第21話 最果タヒの詩を読む

さて、今日は読んだ詩の感想を書いてみたい。最果タヒ、『夜空は最高密度の青色だ』です。もう説明不要なぐらい最近の詩人としては異例の売れかたをしている。今回、取り上げる詩は映画化までしています。あまり読んでらいませんが……


◇◆◇◆


最果タヒ

『青色』


都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。

塗った爪の色を、君の内側にさがしたってみつかりはしない。

夜空はいつでも最高密度の青色だ。

きみがかわいそうだと思っているきみ自身を、誰も愛さない間、きみはきっと世界を嫌でいい。

そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない。


◇◆◇◆


最果タヒさんの代表作になるのかな。映画化した作品のモチーフの詩ですね。

世界に対する否定と、そういうものだと感受する自分の肯定。構造だけみるとシニカルさを含む応援歌のよう。


だけど粘性の情念(演歌のような)は感じないし、情緒的というほどでもない。ドライに、そしてあまり波立たない言葉たち。そこに常用しない、最高密度、という言葉がふいうちで強い印象を残していく。何処と無く隙間や虚しさを抱えた現代人の心象を語るような空虚さが潜んでいないだろうか。それが共感をよぶのか。


物や情報に満たされ、コミュニケーションツールは発達して誰とでも知り合える。遠くも近くもない関係は、時にいつでも断ち切れるし、顔の見えない相手とのやり取りは相手をみうしない鏡と会話するようでもある。

双方向のはずのコミュニケーションが実は繋がっていないのではないのか? 簡易さが故にそんな不安が内在しないだろうか。それがこの詩の最終行の"恋愛なんてものはない"という閉じた世界を思わせる言葉から感じられる。だがそれでもネットのなかの関係性に救われる人はいるのも確かだ。


次に文体なんだけれど、

"きみがかわいそうだと思っているきみ自身を誰も愛さない間、きみはきっと世界を嫌でいい"等の長めのセンテンスの中での平仮名と漢字と、のバランス。 また、各々の文の長さのアンバランスさも定型詩の中で感じるものとは異なる、不安定な心象を映し出すスタイルになっているように見える。また横書きがあった書き方にも見える。


そうした不安定でありながらも、自分を貫けばいいと言うこの詩の肝は次の文だと思う。


"塗った爪の色を、君の内側にさがしたってみつかりはしない。

夜空はいつでも最高密度の青色だ"


ここでは''探す"という言葉が出てくる。探しながら'見る"のは最高密度の青色の夜空だ。つまりここでは自分の内に自分を求めずに、誰もが共有できる夜空を最高密度という言葉で、強調している。内ではなく、外だ。世界を否定しながらも、自身よりも外にある夜空に価値をおくのはアンビバレンツな心象の現れに見えるのだ。ネットの関係と現実の関係、繋がりたいけれど否定やぶつかり合いは避けたい。ありきたりな感想だがそんなふうにぼくはこの詩を読みました。


タヒさんのファンのかたがおられたら、ぜひ感想などおきかせください。




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