笑顔咲く

「実が膨らんできましたね。収穫が待ち遠しいですわ」


 私は、家の庭の一角で、イチゴを栽培しています。

 栽培と言いましても、プランター3つに収まる程度の小規模なものですが、慣れてないうちは、これでもお世話が大変でした。

 ですが、おかげでようやくガーデニングのコツをいくつかつかめた気がします。この殺風景な庭を、お花で埋め尽くすための第一歩……それがこのイチゴなのです。


「立派な実を付けたら、あのご婦人に見せてあげたいところですが……」


 ふと、私はイチゴの種を分けていただいた方のことを思い出しました。





 ―――――――――それは、去年の秋の中頃でした。



ほおけーそうなの! ほれで、ここんとこまで来たんけ!」

「ようやく父と母も、ゆっくり休めます」


 銀杏の葉が舞う、身延線市川大門駅のホームベンチ。

 私はたまたま出会った初老のご婦人と、お話をしておりました。

 恰幅がよく、開け広げなこのご婦人は、西の方出身とおっしゃられていましたが、見事な甲州弁をお使いになられます。この地方出身の父が、たまに使っていた気がしますが、幼いころなのでもうほとんど覚えていません。甲斐の国の血が流れている私より、他県の方が流暢に方言を操るのが、なかなか不思議な気分です。


「えらいわぁ、若けぇんに」

「ずっと、親孝行したかったのです。東京より、故郷の方が休むにはいいかと」


 この日私は、亡くなった父の故郷に赴き、ようやく完成した小さなお墓に、納骨して参りました。東京にもお墓を立ててはみましたが、すぐに破壊されてしまいましたので…………逆恨みは、恐ろしいものです。


「嬢ちゃんよかったら枯露柿ころがき食べるけ? この近くで頂いたんよ」

「いいのですか?」

「果物は人と食べるのがうまいずら」

「では、おひとつ」


 ご婦人から、タッパーに入った干し柿……もとい枯露柿を一つ頂きました。生で食べると渋くてどうにもならないというのに、干すだけでここまで甘くなるのが不思議です。いえ、きっと干すだけではないのでしょう。その間にもさまざまな手間がかかっているのでしょうね。

 ふと、私は、タッパーを差し出すご婦人の手を見ました。


「美しい手ですね」

「まぁまぁ! いきなりおてんたらお世辞ゆぅちょし! うちんボコうちの息子は『かあちゃんの手はお相撲さんみたい』いうんよ! シミはにじるし、しわもそぼいし!」


 思わずつぶやいた私の一言に、ご婦人は大げさなくらい笑い転げていました。ですが、心の底から100%純粋に笑っておられるのが、わかります。


「嬢ちゃんのおててだって、白くてすべすべしちょるし、お姫様みたいじゃんけ」

「私の年代なんて、みんなこんなものですよ」


 ご婦人には伝わってないかもしれませんが、私が「綺麗」ではなく「美しい」と言ったのは、ご婦人の手に生き様が映っているからでした。どんなお仕事をなされていたのかは存じませんが、その上で、手の掛かるお子様たちを育て上げたのですから、年季が違います。それに比べ私の手は…………


(これほど血に染まった私の手に、綺麗という言葉はふさわしくない)


 隠していますが、私の手には武芸だこがいくつかできております。この手はすでに、凶器に変わりつつあるのです。

 直接殺めたことはまだありませんが、私の行動で間接的に、命を落とした方は数知れません。私だって人です、少しは罪悪感は感じます。私と無関係な方が含まれていればなおさら……


「私は、幼いころに両親を亡くしたせいで、親の愛情というものを知りません。ですから…………不安なのです。いつか私が誰かと結ばれ、子を産み育てるとき……しっかり愛情を注げるか。だから、あなた様の手が、うらやましく見えまして」

ほうけほうけそうかそうか。お嬢さんは、花を育てたことあるけ?」

「花ですか? いえ、まだ一度も」

んだらそれなら、この種を育ててみりょし」


 そう言って手渡されたのは、昔よく見かけました、プラスティックのカメラフィルム入れです。中に入っていたのは…………胡麻でしょうか? しかし、ご婦人はこれを種とおっしゃっていました。


「これは?」

「イチゴの種じゃけん」

「イチゴですか!? 農家でもないのに、育てられるのでしょうか?」

「ほほほ、なにょぅゆーとるでぇなにいってんの。イチゴは楽な方さよー。高級なもんじゃなし、気楽に育ててみろしね」


 そんなやり取りをしておりますと、上りホームに電車がやってまいりました。ここで下りの電車と待ち合わせをするとのことです。


「んじゃ、あたしは静岡にいくけ」

「左様ですか。私は甲府方面ですので、反対の電車待ちですね」

「体にきをつけろしね」

「おばさまも、お元気で。枯露柿ごちそうさまでした」


 私は、単線から入線してきた電車の扉ボタンを押して乗り込みましたら、すぐに後ろを振り向きました。ご婦人は、向こうの電車の扉が閉まるまで、手を振ってくださいました。私も、笑顔で手を振りかえしました。

 結局、貰うばかりで何も返せませんでしたね。いつか会えたら、たくさんお返しがしたいものです。




 あの胡麻のような種を、プランターに撒き、資料本を片手にお世話すること一か月。せっかちな私は、芽が出たとき、ようやっと一安心しました。

 そして、ここにきてようやくご婦人の思惑が分かりました。結局、人を育てるのも、植物を育てるのも、本質は変わらないのです。焦ってはいけません。結果はすぐに出ません。

 植物は一言もしゃべりませんが、想像以上に我がままです。水も肥料も多すぎてはいけません。病気にならないように、毎日様子を見る必要があります。時には不要な草や芽を摘むこともしなければなりません。

 きっと子育ても同様……いえ、人付き合いにも通じるものがあるかもしれません。楽しいことばかりではありません。辛いとき、苦しい時、そんな負の部分も共に乗り越えてこそ、絆は育まれる。そう私は確信しました。


「いずれ……孤児院の真似事でもしてみましょうか? 痛みを経験した私だからこそ、出来ることがあるかもしれません」


 なんて、本音はちょっとさみしいかなという自分勝手な思いでしかないのですが。



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