第24話 またまた久しぶり、です
詩とポエムへの誘い
かつてノートの片隅に思春期の思いを綴ったことはないだろうか。或いは生きていくなかでの苦しみや恋愛についてでもいい。ちょっと知人や友人に読まれると、うわっ、こいつポエマーかよ、と蔑みか痛ましく生温かい視線を投げかけてくれる。そんな感情の断片のことである。
三〇代半ばにして創作に復帰して僕は色々あって詩を書いている。ポエムという言葉は先述したイメージで一般に流布していると思う。何故かは諸説あるので知りたい方は調べて欲しい。またこれは詩を書いていると自称する人々、詩人とか詩書きと称する押し並べて非生産的な生き方を選んだ愛すべき愚かものたちの間でも同じように蔑称として扱われることが多い。
僕自身、そう使ったことはあるし未だに深みを感じない作品をポエムかぁ、と揶揄する気持ちがない訳ではない。しかし、思うに詩を書こうとしてポエムを書いていた経験は少なからず皆、あるのではないか。それを表に出したか出さないか、の違いなんじゃなかろうか。
また時に感情に溺れずに描写されたポエムを見かけると綺麗だなぁ、と心が洗われる気分になったりもする。
何が言いたいのか、と言うと安易にポエムw、みたいに否定することでこれから傑作を生み出すかも知れない書き手を潰してないだろうか?と言うこと。思えば今はもう行方も知れないがカクヨムで知り合った小林素顔氏がライトポエムも詩というものに包括して見よう、と提唱していた。僕はその頃、面白いと思いながらも先述したような気持ちをポエムに抱いていたので時に氏に否定的な言葉を投げかけたりもした。これには若干の罪悪感を覚えないわけではない。
かつてノートの片隅に思い、を書き込んだ人がもしこれを読んでいるなら、もう一度、筆をとってもらいたいな、と思っている。人は時間が経てばかつての思い、も冷静に観れるものである。かつてノートの片隅に書いた思い、もまた違った形で言葉になるかもしれない。人生を経ただけの厚みを持った言葉に。或いは現在進行形で何か書いてるけれど、人に見せる勇気を持たない人も、書き続けて欲しいと思ったりしている。
それからポエムで悪いか、黙ってやがれ、と書いて発表している人にも頑張って欲しいと思う。(偉そうに何様だ、てめぇ 笑) 兎にも角にも詩とかポエムを書く人が増えなければ面白いな、読んでみるか、と言う人も出てこないだろうなぁ、と思うこの頃である。マンションポエムとか、麦焼酎二階堂のCMなんかも好きな、帆場蔵人の長い長い呟きでした。では、また何処かで。
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