 レナルド氏とモチーフになった人魚は、幼い頃に別れたきり。生死すらも分からなかったという。人魚の娘だと語る母親には人魚の特徴である鱗があり、人間の血が混ざっていると語った。


 モチーフとなった人魚の女性は、昨年、娘や孫に囲まれて幸せに息を引き取ったという。生前、事あるごとに「幼い頃に助けてくれた人がいた。いつか直接お礼がいいたい」と言い、命の恩人の消息を探していた。おばあちゃん子だった女性は、祖母の想いをせめて伝えたいと祖母亡き後も命の恩人の消息を探していた。今回の個展の話を聞き、もしやと思い足を運んだのだという。


 事情を聞いたレナルド氏は「そっくりだと」女性の手を取って涙を流した。女性は「あなたのおかげで、祖母は祖父と出会い、私は生まれることが出来ました。祖母を助けてくださってありがとうございます」そう笑顔を浮かべた。その笑顔はたしかに、レナルド氏が人魚の笑顔を描いた「永遠」にそっくりであった。


 レナルド氏は「彼女を助けてよかった。絵を描き続けてよかった。私の行動は間違っていなかったと、やっと思うことができました」そう目じりに涙を浮かべながら語っていたという。

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