#2

 「新春 プレゼントキャンペーン」と銘打った企画を始めて早一週間。

 新規の来館者獲得を目的とした企画だったはずだが、新規の来館者の姿はほとんど見られない。

 時折現れる新顔の来訪者もキャンペーンとは関係なしに来館したようで、「新春 プレゼントキャンペーン」と書かれたホワイトボードに目をやって「ふーん」と興味なさげに通り過ぎて行く。

 

「この企画って失敗じゃないか?」

「お前!? なんでシオリさんの前でそんなこと言うんだよ!」

「フミハルくん、静かに」


 あれ? おかしいぞ? 庇ってあげたはずなのに叱られた。

 風船が萎むようにフミハルの気分は沈んでいく。

 

「怒ってない」


 シオリがすかさず声を掛ける。

 ほんとに? とフミハルが確認すると、シオリは小さく頷く。

 フミハルが安堵のため息を吐くと、アキラが笑いながら「良かったな、嫌われなくて」とおどけた口調でからかってくる。

 うるさいと言って軽く小突く。

 

「図書館ではお静かに」


 シオリに咎められる。

 フミハルとアキラは、すいませんと頭を下げた。

 シオリの怒りの矛先を変えようとして「ところで本田さんは?」と尋ねる。

 すると、カウンターからひょっこり顔を覗かせて「ここにいるよ」と勝ち誇った笑みを浮かべる。

 一連のやり取りを、笑いをかみ殺しながら聞いていたのかと思うと無性に腹が立った。

 

「ほんと趣味悪いですよ。だからフラれるんだ」

「ちょっと棚本君!? 僕かなり傷ついたよ」

「二人ともうるさい」

「「どうもすいません」」


 ショウスケも加わって三人でシオリのお叱りを受けた。


   ***


「お客さん増えましたね?」

「なんで疑問形なんだい? 棚本君」

「いや、学生がいないなと思って」

「確かに学生は相変わらず大学附属図書館ここに寄りつかないからね。でも学外からの客足は増えたよ。本好きの」

「ええ、それは見ていればわかりますよ。皆さん読書玄人って感じしますもん」

「読書玄人? 何それ? 棚本君が作った造語? まあ、意味は分かるけど。そもそも大学附属図書館うちを利用される方は読書好きしかいないしね。あ、君と帯野君を除けば」

「俺は……俺も好きですよ」

「紙本さんが、でしょ?」


 本当に腹立たしい。

 この人は人を苛立たせる天才なのかもしれない。

 

「本田さん。マジで性格悪いですね」

「褒め言葉かな?」

「どこをどう取っても褒め言葉にはならないでしょ?」

 

 わかっているよとショウスケは笑って、でもと続ける。


「性格の善し悪しなんて社会に出たら関係ないよ。僕がそのいい例」


 自分を指さしながら言う。

 本田ショウスケという人間は一般的には社会不適合者だ。少なくともフミハルはそのように思っている。

 人前に出ることを嫌い裏方仕事ばかりをやっている。

 もし司書になることが出来ていなかったら、この人は今頃フリーターだったことだろう。

 少なくともテレビで事件の容疑者として報道されたなら「無職」「自称◯◯」と言ったように職業不詳の人間として扱われていたに違いない。

 司書として働く今捕まったとしても、自称司書と報道されかねない。真面目に働いている空気を纏っていないのだ。

 フミハルに抱いた感想は口にこそしていないが、表情にありありと出てしまっていたのだろう。


「僕はきちんと仕事はこなしているよ」


 「仕事は」という言い方に引っかかりはしたが、仕事をこなしていることは事実なので聞き流すことにした。

 仕事以外の事にも目を向ける必要があることを、フミハルは後の事件を経て知ることになる。


 けれども今はまだ、そのようなこと知る由もなかった。


   ***


 思いの外シオリたちの企画したプレゼントキャンペーンは成功を収めていた。

 本好きには絶版本のプレゼントは魅力的らしい。

 普段はカウンター下で本を開いているシオリも、読書の余裕がない程仕事に追われている。

 本来司書は、毎日今のシオリと同じか、それ以上の仕事をこなしている。

 それでも普段の仕事量からしてみれば、シオリもショウスケも働き過ぎなくらいだ。

 実際に二人とも今までにないくらい仕事をしている。

 人前に出て仕事をしないショウスケがカウンターに常にいるなど異常事態だ。

 シオリに至っては職務中に読書をしていない(普通は当たり前)。

 

「俺は奇跡を目撃している!?」


 それはまさしく奇跡だ。

 息をするかのように読書を嗜むシオリが読書をしていない。それは彼女にとって呼吸をしていないも同然。生命維持に支障をきたしかねない!?


「おーい。棚本、聞こえてるか?」


 カウンターにいる彼女を見つめる視線に、アキラが割り込んでくる。

 顔だけでは満足できないらしく、両手を突き出して勢いよく振り始める。

 思わず顔を背ける。

 

「危ないだろ!」

「いや、意識飛んでるのかと」


 真面目な顔で言うので突っ込むことにためらいが生じる。


「どうせ大好きな司書さんをいやらしい目で見てたんだろ」

「誤解を招きかねない言い方をするな。司書なのは間違いないが、俺の「彼女」だ。それにいやらし目で何か見てない」

「断言しちゃっていいのか? キスの一つもしたいとは思わないのか?」


 アキラに尋ねられるもフミハルは返答に困る。


「キス? 魚の?」

「それはきすな」

「口と口を「づけ」するやつか!?」

「づけするってなんだよ」

「口吸いの事を言ってるんだよな?」

「江戸時代はキスの事を口吸いって言っていたらしいな。なんか変な資料でも読んだのか?」


 肩を竦めながらアキラは言う。

 アキラの推測は正しかった。

 フミハルは図書館に入り浸るのに際して本を読んでいた――眺めていた。

 さすがに、何もせずにシオリを見つめているだけという訳にはいかない。そう思って適当に書架から本を取っては流し読みしていた。実際には流し読み以下のそれこそ「眺めた」という語がピッタリな、一見読書に見えなくもない事を日々繰り返していた。その中でたまたま目にした。おそらく日本史関連の書籍。江戸時代にはキスの事を口吸いと呼んでいたと。

 今後の人生に役立ちそうもない――使うことも無いであろう知識を使う時があった、などという感想を抱くと同時に、全身の毛穴が開いたかと思う程汗が吹き出し身体の熱を放出しようとする。

 身体が火照っている。その理由は明白だ。

 フミハルはシオリと交際を始めてからもキスは愚か、まともに手を繋いだことも無かった。

 そうした行為をしたくない――興味がないと言えば嘘になる。

 フミハルも男だ。人並みにそうした欲も持ち合わせている。しかし、シオリの性格も相まってフミハルがそうした事を考える――考えさせられることがなかったために、唐突にアキラに突き付けられた何気ない言葉に刃をまともに食らってしまったのだ。

 などと講釈を垂れてはみたものの、ようやく吸えば一言恥ずかしい。そこ言葉につきる。


「この話止めよう」額の汗を拭いながらフミハル。

「さすがに今の流れで「そうだな」とはならないぞ」


 正義感の強い好青年だった男が、近頃親しくなった図書館のツチノコの影響を受けてか好青年らしさが欠如し始めていた。

 そしてフミハルの困った表情を見てほくそ笑むのだ。

 そこには好青年など居はしなかった。


「あ、あの子また来てる」

「おいおい、話を逸らすなよ」

「違うよ、ほら」指を指して、

「近頃はほとんど毎日来てる」


 アキラは指さす方に目を向けると、


「なんだ、棚本。ロリコンの気もあるのか」

「無いよ」力なく答える。

「どうした? 元気ないぞ」


 ショウスケにアキラと、入れ代わり立ち代わりからかわれれば疲れもする。

 フミハルはアキラの言葉を無視して、


「あの子の制服ってふもとのお嬢様学校の制服だよな?」

「ああ、金持ちしか行けない学校な。そこの初等部の子だな」


 アキラの補足がなくとも、図書館を訪れた子が小学生なのは背負っている革を用いた専用鞄――ランドセルを見れば一目でわかる。

 

 フミハルたちの通う大学は小高い丘の上にあり、小学生が歩いてくるには中々骨を折ることになる。

 そして最近小学生は付き添い――保護者と一緒に図書館に足繁く通っている。

 学校の帰りに立ち寄っているのだろうが、一つ疑問が浮上する。


「ところであの親は何をしているんだ?」

「何って?」


 アキラが視線だけをフミハルに向けて言う。


「だって、あの学校は超が付く金持ち学校だぞ」

「そうだな」

「そんな学校に通っているお嬢様なんだぞあの子は。その親がこんな昼間にお迎えなんておかしくないか?」

「そうか?」

「そうだよ。仕事をしている人間なら、この時間帯が毎日空いているのはおかしいだろ」

「言われれば確かにそうだな……。でも、夜の仕事で昼間は比較的自由なのかもしれない」


 アキラの指摘は的を得ている。

 それに金持ちという人種の中には、働かなくても済む者もいるのかもしれない。

 お金の湧き出る池が庭にあるとか。そんな夢みたいなことあるはずはないが、株とか自営業であれば会社勤めとは違い時間の自由も利くのかもしれない。

 突如として湧いた疑問に納得しかけたところで、いつも余計な事を仕出かす男が気配なく近づき、フミハルとアキラに思わせぶりな口調で、


「もしかしたら棚本君の直感が正しい、なんてこともあるかもよ」

「「――ビックリしたぁ!!」」


 毎度のことながらショウスケには驚かされてばかりだ。

 いい加減慣れてくれないか、とショウスケはショウスケで辟易しているようで、


「このやり取り、いつになったらなくなるの?」げんなりした表情で呟いていた。

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