第30話 ロックスターは覚醒する

「そ、そんな、バカな。この、僕が、手も足も、出ないだと?」


 ショットガンを向けられた夢魔は、絶体絶命の表情を浮かべて、沢田を見ていた。

 沢田は、鼻を鳴らしながらその言葉に答える。


「抵抗できない女ばかりを殺してきたんだろ。随分と自分を過大評価してるようだから言っておくぜ。お前は大したことない。その気になれば俺一人でも、簡単に殺せる。だが、もう一匹はどこだ? 気配がないな。いなくなったみたいで安心してるが。何者だったんだ?」

「……何?」

「お前のちんけな妨害に紛れて、お前の数倍は力のある夢魔が一匹いたんだよ。油断してたんで、死ぬところだったぜ」


 怪我はそいつに負わされたと言わんばかりに、沢田は笑った。


「全く、これだから灰谷さんはあてに出来ん。どういう経緯でそうなったのかは知らんが、侵入されでもしたんだろうな。あまり前例のないことだが、考えられないことではない」


 さっきの、自分を殺すと言った影だろうかと夜シルは思う。

 が、口には出せずに、沢田の動向を見守った。


「早く答えろ。言わなきゃこのままあっさり始末させてもらう」

「ど、どいつも、こいつも、僕を馬鹿にして!」


 夢魔は、怒りの形相のまま、叫んだ。

 が、何かをするよりも早く、ショットガンが火を噴いて、夢魔の……原田・樹ミの形をした敵の胴体に弾丸をぶち込んだ。


「ぐぁ!」


 夢魔は後方に飛んだ。

 もちろん、弾丸を回避しようとした自発的な跳躍ではなく、避けられずにまともに受けたショットガンの威力で、だった。


 夢魔は、血をまき散らしながら後方にあった壁にぶつかると、散弾でぐちゃぐちゃになった臓物を腹からこぼし、地面に落ちる。


 その顔は、断末魔の色を浮かべていた。


「魚住さん……!」


 夜シルは振り返り、希ルエを気づかう。

 原田・樹ミの、無残な表情は、必ず希ルエに深い悲しみを呼び込んでいるだろうと、そうした心配のためだ。


 だが、希ルエは耐えていた。

 顔に悲しみを浮かばせて、必死に涙がこぼれるのを耐えている。


 ――これで全て、終わった。


 夜シルは、ドッと降りて来たどうしようもない悲しみの中で、たくさんのことを想った。


 殺された玖ユリのこと。

 その、あまりにも無残な最後の映像。


 沢田との、確執。そして和解。


 夢魔もイレギュラーだと言い放った、原田・樹ミのこと。

 希ルエのこと。

 自分を殺すと言った影のこと。


 それから、玖ユリの仇の、呆気ない最後。


 理解が出来るものも、出来ないことも、全てが頭の中を駆け巡り、そうして夜シルはようやく銃を握り締めていた手の力を、そっと緩めた。


 だが、しかし。


「……ふざけやがって」


 沢田の声だった。

 それが言い終わるやいなや、沢田はイラついた表情で夢魔の死体へさらなる射撃を加える。


「きゃあ!」


 ショットガンの散弾は頭部を爆裂させて、その中身を噴出させた。

 樹ミの目玉が転がり、希ルエが叫ぶ。


「い、いやああああああああ!」


 耐えていた感情が、爆発したのだろう。

 希ルエは半ば興奮状態になりながらも、頭を抱えて座り込み、泣き続けている。

 叫びは嗚咽となり、もはやそれ以上、何もできないと言う状態へと変わっていた。


「ち、ちくしょう!」


 夜シルは信じられないと言う顔で沢田を見て、叫んだ。


「さ、沢田さん、何をするんですか! 魚住さんの気持ちを……!」

「そんなことを言っている場合じゃないぞ! そいつはまた動く可能性があった! そこで倒れているのは本体じゃない! あの野郎、どこまで手を煩わせるつもりだ!」

「え?」

「赤井、患者を守れ! 終わりじゃない! 敵は、! どこかにいやがるぞ!」

「や、夜シル君……!」


 夜シルは希ルエの方を見た。

 そして、すでに遅かった。

 希ルエの足元から生えた細かい触手が、希ルエの体を拘束しているのだ。


「く、くそ! 魚住さんを離せ!」


 夜シルはとっさに飛び、希ルエの体に触れる。

 が、その瞬間、触手は夜シルの体にも巻き付いて、その動きを封じにかかっていた。


「う、うああああ!」


 それは、ぬめり、滑りながら動いて、夜シルの体の上を這いずり回りながら締め付ける。

 夜シルは、そのあまりにもおぞましい感触に、叫んだ。

 触手を引きはがせず、巻き付かれた腕も、足も、どこも動きそうにない。


「ちっ! 大丈夫か、赤井!」


 沢田はショットガンを放り投げ、走る。

 ああも細くては、銃の射撃で取り除くことは不可能だったのだろう。

 沢田は服の下からナイフを取り出すと、一気に駆けようとした。


 だが、沢田の進行方向を塞ぐ、新しい触手がアスファルトを突き破って出現し、うかつに進むことが出来なくなっている。


 その時、夢魔の声が響き渡った。


「くっくっく、あっはっはっは!」


 声は、原田・樹ミではなく、希ルエの夫の物だった。

 発信源は特定できない。

 すぐ近くのようでいて、ずっと遠い場所のような、不可思議な声の響きだった。


「まんまとひっかかったなぁ! 全く、馬鹿どもめ。お前ら人間が嗜んでいた娯楽作品に、こんな言葉があっただろ? 『戦いとは、いつも二手、三手、先を読むものだ』ってのがよぉ! 上手くいかなかった時の対処は、いつも考えておくってことさ!」


 旧世紀に日本で作られたSFアニメーション、その敵役のセリフだったが、夜シルは当然、そんな作品は知らない。

 だが、沢田は鼻で笑った。


「全く……! どこで知ったのか知らんが、博識な奴だ。100年も前じゃ、かなり有名だったらしいが、今じゃその作品を知ってる奴の方が少ないぜ。漫画も、アニメも、この国じゃ、とっくに規制されてるからな」

「そうだろうねぇ。この国に無い『文化保存博物館』とやらが海外にあるくらいだから、よっぽどだと思うよ。人間ってホント、意味が分からないよなぁ。まぁ、言いたいことはそうじゃない。ようするに、今度こそ本当に僕の勝ちってことさ。希ルエ。そろそろ終わりにしよう。君に絶望を与えてやる」


 夢魔はゲラゲラと笑ったと思うと、急に静かに喋り出した。


「希ルエ、? 今日はまだ、つけてないだろ?」


 夜シルと沢田にとってはまるで意味不明だったが、希ルエにとっては大事な事だったらしい。

 触手に締め付けられ、苦しみもがいていた希ルエの顔が冷静になり、それから冷たい汗を流し始めた。


「……そ、そうだ、私、カレンダーにチェック入れないと。でも、何で? 何のために」

「何でチェックしてるのか、思い出せないかい? 教えてやろうか、希ルエ」

「やめろ!」


 夢魔の声に、沢田が声をかぶせた。


「赤井! 患者に夢魔の声を聴かせるな!」

「は、はい!」


 しかし夜シルは、体を動けなくしているツルのような細い触手は、どうしても振りほどくことが出来ないでいた。

 そして、ついに、決定的な夢魔の言葉が響く。


 止めようがなかった。

 沢田にも、夜シルにも。


んだろ? チェックを入れて、毎日、毎夜、毎朝」

「あ……」


 希ルエが、全てを思い出したと言う顔になった瞬間、その拘束が緩んだ。


「さぁ、希ルエ、カレンダーに新しいチェックを入れなよ。?」


 希ルエの顔は、生気を失っていた。

 夢魔に言われるがままに、歩き出す。

 方角は、希ルエの住んでいるマンションに。


「行かせるか!」


 沢田は走る。が、触手がさらに地面から飛び出し始めると、沢田はそれを避けながら進まなくてはならなかった。

 希ルエは、思うように進めない沢田と動けない夜シルを置いて、走り出す。


「赤井! まだ動けないか!」

「む、無理です! ちっとも動けない!」


 沢田は、手に持ったナイフで触手を斬りつけながら進むが、周囲に人の形をした肉が多数出現すると、白兵戦を捨ててM9を取り出した。


「余力を隠していたか! ……ちぃ!」


 飛び掛かって来るものから撃ち、叫ぶ。


「赤井! お前も戦え! 『強み』だ! 何でも良いから、自分の『強み』を想え! 得意な事、好きな事、それはお前の『武器』だ! ここで、強みを持つ自分と言う『個』を、強く想え!」

「そんな……そんな事をいきなり言われても、どうすれば!」

「想えば良いんだ! 自分の強みを呼び起こせ! それだけだ! やれ!」

「強み? ……得意な事? 好きな、事?」


 夜シルがそれを思った瞬間、夜シルの輪郭が鈍く光り始めた。

 拘束している触手が、その光を受けてグズグズと崩れていく。


 ――好きな事?


『あのさ、規制なんか無かった100年前は――ここで私たちみたいに聴いてた10代、絶対いたよね』


 やがて、夜シルの握っていた銃は地面に落ちて、そして、代わりに『エレキギター』が夜シルの手の中に現れた。

 夜シルの拘束は消えている。

 崩れ切った触手は、その残骸を地面に落としてピクリとも動かない。


「ギター……? そうだ、俺、ロックが好きなんだ」


 忘れかけていた熱い思いが夜シルの胸に蘇って来る。

 かつて思い描いていた未来。

 夢。

 それらが強く夜シルの心に宿り、力を与えていた。

 失われた二人の声が聞こえる気がして、夜シルは身を震わせる。


『夜シル。戦うなら俺たちも一緒だ。そいつがあれば、お前はいつだって自由だ。何でも出来るし、どんな奴にだって負けやしないぜ』

『歌ってよ、夜シル。それが夜シルの武器だよ』


 ――ああ……! みんな……!


 もちろん、遊ヒトも、玖ユリもすでに死んでいる。

 だから、これは夜シル自身の中に在る、二人の面影の声に他ならない。


 だけど、それでも、夜シルの胸は、激しい感情の波で溢れそうになった。

 夜シルは目から涙を流し、笑う。

 それは悲しみではなく、あたたかな熱を持った、希望を感じさせる涙だった。


 夜シルはギターのストラップを肩にかけて、持ち代える。

 右手には、いつのまにかピックが握られて、左手はギターのネックを掴んでいる。


 ……周囲の触手が夜シルの変異に反応し、一斉に飛び掛かり始めた。


 夜シルはそれらに構わず、弦を指で押さえると、かき鳴らす。

 和音。コード。

 組み合わさた複数の音色は美しく響き、触手はその音を受けて、ピクリと動きを止めた。

 動いている物もあるが、その動きは酷く鈍い。


「……分かる。俺のまわりにある物。これは、敵意? 夢魔の敵意か」


 触手に宿る、自分に向いた『害をなそうとする』気配。

 それを消し飛ばし、あるいは圧倒して自分の味方へと変化を促すように、夜シルはコードを変えながら、リズムを取り始めた。


 G、C、D、C。


 ストローク。アップ&ダウン。

 チューニングは必要ない。音は合っている。

 リズム、音。コードの組み合わせは、夜シルの心に、ある楽曲を呼び覚ました。


「スプリングスティーン……!」


 ウェーブのかかった髪。ギターを掲げたロックスターが心の中に出現し、夜シルはどうしようもなく彼を真似て歌い始める。


 いつかの河原で聞いた、大切な時間が夜シルの中によみがえって来た。


 心に留めておくことが出来ない、激しくも荒々しい、熱。

 それは高速で絶望を抜け出し、明日へと向かう希望の曲となった。


『明日なき暴走』


 歌は英文の歌詞であり、その言葉の意味の全てを知っている夜シルではなかったのだが、音の響きとして覚えた歌詞で、夜シルは歌った。


 ギターが鈍い光を放ち、それは次第に大きくなっていく。


 夜シルがワンフレーズ歌い切ると、周囲にある触手は光りを浴びて消えていく。

 曲は止まらない。

 夜シルは歌いながら思った。


 ――良いぞ! ノッて来た!

 変えてやるぜ! 俺の……、俺たちのロックで、世界を変えてやる! 絶望なんか、吹き飛ばしてやる! ロックを聴かせてやるぜ、夢魔!


 沢田が、その響きの中で銃を撃った。

 沢田の撃った弾丸は、光を浴びてもなお夜シルに飛び掛かろうとしていた人型の肉を複数、それから残っていた周囲の触手を巻き込みながら貫き、それらをひき肉に変えながら吹き飛ばした。


「な、何だ、この威力は! M9の9mm弾だぞ? ……銃の威力が増している? この音楽のせいか?」


 弾丸が着弾した民家が音を立てて崩れて、残りの肉もその瓦礫の下に埋もれて言った。

 沢田は驚愕の表情を浮かべながら、言う。


「赤井、それがお前の能力か……!」


 他人の能力の増幅。夢魔の弱体と消失。

 夢魔殺しとしての才能が、夜シルの中で目覚め始めた瞬間だった。

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